王冠にかける恋【完結】

毬谷

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第八章

きっかけ

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真加は多分、今天風の中で一番幸福な生徒であるという自負があった。
「この『たり』は上が連体形だから断定の意味になるよね。だから…」
「ああ、『ウ』?」
「そう」
右隣にいる景が丁寧に古典の解説をする。
最初は向かい合っていたはずなのに、いつのまにか見えにくいからと隣に来ていた。
景の誘いをテストが近いからと断ったところ、こんなことになった。
彼のだだっ広い自室のダイニングセットにテキストを広げてテスト勉強をするのは贅沢なことである。
にしても景は教えるのにもそつがない。どの教科も一定の習熟度に達しているらしく、聞けば何でも教えてくれた。
そういえば、ハルのときは色んなジャンルの本を満遍なく読んでいた。教科としては数学や物理などが好きらしい。
景が一時間勉強したら休憩しよう、と区切っていたので、真加も集中することができた。
「そういえば、」
15分の休憩になったので真加は口を開く。
「ん?」
「初めて会った時、なんでハルって言ったの?」
景はいつも通り背筋を伸ばしたままこちらを見る。
あの時、景は名乗りたくないと言って、真加があだ名だけでも、と譲歩すると、ハルと言った。どうしてそう言ったのか、今の今まで聞いていなかった。
特に気にしていなかったが、急に興味が湧いた。
「あー…」
景はなんだかきまりが悪そうに言葉を濁す。
「あのとき、真加にまさか呼び止められると思ってなくて…」
「悪かったな、無遠慮で」
「そんなことはないよ」
なんてまっすぐな瞳なんだ。景は続けた。
「ただ、名前を聞かれて、今思えば本名を言えばよかったんだろうけど…」
「ごめん、信じなかったかも。あの時の景、頭ボサボサだったし」
真加はハルの身元不詳なところに魅力を感じたわけで、そこで正直になられてそれを信じたとしてもそれっきりになっていたかもしれない。
「バレないための格好だからね。だから咄嗟に…まあ、あの時季節が春だったからってだけだね」
少し恥ずかしそうに景はボソリと言った。
「思ったより安直だったんだ」
人間臭さを感じてかわいいなと思ったがそれは景には言わない。
「でもさ、ハルは言いたくないばっかりだったけど、景はそんなにわがままじゃないよな。どっちが素なの?」
「難しいことを聞く」
景は部屋に立て付けられた本棚に向かって教科書を取り出しながら薄く笑った。
「真加はどっちだと思った?」
「…どっちも自然体に見える」
取り繕っているだとか、無理しているようにはどっちも見えなかった。
ハルは割と無口でそんなに愛想がいい訳じゃなかったが、等身大のような気がした。
景は全く逆だが、生来なのか身に染み付いているのか置いといて、こちらも振る舞いや言動に不自然さは感じない。
「あまり自分のことを客観的に見られる訳じゃないからわからないけど、どっちも本当の私だと思う。『ハル』は真加しか知らないけど、家族の前だとあながちあんな感じかもしれないね」
確かに、家族にも友人にと同じ態度という人間もなかなかいないだろう。そんな感じで、人間複数の顔があるのが自然なのかもしれない。
「……真加はどっちが好き?」
唐突に景が切り出した。今度は真加がうろたえる。
「へ?……ハルと景ならって話?」
「そう」
「そんなこと言われても…。もう俺の中でハルと景って一人の人間になってるからなー」
重なった瞬間に脳が同一人物だと認識してしまっている。
「じゃあ好みの話だよ」
この強引さというか、押しが強いとかいうか、少しわがままな感じはハルと景に共通していて、正直気付いてしまうとそこにさして違いはないのだ。
「ええ…。んー、そうだなあ。じゃあ、どっちも好きってことにしといて。選べないから」
迷った末にどっちつかずの回答をした。
「なんかずるいな」
と不服そうにいいつつ、口元がむず痒そうに緩んでいるのでひとまず悪い気はしてないらしい。
ピピピ…と休憩時間の終わりを知らせるアラームが鳴った。
景はそれを止めたが、また勉強に戻る気配がない。
不審に思って景の方を見るとずいっとこちらに身を乗り出した。
「わ、え何?近いよ」
少し心臓がどきりとした。
景は嬉しそうに真加を見つめる。落ち着かずに体を引いた。
「真加、前はなんとも言ってなかったよ。私がこれぐらい近づいても」
「ええ、そうかな…。てか、休憩終わってる!」
半ば叫ぶと、指先をギュッと握られて「ギャッ」と怪獣のような悲鳴が口から出た。
「ほら、やっぱり。意識してくれてるんだ」
真加は「そうだ」とも「違う」とも言えず口をつぐんだ。
「いや、ほら……誰だって意識するだろ普通!」
「そう?」
「そう!」
真加は握られていた指先を振り解いた。
「ほら、勉強勉強!」
赤くなった顔がバレないように取り繕いながら言うと、景は苦笑した。
そしてノートを開いた真加の耳元で囁く。
「クリスマス、夜空けといてね」
「っ!」
真加は耳を抑えて口をぱくぱくさせながら景に訴えた。
「何言ってんの、そもそも昼授業だろ!」
悲しいことに、クリスマスもまだ授業が詰まっていた。
「うん、だから夜は私と過ごそうよ。夜空けといてくれる?」
ねだるような瞳に思わず心が揺らいだ。
すっかりどうしようもなく翻弄されてしまっている。
「ほ、本気?」
「もちろん」
声色が嘘じゃないということをきれいなくらい証明していた。
頃合いで捨てられるような遊びの相手にされてる訳でもない。この人は本気で自分と真加の将来を見据えてる。
嫌なら早く断ればいいはずなのに、真加はだんだんと欲が出始めていた。
もっと一緒にいたい。性の本能と自分の気持ちが混ざって客観的に自分を見つめられない。
冷静に考えて、自分が景とどうこうなんて無い話なはずなのに、たまに景と一緒にいる未来を考えてしまう。
自分はオメガだ。不妊症でないなら未来の王の相手の最低条件をクリアしている。
家は朝陽に任せればいい。
そんな浅ましいことまで考えていた。
「いや?」
少し黙り込んだので景が伺ってきた。
「……嫌じゃない。空けとく。ここで?」
「ここで。19時はどう?」
「わかった」
満足したのか景は体をテーブルに向けた。
真加は数学に向き合いながらも、早速クリスマスのことを考えていた。プレゼントは用意したほうがいいだろうか。部屋で過ごすだろうが、服はいつも通りでいいのかどうか。
真加は赤インキのボールペンを意味もなくカチカチと鳴らした。いくら昼は授業とは言え、特別な夜になる予感に胸が高まった。

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