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3 豆と女神展 (5)

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 ショッピングモールの三階は、一階からの吹き抜けをはさむように両側に通路を伸ばし、専門店を連ねる。書店は映画館の横にあり、映画館とギャラリーは真反対だった。つまり、ギャラリー側に昇ってきてしまった俺は、フロア内を端から端まで歩かなければいけないというわけだ。
 結局、女神展を観ずに――地元っ子の俺はもう何度も観ている――書店へと向かう。休日と違ってゆったりしているが、それでも客は多い。主婦とおぼしき子連れの女性や年配の夫婦、学生らしい若者など、平日ながら客層はさまざまだ。彼らが織りなすざわめきに店員の呼び声やアナウンス、BGMが混ざり合い、意味のないノイズとなる。宝石や家具などだった売り場が、服飾や雑貨へと変化するにしたがって、人数もざわめきも増えていく。すれ違う人、立ち止まる人、追い越していく人、人、人……。
 気づくと俺は、口に手を添えていた。
 たいした人出ではない。わかっている。それでもこんな人混みの中にいるのは、本当に久しぶりだ。無意識にフードコートのある通路を避けたのは正解だった。けれど映画館の入り口が見えてきたあたりで限界がきた。休憩するフリをして、通路の端のベンチに座り込む。目の前に、大きくて安定感の悪いスクリーンでもすえられているようだった。人々の往来はどこかよそよそしく、無理やり見せられる映像のような視界に悪酔いしてしまう。
(……なんで、たかが匂いがないくらいで)
 あの映画館。あの空間からは、かつてどんな匂いがしていただろう。たとえば、塩とバターの効いたポップコーン? それはどんな匂いだった? その横の書店では、紙や印刷のインクの匂いが、……していただろうか? 今、横に置いた紙袋。その中のコーヒー豆は、どんな匂いを漂わせているのだろう、あるいは何の匂いもしていないのか?
 指を当てた額には、じっとりと脂汗が浮いていた。
「――あれ、もう来たの?」
 頭上からのん気な声が降ってきた。視界の端に学ランの裾が見える。足元のくたびれたカーペットは踏まれている様子が全くない。俺はゆるゆると顔を上げた。
「……ハナオ」
「何、迷子にでもなったわけ? いい大人が」
「ちげーよ」
 すがるような目をしていた自覚はあるし、うっかり安堵あんどしてしまったけれど、俺はあえて強がった。小声だったけど。
 ハナオは小首を傾げて言ってのけた。
「本なかったよ。帰ろうか、ミツ坊」
「……だから、違うって」
 俺は苦笑しながら、ゆっくりと立ち上がった。
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