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ありがとう、愚か者

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 王太子と第二皇女の婚約が決定された時、一度グリージョ公爵に会う機会があったセラティーナはシュヴァルツとの婚約解消を求めた。初めて会った時から現在もシュヴァルツの心はずっとルチアしか見ておらず、このまま継続しても誰も幸せにはならないと。セラティーナに拘っているのはグリージョ公爵だけ。彼さえ納得すれば丸く収まると期待したが——グリージョ公爵は婚約破棄も解消も決してしないとだけ告げた。魔力量と才能ある魔法使いが王国一の財力を誇るプラティーヌ家の娘とあれば、欲しがる貴族は沢山いる。その筆頭がグリージョ公爵、ただそれだけ。




 部屋に物を置きたくない性格故、執務に必要な机、椅子、本棚と客人をもてなすソファーが二つと、最低限の家具しかない室内にいるのは王太子ローウェンと帝国の第二皇女エステリーゼ。


「だから言ったでしょう? 面白味のない部屋だから貴賓を招待する客室にしようと」
「私が言い出したのです。お気になさらず」


 此処はローウェンの部屋。執務室と私室を分けて行き来するのが面倒という理由から一体型にしてしまった。故に、不要な物は一切置かれていないシンプルな内装となっていた。


「ところで、カエルレウム卿は何処へ? 私に皇女を託した途端、姿を消されてしまいましたが」
「私も知らなくて……ただ」


 どうしても会いたい人がいるからと帝国を出発する際に発言していたとエステリーゼは語る。先日の王太子誕生日パーティーで欠席だったのは、感染症に罹り完治したのだが、病み上がりが一番危ないのだと周囲に諭され、更に王太子にも諭された事で出席を諦めた。互いに使い魔を飛ばし連絡を頻繁に取り合っており、誕生日パーティーの出席には間に合う筈だったのにとまだ落ち込むエステリーゼをローウェンは慰めた。今回の訪問はエステリーゼの強い希望ということで帝国一の魔法使いフェレス=カエルレウムが同行という形で叶った。

 しかし、とエステリーゼは付け加えた。


「一番王国に来たかったのは多分カエルレウム卿です。卿が会いたい方がどんな方なのか知りたいですわね」
「教えてくれなかったのかい?」
「ええ。でも、僕のとても大事な人と仰っていたので卿の愛する方なのでしょう」
「そうか。卿が戻ったら是非話を聞いてみよう。皇女、そろそろ部屋を変えないかい? やっぱりここは貴女をもてなすには向いていない」
「ふふ。殿下のお部屋が前々から気になっていたので我儘を言ってしまいましたから、この辺でお暇しましょう」
「そうしてくれると助かる。今度、貴女を招く時は家具を増やしておくよ」
「楽しみにしています」
 二人同時に立ち上がり、ローウェンの差し出した手をエステリーゼが取ると部屋を出て行った。無論、室内にいた護衛も。王妃がこよなく愛する庭園でお茶を再開しようとなり、特に日当たりの良い南の庭園を向かったのだった。


 ●〇


 約五十年ぶりに再会した前世の夫は、生まれ変わったセラティーナを変わらず愛し続けると掌にキスを送った。真っ直ぐに愛情表現をする姿勢はセラティーナがどんな姿であったとしても変わらない。セラティーナが前世フェレスの妻だったと知り、ランスはある疑問があるようで訊ねてきた。


「なあ、お嬢さん。あんた、フェレスの妻だったのは良いが今は婚約者がいる身だろ? どうするんだい」
「そうですねえ……」


 婚約者がいると言っても、別の女性に夢中でしかも両想い。セラティーナが婚約解消を願ってもグリージョ公爵は決して受け入れはしない。


「セラティーナ。君の婚約者は王国の聖女と想い合っていると言ったね? 王太子と第二皇女の婚約が決まった時、彼は婚約解消を求めなかったの?」
「そう言われるとなかったわね」


 指摘されるまでセラティーナも疑問視していなかった。ただ、とセラティーナは続けた。


「私とシュヴァルツ様の婚約を強く望まれているのが、グリージョ公爵なのでシュヴァルツ様はルチア様と婚約したくても何も言い出せないだけかと」


 筆頭公爵家という、王家に次ぐ権力を持つ貴族の当主だ。息子といえど、父に意見を申し上げるのは並大抵の覚悟では不可能。


「きっと……シュヴァルツ様は私から婚約解消を求めるのを待っているでしょうね。私が身を引けば、晴れてルチア様と婚約が出来るから」
「それは卑怯だ。セラティーナ、君はそれでいいの?」
「いいも悪いも、私、シュヴァルツ様に思い入れが全然ないの」


