まあ、いいか

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落ちてきた甥っ子

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 赤煉瓦式の異国情緒溢れる建物で有名な宿の一室にて。テラスに設置されたチェアで読書をしている純銀の髪の男性の瞳が上空へ向けられた。分厚い本をパタリと閉じ、サイドテーブルに置くとじっと上空を見つめ続けた。微かに光る物が遠くへ流れて行ったのを見ると盛大な溜め息を吐いた。純銀の髪を乱暴に掻き、テラスから部屋に戻った。大きな寝台に一つの膨らみがある。それに近付き、デューベイを下にやると琥珀色の頭が現れキスをした。


「まだ寝ていてね」


 再びデューベイを頭の天辺まで戻すと男性はテラスへと出た。ふう、と息を吹き掛け光を纏った蝶を形成。左人差し指に乗った蝶に言葉を掛けていく。


「ヴィル、困った甥っ子が落ちて来るよ」とだけ言い、蝶を飛ばした。目的主の所へ飛んで行った蝶を見送り、男性はチェアに座った。


「天界の扉が開かないとなると……参ったな」


 人間界で定期巡回をする天使達は天界に戻らないと悪魔と戦った際に被る汚れを浄化出来ない。汚れを限界まで蓄積した天使の末路は堕天か、弱体化したところを悪魔に喰われるかのどちらか。


「ああ、でもエル君が今人間界にいるんだっけ」


 友人にも蝶を送ろうと男性は二匹目の蝶を形成し、ヴィル宛の蝶よりも詳細に伝言を預け飛ばした。
 ヴィルは察しが良い子。短くても状況を読んでこの後の展開をある程度予想してくれる。

 本を取って読書を再開。隠居した男性は甥っ子が落ちて行った方角が友人や愛しの弟がいる国だと分かったので、声を掛けられたら向かう事にした。

 男性——ネルヴァはまだ寝ている可愛い子が起きるまで読書をした。



 〇●〇●〇●                                                                                                                                        

 昨日の夕刻。侍女ケイティを連れて大教会へ赴き、ヴィルに会って居候させてほしいと頼んだ。ヴィルは大歓迎で神官達にも、近い内にフローラリア家の長女を期間限定で住まわせたいと口にしていたので反対はされなかった。皆、天使様が望むならと寛容だった。ヴィルや受け入れてくれた神官達に感謝しつつ、ヴィルが寝泊まりしている部屋に入って違和感を抱いた。大天使ミカエルがまだ戻っていない。ヴィルの世話係の彼が天界に戻っていると聞いていても、夕刻になっても戻らないのは訳があるのだとジューリアは感じ、ヴィルに訊ねると同意見だと返された。
 翌朝になっても戻らなかったらヴィルも一度天界に戻るとなり、夕食を頂いた。
 翌朝、結局ミカエルは戻らず、通信用の蝶を送っても返事が来ないとヴィルは考え込んだ。


「天界で問題でも起きたの……?」
「そうかもね。俺は一旦天界に戻るよ」
「うん」


 朝食はケイティと食べようと思ったのも束の間、天界へと続く扉が開かないとヴィルが呆然と呟いた。子供姿になっても天界へは戻れる。何度試しても扉が開かない。


「な、なんで?」
「……一つ、考えられるのは外側から誰か特殊な鍵を掛けたって事」
「掛けた人じゃないと開けられないの?」
「重大緊急時にしかやらない。……天界で何か起きているみたいだね」
「ヴィル……」


 ヴィルにとってはあまり良い思い出はなさそうでも、ミカエルは心配のようで。真面目な面持ちで黙ったヴィルに気遣いジューリアは黙ったまま見守った。その時、ひらり、ひらり、と光の蝶がヴィルの許へやって来た。蝶を指に止まらせたヴィルは瞠目し——盛大に呆れ果てた。


「ミカエル様から?」
「違う、兄者から。ミカエル君が戻ってこない理由が分かった」
「どうしてなの? やっぱり、天界で何かあったの?」
「ああ。甥っ子だ」
「甥っ子?」
「甥っ子が空から落ちて来てるのを兄者が見つけたんだ。それも、俺達のいる帝国に」
「えっ」


