没落貴族の愛され方

シオ

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「ラーフ、起きて、ラーフ」

 ベッドの上の大きな体を揺さぶる。時間になっても起きてこないラーフを見に行ってみれば、案の定まだ夢の中だった。昨日は大きな仕事があったようで、帰りが遅かったのだ。ゆっくりと、琥珀の瞳が見開かれる。

「……おはよう、セナ」
「おはよう」

 二人の生活が始まってから四年の月日が過ぎた。それでも毎日、朝一番の挨拶をラーフと出来ることが俺の喜びになっている。

「朝食は食べれそう?」
「んー……」
「起きてる?」

 質問をしても、まともな答えが返ってこない。薄く目は開いているが、頭はまだ稼働していないようだ。ほっぺたを少し抓ってみるが、あまり反応はない。

「……お姫様のキスがないと起きれない」
「何を言ってるんだよ」

 キスで起きるのが、お姫様だろう。心中でそう思いつつも俺は、おはようのキスをした。そして、ラーフは起き上がった。寝るときはいつも上半身に何も纏わないラーフの、見事な肉体が晒される。ついつい見惚れてしまった。

「はい、おはよう」
「おはよう、セナ」

 挨拶を交わした直後、ラーフが勢いよく俺に抱き着く。重たい体を支えきれずに、俺はラーフごとベッドに倒れ込んだ。

「ちょっと、ラーフ! 退いてってば!」
「……最近セナの帰りが遅くて、寂しい」

 耳元では、ラーフのそんな囁きが。昨日だって、帰りの遅かったラーフより、俺の方が帰宅時間は後だった。日付を超えて帰宅するのが常になっており、なかなかラーフとの時間が取れなくなっているのも事実だった。

 俺は大学校で医療魔法と科学医療の融合について学び、四年間の就学を経て大学院へと進んだ。そこで更なる研究に励んでいる。ラーフは、大学校を卒業後はシェイナ綜合警備保障会社の北方支部の支部長になり、ユギラを含めた地区の任務に従事していた。お互い、それぞれの道を歩み出している。

「ごめん、ラーフ。でも、研究会の準備が色々あって……」
「分かってる。セナが頑張ってるのはよく分かってるし、応援もしてる。……でも、寂しいときもある」

 ユギラ大学校の大学院が主催する、研究成果報告発表会、というものが今日開催されるのだ。研究会と称されるそれは、それぞれの研究室が外部に向けて日々の成果や研究内容を発表し、それを見た大学校の学部生に院へ進むようアプローチをかける会のことだった。

 俺も所属する研究室のプレゼン資料をまとめたり、会場の準備などで忙しく、連日帰宅が遅くなっていた。そちらに力を注ぎ過ぎてラーフとの時間が疎かになっていたのも事実だった。抱き着いているラーフの頭を、贖罪の気持ちを込めて撫でる。

「今度の休みは、一緒にエリアス城に行こう。そこでのんびりしよう?」

 腕の中のラーフが、頷いた。研究だって勿論大切だけれど、それ以上にラーフとの日々が大切だった。それを見失いかけていた己を叱責する。そして二人で起き上がって、朝食を共にした。俺は手早く食事を済ませて、慌てて準備をする。

「行ってらっしゃい」
「行ってきます」

 別れの際にもう一度キスをして、俺は家を出た。外ではすでにロキが待ってくれていて、車を出してくれる。大学校までは歩いて十分程なのだが、そんな距離でも彼は俺を送ってくれるのだ。それは当然、ラーフの指示だった。






 外部の研究所や、企業へのプレゼンが始まっている。大きなモニターに、俺たちが作った映像が映し出されていた。この四年の間に、俺も電子製品に慣れて今ではパソコンを使ってレポートを書くほどになっていた。
 ちらほらと学生たちも見受けられる。彼らは、興味があるブースに立ち寄ってはふらりと去って、また立ち寄るということを繰り返している。

「昨今の魔法使いの出生率は低下の一途を辿り、二百年後には絶滅するとした予測も出されています。我々の研究室では、魔法使いの出生率を上げる為、医療魔法と科学的な医療の双方を利用しつつ、あらゆる有効な方法を模索しています」

 俺が所属する研究室のリーダーであるレイゲン教授がモニターを背後に、聴衆に語りかけていた。マイクを通して拡張された声が響き渡る。俺はその光景を隅から見守っていた。

「出生率の低下の大きな理由として、女性の魔法使いが妊娠しにくい体質になっているというものがあります。具体的な原因の解明には至っていませんが、電気という非魔法使い的なものに囲まれて生活をしているせいだ、という理由が世の中ではよく言われていますね。けれど、これにも科学的、魔法学的な根拠はありません。我々の研究室には、そういった状態にある女性への、体質改善及び治療を行うグループもあります」

