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第五話 来年こそは
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玲子は背中を丸め机の前に座った。
香澄との会話が影響して調子に乗りすぎたせいで、こんな結果を招いた。
初恋の人とつきあっている姿に釣られ、「あたしも」という気になった自分に後悔する。
スマートフォンを充電させると、教科書を開く。
気持ちを切り替えてレポートに取り組んでおこう。好きだ惚れたと浮かれているのもいいが、目標である教師になるための勉強は手が抜けない。
武彦も教師を選ぶのだろうか? それともバンドメンバーとともに、プロのミュージシャンを目指すのかな。
武彦たちのバンドがプロになったら、ますます特別なひとりから遠のいてしまう。
「もしそうなったら……あたしはどうなるんだろう?」
芸能人と一般人。住む世界が異なってしまえば、間違いなく距離が広がってしまう。手を伸ばしても届かないほどに。
「そしてあたしは、武彦さんの元後輩、か」
ライブに行っても気づいてもらえない。熱狂的なファンに囲まれているのを遠目で見るしかできない自分がそこにいる。
でもアルバイトをしながら細々と活動をしている姿より、大きなステージでスポットライトを浴びている姿を見たい。
たくさんの声援を浴びで輝いているところを応援したい。
身近な人でいてほしい気持ちと人気者にもなってほしい気持ちが、玲子の中でぶつかる。
「あ、そうだったのね」
武彦につきまとう親衛隊は、スターと身近にいたい人たちの集まり、つまり今の玲子と同じ思いを抱いている集団だ。
彼女たちの気持ちに共感できる日が来るなんて、予想すらしなかった。
「でも、あの態度はないんじゃない?」
武彦と会話するたびに嫌がらせをされれば、気丈な玲子でも身が持たない。それでも懲りずに武彦と一緒に過ごしたいのは、結局のところ好きだからだ。
「どうして今まで気づかなかったんだか」
玲子は苦笑しながら、シャーペンを手にした。
そのタイミングで、またスマートフォンにメッセージが入る。武彦からだった。
『電車を乗り換えていたから返事が途切れてごめんね。きれいな花火を喜んでもらえてよかった』
「なんだ。スルーされたんじゃなかったのね」
さっきまでの緊張がウソのように、玲子の気持ちがほぐれた。
『花火大会は人がたくさんいて賑やかだった。こんな人混みにひとりで来るもんじゃないね。群衆の中にいると、かえって孤独感が強くなるよ』
「え、先輩、ひとりで出かけたの?」
玲子の動悸が激しくなる。
たしかに武彦は大勢で行動するのが苦手だ。だがひとりで出かけるのを好むタイプでもない。少なくとも玲子は、誰かに誘われると同行する人物だというイメージを持っている。
「あたしに写真を送るために、わざわざ出かけたの?」
いや、それは考えすぎだ。都合のいい考えや淡い期待はやめよう。
目が覚めたときにつらくなる。高校時代の失敗は繰り返したくない。
「えっと……ここはとりあえず、冷静な返事を書かなきゃ」
玲子は深呼吸して胸の鼓動を落ち着けた。
『帰宅途中なんですね。遅いから気をつけて』
続けて『おやすみなさい』と打ち込んでいると、追加でメッセージが入った。
「……え?」
今度は玲子の頬が熱くなる。このタイミングで家族が部屋に入ってきませんように、と切に願う。
「本当に?」
たった一言の文章を、玲子は何度も読み返す。
武彦からのメッセージは、とても信じられない内容だ。
『来年は、ふたりで行こうね』
「ちょ、待って。ふたりでって、ふたりきりで?」
玲子は両手で口元を覆い、目を見開いてメッセージを凝視した。
まちがいない、ふたりで行こうねと書いている。
同時に、親衛隊のメンバーが自分を囲んで吊し上げる場面が浮かんだ。
「こ、怖いよぉ」
ふたりきりだなんて、早とちりだ。彼女たちも一緒に違いない。
いや、いくら熱狂的な武彦ファンでも、実家まで押しかけてこないと思う。でも彼女たちのほとんどが高校時代からのファンだ。
「ということはつまり、武彦先輩の実家も知られているのかな。じゃあその気になれば、いつでも会いに行けるの?」
里帰りしてまでも親衛隊に囲まれ、途方に暮れている武彦を想像する。
「人気者も大変ですね」
そんな人を好きになった自分は、もっと大変だ。玲子は苦笑しながらもう一度メッセージを読んだ。
「ふたりで……か」
今だけはこの言葉を信じておこう。
大勢の中のひとりではなく、特別なひとりになれるかもしれない。
一緒に行きたいですね。ふたりきりですか? 親衛隊に秘密にできますか?
