執筆徒然日記

常森 楽

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今更ながら、『花束みたいな恋をした』を見た

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放映当時ものすごく話題になっていた映画『花束みたいな恋をした』を初めて見た。
最初に思ったことは「自分の恋も、この映画みたいにありふれたものだったんだな」ということ。
そしてきっと、映画を見た多くの人達も似たようなことを思い、“共感性羞恥”という言葉が流行ったのだと理解した。
この映画には賛否両論あって(どの物語にもあるけれど)、映画そのものが淡々としているからか「ただ、普通の大学生が普通に恋をして、社会人になって価値観のズレや時間のズレが生じて、普通にお別れするだけの話。日記のようなものを2時間見させられただけ」という否定的なのかなんなのかよくわからない意見も多く見られた。(でも、たぶん否定的な意味合い)
…きっと…こういう状態になる前に映画を見ていたら、私もそういう意見だったのかもしれない。

もう放映してから3年ほど経つし、「ネタバレになる」とわざわざ書く必要もないだろう。
結局最後、二人は別れてからも3ヶ月間同棲を続けた。
その3ヶ月間は二人にとって、付き合いたての時のような時間だったのだと思わされるラストだった。
そうなれたのは、別れたからこそなのだとも思わされた。
ひとつ前のページに書いたけれど、私も今、全く同じような状況で笑ってしまった。
別れたのに、一緒に生活している。
本当に、すれ違い方とかその時の心情の描かれ方も本当にリアルで、私は終始笑っていた。
「自分の恋は特別だ」なんて、きっとみんな思ってるんだろうな、こういうのを共感性羞恥っていうのかな、とか…色々考えさせられて、笑っていた。

ただ、映画とは違う点は、私が死にたがっているということだ。
それ以外は映画とほとんど一緒と言っても過言ではない。
…いや、それはやっぱり言い過ぎか。
主人公達の性格が、自分と似ているようで全然似ていない。
まあ、全部合致するなんてことはありえないから、それはいいんだけれど。

どうすれば、回避できたんだろう?
映画を見て、ずっと考えていた。
まだ、私達は戻れるだろうか?
どうすれば…。

いろんな感想をネット上で見て回った。
その中のひとつに「二人は趣味が一緒だったからこそ表面上仲が良かっただけで、社会人になって、忙しくなって趣味が共有できなくなったから別れた。別れるまでの間に価値観のすり合わせが全くできていなかった。共通の趣味があるだけでなく、普段から価値観のすり合わせができていれば別れなかっただろう」と書かれていた。
…どうだろう?
本当にそうだろうか?
私達は、どうだったろう?

私は、彼女と出会う前から、自分の考えや意見をハッキリ言うタイプだった。
相手を傷つけないように言葉を選びはするけれど、自分の中に一本の芯みたいなのがあって、それを曲げることは決してなかった。
初恋の人と性格が合わないと最初からわかっていたのも、それが理由だ。
初恋の人も、悪く言えば変に頑固で、自分の曲げられないこだわりが強かった。
だから、お互いに譲れない部分があったから、「この人とはいつか別れるんだろうな」と想像しながらお付き合いをしていた。
…でも彼女は…彼女は…強いこだわりはあまりなかった。
確固たる、自分の中にある大事な価値観みたいなものがなかった。
いつも私のことを尊敬してくれて、私の話を熱心に聞いてくれた。
まるで学校に行きたくても行けない子どもが何かを教わっているような目をしながら。

私は最初から彼女に「自分はこういう人間だ」というのを提示していたし、ずっと提示し続けてきた。
今まで、「自分が誰よりも自分のことをわかっている」と自負していたけれど、彼女とお付き合いをするようになってからは「彼女が誰よりも自分のことをわかってくれている」と思うようになった。
実際そうだった。
誰と何を語ろうとも、新しい自分なんて今まで発見できなかったのに、彼女と話すと、どんどん新しい自分を発見した。
誰に「こんな話、あなたとしかしたことない」と言われても、私からすれば当たり前に他の人ともしている話で、いつも「またこの反応か。やっぱそう思うよね」と内心冷めていた。
でも彼女と話すと斜め上の回答が返ってきたり、私から学習した部分が大きいからか、私が本で学んだ知識を再認識させられたりと、ハッとさせられることが多かった。
だから次第に、なにかあると彼女の考えを聞きたいと思うようになった。
なんでもかんでも彼女に話した。
いつも彼女は真剣に考えてくれて、答えてくれた。
そしてその回答に私は喜びと楽しさを感じ、「なるほど、そう思うのか」と、それこそ、価値観のすり合わせを日常的に行っていたように思う。

映画で、菅田将暉が「自分の目標はあなたと一緒に、こうしてずっと楽しく暮らすこと。現状維持が目標だ」と言った。
現状維持を目標とすると、いつだって物事は上手くいかなくなる。
目標は少し高いくらいじゃないと、意外と現状維持というのはできないものなのだと、何かで読んだ。
少し高い目標にして、初めて現状維持ができるのだと。
そうじゃないと、現状維持しているつもりが、気づいたら水準が落ちてしまうのだと。

