皇兄は艶花に酔う

鮎川アキ

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第3話

3-13

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「先に寝ているようにと申しましたのに」
「申し訳ありません。灯りがずっとついておられるので、心配になってしまって……」
 言いながら、翠玲は持っていた毛毯もうふを仁瑶の肩にかける。
「お躰が冷えていませんか? 葛湯をお作りしましたので、よろしければ召しあがってください」
 燕児が食盒じゅうばこから青磁の碗を出し、翠玲が匙とともに差し出してきた。
 仁瑶は黙ったまま、翠玲の顔と枸杞子くこしを散らした葛湯とを見つめる。
 翠玲が焦ったような声をあげた。
「もしかして、葛湯はお嫌いでしたか。お茶かお酒のほうがよかったでしょうか」
 すぐにも出直してきそうな様子に、仁瑶は微苦笑して碗を受け取った。
「いえ、驚いただけです。まさか翠玲殿が厨房に入られるとは思ってもいなかったので。夕餉の清湯も、とても美味しくいただきました」
「ぁ、……」
 翠玲はほっとしたふうに目尻を下げる。
 仁瑶は匙でまぜて冷ましてから、葛湯を口に運んだ。清湯と同様に翠玲の配慮が感じられ、胸が詰まる。
「こちらも美味しいですね。甘さがちょうどいい」
 笑み含んでみせれば、翠玲は嬉しそうにはにかんだ。
「よかったです。……あの、仁瑶様」
「うん?」
「わたしに丁寧な言葉遣いをなさる必要はありません。仁瑶様より年下ですし、妻としてお仕えする身ですから」
 琥珀瞳にじっと見つめられ、仁瑶は躊躇いがちに頷いた。
「わかりました、ではお言葉に甘えさせていただきますね。もう遅いですし、翠玲殿はお休みを。毛毯と葛湯をありがとう」
「仁瑶様は、まだ起きていらっしゃるのですか?」
 心配そうな声音が書房に響く。
「それならわたしも、……ご迷惑でなければお傍にいたい、です」
 こちらを窺う眼差しに、幼子のような印象が滲む。言外に寂しいと言われたのだろうかと思いかけ、そんなはずがないと自嘲した。
「私ももう少ししたら寝ますから。待たせているのは忍びないので、どうか先に休んでいてください」
「……は、い」
 翠玲はなにか言いたそうにくちびるを動かしたものの、やがて小さく首肯した。
 書房から出ていく背を見送って、仁瑶はそっと溜息をつく。
 開いていた画巻をしまうと、紅春に羅漢牀らかんしょうを整えるよう頼んだ。
「臥室に戻られないのですか?」
 わずかに目を瞠った紅春に、仁瑶は無言のまま毛毯を渡す。翠玲の香りがするものを、傍に置いておきたくなかった。
「もしも翠玲殿が寝入っていたら、起こすのは可哀想だろう」
「またそんなことを仰って。さっきの今で、眠ったはずがないじゃありませんか」
 紅春に言い返されて、仁瑶は押し黙った。
 こんな態度を取って、翠玲に申し訳ない気持ちはある。
 だが、永宵を好いているのなら、翠玲だって仁瑶としとねをともにしたくないはずだ。
 紅春は怪訝な顔をしていたが、仁瑶が口を閉ざしたのを見て仕方なさそうに肩を竦めた。
 寝支度をすませて牀に横たわると、いくらも経たずに眠気が押し寄せてきた。昨夜満足に眠れず、昼間もずっと強張りのとけなかった躰は、自分でも気づかないうちに疲弊していたのだろう。
 仁瑶は二時辰ほど眠り、夜が明ける少し前に起きると、翠玲に気づかれぬよう務めに出かけた。
 翠玲はまんじりともせず夜を過ごし、一向に臥室へ戻らない仁瑶を案じていた。そうして朝になってから、既に仁瑶が出かけたことを知らされた。
「仁瑶様は、昨夜はどちらでお休みに……?」
 たらいに湯をくんできた桃心に尋ねれば、仁瑶の命で宝珠宮ほうじゅきゅうに仕えていたという少女は快活に答える。
「書房です。物音でもたてて奥様をお起こしするのはお可哀想だと、紅春さんに仰ったそうですよ。今宵もお帰りが遅くなるとのことでしたから、先にお休みになっているようにとのご伝言をいただいております」
「……そうか」
 胸に苦いものが広がっていく。
 仁瑶から拒まれている。わかっていたはずなのに、心が痛むのを抑えきれない。
(くよくよしたってだめだ。清湯と葛湯は褒めていただけたのだから、お好きなものをもっとたくさん作れるように頑張ろう。仁瑶様がお留守の間は妻としての務めを果たして、それで、……)
 ――それで、どうしたいというのか。
 仁瑶と一緒に食卓を囲みたい。同じ褥で横になり、傍に寄り添って微笑まれたい。
 捨てようと思った慾を捨てきれない。どうしたって、翠玲は仁瑶に赦されたいのだ。赦されて、愛されたくてたまらない。
(愚かなことを考えるな。そんなふうだから、仁瑶様にも嫌われるんだ)
 頭を振って、盥の湯で顔を洗う。
 桃心と燕児の手を借りて朝の支度を終えると、翠玲は皇貴太妃のもとへ出かけることにした。
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