下賜される王子

シオ

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◆ 第一章 黒の姫宮

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 俺の手が、尊いあの方に触れるまでに一体なにがあったのか。それをゆっくりと思い出す。記憶を宴の最中へと引き戻す。右軍の宴は、盛り上がりは最高潮に達していた。

 酒も食糧もあっという間に消化されていくのだが、すぐに追加分がやってくる。酒は湧いて出てくるように杯に注がれ、大食らいの武官たちの胃袋を満たすべく食料が運び込まれていた。

 武官たちから注文を受けている商家の連中も、宴は書入れ時と、在庫を惜しまずひたすら売りつくす。そんな調子で進んだ宴は、二刻としないうちに誰もが酔っ払いになっていた。

「あー……、宴って最高ー!」

 顔を赤らめた蛍星が酒瓶を抱きしめながら鼻歌交じりに、そんなことを口にする。蛍星は酒好きだが、決して強い方ではない。そこらの武官と飲み比べをして勝って、いい気になっているうちに正体が分からない状態になってしまったようだ。

 武官の仲間とはいえ、蛍星はこの国の七の宮様だ。こんなところで飲み潰れていると言うのは外聞が悪いのではないだろうか。蛍星が抱える酒瓶を取り上げようとするのだが、嫌だと言って蛍星はさらに瓶を抱き込む。

「蛍星、もういい加減にしておけよ」
「もー……うるさいなぁ、清玖は兄上の次に小言が多い!」
「兄上って、どの宮様だよ……」
「全部の兄上!」

 その、全部の兄上、に今の蛍星を見せて小言を浴びせてもらいたいくらいだ。蛍星自身に自分が王族であるという自覚が強くあるのか、ないのかはよく分からないが、おそらく右軍の中では蛍星が宮様であるという認識が薄れてきている気がする。こんなになるまで飲ませるあたり、絶対に薄れている。

「あー、清玖見てー。女の人が混じってきてる」
「うわ、誰だ。娼婦呼んだの」

 夜の仕事をしているであろう女たちが、酒宴の場に混じり始めた。商家の中には、そういった商売をしている者もおり、そこが送り込んでくるのだろう。もしくは、武官の誰かが呼びつけたか。

「にしても、きったない髪だなぁ。あれで三の兄上の真似のつもり?」
「蛍星、声が大きいぞ」

 酔っぱらっているからか、声の抑揚を抑えられない蛍星が悪辣に彼女らの髪色を貶す。娼館の女たちの大半は、髪を黒色に染めている。黒髪黒目は天瀬国民全ての憧憬であるため、その方が集客が良いのだ。

 髪を黒く染める文化は随分と昔から存在している。けれど、染料の質は一向に向上せず、黒くしても地の色が透けて見えたり、液が垂れて肩や額を汚している。

「兄上の髪はもーっと綺麗なんだからね! さらさらだし、つやつやだし、本当に真っ黒なんだからね!」
「分かった、分かったから静かにしろ」
「分かってないよ! 今日だって清玖、全然兄上のこと見てなかったじゃんー!」
「いや、それは……」

 まずい、と思った。蛍星は内苑にもぐりこんだ時のことを言っている。周囲にも聞こえるような大声で、あの時のことを語り始めているのだ。今すぐにでも、蛍星には黙って欲しかった。その口を手で覆いたくなる。

 内苑にて三の宮様にお目にかかった時、俺には宮様を直視するなどということは出来なかった。俯いて、声を聴いているのが限界だったのだ。まじまじとそのお姿を眺めるなど、恐れ多くて不可能だった。

「なんだよ清玖、お前、三の宮様にお会いしたのか?」
「まさか、そんなわけないだろ。蛍星は論功行賞の時のことを言ってるんだよ、俺が全然直視出来なかったから」
「直視って言っても、めちゃくちゃ遠かっただろ。馬鹿だなお前、ちゃんと目に焼き付けとけばよかったのに」
「そうだな。勿体無いことをした」

 同僚が俺と蛍星の会話に乱入し、そして去って行った。危ないところだった。もし、内苑に勝手に入ったことがばれた場合、蛍星は問題ないにしても、俺にとっては問題しかなかった。

 俺の無礼に対してどのような沙汰が下されるのかは全く分からないが、降格や、下手をすれば除隊などということも有り得るのだと思う。慌てて誤魔化して事なきを得たが、これは誰にも知られてはいけない事案だった。

「おお、蛍星に清玖。こんなところにいたか。探したぞ」
「大将補殿」
「たいしょーほどのー!」

 その姿を認めた瞬間に、俺は背筋を伸ばす。完全に出来上がっているため蛍星もこんな調子だが、平素であれば蛍星ですらちゃんと礼を尽くす相手が目の前にいた。

 右軍に三人しかいない大将補の位を賜る天託てんたく様だった。天瀬国でも有数の軍属を輩出する名家の出で、名ばかりでなく実力も伴う傑物だ。いずれこの人が右軍の大将になると目されている。