その言葉を信じていた私は、常に努力していた。
彼女の置かれている状況や気持ちを常に理解しようとしたし、臨機応変に彼女に合わせて生きてきた。
…それが、ダメだったのだろうか?とも思ったりした。
でも、たぶん、そうしなければ、私達はもっとずっと前に別れていたような気もした。
“彼女に合わせて”と言っても、もちろん、自分のしたいことだってやっていた。
友達とも遊ぶし、家族とも会ったし、仕事もちゃんとしていたし、趣味だって楽しんでいた。
全てを彼女に捧げていた感覚はなかった。
ただ、一生一緒に生きていくための努力は、怠りたくなかった。
なにか問題が発生したら、その都度話し合ったし、その都度、お互いに修正してきた。

…でも、いつの日からか、彼女が、向き合いたくないというような態度を取るようになった。
彼女は不器用で、たぶん人よりエネルギー量が少なくて…いや、不器用だからこそエネルギーの消費が激しいのか…まあ、それで、仕事も辛いことがあったりすると、それでさらに消耗して…だから…向き合うのってすごくエネルギーを使うことだから、たぶん、それで、向き合いたくないって…疲れたって…思っちゃったんだろうなと思う。
そこから、ガタガタと私達の関係は崩れ始めたように思う。

私がどんなに向き合おうとしても、彼女は疲れ切っていて、たとえ話し合ったとしても、それはいつも上辺だけの話し合いになってしまった。
話し合った時は、私は、お互いの理解が深まったと思っていたんだけれど、彼女はきっと、話し合ったことを覚えていられなくて、結局話し合う前となんら変わらなくて、そして私はパニックを起こした。
「え!?あの話し合いはなんだったの!?問題を解決するために話し合って、お互いにそれでいこうってなったはずなのに、私もその方針で動いているのに、なんで前と同じなの!?」って何度も彼女に思った。
そういうことがどんどん増えていって、次第に私は諦めるようになった。
話し合っても意味がない。
向き合っても意味がない。
どんなにお互いの中間地点を探ろうとしても、たとえ中間地点を見つけられたとしても、彼女には行動を変えるだけの気力は残っていなくて、結局何も変わらない。

それでも、いつか彼女が仕事に慣れたら少しは良くなるかな…とか考えて、ずっと待ってた。
1年とか2年とか、ずっと待ってた。
でも、それでも彼女は変わらなかった。
二人で「しよう」としていた約束を平気で破ったし……いや、もう、彼女を責めるのも飽いた。
責めたって仕方ない。
彼女だって、彼女なりに精一杯努力してくれていた。
それはちゃんと私にも伝わっていた。
彼女が感じているつらさも、いつも感じていた。

私は彼女を責めすぎたのだろうか。
私は…現状維持するための努力をしすぎたのだろうか。
映画の中の菅田将暉は、二人の生活を維持するために嫌な仕事を頑張っていた。
仕事を頑張るということは、二人の時間が減るということで、二人の関係が悪化することは火を見るより明らかだ。
もし二人の関係を維持していきたいなら、仕事へのエネルギー量を減らして、二人の関係維持にエネルギーを多めに割かなければならない。
人のエネルギーの総量は決まっているから、増えることは決してないから、家族関係(恋人関係)を良くするために少し仕事で手抜きをするとか、そうやってエネルギー量の調整をしなければならない。
その配分が上手くいかないと、なかなか上手くいかないのかなと思った。

私はなぜだか最初からそれを理解していて、初めの頃は「仕事がつらい」と言う彼女のサポート役に徹して、彼女の仕事が落ち着き始めた頃から徐々に自分の仕事に対するエネルギー量を増やし、彼女へのエネルギー量を減らしていった。
もちろん、仕事に偏りすぎないように懸命にバランスを取るようにはしていた。
でも、彼女にはそれができなかったし、理解できなかった。
私がサポートに対するエネルギー量を減らしたら、彼女は「寂しい」と何度も言った。
「でもそろそろ私も仕事に本腰入れないとまずいんだよ」と説明しても、彼女は「寂しい」と言い続けた。

言い訳かもしれないが、彼女との関係維持の努力を怠った記憶は私にはない。
毎日「可愛い」やら「好き」やら愛情表現は欠かさなかったし、デートや旅行をする時にはちゃんと計画を立てたり、道順を調べたりしてエスコートしたし、記念日や誕生日、ハロウィンやクリスマス、バレンタイン…そういった類のイベント事は全部ちゃんとやってきた。
プレゼントにはいつも手紙を添えた。
たとえ私が家で仕事をしている最中でも、彼女が帰ってきたら中断して、いつも玄関でお出迎えした。
時には駅まで迎えに行っていたこともある。
彼女が実家に帰る時には、いつもキャリーケースを持って一緒に電車に乗って、お見送りできるギリギリのところまで付き添った。
彼女は寝ている最中、布団を剥いでしまうから、それでいつも風邪を引いてしまうから、眠りの浅い私はいつも彼女に布団をかけていた。
彼女が何かをしてくれたら必ず「ありがとう」を言うようにしていたし、なるべくそれに加えて褒めるようにした。
そういうことは、絶対に二人の関係を維持していくのに必要だと思っていたから、それだけは欠かさず続けていた。
家事だって、私のほうが多く負担している。
仕事に対するエネルギー量を増やすと言っても、それだけやっていれば、良い恋人なんじゃないの…?何が不満なの…?と、イライラした。
ネットで見る“良い恋人”の条件以上のことをやっているつもりだったけれど、「寂しい」と言い続けた彼女にイライラしたし、なんで理解してくれないんだと彼女に怒りをぶつけたこともあった。

