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第十話 ぼくのやるべきこと
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お盆が終わった。
今年はめずらしく、夏休みの宿題が順調に進んでいる。山のように出ていたのに計画倒れにならなかったのは、鬼コーチのおかげだ。
予定表と進捗を見て、遅れているとすぐに雷が落ちる。最初に厳しいと言っていたのは嘘でも誇張でもなかった。
その鬼コーチも明日東京に帰ってしまう。
今は追い込み中だ。仕上げだと言われて復習テストをやっているけど、夏休み前よりもすらすら解けている自分に驚いている。
さすが兄さんだ。塾や家庭教師のバイトをしているだけはある。
ぼくはもう麻衣と同じ高校に進学するのはやめた。倉田先輩とベタベタしているのを平気で見ていられるほど無神経ではいられない。
やけになって勉強をやめようと不貞腐れていたら、
「誰かのそばにいるために学ぶのも悪いことじゃないよ。でもさ、勉強するっていうのはそれだけが目的じゃないだろ」
と兄さんに言われた。
「……じゃあ、本当の目的は?」
目標をなくしたぼくは、すぐにその答えが知りたかった。けど兄さんは微笑むだけで答えてくれない。
その代わりに復習テストを渡されたというわけだ。
もう一生懸命勉強したところで意味なんてないのに。
そんなことを考えながらシャーペンを手にし、渋々問題を読む。一学期の期末試験で全然解けなかった問題だ。
どうせ解けやしないと思ってチラッとプリントを見た。
「え、まさか……」
見た途端、自然に手順が頭に浮かぶ。同じ問題だから覚えたわけじゃない。前には難しくて解けなかった問題も、少し考えたら解き方が見える。
そのときぼくは、ほんの少しだけ何かが見えた。
それは、失敗をくりかえしながら、そこから学んでいくってことだ。
もちろん勉強に限ったことじゃない。
好きな人にフラれることが失敗だとしたら、そこからだって得られるものはあるはずだ。
昨日は後退しても、今日は立ち止まっても、明日になったら前に進めるかもしれない。
もしかして勉強は、それを体験するひとつの手段なのかな。
そのとき軽快なポップミュージックのサビが流れた。夏休み中に聞きなれたそれは、兄さんにメッセージが届いた合図だ。
「友だちから?」
「うん、哲哉からだよ」
哲哉さんは兄さんたちのバンドのボーカルで、ぼくを嫉妬させた人だ。
ライブ映像を見たときの落ち込みを思い出すぼくに気づかず、兄さんは紙と鉛筆を取り出して、画面の内容を書き写しながら問題を眺めている。
覗いてみると、数学のようだけど、見たことのない記号が並んでいてさっぱり解らない。兄さんはすらすらと解いて解説を書き込み、スマートフォンで撮影した。
「また、ネットを使った家庭教師?」
「そうだよ。うちの大学に入って、学内バンドを組みたいって一生懸命受験勉強をしてるからね。仲間としてできるだけ協力してるんだ」
送信ボタンを押したあと、一呼吸おいてまたメールが届く。画面を見た兄さんの顔がほころんだ。
「随分と早い返信だね」
「いや、今度は別の子さ。ライブに来てくれた子が、数学が苦手だって言うんで、教えてあげてるんだ。おれたちのライブがきっかけで、あきらめていたうちの大学をもう一度目指すことにしたんだって。うれしい話だろ」
「すごいや。兄さんたちって、人の運命を変えるかもしれないんだね」
そう言うと、兄さんは首を傾げてぼくを見返す。
「だってさ、大学選びってその人の将来に影響するかもしれないんだよ。兄さんたちがそのきっかけを作ったってことじゃない」
ぼくが感動のあまりつい勉強する手を止めたら、すかさず注意された。そして、
「いくら何でも、それは大袈裟だよ」
と爽やかに笑う。
「大袈裟じゃないって。ぼくもいつか、そんな人になれるといいな」
「じゃあ、まずは今やるべきことを、自分の頭で考えていくことから始めようか」
兄さんはぼくの横で解答と解説を書き、ぼくは再び問題に取り組みながらふと考える。
ぼくにそんな日が来るんだろうか。だれかの人生に影響を与えるなんて。
今のぼくは、大好きな女の子のヒーローにすらなれない。もちろん人に影響を及ぼすことなんてできるわけがない。
ましてや、地球のためにできることなんて……。
先生たちは、新聞社主催の作文に出せるためのものを集めるために、こんな宿題を出したのだろう。
でもぼくは「打倒倉田!」を主張する翔太のおかげで、ずっとそれに囚われている。
倉田先輩が麻衣にアドバイスしていたように、地球温暖化の防止なんてことを書けば簡単に済むのは解っている。でも考えれば考えるほど、そんな簡単な話では済まない気がしてきた。
ここから先は、ひとりで考えなきゃいけないか。何もかも兄さんに頼ってばかりじゃいけない。
影響を与えられる人になるためには、まずはそこから始めよう。
問題を解き終えたぼくは手にしたシャーペンを机の上におき、腕組みして考えを巡らせる。