 レイゲン教授は、普段は何日も洗っていないヨレヨレの白衣を着用しているが、今日は清潔感溢れる真っ白な白衣を着て、ネクタイまで占めていた。研究室を持つ教授としては比較的若い四十代に差し掛かったばかりの教授。革新的な手法を試みることで、批判をされることもあれば、称賛されることもある。俺は、この教授に惹かれてこの研究室に籍を置いていた。

「我々の研究室で取り組んでいる別のアプローチもご紹介いたしましょう」

 魔法使いの減少は、事実、逼迫した問題となっていた。非魔法使いの人口が増えたともいえるが、全人口における魔法使いの割合が年々低下しているのだ。もともと、非魔法使いに比べて数の少なかった魔法使いが、これ以上数を減らすのは魔法使い社会において捨て置けない危機だった。

「非魔法使いの受精と異なり、魔法使いは男性と女性の魔力が深く交わることによって、男性核と女性核が結合し受性核が誕生します。そこから魔法使いが生まれてくるわけです。こういった理由から、魔法使いと非魔法使いのカップルには子供が生まれません。我々のグループは、この受性核を一人の魔法使いから生成し、子孫を残していく手段を模索しています」

 魔法使いと非魔法使いの間に、子供は出来ない。それを理解していながらも、惹かれあう魔法使いと非魔法使いが多数存在し、そこで魔法使いの血が絶える。魔法使いの数が増えていかない理由が、そういったところにもあった。

 レイゲン教授の発表が終わり、聴衆たちがばらけていった。グループに所属する研究員たちが聴衆の前に出て、彼らが抱く疑問に答えていく。俺もその役割を負っていた。数名の学生がやってくる。

「単独の魔法使いによる受性核の生成について興味があるのですが、この実験では全く同一の魔法使いを作るということですか?」

 自分よりも二つ三つ年下の学生たちが、随分と幼く見えた。きらきらとした目で俺を見る。

「全く同一というと語弊があります。同じ流脈を持つ魔法使いが誕生しますが、それは年の離れた双子の兄弟を作るという言葉の方が適切ですね」
「どういった場面で、その技術が有益になるのですか?」
「たとえば、強い魔力を持つ古い血筋の魔法使いがいて、その方が子孫を残さず亡くなってしまえば、その血はそこで絶えてしまいます。強い血が絶え、その家が持つ秘術が消えてしまうことは、魔法使いにとって惜しむべきことです。そういった場合に、力を術を次代へ繋げる有効方法になると考えています」

 好奇心旺盛で意欲に満ちた学生たちは、矢継ぎ早に次々と質問を向けてくる。俺はその全てに応え、気付けばあっという間に一時間が過ぎていた。学生がいなくなり、俺は役目を負えて会場を出る。

「疲れたかい?」

 舞台上で堂々と発表を続けたレイゲン教授がそこにいた。眼鏡をかけて、整えてもぼさぼさになる髪をひとつに結んでいる。如何にも、研究にだけ熱心でそれ以外のことに興味が無い教授、という感じだ。

「……少し。でも皆が興味を持ってくれたみたいで嬉しいです」
「優秀な学生がたくさん来てくれると助かるんだけどねぇ」
「どうでしょうね。今は、医療魔法系統の子がそもそも少ないですからね」
「そんななかで、セナが来てくれたのは本当に奇跡だったよ」

 そう言ってレイゲン教授が俺と肩を組む形になった。俺はこの人のもとで、のびのびと研究が出来ていると思う。ひとりひとりの意見に耳を傾け、荒唐無稽に思えることでも挑戦する。この人の研究姿勢が好きだった。

「おっと、こんなに引っ付いてたら、ラーフに殺されるな」
「……殺しはしないと思いますけど」
「いやいや、あの子ならやりかねない」

 俺とラーフのことを知っている教授は、たまにそんなことを言って俺をからかう。俺と俺の家のこと、ラーフとラーフの家のこと、そして俺たちの関係。全てを承知している教授との会話は気楽だった。

「明日、前もって言っておいた通りに発生実験をするから。体調は万全な状態に整えておいてね」
「分かってます。……それにしても、よくこの実験に許可が下りましたね。倫理的な問題もたくさん孕んでる実験だっていうのに」
「貴族会が許可を出してる。誰も異を唱えられないさ。貴族にとっては、子孫が減ってる現状はとんでもなく由々しいことだからね。それに、シェイナ侯爵が賛成を出しているなら、貴族会の中でも反論は起こらないよ」

