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◆ 第二章 異邦への旅路
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多くの侍従や近衛が、そこら中で雑魚寝をしている。大きな天幕の中、点在する温石に群がるようにして、暖を求めながら宮様にお仕えする者共が仮眠を取っていた。侍従長である私も、つい先ほどまでは雑魚寝に加わっていたのだ。
一日中働き続ける侍従たちにも休息は必要だ。とはいえ、全員が全員眠りこけてしまえば、急な事態に対応が出来なくなる。それゆえ、夜番というものがあり、仮眠を終えた私はその夜の番を務めていた。
今日あったことを帳面に書きつける。宮様が口にされたもの、華蛇と交わされた言葉、歩かれた距離、体調の些細な変化。あらゆることを書き付け、それは旅を終えたあとに陛下に提出することになっている。
宮様を溺愛されている陛下は、宮様の小さな変化すら見逃したくはないと仰られ、我ら侍従に全てを書き留めておくようにと厳命されているのだ。筆を持ち、文字を書き進めていると天幕の入り口がすっと開いた。
冷たい外気が入って来て、皆が起きてしまわぬようにと素早く幕内に入ってくる。その姿を私は正座をしながら見た。入って来たのは、近衛の葉桜だった。
「侍従長殿。宮様が、お眠りになられました」
「分かりました」
宮様の就寝を見届けることが、葉桜の任務だった。彼がこの段階で帰ってきたということは、今夜は睦み合うことなく眠られたようだ。翠玉を出てから、お二人の間に性交がない。そろそろだろうか、と思っていたのだが、読みが外れたらしい。
お優しい宮様のことだから、愛し合った後の始末を考えて、侍従への配慮により交わることを断念なされたのかもしれない。有難く思いながらも、我らにそのような配慮は不要ですよ、と伝えたくなる。
「葉桜。ここは随分と冷えます。近衛たちも、こまめに休息を取るようにして下さい」
「承知しました」
清玄よりも北に位置する華蛇の地は、随分と冷える。夜になって、一層寒さが厳しくなり、凍えるような気温になっていた。近衛たちは、こんな夜でも、宮様が眠る天幕の外で警護を続けている。それが役目だと言ってしまえばそれまでだが、流石に彼らの身が心配になった。
侍従にしても、近衛にしても、古きを辿れば王族の方の庶子の血を引く。王族の方々にそれぞれ天稟があるように、我らにも侍従としての天稟、近衛としての天稟が備わっていた。
いかに寒い場所であろうが、近衛たちはものともしない。それが、彼らの血に宿る近衛としての天稟なのだ。とはいえ、極寒の夜に外での警護をする彼らのことは、やはり心配だった。
葉桜も仮眠をしにこの天幕に来たのだろうが、一向に眠る気配がない。休むことなく、このまま目を開いて朝を迎えるつもりなのだろうか。万が一の事態に備え、万全の状態に整えたまま、一晩を過ごすというのか。
もう少し肩の力を抜いても良いのではないか、と思い、私は自分の文机の隣に置いていた火酒の入った瓶と杯を見る。予備の杯があるので、杯は二つあった。机の上のものを片付けて、替わりに瓶と杯を乗せる。
「少し、付き合ってくれますか」
机の上に置いた二つの杯に、少しずつ酒を酌む。私の考えを読み取った葉桜が、雑魚寝をする者たちを踏まないように慎重な足取りで私のそばにやって来た。淡く灯る燭台の光のもとで、私たちは杯を手にする。
「……珍しいですね、侍従長殿が酒を嗜まれるとは」
「体を温めるためにと思って口にしたのですが、随分と美味なものを持って来てしまったようで、止まらないんです」
華蛇の地が極寒であるということは、準備の段階で分かっていた。そのため、体を温めるための火酒を用意していたのだ。だが、銘柄までは指定しておらず、荷箱に詰めた者がどうやら最上級品種のものを選んだらしい。
「宮様は、とても楽しくお過ごしになられているようですね」
杯を呷りながら、葉桜が言う。近衛にしても、侍従にしても、極端に酒に強い者が多い。度数の強いそれを、まるで水でも飲むかのように葉桜が喉へ流し込んでいった。
