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◆ 第一章 黒の姫宮
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「だが、ひとつ。ここまでの戦いでお互いに血を流し過ぎた。この戦が、天瀬の勝利であることを確実にしなければならない。その証として、首長および各族長の死を命じる」
蛍星の声が冷徹に響き渡る。その台詞に、驚くような者は誰一人としてこの場にいなかった。皆、分かっているのだ。華蛇の首長ですら理解している。
この戦いは、和睦などで終わってはならないのだ。天瀬が、華蛇などという少数民族と長期の戦闘をして、その結果が有耶無耶になっては周辺国に示しがつかず、国としての沽券にも関わる。
天瀬は、華蛇に勝利し、その上で姫宮奪還のための情報を引き出さなければならなかった。蛍星の発言を、大将は何も言わずに聞いている。同じ気持ちなのだろう。
「お前や、他の部族長が命と情報を差し出し、その代償として華蛇は姫宮と顔を合わせる機会を得る。お前たちにとっては相当分が悪いだろう。……僕は、お前たちの覚悟が見たい。どれだけの対価を支払ってでも、姫宮に会いたいのだという証が見たいんだ」
「……我らの命で、黒の巫女へ近づけるというのなら、迷う余地もない。琳でも天瀬でも構わん。我ら一族に巫女の恩寵を」
華蛇は、いくつかの部族に分かれ、その部族長を束ねるのが首長なのだと右軍大将が俺たちに説明していた。それが正しいのであれば、指導者たちの命を差し出せという要求は過酷なものだった。だが、首長はそれを易々と受け入れる。
華蛇が抱く黒の巫女とやらへの感情は、とても強いものだった。あらゆる死を踏み台にしてここまでやって来たのだということを感じさせる。黒の巫女のおそばへ行けるのなら、死すら恐れない。女や子供が臆することなく立ち向かってきた理由を、察した。
「一度、この話を持ち帰り、部族内で話し合え。時がない。急いでくれよ」
「話し合うまでもない。すぐに戻ってくる」
蛍星は勝手に首長の拘束を解き、馬を与えて走らせた。これで、首長が裏切り、反撃の狼煙を上げれば最悪の事態となるが、そうはならないという確信が俺たちの中にあった。
あの首長は、本当に黒の巫女だけを願っていた。自分がそのお姿を目にすることが出来なくても、一族の悲願を叶えるために命を差し出すのだ。
俺たちの予想通り、数刻もしないうちに、各族長の息子たちが、族長の首を持って現われた。それを右軍大将及び、大将補たちが受け取り検める。
「父らの意思で死を選び、我らの意思で首をお持ちしました」
年若い青年たちが、大将や蛍星の前で膝を折り跪く。その先頭にいたのは、俺の腹部に怪我を負わせたあの赤毛の男だった。その男が声を張り上げ、辺り一帯に響くような声で宣誓する。
「華蛇にとって、黒の巫女に僅かでも近づくことは、一族の長きにわたる悲願。それを叶えられるのなら、数人の死はとても軽い。この首をもって、我らは黒の巫女に忠誠を誓います」
「その忠誠、姫宮の弟であるこの第七王子、蛍星が聞き届けた」
蛍星の承服を受けて、華蛇の一団が深々と頭を下げた。そんな蛍星の姿を見て、俺たちも呆気にとられてしまう。普段は軽い調子で飄々としているのに、今見せている姿はまさしく王族のそれだった。
「……蛍星って本当に王族だったんだな」
「なにそれ。いつも威厳たっぷりでしょ」
「なんていうか……凄いよ、お前は」
「なに、やめてよ。気持ち悪いよ、薫芙」
薫芙と蛍星がじゃれている横で、俺は華蛇の新しい首長と見られる男に近付いた。間違いない。あの戦場で対峙した戦士だ。向こうも俺に気が付いたのか、不敵な笑みを浮かべてこちらにやってくる。
「お前、生きてたんだな」
「……なんとかな」
「俺は親父のあとを継いで首長になった。ラオセンだ」
「俺の名は清玖だ。……自己紹介はもう十分だろう。吉乃はどこにいる」
「吉乃?」
「お前たちが黒の巫女と呼ぶその人の御名前だ」
そんなことも知らないで、こいつは吉乃を狙っていたというのか。抑えきれない怒りが沸々と湧いてくる。如何に、契約であったとしてもこの男を吉乃には会わせたくなかった。
「富寧は、天瀬国内を横断して琳へ戻るんじゃなくて、海岸沿いに停めた船で海を超えて琳へ行くつもりだ」
「海か……! なるほどな。それなら国境の警備隊と衝突せずに済む。天瀬が海上戦術にも弱いというは周辺国も知られていることだ。漁船や商船はあっても、戦いに耐えうる大型船なんて清玄にはない」
天瀬は極東の国で、海のある東側の以東に国はない。つまり、海を隔てて戦をする必要もなく、交易の相手も殆どが陸路で迎える相手ばかりなのだ。海という点において、天瀬は他国より一歩も二歩も遅れている。
「富寧の奴、船の手配は俺たち華蛇に押しつけやがったが、どこの海から出るのかは知らせなかった」
「それでも、逃走路が海と分かっただけでも手がかりになる」
目指すは、国境に近い海岸線。そこを虱潰しに確認していくしかない。吉乃の奪還作戦を任じられた隊は、少数精鋭で結成された。大勢で動いても機動力に駆けるという判断によるものだった。
