殿下が好きなのは私だった

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魔王エルネスト

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 豪華な調度品に囲まれた広い執務室は、たった一人の魔族の男によって半壊された。
 彼の怒りを買いたかった訳じゃない。
 彼を怒らせたかった訳じゃない。

 無事だった執務机に腰掛け両手で頭を抱える男は魔界の王エルネスト。純白の髪を何度も手で乱したせいで蓬髪となっている。普段は魔王城の侍女に整えられているのに。何度も何度も乱した。


「僕は、僕は、どうしたら」


 昔馴染みであり優秀な補佐官であるリゼルがいたら「情けないぞ」と即座に吐き捨てられる場面。今、リゼルはいない。今朝、登城して急に「今日から人間界へリシェルと旅行へ行く。長期期間休暇を取る、俺がいなくてもしっかり公務をしろよ」と申請を取るにしては既に決定事項な言い方に一瞬呆けるも。意味を知ったエルネストはすぐに駄目だと却下した。魔王を上司と思わない鬼畜な仕事ぶりを発揮させるリゼルを毎日怖がっていたエルネストでも、リゼルの長期不在は問題が多数噴出すると恐れた。
 魔力保有量によって魔界の住民の容姿は決まる。膨大な魔力を有するリゼルは絶世の美青年。魔王になれる魔力を持つエルネストすら凌駕するリゼルの力は魔界一。そんな男の中で決定事項となっている長期休暇を認めなければどうなるか――エルネストが却下をした瞬間、執務室は半分吹き飛んだ。多少の砂埃に襲われるもエルネストが無傷なのは態と的を外したから。
 爆発音を聞き付け魔王城にいた者達が多数押し寄せた。そして、理由を知ると皆凍り付いた。リゼルが長期いなくなると運営に滞りが起こる。

 せめて十日ではいけないのかとエルネストが提案したら、視線だけで殺されてもおかしくない眼光をぶつけられ意識が遠のきかけた。殺気だけでも十分他人を殺せる。
 リゼルの怒りの理由を突き付けられるとエルネストは顔を青褪めた。

 息子ノアールが長年の婚約者であり、リゼルの娘リシェルに婚約破棄を言い渡した。新たな婚約者としてアメティスタ家のビアンカを選んだとも。

 優秀なリゼルを己の補佐官として永久に縛り付けるには、愛娘を自身の息子と婚約させるしかないと考え、相当渋ったリゼルを根気よく説得し、なんとか婚約に漕ぎつけた。エルネストにはある願いがあったが、条件が合わず叶えられなかった。


『ま、待ってよリゼルくん! お願いだ、せめて十日、いや二十日でもいい! 二十日も十分長期休暇になるじゃないか!』
『お前は馬鹿か? ああ馬鹿だったな。おれがリシェルと旅行したいから長期休暇を取りに来たと思ってるのか?』
『既にリゼルくんの中では決定事項だよね!?』
『当然だろう。エルネスト、亡き妻が遺してくれた愛娘を蔑ろにしてきた男におれが託すと思うか? そんな奴の下でおれがいつまでも補佐をすると思うか?』
『そ、それは……。で、でも、ノアールがアメティスタ家の令嬢を選んだのは』
『ああ――お前のせいだ』

 “お前のせいだ”

 言い放たれた言葉の意味を理解するのは、エルネストとその場に駆け付けたアメティスタ家の当主だけ。前々からベルンシュタイン家の権力とリゼルの横暴に不満を抱いていた当主が、ビアンカがノアールの寵愛を受ける事に対する嫉妬だとリゼルを挑発した。止めろとエルネストが止める間もなく、魔王以上の実力を持つ強大な力を持つ魔族にゾッとする艶笑を浮かべられた当主はその後のリゼルの発言で生気を失った。
 アメティスタ家総出でリゼルと遊べと言われた。……つまり、一族滅亡を賭けておれと戦えという意味である。

 万の軍勢を率いてもリゼルに敵いはしない。桁外れに強すぎる。


「リゼルくんが魔王になっていれば良かったんだ……っ、やっぱり僕なんかじゃっ」


 抑々、元の魔王候補筆頭はリゼルだった。
 なのに、愛する女性と一緒に長くいたいからとあっさりと魔王候補の座を辞退し、次の有力候補だったエルネストに押し付けたのだ。
 リゼルの妻アシェルは名家の令嬢だったものの、家が没落し平民となるしかなかった。身分の差が生じ、一度はリゼルとの別れを決意したアシェルは偽りの告白で逃げようとするものの。あっさりとリゼルに捕まり、リシェルを生み亡くなるまでずっとベルンシュタイン家の屋敷に監禁されていたとか。

 元々愛し合っていた。
 身を引くための嘘としても、他に好きな男が出来たと言った時アシェルは逃げられない運命になったのだ。


「どうしよう、どうしよう、どうしよう」


 リゼルは戻ってこない気がする。
 戻って来てもらわないと困る。
 リゼルがいないと公務が回らない。
 決済が必要な書類は、執務室が半壊されても溜まる。

 頭を抱え悩むエルネストは己の考えが甘かったと痛感させられた。

 仕方なかった。
 リゼルが子を愛するように、エルネストも子を愛しているのだから。



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