「今まで、外をご存知無かったのですから、何もかもが楽しいのでしょう。宮様が笑顔でいらっしゃると、幸せな気持ちになる」
「はい」
私もちびちびと飲み進めていく。体の奥底がかっと熱くなり、頬が紅潮するようだった。温石で温められたこの天幕の中が、熱いとすら感じる。私たちの頭の中には、幸福な笑みを浮かべる宮様がいた。その笑みを思うだけで、多幸感を抱く。
「悔しくて仕方がないことですが、我々侍従では、宮様を幸せにして差し上げることは叶わなかった。……まったく、口惜しい」
「そう言いつつも、口元が笑っておられますよ。侍従長殿」
葉桜の指摘に笑ってしまう。そうなのだ。悔しくて、夫君殿を憎らしく思うくせに、私は嬉しいのだ。宮様が幸せだから、嬉しくなる。宮様が幸せにお過ごし下さることが、私にとって何よりも幸福なことだった。
「宮様付きの侍従になってから勿論のこと、侍従長になってはますます、どのようにすれば宮様の苦悩を取り除くことが出来るのか、幸せにして差し上げることが出来るのかと、考えていました。……それがまさか、夫君を得ることだったとは」
いつか、姫宮となることが運命付けられた三の宮様。その定めを抱えた宮様を、どのようにお守りすれば良いのかを考え続けていた。自分が宮様をお支えするのだという傲慢な考えを持っていた私には、夫君などという案は浮かんでこなかったのだ。
「葉桜。今から言うことを酔っ払いの戯言と、聞き流してください」
「はい」
大して酔ってはいない。酔っぱらうことなど出来ない。それを分かった上で、葉桜は頷いた。一度深くため息を吐き捨てて、そして力強く吸う。胸を真新しい空気で満たして、私は盛大な泣き言を漏らした。
「宮様の一番は私だったのになぁ。何をするにしても、淡月、と呼んでくださって、頼りにして下さったのに。いつもいつも、そばにいたのはこの淡月だというのに。……あの男は、私から宮様を掠め取った。嗚呼、口惜しい」
周囲で眠る者たちに配慮しつつも、出来る限り大きな声で私は吐き捨てる。胸の中に溜まった鬱憤を、誰かに聞き届けて欲しかったのだ。私の恨み言を聞いて、葉桜は小さく笑っていた。
「なんとも、怨念の籠った戯言ですね」
「そうですとも。お仕えした年月分の怨念が籠っていますからね」
大切で大切で、何年も守り続けた宝物を、私は横取りされたのだ。夫君殿が悪いわけでも、ましてや宮様が悪いわけでもない。だが、夫君殿を恨んでしまう私だって悪くない。そんな駄々みたいなことを、心の中で思っていた。
「私ばかりが言うのでは不公平だ。葉桜。貴方も何か、戯言を言いなさい」
「えっ」
「溜まり溜まったものがあるのでは?」
まさか自分にまでお鉢が回ってくるとは思っていなかったようで、葉桜は珍しく驚愕の声を上げた。普段は表情を消して影と同化するこの男の、こんな驚いた顔が見れるなんて珍しいなと思う。少し黙り込み、何を言うべきかと思案していた葉桜が、意気込んで口を開いた。
「……宮様の体を好き勝手に暴いて。数晩と置かず宮様の熱を貪って。強欲にも程がある。何度、その首を叩き落してやろうと思ったことか。あの男が少しでも宮様を害することがあれば、即刻、首を刎ねてやるというのに」
私は思わず声を出して笑ってしまった。慌てて口を押えて、周囲を見渡す。目覚めた者は誰もおらず、安堵した。だが、あまりにも情念たっぷりの恨み言が葉桜の口から出てきて、驚きながらも笑ってしまったのだ。
「夜の営みを見守らなければならない近衛は、大変だな」
「……務めを大変だと思ったことはありません。ただ、あの男が宮様の肌に触れるのを見るたびに、怒りが湧いてくるのです」
「それには同意します」
我々侍従は、夜の営みの準備や、その始末、宮様の身を清めるお手伝いなどはするが、行為そのものを見守るわけではない。だが、近衛は、行為中でも監視の目を解くことが出来ないのだ。一部始終を見つめなければいけない葉桜の苦労は、推して知るべしだった。
「一体、何がそんなに宮様の琴線に触れたのだろう。あの男は」
「比較的整った顔立ちではありますが、美しい面貌をお持ちの王族の方々と並べば霞む程度のものです」
