まあ、いいか

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樹里亜の家族①

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 中身が半分しかない日本酒の一升瓶を持ち上げ、グラスへ豪快に注ぐ疲れた男がいた。家の中は家政婦が掃除をしてくれるとは言え、どこか荒れ果てていた。ゴミもない、汚れもない、綺麗な部屋なのに、荒れていた。
 満杯まで日本酒を注ぐとグラスを持ち、一気に飲み干した。安酒だ、味わって飲む必要もない。
 喉が焼けるようなアルコールを感じても、一気大量に飲んだせいで感じた高揚感もすぐに消えてしまう。


「親父……」
「父さん……」


 控え目な声が男を父と呼ぶ。ぼんやりとした目が出入口付近で所在なさげに立つ青年二人へ。どちらも男の息子達。


「毎日酒ばっかり飲んでたら体を壊すって」
「誰のせいだと思ってる!!」
「っ!」


 ガンッ!! と力一杯グラスをテーブルに叩き付けた男の迫力に怯える息子達。男は体の心配をした次男に近付くと胸倉を掴んだ。酒に溺れる日々を送る羽目になったのは全て次男のせいだ。


「お前が樹里亜を川に突き飛ばしたからこんな事になっているんだぞ!? それを被害者面しやがって!!」
「だ、だから!! 悪気は無かったんだ! ちょっと脅かしてやろうって思っただけで……!」
「犯罪者は皆そう言うんだ! 殺すつもりはなかった、ちょっとした悪戯だったって! お前一人のせいで全部めちゃくちゃだ!!」


 殴るつもりで振り上げた拳は長男に止められた。次男から父を引き剥がし、泣きそうな顔で父を見つめていた。


「もう何を言ったって遅いんだ。大体親父だって、樹里亜が川に落ちたのは自分で足を滑らせただけって警察に証言していたじゃないか! 弟にだってそう証言しろって口裏を合わせたじゃないか!」
「警察に捕まったら俺のキャリアもお前達の人生だって終わりになるんだぞ。仕方なかったんだ」


 但し、そのせいで妻の生家含む、両家の祖父母や家庭環境を良く知る樹里亜の友人小菊一家から完全に縁を切られた。次男に川に突き飛ばされた樹里亜は一か月間意識不明のまま入院している。見舞いに行っても常に部屋にいる両家の祖父母や小菊一家から追い出される。
 犯罪者を庇う男が今更父親面するな、と。時には、樹里亜の息の根を止めに来たのかと吐かれる始末。

 今後一切樹里亜に関わるなと両家の祖父母が残された父や息子達から樹里亜を遠ざけた。父親だからとせめて入院費を負担したいと申し出た時は父に殴られた。年老いても父の拳骨は子供の頃から同じで痛かった。


『何が父親だ!! どの口で言ってんだお前は!! 散々樹里亜ちゃんを蔑ろにした挙句、樹里亜ちゃんを意識不明に追い込んだ犯罪者を守った男が樹里亜ちゃんの父親を名乗るな!!』と。

 樹里亜は愛する妻を、息子達から母親を奪った憎い娘。育つにつれ亡き妻に似る樹里亜への憎しみは年々膨れ上がるばかり。一緒に暮らしていては何時か不幸になるからと、男は高校を卒業する間近の樹里亜に卒業後は家を出て行けと告げた。どうせどちらかの祖父母が援助するのは知っている。

 家を出た方が樹里亜だって幸せだろう。

 だが、考える間も悩む間もなく『やったー!! じゃあ、あんた達とは一切関わらなくて済むんだね!!』と大喜びされるとは予想外だった。

 今まで一度も父親らしいことはしてこなかったと言えど、樹里亜にとって自分は父親。父としての情を多少なりとも持っていてくれていると思っていたから。呆然としながらも樹里亜に二度と会えなくても良いのかと問うた時、心底不思議だと言わんばかりの顔をされた。


『私のこと娘だって思ってないでしょう? あんたの可愛い馬鹿息子共も私のこと妹だって思ってないよ。私だってあんな最低最悪なの兄だとは思ってない。小菊のお兄さんの方がよっぽど兄らしいよ』
『さっきから父親に向かってなんて口の利き方をするんだ!』
『父親? 私が上二人に暴力を受けたと訴えてもあんたは何もしてくれなかった。あの二人が私に暴力を振るっても暴言を吐いてもあんたは見て見ぬふりを続けるどころか、何度か私が悪いって言ったよね?』
『そ、それは』
『一緒に車でショッピングセンターに行った時は、無理矢理車から引き摺りだされて怪我をしてもあんた心配したの? 小菊一家が来てくれて助かったよあの時は』


 男もよく覚えている。


『もしかして、育ててやったとか思ってる? お金さえ出しとけば、後は私があいつらに殴られようが蹴られようがどんな目に遭ってもいいって思ってるでしょう? っんな訳あるか!!』
『っ』
『私はずっと祖父ちゃんや祖母ちゃん達と暮らしたかった! それを世間体がどうだと言って無理矢理私を家に連れ帰って私を不幸にし続けたあんたを父親だなんて一切思わないね!!』


 いつも聞こうとしなかった。
 いつも見ようとしなかった。
 樹里亜の声を、姿を。

 真正面から叩き付けられる言葉の数々に父は呆然とし、憎しみの籠った目で睨まれ情けなく樹里亜を呼ぶしかなかった。


『今上二人と付き合ってる恋人に全部ぶちまけてやりたいよ。あいつらが妹に、私に今まで何をしてきたか。あんたが部長を勤めてる会社に乗り込んで叫んでやりたいよ。大事な子供達って常に自慢してるくせに、大事なのは息子達だけで娘はお母さんを殺した憎い子供だから何をしてもいいってね! 子供を虐待してきた父親だと軽蔑されろ!!』


 言いたい言葉を吐き出し満足した樹里亜は呼び止める父の声を聞かず去って行った。

 椅子に力無く座った父はまたグラスに日本酒を注ぐ。長男が止めても殴られて終わった。


「兄ちゃん!」と次男が慌てて駆け寄り、殴られ倒れた長男を起こした。
「父さん兄ちゃんに……!」
「目の前から消えろ! お前みたいな人殺しを息子に持って俺は不幸だ!!」
「っ!!」


 大好きな父に拒絶され、憎しみの籠った目で睨まれた次男は泣きそうになりながらも体を起こした長男とダイニングを出た。家の廊下で佇む次男は部屋に戻る長男を呼ぶが。


「……お前は少しは自分がした事の責任を考えろ」
「なんだよ、兄ちゃんまで全部俺が悪いって言うのかよ!」
「当たり前だろ!!」
「ひっ」
「お前が樹里亜を川に突き飛ばした挙句、意識不明に追い込んだせいでこんな事態になっているんだぞ!!」
「だ……だから悪気は……なくて……」
「樹里亜がこのまま意識を戻さず死んでしまったら、俺もお前も両方のお祖父ちゃんやお祖母ちゃんに見捨てられる。それだけは覚悟しとけ」


 最後に兄に向けられた軽蔑の眼。
 静かに閉められた扉の音がやけに響いた。
 廊下に佇み、嗚咽を出して泣く次男。


「じゅ……樹里亜が死んだら……、お、おれ、犯罪者に……なっちゃうのか……?」


 警察に嘘の証言をしたとは言え、次男がしたことは立派な犯罪だ。この場に小菊や祖父母がいればそう叫んだだろう。


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