下賜される王子

シオ

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◆ 第一章 黒の姫宮

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 山積みの仕事を傍らに、私は執務室で窓の外を見た。強烈な閃光と共に轟音。天が割れるような音だった。上の兄である紫蘭は不在で、王の執務室には私しかいない。

 副王となる私には、王の執務室に席が設けられているため、その席に就き仕事をこなしていたのだ。務めをはたそうとする私の手を止めるほどの、強い稲光だった。

 続く雨音。地に叩き付けるような雨粒が、僅かに霧立つほど降り注ぐ。こんな豪雨が訪れるような天気だっただろうか。突然の天気の変わり様に驚いていると、執務室に入ってくる姿があった。

 断りもなくこの部屋に入ってくる人物など限られている。七人兄弟の私たちにおいて、私が兄と呼ぶ人は一人だった。私は窓に映った兄の姿を認めて、声を掛ける。

「凄い雨ですね」

 ゆっくりと振り向いた先の兄は、とても思いつめたような顔をしていて何事だろか、と思案した。荒々しい足取りでやってきたかと思うと、勢いもそのままに執務机の椅子に腰かけた。

 長い歴史、王たちに愛用されてきた由緒ある椅子が、憐れにも軋む音を立てる。机に就いて両肘を着き、手と手を組んでそこに額を押し付ける。兄は俯いて、深いため息を吐いた。

「……吉乃が泣いている。それに呼応した、天の慟哭だろう」

 なるほど、と思った。突然の豪雨は、天が吉乃につられて泣き出したものだった。こんなことは初めてだが、黒闢天に愛される黒の御子の激しい感情に空が同情するということがあったとしても可笑しくはない。

 世界でただ一人、生まれながらに黒を持つ吉乃だ。何が起こっても不思議ではなかった。だが、何故このような事態になったのか。何故吉乃は泣いているのか。どう考えても、その原因は、今激しく落ち込んでいるこの兄にあるようだった。

 私は窓際から離れ己の席に就く。兄上と私の机は、一辺だけが接したような配置になっており、差金のような位置関係で政務に当たっていた。椅子に座った私からは、兄上の横顔だけが見える。

「何かあったんですか」
「……吉乃を、抱いた」

 兄の鬱々とした気配の理由を察した。それは確かに溜息も吐きたくなることだろう。しかも、その結果がこの豪雨であるなら、兄が思いつめても仕方のないことであった。

「なるほど。姫宮様の呼び出しはそれでしたか」
「こんなことなら、のこのこと呼び出しに応じなければ良かった」
「そんなことを許すほど、あの方は甘くありませんよ」
「分かってる。言ってみただけだ」

 なかなか兄のおもては上がらない。俯いて悔恨の溜息を何度も吐き捨てた。それでもきっと、吉乃が抱く絶望に比べれば兄のそれは軽いのだろう。でなければ、天を荒らすほどの慟哭は生まれない。

「あの子はどうですか。姫宮として、務めていけそうですか」
「……分からん。……俺とまぐわっても、吉乃は達かなかった」
「可哀そうに」
「快楽を与えられるような状況じゃなかったんだ! 吉乃は泣いていたんだぞ!?」
「私だったら、吉乃が泣こうが喚こうが、善がり狂うまでしてあげましたよ」
「……出来るものならやってみろ」

 昔は私も兄もやんちゃをして、どちらが多くの男と女を達かせられるかと競ったものだ。勢いで押す兄に比べ、私は執拗で長くいやらしいと評されることがあった。きっと、私なら吉乃が達するまで延々と続けていたことだろう。

 抱けと言われれば抱けるが、それでも吉乃にそう言った感情を持ったことは無い。吉乃は可愛い弟だ。守り、慈しむ存在であって、情欲を抱く相手では決して無い。

 それはきっと、兄も同様なのだろう。だからこその、この落ち込みよう。忖度するまでもなく、兄の心中は手に取るように分かった。絶望の度合いは、どんどんと深まっていく。

「酒でも持ってこさせますか」
「要らん。どれだけ飲んでも酔えそうにない」

 無類の酒好きである兄が、酒を拒んだ。これには私も驚いた。大酒飲みで、昔はよく城下町に潜り込んでは朝まで飲み歩いていた兄が、それを拒むとは。どうしたものかと私は思案する。

 悲しいのも、嘆かわしいのも理解するが、これを明日まで引きずれば仕事に支障が出かねない。兄には不器用なところがあり、こういった事態を上手く割り切れていないようだった。

