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「なあ、それちょっと……」

 彼の手が私の抱えるぬいぐるみに伸びた瞬間、またもや空気がびりびりと震えた。

「誰の許可を得た!」
「あんた両極端過ぎて怖いんだけど。そもそも、どこからそんな声出してるの」
「ひとの物に勝手に触れようとするからいけないのよ」

 怯えた眼差しを受け流し、私は素知らぬ顔でヒューバートに頬ずりする。誰がなんと言おうと、彼は世界で一番愛しい私の宝物。

「そのぬいぐるみ、そんなに大事なのか? 『ヒューバート』って名前でその格好ってことは、こいつは『聖騎士ヒューバート』なんだろ?」
「ええ、彼は私のすべて。彼がいるから、今の私はここにある」
「このどことなく黒っぽいのがねえ……」

 こういう言葉は何度も聞いてきた。それくらい、この世界で「聖騎士ヒューバート」の評判は悪い。

 かつてとある王国の聖女を守護していた見目麗しい騎士は、教会にて祈りを捧げることしか知らない聖女を哀れんで、彼女をさらって逃げたのだと伝えられている。神の怒りに触れたがゆえに、その王国は一夜にして滅んだとも言われているけれど……まったく馬鹿馬鹿しい。みんな、本当のことなど何一つ知らないくせに。

「あら、あなたも彼は光の騎士ではないというの? 聖女をさらい、闇に堕ちた愚かな騎士だと?」
「うーん、そういうことじゃなくてさ。このぬいぐるみ、なんか普通に汚くねえ?」
「え?」

 少年の意外な言葉にまじまじとヒューバートを見つめる。確かに、以前よりも少しばかり全体が黒ずんでいるような……。

「これ、いつ洗ったの? あんたさ、いつも一緒なんだろ。だから、手垢で汚れてるんだよ。聖騎士っていうからにはもともと白銀の鎧を模してるんだろうけど、ここらへん灰色を通り越してもう真っ黒じゃん」
「そ、そんな……」
「まあ、手垢なら石鹸で落ちるから、風呂入ったときについでに洗いなよ。あんた、ズボラそうだから、それくらいしかできないだろうし」
「ズ、ズボラ……」

 歯に衣着せぬ少年の言葉が辛い。

「だって、さっき使ったティーカップ、底の部分が茶渋で汚れていたぞ」
「わ、わかったわ」
「長時間、熱いお湯に漬けるなよ。色落ちには気をつけろ。型崩れしないように、平らな場所で乾かせ。洗うなら、晴れの日が続く日にしろ。雨の日に干したら、最悪、カビが生えたり、変な生乾き臭が発生するからな」

 私は、こくこくとうなずいた。少年の言葉は意外なほど優しくて、それが不思議に心地いい。

「魔女が聖騎士を好きだなんて、おかしいとは思わないの?」
「誰が誰を好きになるか、愛するかなんて、神さまにだって決められないだろ。それは、さっきまでひとの恋バナを根掘り葉掘り聞いて、きゃーきゃー言ってたあんたが一番よくわかっているんじゃないのか」 
「ふふふ、ええ、そうね。その通りだわ」

 少年の言葉が嬉しくて、私はころころと笑う。腕の中で、ヒューバートも首を揺らしながら同意してくれた。

「まあ、正直、自分の人生まるごと聖女に捧げちゃった相手を好きになるのは、ちょっと不毛かなとも思うけどさ。それでもひとを好きになるのは自由だよな」
「私はそんなヒューバートだから、好きになったのよ?」
「うん、知ってる。その心の強さは本気で尊敬する」
「黙れ、小僧。二度と生意気な口をきけぬようにしてやろう」
「ひえっ」

 彼なら、いいえ、彼らなら大丈夫かしら。つつましくとも、幸せな人生を送ってほしい。大きな夢を見すぎたら、足元をすくわれてしまうから。

 でも彼の言うとおりお金はあった方がいいわね。せっかくだから、ポケットにいろいろ詰め込んであげましょう。持ち運びに便利で換金しやすいものが、いくつか手元にあったはず。

「さてと。良い暇潰しだったわ。さあ、もうお帰りなさい。王子さまは、お姫さまを迎えに行くのが仕事でしょう?」
「お嬢さまがお姫さまなのはいいとして。誰だよ、王子さまって」
「好きなひとが迎えに来てくれるのだもの、あなたは王子さまで間違いないわ」
「いやいや、何言ってるんだよ。うやむやにしようったってそうはいかねえ。お嬢さまを助けるの、協力してくれるって言ったじゃないか!」
「安心しなさい。魔女は嘘などつかないわ。こんなところを、長いことうろついていてはいけないの。戻れるものも戻れなくなる」
「何を言って……」
「さようなら、可愛らしい恋人たち。あなたたちの未来に、神のご加護があらんことを」

 心から彼らの未来を祈る。久しぶりに唱えた祝詞は、それでもなめらかにつむがれていく。黒く染まったはずの髪が不意に黄金に輝いた。部屋の中は風もないのに、ふわふわと髪とドレスがたなびく。まったく、神様ったら演出が過ぎるわね。

「教会で見た絵と同じ? あんた、いや、あなたは……」

 目を丸くした少年に向かって、私は笑顔で手を振った。
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