 天託様は、王族や王の臣下としての自負を持つものがそうするように、長い髪を有し、それを高い位置で結っていた。この右軍内でも、殆どの者がそうしている。

 周囲の武官ほど長いわけではないが、俺も随分と髪を切っていない。小さくではあるが、結べるほどの長さはある。髪には、その者の魂が宿るとされ、己の魂の証として長くするものが多かった。

 かと思えば、蛍星のように鬱陶しいといって短くする者もいるし、三の宮様の侍従も短髪であり、様々な様相でもある。短い方が手入れが楽だという意見には、俺も大きく頷く。長い髪は色々と面倒だ。

「おいおい、清玖。子供に飲ませ過ぎじゃないのか?」
「しつれーですよ! 僕はもうこどもじゃないです!」
「そんなことを言ううちは子供だよ。蛍星をこんなにしておいて、お前は全然酔ってないな?」
「そーなんですよ! 清玖、どんなに飲ませても、ぜーんぜん酔わないんです! ずるいー!」
「いえ、ほどほどには酔っています」
「そういえば、お前強かったもんな」

 今年で四十に近いお年だが、天託様の食いっぷり、飲みっぷりは凄まじかった。昔、この人の部隊にいたころ、その勢いによく付き合わされたものだ。その頃と今とで、姿かたちが少しも変わっていない。少し白髪が増えているようにも見えるが、体躯は見事なままだった。

「今回、褒章として姫宮様を賜ったと伺いました」
「あぁ。久しぶりに、姫宮様の柔らかい腕の中で俺の熱を癒してもらいたくてな」
「ふーん、たいしょーほは、叔父上様がいいんだー」
「そりゃあな、なんたって姫宮だ。あの方に相手をされたら、他のどんな女も、それこそ男も、つまらないものに思えるさ」
「へぇ……でも! でも、絶対に兄上の方が良い! 叔父上より優しいし! 僕は兄上の方がすきー!」

 大声で一体何を叫ぶんだと、俺は慌てて蛍星の口を塞いだ。もごもごと何事かを言っている蛍星には、自分の発言の重さが分かっていないのだろう。大将補も複雑な顔をして曖昧に笑っている。

「そりゃ、三の宮様はものが違う。姫宮様は美しくてあれも当然巧いが、三の宮様はそういうんじゃない。……黒を持つ唯一のお方に触れて、暴いて、それで次の日の朝、はい終わりって別れられるもんかねぇ」
「それは……どういう?」
「なんたって、天の子だぞ。この世の誰よりも尊いお方だ。一度手に入れてしまったら手放せなくなる気がしてならない。あの方を独占したいと企む輩が出ても、俺は可笑しくないと思う」
「じゃあ、たいしょーほは、兄上が姫宮になっても、兄上に相手してもらわなくていいんだ?」
「いやいやいや、そうじゃない。そうとは言ってない」
「なにそれー! 言ってることがさっきとなんかちがう!」
「そりゃ、相手をして頂けるなら、一晩でもいいから相手をしてもらいたいに決まってんだろ」

 大将補は大きな口を開けて笑っていた。結局は、そうなのだ。手放さなければならないと、一晩の夢であると分かっていても、欲してしまう。そして触れられたなら、もう一度触れたいと願い、武勲を挙げようとする。この国の兵士たちを簡単に、それでいて執拗に掌握する仕組みが姫宮だった。

「だから僕は軍に入ったんだ!」

 酒瓶を思い切り卓に叩き付け、蛍星が叫ぶ。卓の上に置かれた食器が、その衝撃でガタと音を立てた。蛍星は、赤ら顔でありながら、肝が据わった目をしている。
 
「たいしょーほみたいな、助平なおじさんに、兄上をとられないように! 僕がずーっと武勲を挙げて、褒章として兄上をもらうんだ! 他の人になんか触らせるもんか!」

 ずっと不思議だった。何故、末弟とはいえ宮様である蛍星が軍に入ったのか。本人は剣の才があるからだと言っていた。それも、もちろん理由のひとつだろう。けれど、本当の目的は大好きな兄を守る事だったのだ。

 武勲を挙げ続け、褒章として三の宮様を下賜され続ければ、確かに蛍星の願いは叶う。それを知っているからこそ、一の宮様や二の宮様は、蛍星の軍属を止めないのだろう。そしてきっと、この事実を三の宮様はご存じないのだ。

「それで僕がずっと! 兄上に添い寝してもらうんだから! ぜったーいに、たいしょーほには触らせないんだからね!」
「そうかそうか! じゃあ、兄上様のためにも頑張らないとな!」
「とーぜん! めちゃくちゃがんばるよ!」

 どん、と胸を叩いて誇らしげな顔をした蛍星。けれど、その顔がだんだんと緩み、大きな欠伸をした。その果てには、背凭れに体重を預け穏やかに寝息を立て始める。あまりの勢いに、俺と大将補は驚き、そして顔を見合わせ苦笑してしまった。


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