っていうか、怒りすぎて、SNSに書きまくった。
最低だ。
この記事を書いてることだって最低なのかもしれない。
でも自分としては、意味合いが違う。
当時SNSにバーッと書き記していたことは、どれだけ話しても彼女に伝わらなくて、話すことが無意味に思えてきて、行く宛のない怒りをそこにぶつけていた。
でもこの記事は…『花束みたいな恋をした』を見た感想であり、あの映画と自分の状況を重ねた結果、自分を客観的に見ようとする作業だ。
彼女は言っていた。
「SNSに書かれることが、傷つく」と。
「じゃあ、言っても伝わらないのにどうすればいいの?」と、私は酷い言葉を投げかけた。

たぶん、私がそうやって怒ったから、彼女は自立しようと考えたんだ。
私に依存しないように新しい友人作りに励み、仕事も取り組み方を変えた。頻繁に実家にも帰るようになった。
喧嘩して、不本意に傷つけ合って、私が仕事を放棄するまでに至ったから…彼女は、責任を感じたのかもしれない。
そうしたら急に「ひとりの時間がほしい」と言い始めた。
私は全く理解できなかった。
あれだけ寂しいと言われたから仕事を放棄したというのに、急な方向転換。しかも真逆の。
「仕事を放棄して、全エネルギーを投入してあげたら満足して、今度はひとりの時間がほしいと言うの…?」と、心の中がぐちゃぐちゃになった。
ちなみにこれを、心理学ではダブルバインドと言う。
(ダブルバインドとは、二つの矛盾した要求や情報を受け取ることで、どちらの選択肢を選んでも罪悪感や不安感をおぼえるような心理的ストレスのある状態のこと)

さらに不運なことに、彼女はエネルギー量の調整が全く上手にできなかった。
…それは出会った当初からだったから、彼女の短所として理解はしていたんだけれど、関係に溝が生まれると、これがまた…相性が最悪だ。
彼女は愛情表現をしなくなり、私に感謝もしなくなり、何か遊びに誘っても「疲れた」と言い、デートすることが減った。
家事はかなりやってくれるようになったけれど、二人で一緒にいるのに、イヤホンをつけるようになった。
そして私の根っこにある酷い考えが顔を出す。
「私はエネルギー量を調整してやってきたのに、なんであなたはそれができないの!?なんでしようともしないの!?」になってしまう。
こうなるともう、悪循環にハマってしまって、抜け出せなくなる。

私はいつも器用で、できない人の気持ちが、本当の意味では理解できない。
昔、ある人に言われたことがあるんだ。
「あなたにはそれができるかもしれないけど、私にはできないの」って。
当時の私は、「こうすればできるじゃん!!なんでみんなしないの!?」という怒りみたいなものに溢れていたから、そう言われてグサリと何かが刺さった。
当時は自己肯定感が低く、自分が底辺だと思っていた。
だからこそ、「なんで私でもできることが、他の人にはできないの!?なんで少しも努力しようと思わないの!?ちょっと頑張ればできることじゃん!私より恵まれてるんだから、できるじゃん!?」って強く強く思っていた。
たぶん、今もそういうとこ、ある。
根は、たぶん自己責任論者で、なんとか力ずくでその考えを否定しているような人間性の持ち主なのだ。
だからこそ、彼女が努力しているのを頭ではわかっていても、「なんでできないんだ!?」と歯をギリギリさせた。
きっとその態度が、彼女を余計追い詰めたのだろう。
隠そうとしても隠しきれない態度が。

映画の中で、まさに似たような喧嘩が勃発していた。
有村架純が「ゲームする?」と誘っても、菅田将暉は「今は、いいや。でも大音量でやっていいよ」と言ってイヤホンをつけて仕事を始めてしまった。
「うわあ…」ってなった。
ホント「うわあ…」だ。

価値観のすり合わせ…精一杯してきた。
たぶん、他の人より、めちゃくちゃしてきた。
だって私、「こんな話、あなたとしかしたことない」とかよく言われちゃうような人間だよ?
価値観のすり合わせ、しないわけないじゃん。
結果、これだ。
現状、結果は、映画と同じなの。
たぶん、話し合いの場面が映画では多くは描かれていないけれど、二人の会話から「二人はそれなりに話し合いをしてきたんだろうな」と伺い知れた。
だから問題は、価値観のすり合わせの無さではないような気がする。

話を最初に戻そう。
映画と私達とで一番違う点は、私が死にたがっていることだ。
「彼女と一生一緒に生きていけないなら、死にたい」と思っていること。
メンヘラだな~と自分でも思う。
…私は、たぶん、自分のエネルギーを使い切る癖があるの。
なにしろ、虐待していた親に、最終的に尊敬されるまでに至っている。
そうあれるって…たぶん、すごいことなんだと思う。
いとこのほうが優秀だと、散々差別してきた祖父母にすら、尊敬されている。
「あなたは本当にすごい子だから。一番信頼してるから」とか、訳わからんことまで言われている。
最終的にそうあれるって、たぶん、少数派なんだと思う。
就活の時に、「絶対に入れないから受けないほうがいい」と就活を応援する立場の人間から耳にタコができるほど言われたけれど、結果受かってしまった。
それも、人事の人が私を気に入ってくれて、最終的に副社長がめちゃくちゃ気に入ってくれたからだと思う。
それも、たぶん、私が就活に注ぐエネルギー量が一時的に跳ね上がったからなんだよね。