 そして、それはシュヴァルツも同様だろう。


「セラティーナが婚約者解消しても、相手に何も問題がないのは解った。僕はそれで充分だ」
「フェレス?」
「妖精族の特性を君は覚えているかい?」
「ええ。……え?」


 言われて、ハッとなったセラティーナはまさかと予感し、恐る恐る聞くがフェレスは茶目っ気たっぷりに片目を閉じて見せただけで何も言わなかった。前世もそれでフェレスは求愛をしてきた。妖精族には人間にはないある特性がある。
 話を聞いたランスも何となく察したのか、何が問題なのだと逆にセラティーナに訊ねた。


「ねえ……今のフェレスは帝国の魔法使いをしているのよね?」
「ああ。皇帝お抱えのね」
「……それってかなり偉い魔法使いってことよね?」
「そうだね。だが、僕がそうだと言えば皇帝は深くは詮索しないし、僕が帝国を出て行くと行ったら必ず引き止めようとする」
「あ、ああ……そうなのね……そうよね……」


 フェレスが何がしたいか、何を言いたいのかよく分かる。分かるが目立つのが好きじゃないセラティーナは少し頭痛を覚える。
  
 今日はこれでお開きとしましょうと強引に話を終わらせたセラティーナを不満げに見るフェレスだが、そろそろ第二皇女を残してきた城に戻る時間が迫っていると気付き、仕方ないと溜め息を吐いた。


「そうだ、セラ、これを」
「うん?」


 懐から出した小さな袋を受け取った。中身は妖精の粉だと言う。


「建前上、君は妖精の粉が欲しかったのだろう? きちんと届けたよ」
「ありがとう、フェレス」


 妖精にしか作れない妖精の粉を大事に仕舞い、一緒に個室を出ては目立つからと先にセラティーナが出る事に。去り際「またすぐに会いに行くから待ってて」と頬にキスをされた。前世の時と全く変わらない。フェレスへの愛しい気持ちを抱えながら、セラティーナは組合を出た。

 自分が想像していた以上の事が起きた。転生した理由がフェレスだと知り驚いたが、長い年月を生きた妖精だからこそ成せる芸当。自分を覚えていてくれて、愛してくれていて、待っていてくれて良かった。今世で一番心が満たされた瞬間だった。
 若干頬が熱いからきっと赤くなっている。屋敷に戻るまでには元通りになっている事を願いつつ、待たせている馬車にセラティーナは向かった。


「……セラティーナ……?」


 ——建物の影からセラティーナがはにかんでいる姿を目撃し、こっそりと現れたシュヴァルツは呆然とした。急用があるからと駆け出したセラティーナが気になり後を付け、辿り着いたのは組合。公爵令嬢が何をしに足を運んだのかが気になり、出てきたら声を掛けるつもりで待っていた。しかし、組合から出たセラティーナは一度も見た事がないような表情をしていた。プラティーヌの名の通りの髪と青の瞳を持つセラティーナは、初めて会った時から寂しそうな表情をする娘だった。プラティーヌ公爵夫妻からは、魔法の才能があるだけで冷遇されているとは聞いてはいたが、彼女の寂しさは多分両親に愛されないからという理由ではない気がした。
 婚約者の務めとして、何度か屋敷に足を運んだが一度も妹のエルサが両親に愛されている様を見てもセラティーナはどんな感情も出さなかった。シュヴァルツといる時だけ、あの寂しそうな感情を見せていた。


「……」


 自分にはルチアがいる。ずっと好きな相手が。
 ただ、どうしてだろう。
 今はセラティーナが気になって仕方ない。


 呆然とセラティーナの後姿を見つめ続けるシュヴァルツを……建物の窓から見下ろすフェレス。


「どうした?」
「いや……」


 部屋を出る気配のないフェレスにランスが声を掛けた。シュヴァルツに向けられていた月を宿す青の瞳はどんよりと昏い色からすぐに明るい色を帯びランスに向いた。


「何でもないよ」


 あれがセラティーナの婚約者。

 ——僕の大事な女性を愛さないでくれてありがとう。



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