部隊長は、右軍大将補の一人である天託。そして、俺と蛍星、薫芙。更には、華蛇の首長ラオセンと、その他の部族長。その面々が吉乃のもとへ向かう。
「行こう、兄上の奪還に!」
蛍星の声が冷徹に響き渡る。その台詞に、驚くような者は誰一人としてこの場にいなかった。皆、分かっているのだ。華蛇の首長ですら理解している。
この戦いは、和睦などで終わってはならないのだ。天瀬が、華蛇などという少数民族と長期の戦闘をして、その結果が有耶無耶になっては周辺国に示しがつかず、国としての沽券にも関わる。
天瀬は、華蛇に勝利し、その上で姫宮奪還のための情報を引き出さなければならなかった。蛍星の発言を、大将は何も言わずに聞いている。同じ気持ちなのだろう。
「お前や、他の部族長が命と情報を差し出し、その代償として華蛇は姫宮と顔を合わせる機会を得る。お前たちにとっては相当分が悪いだろう。……僕は、お前たちの覚悟が見たい。どれだけの対価を支払ってでも、姫宮に会いたいのだという証が見たいんだ」
「……我らの命で、黒の巫女へ近づけるというのなら、迷う余地もない。琳でも天瀬でも構わん。我ら一族に巫女の恩寵を」
華蛇は、いくつかの部族に分かれ、その部族長を束ねるのが首長なのだと右軍大将が俺たちに説明していた。それが正しいのであれば、指導者たちの命を差し出せという要求は過酷なものだった。だが、首長はそれを易々と受け入れる。
華蛇が抱く黒の巫女とやらへの感情は、とても強いものだった。あらゆる死を踏み台にしてここまでやって来たのだということを感じさせる。黒の巫女のおそばへ行けるのなら、死すら恐れない。女や子供が臆することなく立ち向かってきた理由を、察した。
「一度、この話を持ち帰り、部族内で話し合え。時がない。急いでくれよ」
「話し合うまでもない。すぐに戻ってくる」
蛍星は勝手に首長の拘束を解き、馬を与えて走らせた。これで、首長が裏切り、反撃の狼煙を上げれば最悪の事態となるが、そうはならないという確信が俺たちの中にあった。
あの首長は、本当に黒の巫女だけを願っていた。自分がそのお姿を目にすることが出来なくても、一族の悲願を叶えるために命を差し出すのだ。
俺たちの予想通り、数刻もしないうちに、各族長の息子たちが、族長の首を持って現われた。それを右軍大将及び、大将補たちが受け取り検める。
「父らの意思で死を選び、我らの意思で首をお持ちしました」
年若い青年たちが、大将や蛍星の前で膝を折り跪く。その先頭にいたのは、俺の腹部に怪我を負わせたあの赤毛の男だった。その男が声を張り上げ、辺り一帯に響くような声で宣誓する。
「華蛇にとって、黒の巫女に僅かでも近づくことは、一族の長きにわたる悲願。それを叶えられるのなら、数人の死はとても軽い。この首をもって、我らは黒の巫女に忠誠を誓います」
「その忠誠、姫宮の弟であるこの第七王子、蛍星が聞き届けた」
蛍星の承服を受けて、華蛇の一団が深々と頭を下げた。そんな蛍星の姿を見て、俺たちも呆気にとられてしまう。普段は軽い調子で飄々としているのに、今見せている姿はまさしく王族のそれだった。
「……蛍星って本当に王族だったんだな」
「なにそれ。いつも威厳たっぷりでしょ」
「なんていうか……凄いよ、お前は」
「なに、やめてよ。気持ち悪いよ、薫芙」
薫芙と蛍星がじゃれている横で、俺は華蛇の新しい首長と見られる男に近付いた。間違いない。あの戦場で対峙した戦士だ。向こうも俺に気が付いたのか、不敵な笑みを浮かべてこちらにやってくる。
「お前、生きてたんだな」
「……なんとかな」
「俺は親父のあとを継いで首長になった。ラオセンだ」
「俺の名は清玖だ。……自己紹介はもう十分だろう。吉乃はどこにいる」
「吉乃?」
「お前たちが黒の巫女と呼ぶその人の御名前だ」
そんなことも知らないで、こいつは吉乃を狙っていたというのか。抑えきれない怒りが沸々と湧いてくる。如何に、契約であったとしてもこの男を吉乃には会わせたくなかった。
「富寧は、天瀬国内を横断して琳へ戻るんじゃなくて、海岸沿いに停めた船で海を超えて琳へ行くつもりだ」
「海か……! なるほどな。それなら国境の警備隊と衝突せずに済む。天瀬が海上戦術にも弱いというは周辺国も知られていることだ。漁船や商船はあっても、戦いに耐えうる大型船なんて清玄にはない」
天瀬は極東の国で、海のある東側の以東に国はない。つまり、海を隔てて戦をする必要もなく、交易の相手も殆どが陸路で迎える相手ばかりなのだ。海という点において、天瀬は他国より一歩も二歩も遅れている。
「富寧の奴、船の手配は俺たち華蛇に押しつけやがったが、どこの海から出るのかは知らせなかった」
「それでも、逃走路が海と分かっただけでも手がかりになる」
目指すは、国境に近い海岸線。そこを虱潰しに確認していくしかない。吉乃の奪還作戦を任じられた隊は、少数精鋭で結成された。大勢で動いても機動力に駆けるという判断によるものだった。
部隊長は、右軍大将補の一人である天託。そして、俺と蛍星、薫芙。更には、華蛇の首長ラオセンと、その他の部族長。その面々が吉乃のもとへ向かう。
「行こう、兄上の奪還に!」
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