「あぁ。つまり、宮様はあの顔が原因で、夫君殿に好意を持ったわけではないということだな。だがまぁ、あの顔が好きなのだとも思うが」
宮様のおそばに仕える私は知っている。宮様は夫君殿のことを美男だと言って、蕩けた顔をなさるのだ。顔が好きだから、好意を抱いたのではないと思うが、好意を寄せたからこそ、あの顔がお好きなようだった。
「我々では推し量ることも出来ないところで、宮様は夫君殿に惚れてしまわれたのだろう」
恋心など、明確に言語化出来るものではない。何故、あの男を好きになったのですか、と宮様に問いかけたとしても、きっと宮様を困らせてしまうだけなのだ。それが分かるからこそ、私はそんな愚問を向けたりはしない。
「せめて、御兄弟同士であったならば……と、ついつい思ってしまうのです」
「葉桜、安心するといい。私などは、常々思っている」
今度は葉桜が声を出して笑った。宮様のお相手が、ただの武官であることが私たちの不満だった。心の底から祝福できない原因でもある。もし、宮様の夫君となられるのが他の王族の方であったなら、諸手を挙げて祝福したことだろう。
「四の宮様が、宮様を想われているのは明白でしたので、御兄弟同士で結ばれることもあるのかもしれないと思っておりました」
「確かに、四の宮様は深く宮様を想われているが……、少し想いの種類が違うのだろう」
「では、七の宮様では如何でしょう。七の宮様は、明らかに宮様に熱情を抱いておられます」
「姫宮として下賜頂きたいと申されているくらいだからな。……ただ、七の宮様の求愛を受けたら、宮様は酷く困惑されるはずだ」
そもそも、宮様を深く愛されている国王陛下は、御兄弟同士で体を重ねることを忌避しておられる。国王陛下に連なる御兄弟の中での、御成婚は起こり得ないだろう。どうやら、私たちの願い通りにはならないらしい。
国を円滑に管理するため、国王陛下は今後、市井から妃を娶り、少なくとも三人の尊い御子様をおつくりになられる。そして、次代の国王陛下、副王陛下、姫宮様となり、国を支えていく。天瀬は、それを何百回を繰り返しているのだ。そしてそれは、これからも続いていく。
「全て黒闢天の差配のうち、ということなのだろうな」
私は、僅かな綻びすら生み出さない黒闢天に敬服することしか出来なかった。杯に残った酒を一気に呷る。体の中には、強い熱が生まれていった。
一日中働き続ける侍従たちにも休息は必要だ。とはいえ、全員が全員眠りこけてしまえば、急な事態に対応が出来なくなる。それゆえ、夜番というものがあり、仮眠を終えた私はその夜の番を務めていた。
今日あったことを帳面に書きつける。宮様が口にされたもの、華蛇と交わされた言葉、歩かれた距離、体調の些細な変化。あらゆることを書き付け、それは旅を終えたあとに陛下に提出することになっている。
宮様を溺愛されている陛下は、宮様の小さな変化すら見逃したくはないと仰られ、我ら侍従に全てを書き留めておくようにと厳命されているのだ。筆を持ち、文字を書き進めていると天幕の入り口がすっと開いた。
冷たい外気が入って来て、皆が起きてしまわぬようにと素早く幕内に入ってくる。その姿を私は正座をしながら見た。入って来たのは、近衛の葉桜だった。
「侍従長殿。宮様が、お眠りになられました」
「分かりました」
宮様の就寝を見届けることが、葉桜の任務だった。彼がこの段階で帰ってきたということは、今夜は睦み合うことなく眠られたようだ。翠玉を出てから、お二人の間に性交がない。そろそろだろうか、と思っていたのだが、読みが外れたらしい。
お優しい宮様のことだから、愛し合った後の始末を考えて、侍従への配慮により交わることを断念なされたのかもしれない。有難く思いながらも、我らにそのような配慮は不要ですよ、と伝えたくなる。
「葉桜。ここは随分と冷えます。近衛たちも、こまめに休息を取るようにして下さい」
「承知しました」
清玄よりも北に位置する華蛇の地は、随分と冷える。夜になって、一層寒さが厳しくなり、凍えるような気温になっていた。近衛たちは、こんな夜でも、宮様が眠る天幕の外で警護を続けている。それが役目だと言ってしまえばそれまでだが、流石に彼らの身が心配になった。