私は基本的に面倒くさがりなんだけれど、一回覚悟決めると凄まじい集中力を発揮する本当に面倒な性格の人間で。
「2週間、瞳孔開きっぱなしだけど、大丈夫?」って聞かれたこともあるくらいなのだ。
そう言われた時は、「よくそんなに見てるな!?」と驚いたけれど…まあ、とにかく、一回本気で決めたら、そこに向かって全集中するわけ。
全集中するってことは、全エネルギーを注ぐってことで。
まあ、当然、全ての事柄に対して全集中してたら命がもたないから、普段の面倒くさがりでバランス取ってるんだろうなと思ってる。
で、長期間にわたって全集中したのなんて、受験の時と、虐待克服の時と、彼女との生活だけなのよ。
就活は割と楽しくやってたし。
趣味はそんなに長期間は全集中できない。
たとえば『いたずらはため息と共に』も全集中していた期間はあるけれど、せいぜい1ヶ月か2ヶ月くらいだ。
あとはゆるゆるとやっていた。
頻繁に「書けなくなりそう」と言っていたのはそのためだ。
(1ヶ月でもかなり長いほう。大抵は三日坊主になる)

で、全集中した結果、上手くいかなかったのは、彼女との生活だけなの。
大学受験は、志望大学には合格できたし(理由があって結局入学させてもらえなかったけど)。
その時も、落ち込みすぎて2週間で10キロ痩せたんだよね(笑)
マジで棒人間みたいになった😂
まあでも、私は早くアルバイトをして、自由になることが目標だったから、最終的に大学はどこでも良かったんだよね。
だから、大学生にさえなれれば良かったの(笑)
そうやって思考を切り替えて、なんとか復活した。

でも今回は…今回の目標は…どうしても相手がいることだから…難しい…。
いや、虐待克服だって、親という“相手がいること”になるんだけれども…。
んー、虐待と違うのは、心の持ちようというか…。
私は、親に謝られたところで、許せはしない。
親が改心したところで、許せはしない。
決して許せないし、許す必要もないことを知っている。
だって例えば人を殺して、加害者がどれだけ心から反省したところで、死んだ人間は返ってこないわけで。
だからこそ被害者遺族は加害者を許さなくていいわけで。一生許す必要なんか一切ないわけで。
それと同じで、虐待も、虐待行為そのものを許す必要なんかさらさらなくて。
誰になんと言われようと、自分がしてしまった加害行為は自分で背負っていくものなはずで。
被害者は、自分のために、許したいなら許せばいいわけで。
人にあーだこーだ言われる筋合いは全くなくて。
あー…説明が難しい。

虐待克服って…虐待されたことを忘れられたわけじゃないし、いつまでも傷は残ってるし、許せないけど、それでも、虐待されていた過去を受け止めることだと、私は思っている。
「自分にはこういう過去がある」って受け止めること。
親もつらかったから仕方なかったとか、自分が反抗的だったから親もついカッとなってしまったんだろうとか、そういうの全部取っ払って、全部抜きにして、考えないで、ただ「自分にはこういう過去がある」って受け止める行為。
それを…私のなかでは“克服”と言っている。
親から虐待されてたって思えない、思いたくない人って案外世の中にたくさんいて、それは逃避行動なんだよね。
臭いものに蓋をしている状態というか…。
一方で、克服過程にありがちだけど、めちゃくちゃ親を恨むっていう行為もあって、そこで止まっちゃう人もいる。
めっちゃくちゃ親を恨んで恨んで恨んで恨んで、起きる悪いこと全部親のせいにして…みたいな。
そういう時期、克服過程では多々あると思うんだけれど、その過程も終わって…ただ受け止めるの。
だから“相手がいること”のようで、ちょっと違いもする。
自分の心の持ちようだから。

で、まあ、その虐待克服過程ですらも、私は何度も自殺企図・未遂してるわけ。
でも、その時は…んー…なんか…こう…今とは違う苦しさで。
あの時は…希望があったの。
なんか、訳わからん根拠のない自信みたいなものがあったの。
「1回でいいから、心の底から幸せだって思いたい」っていう、でっかい夢があったの。それが希望だった。
で、絶対感じられるって、なぜか自信があったの。
っていうか、それを感じるために虐待克服したの。
順番が逆だった。
虐待克服したいと思ったわけじゃなくて、幸せを感じられるようになるために最初に虐待克服をしたの。
虐待克服しなきゃ、何も感じられない、心が無のままで、何をやっても意味がない、という謎の自信があったの。

彼女と出会う前、既に私はかなり満足度の高い幸せを感じられていたのよ。
“愛”というピースが足りない状態で、それが足りないからって不幸せなんてことはないでしょ?
素晴らしい友情が育めればそれは愛に代われるし、仕事や趣味に没頭できればそれも愛に代われる。
世の中には、初音ミク(キャラクター)と結婚する人だっているわけで。
熟年離婚した妻は解放されてものすごく生き生きするなんて、よく聞く話だし。
1人が必ずしも寂しいとか、不幸とか、そんな話にはならないはず。