 ヴィルの甥っ子は天界を統べる現神。最重要神族が人間界に落ちて来るのなら、天界では余程の事件が起きたんだとジューリアは戦慄してもヴィルは冷静なまま。


「多分……あの困った甥っ子が駄々を捏ねて逃げてきたってのが正解かな」
「うそ」
「俺の予想は当たりやすいんだ。ジューリア、行こう」


 差し出された手を取り、窓から飛び立ったヴィルと甥っ子が落ちてくるであろう場所を目指した。上空を見つめ、いた、とだけ呟いたヴィルは帝都の外へ向かった。

 帝都の外を暫く進むと広大な森があり、中心地点に光が落ちた。森には野生動物が数多く生息しており、静かに暮らす彼等の邪魔だと零したヴィルに苦笑しつつ、甥っ子が落ちたであろう地点に降りた。砂塵が舞っている方を歩けば人らしい物が動き、軈て砂塵から出て来てその姿にジューリアは目を見張った。ヴィルと同じ純銀の髪と瞳、大人ヴィルに比べると幼さが目立つ少年は尻餅をついたまま途方に暮れたように森を見ていた。


「ヨハネス」


 ビクッと大きくヨハネスと呼ばれた少年の体が跳ねた。振り返った先にいた小さな姿を見た途端、純銀の瞳が潤った。


「お……叔父さん!!」
「何をやってるんだか……」


 四つん這いでヴィルに駆け寄り、小さな体を抱き締めて泣き始めた。
 ヨハネスから事情を詳細に聞いたヴィルは遠い目をし、側で聞いていたジューリアも目が遠くなった。
 駄々っ子とは聞いていたが自分が想像していたよりも酷い。前世の同級生でこんな奴いたなと思い出しているとヨハネスの目がジューリアに移った。


「叔父さんこの子は? 子供になったからってこんな子供に手を出す——」


 なんて、ときっとヨハネスは続けたかったのだろうが、その前にヴィルが抱き着く甥っ子を遠くへ吹き飛ばした。物凄い勢いで吹っ飛んだヨハネスの姿はあっという間に見えなくなった。


「え、ちょ、大丈夫なの?」
「無駄に頑丈だから無事だよ。はあ……眼鏡夫妻や周囲が次期神だからって甘やかしたツケがこれか」
「ヴィルのお兄さんはどう接してたの?」
「兄者?」
「うん」
「兄者は……俺やイヴもだけど、初めはさ、最初の甥っ子って事で可愛がってはいたんだ。ただある時、ヨハネスと眼鏡は兄者を怒らせたんだ。傍から見れば困っている風にしか見えなかったけど、俺やイヴは兄者がヨハネスや眼鏡を切った瞬間がその時だとすぐに判った。だから兄者はヨハネスも眼鏡も助けない」


 ヴィルの話から聞く長兄ネルヴァは弟想いで少し困ったところのある面倒見の良い兄。そんな人から切られる程怒らせた何かが非常に気になる。


「叔父さーん!!!!」


 吹き飛ばされたヨハネスが走ってヴィルに突進をかましたが目前に結界で阻止し、勢いそのままに突進したヨハネスは結果に阻まれピッタリとくっ付いた。ずるずると地面に倒れたヨハネスは泣きながら座り込み、小さくなったヴィルの手を逃がさないよう掴んだ。


「叔父さあああああん……僕もう嫌だ……ネルヴァ伯父さんが見つからないなら、僕も探すから僕を叔父さんのいる所に置いて!」
「さっさと天界へ帰れ。天界への扉もさっさと開けろ」
「やだ。開けたら僕を連れ戻しに来る天使や父さんが押し寄せるじゃないか」
「現神である君を天界へ連れ戻すのは当たり前なの」
「僕は好きで神になんてなってない。大体、ネルヴァ伯父さんが悪いんじゃないか! ネルヴァ伯父さんがずっと神の座にいてくれたら、僕はこんなに苦しむ事なんてなかったのに!」


 生まれた時から、将来どの様な立場になるか決まっている子供というのは前世にもいた。家が江戸時代から続く老舗旅館の跡取り、国内有数の大病院の跡取り、大企業社長の後継、歌舞伎の名家の後継者等。様々いた。帝国にだって次期皇帝たる皇太子がいる。兄グラースも長男として生まれたからフローラリア家の次期当主としての教育を受けている。

 その子供にとっては他の道への可能性が秘められているだろうに、勝手に決められて可哀想だと思った事はある。けれど、前世の同級生達は皆親の後を継ごうと日々努力していた。時折愚痴を聞かされる事はあれど、毎日働く親の背中を見て育ったから自分もそうなりたいのだと嬉々として語っていた。

 樹里亜だった時の父も名の知れた大会社の本部長を務めていただけあり、家庭は裕福な部類に入る。お手伝いさんもいた。ただ……樹里亜にとっては友達に自慢する程の父じゃなかった。それだけだ。

 友人の小菊や同級生、他の友達の父親は世間で言うお父さんと呼べる人で羨ましかった。


 ——上二人にとっては、最高の父親だったでしょうね


 母を殺した妹を虐めようがあの男は上二人の味方をして樹里亜を一度も守らなかった。



  
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