侍従にしても、近衛にしても、古きを辿れば王族の方の庶子の血を引く。王族の方々にそれぞれ天稟があるように、我らにも侍従としての天稟、近衛としての天稟が備わっていた。
いかに寒い場所であろうが、近衛たちはものともしない。それが、彼らの血に宿る近衛としての天稟なのだ。とはいえ、極寒の夜に外での警護をする彼らのことは、やはり心配だった。
葉桜も仮眠をしにこの天幕に来たのだろうが、一向に眠る気配がない。休むことなく、このまま目を開いて朝を迎えるつもりなのだろうか。万が一の事態に備え、万全の状態に整えたまま、一晩を過ごすというのか。
もう少し肩の力を抜いても良いのではないか、と思い、私は自分の文机の隣に置いていた火酒の入った瓶と杯を見る。予備の杯があるので、杯は二つあった。机の上のものを片付けて、替わりに瓶と杯を乗せる。
「少し、付き合ってくれますか」
机の上に置いた二つの杯に、少しずつ酒を酌む。私の考えを読み取った葉桜が、雑魚寝をする者たちを踏まないように慎重な足取りで私のそばにやって来た。淡く灯る燭台の光のもとで、私たちは杯を手にする。
「……珍しいですね、侍従長殿が酒を嗜まれるとは」
「体を温めるためにと思って口にしたのですが、随分と美味なものを持って来てしまったようで、止まらないんです」
華蛇の地が極寒であるということは、準備の段階で分かっていた。そのため、体を温めるための火酒を用意していたのだ。だが、銘柄までは指定しておらず、荷箱に詰めた者がどうやら最上級品種のものを選んだらしい。
「宮様は、とても楽しくお過ごしになられているようですね」
杯を呷りながら、葉桜が言う。近衛にしても、侍従にしても、極端に酒に強い者が多い。度数の強いそれを、まるで水でも飲むかのように葉桜が喉へ流し込んでいった。
「今まで、外をご存知無かったのですから、何もかもが楽しいのでしょう。宮様が笑顔でいらっしゃると、幸せな気持ちになる」
「はい」
私もちびちびと飲み進めていく。体の奥底がかっと熱くなり、頬が紅潮するようだった。温石で温められたこの天幕の中が、熱いとすら感じる。私たちの頭の中には、幸福な笑みを浮かべる宮様がいた。その笑みを思うだけで、多幸感を抱く。
「悔しくて仕方がないことですが、我々侍従では、宮様を幸せにして差し上げることは叶わなかった。……まったく、口惜しい」
「そう言いつつも、口元が笑っておられますよ。侍従長殿」
葉桜の指摘に笑ってしまう。そうなのだ。悔しくて、夫君殿を憎らしく思うくせに、私は嬉しいのだ。宮様が幸せだから、嬉しくなる。宮様が幸せにお過ごし下さることが、私にとって何よりも幸福なことだった。
「宮様付きの侍従になってから勿論のこと、侍従長になってはますます、どのようにすれば宮様の苦悩を取り除くことが出来るのか、幸せにして差し上げることが出来るのかと、考えていました。……それがまさか、夫君を得ることだったとは」
いつか、姫宮となることが運命付けられた三の宮様。その定めを抱えた宮様を、どのようにお守りすれば良いのかを考え続けていた。自分が宮様をお支えするのだという傲慢な考えを持っていた私には、夫君などという案は浮かんでこなかったのだ。
「葉桜。今から言うことを酔っ払いの戯言と、聞き流してください」
「はい」
大して酔ってはいない。酔っぱらうことなど出来ない。それを分かった上で、葉桜は頷いた。一度深くため息を吐き捨てて、そして力強く吸う。胸を真新しい空気で満たして、私は盛大な泣き言を漏らした。
「宮様の一番は私だったのになぁ。何をするにしても、淡月、と呼んでくださって、頼りにして下さったのに。いつもいつも、そばにいたのはこの淡月だというのに。……あの男は、私から宮様を掠め取った。嗚呼、口惜しい」
周囲で眠る者たちに配慮しつつも、出来る限り大きな声で私は吐き捨てる。胸の中に溜まった鬱憤を、誰かに聞き届けて欲しかったのだ。私の恨み言を聞いて、葉桜は小さく笑っていた。
「なんとも、怨念の籠った戯言ですね」
「そうですとも。お仕えした年月分の怨念が籠っていますからね」
大切で大切で、何年も守り続けた宝物を、私は横取りされたのだ。夫君殿が悪いわけでも、ましてや宮様が悪いわけでもない。だが、夫君殿を恨んでしまう私だって悪くない。そんな駄々みたいなことを、心の中で思っていた。
