下賜される王子

シオ

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◆ 第二章 異邦への旅路

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「……すまない、大きな声を出してしまった」

 騒がしくしたことに対する詫びと後ろめたさ、目覚めてくれたことに対する喜びと安堵。その二つが、俺の心で入り乱れていた。吉乃は緩く首を左右に振る。

「……淡月、清玖を呼んでくれてありがとう」
「御気分は如何ですか、宮様」
「もう大丈夫。……もともと大した怪我じゃない」
「何を仰っているんですか! 宮様は、昏睡なされたのですよ!? 私は……っ、気が気でなくて……」

 今まで気丈に振舞っていた侍従長殿が、声を震わせた。本人の言の通り、正しく気が気でなかったのだろう。その気持ちは痛いほどによく分かる。侍従長殿は今、張り詰めた緊張が弛緩して、感情が整わなくなっているようだった。

「心配をかけてすまない、淡月」
「いえ……私こそ、出過ぎたことを申しました」

 即座に気持ちを落ち着かせ、侍従としての分を弁えるその姿には敬意を抱く。すっと身を引く出来過ぎた侍従に、吉乃は穏やかな面持ちで微笑んで、一度だけ頷いた。

「淡月。温かい花茶が飲みたい。用意してくれるか」
「……御心のままに」

 花茶は吉乃が好んで飲む茶であり、心を落ち着かせる作用があると聞いたことがある。だが、それを所望するにも、あまりにも突然の流れだった。

 ゆえに、それが俺と二人きりにして欲しい、ということを意味していると俺にも分かった。察しのいい侍従長殿であれば、即座に気付くだろう。そして、それを受け入れた。

 二人きりになった空間で、吉乃の頭をそっと撫でる。頭に沿って髪に触れた。

「痛むところは」
「大丈夫だよ。普段、清玖が負ってるような怪我に比べれば全然」
「当たり前だろ……、吉乃は武官じゃない。俺たちみたいな怪我を負うなんて以ての外だ。こんな傷だって、ひとつたりとも負ってはいけないんだ……っ」

 王族が怪我を負わされた場合、通常であれば不敬罪が適応され、最悪の場合は死罪となる。それが分かっているからこそ、民が王族に手をあげるなどありえないことなのだ。そうでなくとも、王族への尊崇が厚い天瀬においては、王族に対する暴力を想像することすら度を越した不遜となる。

「傷を負った吉乃は、もう二度と見たくなかったのに」

 富寧のことが脳裏をよぎる。あの出来事からすでに、半年の月日が過ぎていた。琳国は己の手で富寧を罰し、天瀬に容赦を願い出た。

 天瀬は、ある程度の対価を支払うことでそれを許し、二国間は穏やかな関係に戻っている。だとしても、記憶から消えることはない。吉乃が、あれほどの暴力と侮辱を与えられた事実は、永劫消えないのだ。

「加虐を伴わなければ快楽を得られない者がいる。今日の相手はその類だったんだ」
「……だからって、姫宮に手を上げるなんて普通じゃない。頭が可笑しいとしか思えない」

 吉乃が、左軍の大将補だという大罪人を庇う。それが信じられなかった。もっと本心に近い言葉で言うならば、気に食わなかった。

 身を起こしたがる吉乃に、寝ている方が良いと告げるが、妙なところで頑固な吉乃はそれを拒み、仕方がなく俺は起き上がる手助けをした。

「酷く興奮して……いや、あれはもはや、混乱に近かった。本人も何をしているのか分からなくなっていたのだと思う」
「どうしてそんなに庇うんだ。諾々と受け入れて、叫び声さえ上げなかったのか」

 ついつい言葉が険を帯る。吉乃を責めたくはない。それなのに、どうしても責めるような言葉が口をついて出た。

「叫び声をあげれば、護衛官が駆けつけてくれたんじゃないのか」
「……それは違う」
「吉乃……?」

 姫宮の寝所には、護衛官がついている。俺と、先代姫宮様の指導の際に護衛官の姿を確認していた。彼らの役目は姫宮の寝所で、姫宮に害なす者を排除することだ。吉乃の異変を聞けば、彼らが吉乃を助けたはずなのだ。

「私が、姫宮の務めの最中に、悲鳴を上げることなんていつものことなんだ。清玖以外の者に抱かれると、どうしても苦しくて、辛くて、叫び声をあげてしまう。……護衛官も、判断に迷ったんだろう。どんな抱かれ方をしているかまでは、彼らにも分からない」

 支える俺にしなだれかかるようにして、吉乃が身を寄せた。どこか甘えるような仕草に、胸が熱くなる。俺以外の者に抱かれると悲鳴を上げる、というその言葉に喜びを抱く。吉乃が好んで体を与えているのは、俺だけなのだと強く思えた。

 けれどその反面、嫌々ながら他の男にも体を差し出しているという事実を突きつけられ、何とも言えない気持ちになる。

「姫宮として、今夜の相手を上手く処せなかった私が悪い。……私以外、誰も悪くない」
「そんな……、そんなわけあるか……っ! 吉乃のどこに悪いところがあるんだ!」
「……清玖」
「痛かっただろ、辛かっただろ。耐えきった吉乃は、賛辞されるべきで、自責すべきことなんてなにひとつない!」

 強く、強く、抱きしめた。どんな風に抱かれたかなんて知らない。けれど、どうせ禄な抱き方じゃないはずだ。吉乃を苦しめて、痛めつけるだけだったはずだ。だからこそ、今、吉乃はこんな痛ましい姿になっている。

 耐えきった吉乃は、賛辞されるべきで、責められるところなど微塵も存在しない。誰もがそう理解することであるのに、吉乃ひとりがそれに気付いていない。

「……ありがとう」

 その声は、涙声になっていた。押さえ込んでいた恐怖が今になって溢れ出してきたのか、はたまた、安堵により滲み出た涙か。どちらにせよ、吉乃の心が少しでも楽になるというのなら、どれだけでも涙を流した方が良い。

 抱きしめる力を緩め、優しくそっと包み込む。そんな俺をよそに、それでも、と吉乃が言葉を続けた。俺はそれに耳を傾ける。

「それでも、やはり……何も罰せられることなく済めば良いと思う」
「吉乃は優しすぎる」
「だって、あの者は褒美を賜ったんだ。それをどう扱おうが、それはあの者の自由だ」
「それは違う。吉乃は、姫宮であるけれど、それは……そんな物のように扱うなんてことは、許されることじゃない」
「……ありがとう、清玖」

 何の慰めにもなっていない。俺の陳腐な言葉では、吉乃の負った傷は癒せない。己の不甲斐なさを理解しているのに、吉乃は嬉しそうに小さく微笑んだ。そんな表情を見せられると、胸がどんどん苦しくなる。

 どうして俺は、吉乃を全てから守ってやれないのだろう。どれほど剣技を磨いても、どれほど努力を重ねても、俺の力が及ばない領域で吉乃は戦っている。その舞台に上がることすら、俺には出来ないのだ。

「宮様」

 部屋の戸をそっと叩き、入室を知らせて入ってきたのは、花茶を手に持った侍従長殿だった。

 おそらくは、花茶などすぐに用意が出来たことだろう。だが、俺たちの二人の時間を守るため、外に控えていてくれたのだ。そして、俺達の時間を引き裂いたのはそれなりの事情があったからだった。

「副王陛下がお越しになられております」
「兄上が?」

 それこそが、それなりの事情、というやつだった。吉乃は寝台の上で起居を正し、俺は寝台から降りて跪き、抱拳礼にて副王陛下の入室を待った。


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