…でも、出会ってしまったんだな。
そして、幸か不幸か“幸せの絶頂”を体験してしまったわけだ。
絶頂ってことは、そこからはもう、下り坂。
でも絶頂にいる時はそんなこと思えないんだよね。
まさか下り坂がくるなんてさ?
…いや、多少はあるってわかってるよ?
喧嘩もするだろうし、泣く日もあるだろう。
でもさ、まさか別れることになるとまでは思わないじゃん。

別れる人と、別れない人の差はなんだろう?
前に、結婚や子どもが1つの防波堤になると書いたことがあった。
もちろん、あくまで防波堤なので、防波堤が耐えられないほどの津波がきたら、意味がない。
じゃあ防波堤の存在は必要ないか?って言ったら、違うでしょ?
恋愛結婚の場合、多くの人は幸せの絶頂で結婚をする。
1年か2年経ったら子どもが出来て、子育てをする。
あるいは、子どもができにくかったら妊活をしたりもするわけだ。
そこで共同作業が始まる。
共同作業っていうのは関係維持をするのに結構大事で、そこでどちらか一方が非協力的だと破綻する可能性が跳ね上がる。
だからこそ、熟年離婚する夫婦が増えているのだ。
今まで夫が非協力的だったことに恨みつらみを募らせていた妻から別れを切り出されてしまう…みたいな。

昔はね、SNSがなかった時代…専業主婦が当たり前だった時代は、みんな似たような感じで、子育てに協力的な旦那さんの方が珍しかったからこそ、みんな耐えられていたんじゃないかなって思うんだよ。
井戸端会議で夫の愚痴をみんなで言って憂さ晴らししてさ。
あくまで想像だけど。
だけど今は、消費税も上がり社会保険料も上がり、スマホ代やらなんやら、生活必需品が増え、お金が昔よりもかかってる。
一方で、給料は上がらん。
上がっても、全部税金で持っていかれて、結局上がってない。
そうすると、共働きしなきゃいけなくなる。
共働きの上に、子育てに非協力的な旦那を目の前にしたら、喧嘩も増えるだろうよ。離婚もしたくなるだろうよ。

さらにSNSで、キラキラな生活だけが切り取られた写真やら動画やらがアップされまくってる。
人間は嫌でも人と比較してしまう生き物なのに、さらに比較しやすい社会構造になってしまっている。
もちろん、比較するってことはメリットもあるから、一概に悪いこととは言えない。
けれど、こと不幸を感じている場合においては、厄介だ。
隣の芝生は青い。
どんどん比較して、情けなく感じ、比較してしまう自分に嫌悪し、虚しくなる。
そうするとさ、不満が噴出するわけだ。
なんで他の家の旦那さんは育児や家事に積極的で、協力的なのに、私の夫は違うんだー!?って、そりゃなるよね。
で、例えばどんなに話し合いを設けても暖簾に腕押しだったら、離婚したくなる…よね?
まあ、もちろんね、逆のパターンもあると思う。

いつか流行った漫画原作のドラマ…夫婦がレスになって不倫するって話だったんだけど。
チラッとしか見てないから、ちょっと曖昧なんだけれど…なんか妊活しているのに旦那さんが非協力的で、挙げ句「そんなヤりたいの?」みたいなことを奥さんに言っちゃうんだよね。
それは結局離婚したんだったよね。
なんか、エッセイ漫画とか好きで、よく読むんだけど、結構あるあるな話みたいで。
アンケート調査では、女性が拒否してレスになる割合が多いらしく、そのドラマが流行るまでは世間一般でもそのイメージが強かった印象。
だけど、男性が拒否するパターンってことで、すごく話題になったドラマだったんだよね。

あーあ、また1万字超えてるわ。
ここまで読んでくれている人はいるのでしょうか(笑)
まあ、日記だから、読まれなくてもいいんだけど。
話が少し逸れてきたかな…。

まあ、つまり何が言いたいかって、共同作業が上手くできないと、別れにつながるんじゃないかってことで。
でもさー、同性だと、共同作業って何になるん?(笑)
世の中にはさ?子どもを生まない選択をしている夫婦もいるわけじゃん?
見てると、趣味が共通なことが多い。
共通の趣味がない場合は…んー…なんか…方向性が一緒なのかな?
こう…お互いに仕事頑張りたい派みたいな。
そういう価値観が合ってなきゃやってらんないよね?たぶん。

私、彼女にいろいろ聞くんだけれど、彼女の価値観が最近、よくわかんないんだよね。
本人も「わかんない」って言うから、そりゃ私なんてもっとわかんないんだけど。
私は一貫して「専業主婦にはなりたくない!自分で稼いで自立してたい!専業主婦やれって言われるくらいなら絶対結婚なんかしない!家事も面倒だから、できれば家事代行とか派遣したい!子どもは産みたくない!」派なんだよ。
それは本当に、幼稚園児の時から変わんないの。
結婚するつもりなんて微塵もなかったから、将来の夢は金稼いで、家事代行サービス使ったり、専門のサービスに私に似合うファッションを提供してもらったりして生活することが夢だったの。
それで、50才くらいで死ぬ。
どんな将来の夢よ(笑)
で…そんな私がね、彼女とは結婚したいって思ったんだよね。

