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18話
しおりを挟む薄いピンク色の瓶に入ったウサギ型のクッキー。イチゴジャムが載ったそれは販売していた店の大人気商品で一昨日街へ行った際には既に売り切れていた。昨日エドアルトが何故かラヴィニアに渡したクッキー瓶は手付かずのまま置かれている。エドアルトの名で塞ぎ込んでいるらしいプリムローズへ贈ろうかとメルと二人考えるも、エドアルトが態々他人の手を使って可愛い妹分を励ます真似はしないという見解に至り。一旦、放置となった。
食べ物だからすぐに食べないと腐ってしまう。
イチゴジャムクッキーは美味しいと評判らしく、一枚食べてみたい欲がラヴィニアにはあった。
「……」
昨夜もメルに抱かれ、気絶はしなかったので湯浴みの最中はメルとうつらうつらとしながらも会話をし、終えるとメルが一滴の雫を残さずタオルで拭いて夜着を着せてくれた。本来ならお付きの侍女がする仕事なのをメルは自分でしたがる。普段の世話は侍女がしてくれるが情事後の世話はメルがする。メルだって疲れているだろうから、一度侍女にさせようかと提案しても寂しげに眉を曲げられると二度は言わなかった。
カーテン越しから見える輝きが既に朝を迎えていると語る。メルの抱き枕になって毎朝目を覚ます。今日は珍しく脚を絡ませて寝ていない。その代わり、ラヴィニアを抱き締める腕の力は強く初めて抜け出せるのではと期待するも夢に終わった。
エドアルトから貰ったクッキーを眺めるとメルは嫌な顔をする。皇太子の権力を行使しないにしろ、プリムローズの為にメルから身を引けと迫る彼に良い感情を抱いていない。
エドアルトの気紛れから渡されたクッキー。相手はともかくクッキーに罪はない。味は非常に美味しいのなら、食べてみたいと食欲をそそられるのが人間だ。
「ラヴィニア」
「あ、メル」
起きたばかりの掠れ声でラヴィニアを呼ぶメル。見ると非常に眠そうながらも意識はあるらしく、ラヴィニアを引き寄せ強く抱き締めた。
「おはよう」
「おはよう、メル」
「ふあ……二度寝しようか」
「したかったらしていいよ」
「ラヴィニアは起きるの?」
「うん。少し前に起きてしまって目が覚めているの」
「なら、俺も起きる」
「眠いんでしょう?」
「ラヴィニアが起きるなら俺も起きるよ」
と言いながら体を起こす気がないメルの頬を突いた。二人寝転がってゆっくりとしたいだけ。
「朝が弱いのは変わらないね」
「長く寝るのは好きだよ」
「寝すぎると却って眠くなりやすいのよ?」
「ラヴィニアとこうしてゆっくり出来るならずっと寝ててもいいくらいだ」
「もう」
呆れてしまうもラヴィニアだってメルとこうして何もしないで一緒にいられるのは楽しくて幸せだ。額にキスをされるとメルが起き上がり、ラヴィニアも身体を起こされベッドに座った。
「ずっと寝ていてもいいがだらけているとその内母上や父上の耳に入って叱られそうだからちゃんと起きるよ」
「夫人や公爵様はお元気だった?」
昨日のメルはシルバース夫人に呼ばれ屋敷へと戻っていた。要件はラヴィニアとの生活状況を聞かれたとのこと。体を繋げたことは伏せつつ、元の関係に戻ったと説明をすると夫人はあからさまにホッとした表情になったとか。
ラヴィニアの勘違いと言えど、二人の関係に亀裂が走ったのは事実。二人の結婚を今か今かと待ち望んでいた夫人にすると思いもしない騒動だっただろう。
メルが許してくれるのなら、夫人が会ってもいいと言ってくれるのなら、直接会って謝りたい。
夫人に会いたい旨を伝えると少々難しい顔をされた。
「会わない方がいいよね……」
「そうじゃない。母上と会うのはもう少し後になりそうなんだ。今シルバース家には面倒なのが来ているんだ」
「面倒なの?」
「キングレイ侯爵だ」
「え!?」
予想もしない父の存在を出され素っ頓狂な声を出してしまった。義母が除籍したと言い触らすのを否定している父だが一体何用でシルバース家に。プリシラはメルに懸想している。シルバース家の馬車がラヴィニアを迎えるに来ると我先にと外に出て乗り込もうとする。幸いにも腕の立つ馭者がいつも来ており、毎回プリシラの乗車は失敗に終わる。ラヴィニアが来ると声を上げて泣き出し義母がすっ飛んできて沢山の嫌味を言う。妹を大切に出来ない最低な姉、婚約者のいないプリシラに見せ付ける性悪な姉等例を挙げるとキリがない。
「プリシラをメルの婚約者にしたいから?」
「そんな単純な話なら簡単に終わってる」
「?」
至極面倒くさそうに溜め息と共に吐き出したメルの姿は珍しい。余程、父の相手が面倒と見える。