「私ばかりが言うのでは不公平だ。葉桜。貴方も何か、戯言を言いなさい」
「えっ」
「溜まり溜まったものがあるのでは?」
まさか自分にまでお鉢が回ってくるとは思っていなかったようで、葉桜は珍しく驚愕の声を上げた。普段は表情を消して影と同化するこの男の、こんな驚いた顔が見れるなんて珍しいなと思う。少し黙り込み、何を言うべきかと思案していた葉桜が、意気込んで口を開いた。
「……宮様の体を好き勝手に暴いて。数晩と置かず宮様の熱を貪って。強欲にも程がある。何度、その首を叩き落してやろうと思ったことか。あの男が少しでも宮様を害することがあれば、即刻、首を刎ねてやるというのに」
私は思わず声を出して笑ってしまった。慌てて口を押えて、周囲を見渡す。目覚めた者は誰もおらず、安堵した。だが、あまりにも情念たっぷりの恨み言が葉桜の口から出てきて、驚きながらも笑ってしまったのだ。
「夜の営みを見守らなければならない近衛は、大変だな」
「……務めを大変だと思ったことはありません。ただ、あの男が宮様の肌に触れるのを見るたびに、怒りが湧いてくるのです」
「それには同意します」
我々侍従は、夜の営みの準備や、その始末、宮様の身を清めるお手伝いなどはするが、行為そのものを見守るわけではない。だが、近衛は、行為中でも監視の目を解くことが出来ないのだ。一部始終を見つめなければいけない葉桜の苦労は、推して知るべしだった。
「一体、何がそんなに宮様の琴線に触れたのだろう。あの男は」
「比較的整った顔立ちではありますが、美しい面貌をお持ちの王族の方々と並べば霞む程度のものです」
「あぁ。つまり、宮様はあの顔が原因で、夫君殿に好意を持ったわけではないということだな。だがまぁ、あの顔が好きなのだとも思うが」
宮様のおそばに仕える私は知っている。宮様は夫君殿のことを美男だと言って、蕩けた顔をなさるのだ。顔が好きだから、好意を抱いたのではないと思うが、好意を寄せたからこそ、あの顔がお好きなようだった。
「我々では推し量ることも出来ないところで、宮様は夫君殿に惚れてしまわれたのだろう」
恋心など、明確に言語化出来るものではない。何故、あの男を好きになったのですか、と宮様に問いかけたとしても、きっと宮様を困らせてしまうだけなのだ。それが分かるからこそ、私はそんな愚問を向けたりはしない。
「せめて、御兄弟同士であったならば……と、ついつい思ってしまうのです」
「葉桜、安心するといい。私などは、常々思っている」
今度は葉桜が声を出して笑った。宮様のお相手が、ただの武官であることが私たちの不満だった。心の底から祝福できない原因でもある。もし、宮様の夫君となられるのが他の王族の方であったなら、諸手を挙げて祝福したことだろう。
「四の宮様が、宮様を想われているのは明白でしたので、御兄弟同士で結ばれることもあるのかもしれないと思っておりました」
「確かに、四の宮様は深く宮様を想われているが……、少し想いの種類が違うのだろう」
「では、七の宮様では如何でしょう。七の宮様は、明らかに宮様に熱情を抱いておられます」
「姫宮として下賜頂きたいと申されているくらいだからな。……ただ、七の宮様の求愛を受けたら、宮様は酷く困惑されるはずだ」
そもそも、宮様を深く愛されている国王陛下は、御兄弟同士で体を重ねることを忌避しておられる。国王陛下に連なる御兄弟の中での、御成婚は起こり得ないだろう。どうやら、私たちの願い通りにはならないらしい。
国を円滑に管理するため、国王陛下は今後、市井から妃を娶り、少なくとも三人の尊い御子様をおつくりになられる。そして、次代の国王陛下、副王陛下、姫宮様となり、国を支えていく。天瀬は、それを何百回を繰り返しているのだ。そしてそれは、これからも続いていく。
「全て黒闢天の差配のうち、ということなのだろうな」
私は、僅かな綻びすら生み出さない黒闢天に敬服することしか出来なかった。杯に残った酒を一気に呷る。体の中には、強い熱が生まれていった。
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