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2 嗅覚を失くす (3)

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 これが〈喫珈琲カドー〉に立つまでの経緯。俺は手伝いではなく〝マスター代理〟または留守番として店を開けた。その初日に、透明人間・ハナオと出会ったのは、もうご存じのはずだ。
 店を開けて二日、三日と経つ中で、ぽつりぽつりと客は訪れた。それが本来のペースなのかどうかはわからない。客のほとんどは常連のようで、各々が定位置と決めた席に着き、思い思いに過ごす。一人で来て、静かに新聞や雑誌を読む客もいれば、俺との会話を楽しむ客、はたまた何人かで来てお喋りや将棋などのゲームに興じる客もいた。定番の時間帯があり、また滅多にないが混んでくれば、慣れた様子で帰り支度を始め、次の客へと席を譲る。
 コーヒーは、客の来店があるたびにハナオの指示で淹れた。指示はいつだって流れるようになめらかに、動作だけを指定した。俺の動きが客から見て不自然でないようだったから、よほど的確なのだろう。
 言われっぱなしの中で気づいたことがある。どうやらハナオは、毎回ブレンドを変えているようだ。
「そもそもここのマスターは、毎回ブレンドしていたんだよ。いつも一緒だったはずがないじゃない」
 というのが彼の言い分。そのハナオはというとコーヒーを淹れ終わった後は、客の読んでいる新聞や雑誌を覗き見たり、客と俺の、もしくは客同士の会話に笑ったり突っ込んだりして楽しんでいる。
 そんな日々を過ごす中で、俺はブレンド以外にもう一つ気づかされる。来店する客が必ずと言っていいほど口にする言葉だ。常連客ばかりだというのに、驚いたようにあるいはおもわずといった様子で、
「あぁ、いい香り」
 いつだって必ず一度はそう言うのだ。以前とは違うものなのだろう。祖父がいた頃にはなかった、とは思わない。それでも同じならわざわざ口にしない。客は俺が作り出したと思っているだろうが、実はハナオが作り出していたもの。後になって考えてみれば、それはおそらく〝芳しいコーヒーの香りに包まれる空間〟。
 ……面白くなかった。
 この時は、その言葉は理由のわからないまま礼を言わされるだけの苛立いらだちの対象でしかなかった。俺にとって繰り返しはじめた毎日は、客を迎え、指示に従ってコーヒーを淹れて給仕し、感じられない香りを褒められて積もる感情を押し殺す日々。ハナオに手伝ってもらうことで得られる新しい日常と居場所で――ありがたいはずのその現実の中で、俺は未だに自分の存在意義を見つけられていなかった。
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