プリシラとメルの婚約が目的でないのなら、一体何か。プリシラ以外で父がシルバース家に突撃する理由。
あ、とラヴィニアは閃いた。
「お義母様がお父様を焚き付けたの? 私をメルの婚約者として育てるのに掛かった費用を請求したとか」
「金で解決するならとっくに渡しているよ」
金銭問題でもないなら完全にお手上げであった。プリシラでも、金の問題でもないなら、父がシルバース家に何を求めたか見当もつかない。
「お父様は何を理由にシルバース家に?」
「ラヴィニアが知ったって今更だ。却って気分を悪くするだけだから、この話は終わりにしよう」
「でも、お父様が迷惑を掛けたなら」
「迷惑というか阿呆の極致というか……」
「?」
――お父様……何をしたのですか、心の底から知りたい……
この後も父の行動原因を予想してメルに挙げていき全て否定されてしまった。
父の話題は一旦止めて支度を済ませ、朝食を食べようと一緒に食堂へ赴き、席に座るとテーブルに朝食が並べられていく。
今朝はチョコレートクリーム、アーモンドクリームが挟まったコルネットとラヴィニアの好きなリンゴが出された。飲み物はクリームとキャラメルソースが掛けられたカフェラテ。甘い物好きなラヴィニアの為に用意された品々。
チョコレートクリームは苦めに作られているのでこちらはメル、アーモンドクリームをラヴィニアは選んだ。
「形がそっくりなクロワッサンも美味しいよね。メルはどっちが好き?」
「コルネット、かな。クロワッサンは食べにくい」
人の好みはそれぞれ違う。自分が好きだからと言って必ずしも相手が好きだと限らない。
一口コルネットを食べるとアーモンドクリームとパン生地の甘さのバランスが絶妙でそこにカフェラテを飲むことで朝の幸福の一時が訪れる。
幸せそうな顔で朝食を楽しむラヴィニアを見つめるメルの瞳は愛しい人を見る温かさがあり、自分の分を食べながらラヴィニアを見つめ続けた。
さすがに視線を感じ、恥ずかしがって怒るも。ラヴィニアが何をしても可愛いとしか言わないメルに怒っても意味がなく、照れながらも朝食を頂く手は止めなかった。
フルーツのリンゴまで完食し、この後は部屋に戻ってラヴィニアは刺繍の続きを、メルは公爵から渡された書類仕事の処理をする。
「俺の仕事が終わったら宮の外を歩こう」
「うん」
庭園にはラヴィニアの好きな花のみ植えられている。メルの好きな花もと言ってもラヴィニアを優先とするメルは聞き入れない。
部屋に戻ってすぐメルはテーブルに置かれている薄いピンク色のクッキー瓶を手に取った。
「ああ、そういえばあったな」
「このクッキーすごく美味しいって評判だったから、このまま食べずにいるのは勿体ない気がするの」
「後で同じのを買って来させるから、これは使用人達に渡す。いくらエドアルトでも毒までは入れてないだろうさ」
「皇太子殿下は誰かに毒を盛る人には見えないわ」
「プリムローズの絶対的味方のあいつだ、ラヴィニアに食べさせることが目的なら罠を仕掛けている筈だ。見掛けで判断されちゃいけない」
「そうだけど……」
クッキーが無害だと証明するには毒見が一番だがラヴィニアには出来ない、させてももらえない。が、エドアルトは卑怯な手を使って他者を追い落とす人柄じゃない。
皇帝と共に帝国に尽くし、民の為に働き、実直な姿勢で次期皇帝として励む彼の人となりはメルも知っている。プリムローズさえ絡まなければ素直に尊敬出来る。
クッキーの処遇についてメルと語り合っていれば、タイミング良く
「安心していいぞ。中身には一切細工をしていない。何なら、魔法を使って調べてみろ」
渦中の人、皇太子エドアルトが今日も姿を見せた。
暗号を二度変えようが彼は自分達の知らない手を使ってまた暗号を入手し侵入する。実害がないのなら放置するのが吉である。
「また来たのか。随分暇なんだな」
「宮を丸ごと使って令嬢を囲うお前よりは忙しいぞ」
「ならさっさと帰れ。お忙しい皇太子殿下」
口元はわらっていても互いの目はわらっていない。
絶対零度の視線のぶつけあいが開始されている。
「あの、皇太子殿下」
一触即発の二人の間に立ったラヴィニアはメルが持つクッキー瓶を手に持った。
「どうして私に渡したのですか? プリムローズ様にメルの名前を使って贈らせる為ですか?」
「……その必要が何処にある。プリムのプレゼントくらい自分で渡しに行く。君に渡したのは私の気紛れだ。要らないなら捨てろ」
素っ気なく口にされ、気紛れな行動なら戸惑ってもエドアルトは意にも介さない。
お礼を述べると一瞥されただけで終わった。
……見せる横顔が微かに安堵したのをラヴィニアは気付けなかった。
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