彼女はね、専業主婦になりたいって言ってたの。
私はそれに対して「それは良いけど、私達は現状結婚できないわけだから、私が死んだら生きていけなくなっちゃうだろうから、派遣でもバイトでもなんでもいいから、働き続けた方がいいとは思うよ?」って言い続けてたの。
いざって時に正社員に戻れるように。
(ちなみに、将来的に男性と結婚したいということか?という話し合いはちゃんとした)
遺産だって、親が生きてる状態でもし私が死んだら、公正証書を残していても、親が遺留分を請求したら全額は彼女にあげられないわけで。
それでね、でもね、一応私の「自分で稼ぐ!」って夢と、彼女の「専業主婦になりたい」って夢が合致してたからね、私は、「私が死んだとしても彼女が働かなくても生きていけるだけのお金を稼ぐとしますか」と、覚悟を決めたわけ。

だけど、諸々を経て、彼女が本当に専業主婦になりたいのか、わかんなくなっちゃった。
私の仕事が成功しても喜ばなかったし、結局家事の負担の割合は私のほうが大きい。
子どもについては、里親とかになれたらいいねって話はしてたのよ。
里親が厳しくても、せめて、何か、そういう…なんか、困ってる子どもの手助けができるようなことを二人でできたらいいねって。
でももうそんな話、一切出なくなった。

私は、目標がないと動けない人間で。
それをちゃんと彼女にも伝えてある。
だけど、今、二人で決めたはずの目標がぐっちゃぐちゃになっている。
さらに溝も深く生まれ、壊滅状態だ。
それを整理しようとたくさん話しかけるんだけど、彼女には向き合う気力が残っていなさそうで。
ここまでぐちゃぐちゃになったら、もう戻せないのかなって思ったりして。
そして私は別れを切り出した。

なんかさ、『花束みたいな恋をした』の最後、お互いに新しい恋人がいるシーンが描かれているんだけど、やっぱり新しい恋人とは全く噛み合っていない感じがすごいというか…。
ファミレスで別れを切り出した時、菅田将暉が「やっぱり結婚しよう」って言うんだよ。
それに対して有村架純が「人生こんなもんかーって思いながら過ごすの?」って聞いたら、菅田将暉が頷く。
「子ども1人か2人とみんなで手繋いで、パパ・ママって言ってさ」って。
でも有村架純はそれが嫌だった。
だから結婚せずに別れた。
なんか、どっちの気持ちもわかって、「ん゛ん゛ん゛ん゛~!!!」ってなって(笑)
でも結局さ?新しい恋人とも「こんなもんかー」ってなってるんじゃない?って思ったんだよ。
だとするなら、菅田将暉と「こんなもんかー」ってしてた方が良かったんじゃない?って思うんだよ。

わかるんだよ。
わかるの。
1つ前のページにも書いた気がするけど、彼女と別れて、この先他の人と付き合ったとしても、たぶんそれも上手くいかない。
私は…世界で一番信じていた相手を、既に心の底からは信じられなくなってしまっている。
元々人を信じる力がすごく弱いのに、なんとか身につけた能力が、ほとんどなくなってしまった。
そんな状態で、なんとなーく二人で過ごしていく?
寂しさも虚しさも、全部心の中に押し込めて?
それは…嫌だ…。
でも…死ぬ気で努力したら、本当に死にたくなっちゃうことも知ってるの、私は。
だから、なんとなーく生きることが、すごく良いことだとも、思えてる。
傷ついた言葉とか、守ってくれなかった約束とか、そういうの全部見なかったふりして、まるで「そんな傷はなかった」とでも言うかのように全部に蓋して、逃避して、生きることも、大事だと思うの。

みんながみんな、エネルギー全部使い切って上手くコントロールしながら生きていけるわけじゃない。
私だって、ずっと綱渡りみたいな状態だった。
命懸けて頑張んなくていい。
失敗したら、本当に死んでしまうから。

幸いなことに、彼女はまだ私を好きだと言ってくれている。
前ほどは全然言ってくれなくなったけれど。
泣きながら「愛してるよ」と伝えてくれた日のことが、脳裏にこびりついて離れない。
…まだやり直せる?
自問自答を1日中繰り返す。

「彼女と別れて、死ぬんだ!」って思ったら、私、すごく気が楽になったんだ。
本気で死ぬつもりで、予行練習までした。
「これなら確実だろう」と、いろんな準備もした。
言うつもりなんかなかったのに、予行練習で使った物を彼女に発見されてしまった。
結局、言わざるを得なくなった。

それにね、「死のう」と思う日に限って仕事がすごく上手くいくの。
馬鹿らしい。なんのいたずらだ。
まるで「生きろ」って言われているみたいにさ。
仕事が上手くいかなかったら、そのまま決行できるのに。
「なんで上手くいくんだよー…なんでだよー…」って項垂れた。
それで、死ぬのに邪魔だから、ここ数日、また仕事をするのをやめた。