「吉乃は、可哀想なほどに泣いていた。……兄上とだけは嫌です、と。そう言っていた。吉乃の倫理が許さなかったのだろうな」
「倫理ですか」
「一刻も早く王妃候補を決めて、即位と同時に子を作る。さっさと三人くらい作って、吉乃が姫宮である期間を減らしたい」
「そのためには、貴方が死ななければ」

 姫宮の交代は、後継者の誕生ではなく当代国王の死によって行われる。兄が死なない限り、吉乃の地獄は終わらない。

「第一子が英邁であり国を託せるのであれば、俺はすぐにでも命を絶ってやる」
「いくら英邁でも英俊でも、さすがに即位は二十歳くらいでないと。周囲に侮られます」
「……二十年か」

 兄は今、二十年後を思っている。女に子を孕ませ、その子を育てつつ、子が二十になった時に己で命を絶って、吉乃を姫宮の任から解き放つ。そんな未来を夢想している。

 だが、兄は気付いていない。そんな未来を望んでいるのは兄一人であって、吉乃でさえも望んでいないということを。あの子はきっと、兄が死ぬくらいなら姫宮を務めあげると、そう言うだろう。

「どの女でも良いから、しっかりとした子を産む女にしてくれ」
「無理言わないでください」
「面倒だから、一度に三人生んでくれないだろうか」
「三つ子なんて生まれたら、また、どの子を三の宮にするか悩みますよ」
「……そうか」

 三貴子が双生児であった例はなく、三つ子などと夢のまた夢だ。そんなことが起こってしまえば、子の序列が定まらず厄介な自体に陥る。

「この国ほど面倒な仕組みを持つ王朝も無いだろうな」
「確かに。それは言えてますね」

 天に定められた法を遵守するが如く、我々は何百年も同じことを繰り返している。天の法は天瀬に永劫の栄華を約束した。人の法で作られた近隣諸国は、滅亡と勃興を繰り返し、天瀬に等しく続く王朝はない。

 兄が国王になることも、私が副王になることも、吉乃が姫宮になることも。全てが天の法の範疇だ。そこから逃れられる術があるとするならば、それは天が作り上げた雁字搦めの摂理の中に僅かな隙間を探すようなものだった。

「……吉乃を姫宮の務めから救い出す方法を、考えることがあるんです」

 無謀だと、誰よりも私がよく知っていた。けれど、完全なる法に立ち向かってみようと考えたことがある。最愛の弟を救うため、あの子の悲運を少しでも減らすため。

「何か案があるのか?」
「案というか、なんというか。……過酷に過ぎる姫宮という役目を無くせたらなと思う時が私にもあって、ぼんやりと考えるんです。それがどれほど吉乃を救うか分からないし、実現可能かも不確かな完全なる机上の空論です」
「なんだ、言ってみろ」
「言いません」

 そう言われることは分かっていたが、それでも私は言えない。緩く首を左右に振れば、兄は憮然とした顔で私を見つめた後、恨めしそうに睨んできた。

「私も責任ある立場なので、いくら兄上と二人きりだとしても、無責任な発言はしません」
「構わん」
「私が構うんです」

 いくら、兄弟の会話とはいえ、口から発した言葉の責任は己で負わなければならない。だが、私はこの件に関して、発言内容に相応しい責任をとれるかどうか分からず、自信がなかった。

「……それに、私の案は、全ての姫宮を救えるわけではない。弟を救いたいと願う兄の妄想に近い。……吉乃にとって、私たちは無能な兄ですよ」

 私も兄も、吉乃を苦悩からは救ってやれない。むしろ、更なる苦悩を与えることをするのだろう。近い未来、我々が指示した相手に吉乃は抱かれるのだ。

「せめて、この国にとって無能な王にならないよう、努めて下さい」

 先程まで私が目を通していた紙束を兄に渡す。質の悪い紙に、乱筆で綴られたもの。普段であればこれほどまでに汚いものが王の執務室に届けられることはないのだが、それを無視してでも早く届けなければ、とそういう意思が込められた資料だった。受け取った兄が、紙面へ目を落とす。

「右軍から上がってきた報告書です」
「右軍?」
「国境警備大隊から」

 早馬で届けられたこれは、右軍で最も過酷と言われる国境警備大隊から届けられたものだった。文字を読み進めていく兄の表情が曇り、最後には憤怒で歪んだ。少しずつ、天瀬を取り巻く環境が動き出す。

「……蛇共め。懲りん奴らだ」


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