まるでデートですね。そう考えただけで、あたし、嬉しくてたまりません。
いますぐにでも会いたいです……。
たくさん言葉が浮かんできた。でも入力しては消すことを繰り返す。そして最後に、
『素敵ですね。来年が楽しみです。おやすみなさい』
伝えたいことはたくさんあるのに、結局平凡なことしか書けなかった。
言葉にした途端、陳腐で使い古された表現になってしまい、率直な思いを伝える自信がない。
でもひとつだけ解ったことがある。
玲子にとって武彦は、特別な人だ。
いつか自分もそんなふうに思われたい。
武彦の特別な人になりたい。
いつか、素直な胸の内を伝えられたらいいのに。
『おやすみ。また明日』
間髪入れず、シンプルな返事が届いた。いつもの口下手な武彦そのままだ。
武彦から届いた花火の写真を、玲子はスマートフォンのロック画面に設定する。
だれのためでもない。自分ひとりのために写してくれた、夜空に咲いた光の花だ。
レポートの続きに取り組もうとして、玲子は教科書の文字を追いかけた。でもさっぱり頭に入らない。
勉強どころではないと気づいて机から離れ、窓から夜空を見上げる。夏の夜空に、アルタイルとヴェガが輝く。
潮風が火照った玲子の頬を冷やすが、胸の鼓動は収まらない。
今夜は眠れそうにない。そんな予感のする夜だった。
香澄との会話が影響して調子に乗りすぎたせいで、こんな結果を招いた。
初恋の人とつきあっている姿に釣られ、「あたしも」という気になった自分に後悔する。
スマートフォンを充電させると、教科書を開く。
気持ちを切り替えてレポートに取り組んでおこう。好きだ惚れたと浮かれているのもいいが、目標である教師になるための勉強は手が抜けない。
武彦も教師を選ぶのだろうか? それともバンドメンバーとともに、プロのミュージシャンを目指すのかな。
武彦たちのバンドがプロになったら、ますます特別なひとりから遠のいてしまう。
「もしそうなったら……あたしはどうなるんだろう?」
芸能人と一般人。住む世界が異なってしまえば、間違いなく距離が広がってしまう。手を伸ばしても届かないほどに。
「そしてあたしは、武彦さんの元後輩、か」
ライブに行っても気づいてもらえない。熱狂的なファンに囲まれているのを遠目で見るしかできない自分がそこにいる。
でもアルバイトをしながら細々と活動をしている姿より、大きなステージでスポットライトを浴びている姿を見たい。
たくさんの声援を浴びで輝いているところを応援したい。
身近な人でいてほしい気持ちと人気者にもなってほしい気持ちが、玲子の中でぶつかる。
「あ、そうだったのね」
武彦につきまとう親衛隊は、スターと身近にいたい人たちの集まり、つまり今の玲子と同じ思いを抱いている集団だ。
彼女たちの気持ちに共感できる日が来るなんて、予想すらしなかった。
「でも、あの態度はないんじゃない?」
武彦と会話するたびに嫌がらせをされれば、気丈な玲子でも身が持たない。それでも懲りずに武彦と一緒に過ごしたいのは、結局のところ好きだからだ。
「どうして今まで気づかなかったんだか」
玲子は苦笑しながら、シャーペンを手にした。
そのタイミングで、またスマートフォンにメッセージが入る。武彦からだった。
『電車を乗り換えていたから返事が途切れてごめんね。きれいな花火を喜んでもらえてよかった』
「なんだ。スルーされたんじゃなかったのね」
さっきまでの緊張がウソのように、玲子の気持ちがほぐれた。
『花火大会は人がたくさんいて賑やかだった。こんな人混みにひとりで来るもんじゃないね。群衆の中にいると、かえって孤独感が強くなるよ』
