凌辱カキコ

島村春穂

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凌辱カキコ

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 蒼甫が一服を終え、再び球場のトイレへと戻り、「故障中」の貼り紙を貼った一番奥の個室に隠れたあと、鍵を掛けることおよそ、五、六分後、いよいよ外から気配があった。入ろうか、入るまいか、どうしようか、といったようなヒールの迷う足音がある。


 暫くして遠慮ぎみに押されたドアーから夜気が忍び込む。暗がりのなかに、きい、きい、と錆びた金属音が立ち、ドアーが閉まる時には不気味にあとを引きずって鳴り響く。


 蒼甫は個室の上から、目もとまでを覗かせた。脚立に上がりそうしている。顔には黒い目出し帽を被り、この暗がりからだと闇とほとんど同化して他からは何も見えない。というのは、すでにこれは実験済みであり、蒼甫自身太鼓判を押していた。


 来訪者は、ドアー付近に立ちすくみ、陰翳からその姿をなかなか現さなかった。


「……蒼甫くぅん?……蒼甫くぅん、いますかぁ?……」
 声の主は間違いなくあの荒川だ。約束どおり来た。


 ようやく暗がりのなかに白っぽいひとの姿が動く。約束したとはいえ、荒川の奴は最初からでここへ来たのであろう。期待で吐息を弾ませつつ、幾度となく蒼甫の名をなかば引きずるように呼び、辺りをぐるりと窺いながら、ほとんど苦しそうなほどである。


 荒川が、スマホを弄りだす。――が、今夜、蒼甫にラインが繋がることはもうない。段々とあの荒川から焦りが見られてきた。スワイプ、タップと何回か繰り返し、トイレ内の異常な暗がりにぽつんと佇む違和感さえ忘れてメッセージを入れ続けていた。


 ――と、錆びた金属音を他に立てる者があった。トイレの入り口からだ。


「蒼甫くぅん?」
 荒川が、スマホから顔を上げる。弾む声が、高く、また低く、暗がりのトイレ内で反響している。


「蒼甫くぅん?……あたしです」入り口のほうに首を伸ばす格好でそう呼びかけている。「……蒼甫くぅん?……あたしです。荒川です」――が、返事はない。「……蒼甫くん?……」呼びかける声音がやにわに曇りだす。


 今夜二人目の来訪者も、なかなかその姿を見せようとはしなかった。


「だれぇ?……」
 荒川が、スマホを胸に抱いて身をちぢめた。スマホの強烈な光に映る双眸から恐怖の色が垣間見える。そして再び、錆びた金属音が耳障りなくらい長く引きずった。


 姿を見せた来訪者とは、男でずいぶん小柄であった。


「……すっ、すみませんっ、人違いでした……」
 身長一六〇やっとあるかないかのその男に、荒川が慌てて謝った。だが、ペコペコと上げ下げさせていた頭を留めた次の瞬間、小柄な男に目を合わせた荒川が後じさる。小柄なその男が、およそ初対面にやる視線ではなかったからだ。


「……なっ、なんですかっ?……」
 荒川ときたら、実にいい表情をしやがる。へへへぇ、と小柄な男はそう薄ら笑い、デニムのポケットに手を突っ込む。


 荒川は、いよいよ警戒した。大声を張り上げるか、友だちに電話するか、それとも小柄な男を振り切って逃げるか、そのような素振りが、上から見ている蒼甫からも分かった。


 それだから、小柄な男がこれに勘づかないはずがない。徐に肩幅ほど足をひろげてみせた。とおせんぼうだ。これを見て、荒川がヒールを、二、三後ろに鳴らす。と、小柄な男が、ポケットからゆっくりと手を出していく。荒川が見たその手元にはデジカメが握られている。そのデジカメを突として荒川のほうに構えた。


「……ちょ、ちょっとっ、なんなんですか…っ…と、撮らないでください……」
 小柄な男が、デジカメごしに荒川を上から下へ、そして下から上へと眺めあぐる。


「うほ。ママッ、マジッスか。ががっ、画像よりぜんぜんかわいいッス」
 声がまだ若僧だ。小柄な男はようやく喋ったが独り言っぽかった。



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