 明日は、半年ぶりの実験を行う日だった。その実験は、一人の魔法使いが、一人の魔法使いを生むというものだ。非魔法使いがクローン技術で生命を作り出した時に噴出したものと同様の倫理的議論がなされても良いはずだが、魔法使いの世界では起こらなかった。強い発言権を持つシェイナ侯爵がこの実験に賛同するのであれば、誰も異を唱えられない。

「五百年クラスの濃い血を持ってて、シェイナ家の人間が恋人だなんていう、最高の逸材を部下に出来て俺は幸せだなぁ」
「それ、俺のこと良いように利用してるだけじゃないですか」
「そう聞こえたかい? さぁ、今日は研究室に籠らず、まっすぐ帰るんだよ」
「え、でも、まとめたい報告書がいくつかあって」
「だめだめ。半年ぶりの発生実験なんだから、体調重視! 上司命令だよ」

 そんなことを言って追い立てられ、俺は会場から出る羽目になった。研究棟へ視線を向けるも、上司命令と言われてしまえば帰るしかない。まだ陽は煌々と天上で輝いている。こんな時間帯に帰宅をするのは、どれだけぶりだろうか。

《ロキ、今から帰るよ》

 スマホでロキにメッセージを送る。今ではちゃんと自分の稼ぎで月々の使用料を払い、Wi-Fi環境がない場所でもネットワークが利用できる。数年前の自分は本当に、中世にいるような生活をしていたと今ではそう思うのだ。

《いつもの場所でお待ちしております》

 ロキからの返事は素早く、俺はいつもロキが車を泊めて待っていてくれる場所へ向かう。その途中に、大学校のキャンパス内にあるカフェでコーヒーを二つ購入し、手に持った。昔は飲めなかったコーヒーも、今では砂糖とミルク無しで飲める。研究室に、コーヒーメーカーしかなかたので仕方なく飲んでいたらたら、そればかり飲むようになってしまったのだ。
 車に辿り着き、ロキにコーヒーをひとつ手渡した。迎えに来てくれる彼へのちょっとしたお礼だ。

「こんなに早く帰ってくるなんて珍しいですね」
「教授に早く帰れって言われちゃってね。明日は大切な実験があるから、体調を万全に整えるようにって」
「体調を万全に……ですか」

 運転席に座る彼の顔が少しばかり曇る。言いよどむ口は、何かを言いたそうにしていた。

「どうかしたのか?」
「……最近、ラーフが調子悪いみたいで」
「具合でも悪いのか? 朝は気付かなかったけど」
「具合というか……機嫌というか」

 ラーフの調子が悪いなんて。全く気付かなかった。確かに朝は気だるそうにしていたが、それは寝不足のせいだと思っていたのだ。その見立てが間違っているとしたら、一体ラーフはどうしてしまったのだろう。ミラー越しにロキが俺を見ていた。

「セナ様、気付いてます? もう二ヶ月もお二人は肌を重ねてないんですよ」

 肌を重ねる。そう言われて、一瞬どういう意味かが分からなかった。けれど、理解する。俺たちは、セックスをしていないのだ。どうしてそれをロキが理解しているのかは分からないが、彼がこんなに真剣な面持ちで言うのであれば、これは冗談でもなんでもなく、紛れもない事実なのだろう。

「……そんなに?」
「はい。間違いありません。セナ様が忙しそうにされていたので、ラーフも頑張って耐えてましたけど」

 以前は、二日と置かずラーフは俺を抱いていた。俺も嫌ではなかった。一週間に一度になってしまった時期でさえ、ラーフは辛そうだったのに、気付かないうちに二ヶ月もご無沙汰だったとは。

「ラーフは、過去のあやまちを心の底から悔いているので、絶対にセナ様以外は抱かないと決めています。しかし、最近のラーフは本当に苦しいようで……」

 確かに。ラーフは俺以外に触れないと、かつて誓ってくれた。その誓いを破らないようにと、耐えてくれている。それでいながら、俺が忙しくしていると無理に抱こうとはしない。ラーフはとても俺のことを思ってくれていた。だというのに俺は、自分のことばかり考えて、ラーフのことまで考えが至っていなかったのだ。

「ラーフの限界が来る前に、ラーフを甘やかせてやってくれませんか」

 ロキの懇願に、俺は自分の至らなさを悔いた。


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