映画で、友人のセリフで「1回別れが頭によぎると、カサブタを剥がしたくなるみたいに、そっちにいっちゃう」ってあって「結婚を考えたこともあったんだけどね」って言ってて…。
なるほど、たしかに。1回思えば、人間はそうなるための理由探しに走る。
私は知っていた。
虐待克服のために、たくさんの本を読んできたから。
「私は人から嫌われる人間だ」と思えば、嫌われる理由を探す。
そしてあたかも冷静であるかのように装って「ほらね、やっぱり」って人間は思うの。
でもそれは結構勘違いなことが多くて、実は全く嫌われていないのが現実だったりもする。
嫌われていなかったのに、「嫌われている」と思うことにより攻撃的になり、本当に嫌われてしまうってこともある。
あーあ、生きるって難しい。

なんかさ。
私、努力しすぎたのかなって思うんだよ。
映画で、主人公二人の心情が描かれていて、それとほとんど全く同じことを私もずっと思ってるの、ここ1、2年。
どっちの気持ちも思ってるの(笑)
どっちか一方の気持ちがわかるんじゃなくて、どっちの気持ちもめちゃくちゃわかって、めちゃくちゃ思ったの。
でもだからって、主人公二人と性格が似てるかって言ったら、似てないのよ。
似てるようで、似てない。
全然似てない。
私は空気読んで自分が行きたくないところに行ったりはしないし、自分が行くはずだった予定をナシにしてまで道端で出会った知り合いとご飯には行かない。
終電に乗り遅れたら、私は歩いて帰る(笑)
ネカフェで寝たりはしない。
例え電車で1時間以上の距離に家があったのだとしても、歩いて帰る。
それでどれだけの人に心配させたことか(笑)
案外、夜道を歩くのは嫌いじゃない。
途中でコンビニ寄っておやつ買ったりしてさ。
ぷらぷら歩くの。
だんだんと朝日がのぼってきて、空が明るくなっていく。
始発が動き始めたら、電車に乗る。

もし相手がミイラを見て喜んで引いたら、引いた気持ちを隠してまでそれにノッたりはしない。
まあ、そもそも誰が何を好きでも、ほとんど引いたことなんてないけど。(犯罪以外)
たぶん、私、あんまり相手に興味がなくて、話を聞いてもいつも「ふーん」なんだよね。
真剣に聞いてるんだよ?話だって覚えてるし。
でもよくみんなに「興味ないでしょ?」って言われてしまう。
「あるある!」って慌てて話されたことを言って「ほら?ちゃんと聞いてるでしょ?」って言うと、なんとか信じてもらえる?んだけど。
ちゃんと内容覚えてるし、いつか自分がもしかしたら好きになるかもしれないから、ちゃんと話も聞いてる。
でも、基本姿勢が「ふーん」なの。
ん?話を聞いてることと、興味があることは別か…?

でもなんか、怖いんだよね。人の好きな物に踏み込むのって。
好きってことは、こだわりがあるってことだろうから、それに対して無知な自分が何かを言うっていうのはなんか違う気がして。
もし自分も同じ物が好きだったとしても、好きなポイントがズレてると、言い方を間違えると大事故になりかねない。
人の好きは“ふんふん”と聞いとくのがベストだと思っている。

あとは、誰かに呼び出されたから急遽参加…なんてことも絶対しない。
「え、ごめん、急には厳しいわ。1ヶ月前予約でお願いします」って言う。
…それは、なんだろう。自分からあまり人を好きにならないからそうなるのかな😂
なんか、最初、菅田将暉は気になってるっぽい人からたぶん急に連絡が来て、なんか知らない集まりに参加したんだったよね?ちょっとうろ覚えだけど。

あと、後半の伏線になってる、二人で言う愚痴も、考え方が全然違う。
有村架純が圧迫面接を受けて「偉い人なんだから仕方ないよ」って言うんだけど、それに対して「偉い人かもしれないけど、関係ないよ。きっとその人は◯◯を読んでも感動しない人だね」みたいなことを菅田将暉が言うんだよ。
その、何度も言う“偉い人”っていうのが、私からすれば違和感がすごくて。
なーんか、たぶん、もう性格なんだと思うんだけど、私は昔から超上から目線だったらしくて。
まあ、それで親からも「生意気だ」とか「反抗的だ」とかで暴力振るわれてたんだけど。
基本、「人はみんな殴れば死ぬただの人間」だと思っていて。
年上だからとか、そういうの全然人間性に関係ないし。
年下でも物事を深く考えられる人は尊敬するし、行動力のある人も尊敬する。
年上でも物事を深く考えられない人は軽く見るし、幼いなって思う。
もちろん、年上だからこそ経験してきたことを教えてもらうことは嬉しい。
私は結構、人の過去の話を聞くのが好きだから、話してくれるなら喜んで聞く。
そして自分に活かす。

話が逸れた。
その“偉い人”っていうワードが、後半の喧嘩にも出てくるわけよ。
…んー、上手く言葉に言い表せないんだけど、なんか…んー…難しい…。
その…行きたくないのに行くとか、そういう行動にも表れていると思うんだけど、自分の芯がないというか…。
自分を低く見積もりすぎているというか…。
二人とも、何を一番大事にしたいのかがハッキリしていなくて。
そこが肝なのかなあと思った。
…そうか。そうか。うん。
彼女も、そうだ。私からしてみれば、何を一番大事にしたいのかがわからない。
働くとさ、そういうのってわからなくなっちゃうのかなあ?
私は、わからなくなったことなんてないから、わからない人の気持ちがわからないんだよな。

何がそうさせてるんだろう?