「え、先輩、ひとりで出かけたの?」
玲子の動悸が激しくなる。
たしかに武彦は大勢で行動するのが苦手だ。だがひとりで出かけるのを好むタイプでもない。少なくとも玲子は、誰かに誘われると同行する人物だというイメージを持っている。
「あたしに写真を送るために、わざわざ出かけたの?」
いや、それは考えすぎだ。都合のいい考えや淡い期待はやめよう。
目が覚めたときにつらくなる。高校時代の失敗は繰り返したくない。
「えっと……ここはとりあえず、冷静な返事を書かなきゃ」
玲子は深呼吸して胸の鼓動を落ち着けた。
『帰宅途中なんですね。遅いから気をつけて』
続けて『おやすみなさい』と打ち込んでいると、追加でメッセージが入った。
「……え?」
今度は玲子の頬が熱くなる。このタイミングで家族が部屋に入ってきませんように、と切に願う。
「本当に?」
たった一言の文章を、玲子は何度も読み返す。
武彦からのメッセージは、とても信じられない内容だ。
『来年は、ふたりで行こうね』
「ちょ、待って。ふたりでって、ふたりきりで?」
玲子は両手で口元を覆い、目を見開いてメッセージを凝視した。
まちがいない、ふたりで行こうねと書いている。
同時に、親衛隊のメンバーが自分を囲んで吊し上げる場面が浮かんだ。
「こ、怖いよぉ」
ふたりきりだなんて、早とちりだ。彼女たちも一緒に違いない。
いや、いくら熱狂的な武彦ファンでも、実家まで押しかけてこないと思う。でも彼女たちのほとんどが高校時代からのファンだ。
「ということはつまり、武彦先輩の実家も知られているのかな。じゃあその気になれば、いつでも会いに行けるの?」
里帰りしてまでも親衛隊に囲まれ、途方に暮れている武彦を想像する。
「人気者も大変ですね」
そんな人を好きになった自分は、もっと大変だ。玲子は苦笑しながらもう一度メッセージを読んだ。
「ふたりで……か」
今だけはこの言葉を信じておこう。
大勢の中のひとりではなく、特別なひとりになれるかもしれない。
一緒に行きたいですね。ふたりきりですか? 親衛隊に秘密にできますか?
まるでデートですね。そう考えただけで、あたし、嬉しくてたまりません。
いますぐにでも会いたいです……。
たくさん言葉が浮かんできた。でも入力しては消すことを繰り返す。そして最後に、
『素敵ですね。来年が楽しみです。おやすみなさい』
伝えたいことはたくさんあるのに、結局平凡なことしか書けなかった。
言葉にした途端、陳腐で使い古された表現になってしまい、率直な思いを伝える自信がない。
でもひとつだけ解ったことがある。
玲子にとって武彦は、特別な人だ。
いつか自分もそんなふうに思われたい。
武彦の特別な人になりたい。
いつか、素直な胸の内を伝えられたらいいのに。
『おやすみ。また明日』
間髪入れず、シンプルな返事が届いた。いつもの口下手な武彦そのままだ。
武彦から届いた花火の写真を、玲子はスマートフォンのロック画面に設定する。
だれのためでもない。自分ひとりのために写してくれた、夜空に咲いた光の花だ。
レポートの続きに取り組もうとして、玲子は教科書の文字を追いかけた。でもさっぱり頭に入らない。
勉強どころではないと気づいて机から離れ、窓から夜空を見上げる。夏の夜空に、アルタイルとヴェガが輝く。
潮風が火照った玲子の頬を冷やすが、胸の鼓動は収まらない。
今夜は眠れそうにない。そんな予感のする夜だった。
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