簡単には解らなくて当たり前か。あと二週間を切った夏休みだけど、余裕は十分ありそうだ。
☆ ☆ ☆
今年はめずらしく、夏休みの宿題が順調に進んでいる。山のように出ていたのに計画倒れにならなかったのは、鬼コーチのおかげだ。
予定表と進捗を見て、遅れているとすぐに雷が落ちる。最初に厳しいと言っていたのは嘘でも誇張でもなかった。
その鬼コーチも明日東京に帰ってしまう。
今は追い込み中だ。仕上げだと言われて復習テストをやっているけど、夏休み前よりもすらすら解けている自分に驚いている。
さすが兄さんだ。塾や家庭教師のバイトをしているだけはある。
ぼくはもう麻衣と同じ高校に進学するのはやめた。倉田先輩とベタベタしているのを平気で見ていられるほど無神経ではいられない。
やけになって勉強をやめようと不貞腐れていたら、
「誰かのそばにいるために学ぶのも悪いことじゃないよ。でもさ、勉強するっていうのはそれだけが目的じゃないだろ」
と兄さんに言われた。
「……じゃあ、本当の目的は?」
目標をなくしたぼくは、すぐにその答えが知りたかった。けど兄さんは微笑むだけで答えてくれない。
その代わりに復習テストを渡されたというわけだ。
もう一生懸命勉強したところで意味なんてないのに。
そんなことを考えながらシャーペンを手にし、渋々問題を読む。一学期の期末試験で全然解けなかった問題だ。
どうせ解けやしないと思ってチラッとプリントを見た。
「え、まさか……」
見た途端、自然に手順が頭に浮かぶ。同じ問題だから覚えたわけじゃない。前には難しくて解けなかった問題も、少し考えたら解き方が見える。
そのときぼくは、ほんの少しだけ何かが見えた。
それは、失敗をくりかえしながら、そこから学んでいくってことだ。
もちろん勉強に限ったことじゃない。
好きな人にフラれることが失敗だとしたら、そこからだって得られるものはあるはずだ。
昨日は後退しても、今日は立ち止まっても、明日になったら前に進めるかもしれない。
もしかして勉強は、それを体験するひとつの手段なのかな。
そのとき軽快なポップミュージックのサビが流れた。夏休み中に聞きなれたそれは、兄さんにメッセージが届いた合図だ。
「友だちから?」
「うん、哲哉からだよ」
哲哉さんは兄さんたちのバンドのボーカルで、ぼくを嫉妬させた人だ。
ライブ映像を見たときの落ち込みを思い出すぼくに気づかず、兄さんは紙と鉛筆を取り出して、画面の内容を書き写しながら問題を眺めている。
覗いてみると、数学のようだけど、見たことのない記号が並んでいてさっぱり解らない。兄さんはすらすらと解いて解説を書き込み、スマートフォンで撮影した。
「また、ネットを使った家庭教師?」
「そうだよ。うちの大学に入って、学内バンドを組みたいって一生懸命受験勉強をしてるからね。仲間としてできるだけ協力してるんだ」
送信ボタンを押したあと、一呼吸おいてまたメールが届く。画面を見た兄さんの顔がほころんだ。
「随分と早い返信だね」
「いや、今度は別の子さ。ライブに来てくれた子が、数学が苦手だって言うんで、教えてあげてるんだ。おれたちのライブがきっかけで、あきらめていたうちの大学をもう一度目指すことにしたんだって。うれしい話だろ」
「すごいや。兄さんたちって、人の運命を変えるかもしれないんだね」
そう言うと、兄さんは首を傾げてぼくを見返す。
「だってさ、大学選びってその人の将来に影響するかもしれないんだよ。兄さんたちがそのきっかけを作ったってことじゃない」
ぼくが感動のあまりつい勉強する手を止めたら、すかさず注意された。そして、
「いくら何でも、それは大袈裟だよ」
と爽やかに笑う。
「大袈裟じゃないって。ぼくもいつか、そんな人になれるといいな」
「じゃあ、まずは今やるべきことを、自分の頭で考えていくことから始めようか」
兄さんはぼくの横で解答と解説を書き、ぼくは再び問題に取り組みながらふと考える。
ぼくにそんな日が来るんだろうか。だれかの人生に影響を与えるなんて。
今のぼくは、大好きな女の子のヒーローにすらなれない。もちろん人に影響を及ぼすことなんてできるわけがない。
ましてや、地球のためにできることなんて……。
先生たちは、新聞社主催の作文に出せるためのものを集めるために、こんな宿題を出したのだろう。
でもぼくは「打倒倉田!」を主張する翔太のおかげで、ずっとそれに囚われている。
倉田先輩が麻衣にアドバイスしていたように、地球温暖化の防止なんてことを書けば簡単に済むのは解っている。でも考えれば考えるほど、そんな簡単な話では済まない気がしてきた。
ここから先は、ひとりで考えなきゃいけないか。何もかも兄さんに頼ってばかりじゃいけない。
影響を与えられる人になるためには、まずはそこから始めよう。
問題を解き終えたぼくは手にしたシャーペンを机の上におき、腕組みして考えを巡らせる。
簡単には解らなくて当たり前か。あと二週間を切った夏休みだけど、余裕は十分ありそうだ。
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