私もさ、就活の時、圧迫面接に近い、嫌な面接を受けたことが2回あるの。
でもさ、逆に「あ~、面接の段階でクソな会社だって知れて良かった」って思ったのよ(笑)
一社に対しては「そんなんだからいつまでも会社が大きくなんないんだよ」って内心唾吐いてたし、もう一社に対しては「一生この会社の製品使わねえからな」って思った。
「面接で良い顔されて、入ってからブラックでした」ってなるより、最初からダメな会社ってわかって良かった!って思ったんだよね。
就活の相談とか結構されたけど、親しい間柄で、その人の性格知ってたら、私は毎回「むしろあなたを雇わない会社なんて才能を見抜く力がないんだから、落ちたっていいんだよ」と言っていた(笑)
最初はみんな「えー!?どういうこと!?」ってなるけど「だから、あなたは◯◯で◯◯で◯◯で、良いところたくさんあるんだから、そういう人を雇わないっていうのは、そもそも経営者(人事部)として人を見る目が全くないってことなんだって。私が経営者だったら雇いたいもん」とか言ってるうちに、だんだんみんなの顔が明るくなっていく。
「就活相談の人になったほうがいいよ」と言われたのは嬉しかったな。

私は、前にも書いた気がするけど、親が話を聞いてくれないタイプだったから、自分の意見を聞いてもらえる場があるなら、楽しんで話そう!って気持ちで就活したの。
あと、会社説明会とかって、自分の知らない世界をたくさん知れて楽しいなって思った。
興味なかった分野でも、「ああ、こんな風に、こんなことしてるんだ…!」って知れて、楽しかった。
説明してくれた人事の人と、めちゃくちゃ話が盛り上がって1時間以上マンツーマンで話したこともあったし。
もはや工場見学並みに説明を受けていた(笑)
会社の仕事内容にすごい誇りを持ってるんだなって伝わってきて、あれは良い会社だったな~。
既に第一志望の会社に受かってたから、面接受ける気もなかったんだけど、転職先探しをしていたんだよね。
受かった会社がもしブラックだったら、ここに転職しようって思ったくらい良い会社だった…!
結局しなかったけどね。
だから、こう…なんか、映画の主人公達は、偉い人?に対して、すごく…縮こまっちゃう人達なんだなあって思って。
私にはその“偉い人”がよくわからない。

ってか、私ってなんでこんなにポジティブなのにメンヘラなの?
本当に自分で意味がわからないんだけど。
ポジメンヘラって名付けよう、そうしよう。

あ…だから…。
映画の二人は、何を一番大事にしたいのか、たぶん本人達もちゃんとハッキリしていなくて。軸がブレブレで。
大事にしたいものはあるのに、その大事に仕方がわからないんだろうな…と。
まあ、そんなもん簡単にわかったら苦労しないんだけど。
ん~…!!!
なんか、全然まとまんない…!!!
なんか、糸口が掴めそうで掴めない…!!!
すごくモヤモヤする…!!!

ああ…そうか…。
そうか、そうか。
こういう時、私は彼女と語らいたいと思うのだ。
最近、全然そう思えてなくて、なんか、こう、寂しさばかりに心が支配されて、視野が狭くなってたなってのは、この間感じたのよ。
なんか「どうせ話してもな…」みたいな。
「疲れてるだろうから、話したくないよな…」みたいな。
そういう気持ちが強くて。
…まあ、実際、「疲れてる」と言われてしまったこともあるし。

もう1回、映画見てみようかなあ。
そしたら何か掴めるかな。
…でもなんか、なんか、菅田将暉のキャラクターを見ていて、頑張りすぎなんだなって、それは、すごく思った。
昨日も、トイレでボーッと座ってる時、思ったのよ。
で、映画見て、やっぱりそうかなって思ったの。
なんか…責任を、全部背負い込もうとしちゃうっていうか。
これもしなきゃ、あれもしなきゃ…みたいになったり。
これしたら喜んでくれるんだろうな、あれしたら彼女が楽になるんだろうなって考えて、いろいろやりすぎちゃうの、たぶん。
たぶん、やんなくていいの。
つい、喜んでほしいって思って頑張っちゃうけど、たぶん、そこまでしなくていいの。
だって彼女だって大人なんだから。

なんか…こう…つい、守ってあげなきゃって、すごい思ってしまって…。
過剰なんだよな…!
菅田将暉だって、後輩だか同僚だかに言われたように、こう、逃げるって考えを持てれば良かったんだよな…!
んで、本当に私、命懸けすぎ…!!!
だから上手くいかないと死にたくなるんだよ。
でもさー、それ以外の頑張り方がわかんないんだよ。

仕事でも家庭でも成功を手に入れられる人は、本当に少ないんだって。
アメリカでの100年近くにおよぶ研究でわかったんだってさ。
大抵はどっちかしか手に入らないんだって。
難しいもんだなあ。

実は、頑張らなくてもいいのかな。
実はさ、頑張らなくても仕事できるのかな。
やりがいとか達成感とかなくても…?
「なんのためにお金稼いでるんだろう?」って思っても…?
「なんで生きてるんだろう?」って思っても…?

あー、どうすればいいかわからないよ。

※一度公開して、その後非公開にして、また公開にしたので、公開日は正確ではなく、この記事を公開したのは、おそらく8月頃です。
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