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「さあ、ピアノのレッスンですよ」
「いやよ、つまんない」
つんとマリアベルがそっぽを向いた。屋敷の中に戻っても、マリアベルはすぐに逃げ出そうとする。椅子に座ることがそもそも苦手な彼女だが、それでも歴史や語学と言った座学に比べれば、ピアノのレッスンは頑張ってくれている。それに、本来の彼女はとても素直な女の子なのだ。
「あら、私はあなたのピアノが聞きたいですね」
「うそばっかり」
「本当ですよ。それに私はまだ全然指が動きませんからね。ピアノを弾いて、教えてくれませんか」
「大人なのに、ひけないの?」
「ええそうなのです。今まで困ることばかりですから、この機会に勉強したいと思いまして」
私はピアノに触れる機会がなかったため、ピアノが弾けない。一方の義妹は練習を真面目にやらなかったため、やはりピアノが弾けない。
教養の無さは恥だ。裏を返せば、芸もとい教養は身を助ける。マリアベルには、私たちのように困ってほしくなかった。彼女の人生がより良いものであるように、たくさんのことを身につけてほしい。
機嫌良くピアノの練習を始めたマリアベルだが、その集中力はすぐに途切れてしまった。こちらを振り返り、嬉々としておしゃべりをしてくる。
「グレースは、何色がすき?」
「緑色でしょうか。さあ、先生もいらっしゃっているのです。おしゃべりはまたあとで。今はレッスンの続きをやりましょう」
むすっとした顔で、マリアベルが鍵盤に指を叩きつけた。悲鳴のような不協和音が響く。
「そんな風に乱暴に扱っては、ピアノが泣きますよ」
「明日の買い物には、ついてこないでよね! さがしたいものが、あるんだから!」
「大丈夫ですよ。久しぶりのお父さまとの親子水入らずです。どうぞ楽しんできて……」
その途端、わっとマリアベルが泣き出した。隣にいるピアノの先生はと言えば、おろおろするばかりだ。
「なによ。わたしのことが、かわいくないのね。だから、そんなことを言うんだわ! お父さまに、言いつけてやるんだから!」
「マリアベルったら、ご機嫌ななめですね。お昼寝が足りませんでしたか」
「グレースは、なにもわかってない! あれしろ、これしろって、大っきらい。本当のお母さまでもないくせに!」
マリアベルの言葉が、私の心をえぐる。私はマリアベルと自分を重ねるあまり、いつの間にか思い上がっていたのかもしれない。
私とマリアベルの関係は、継母と継子だ。見知らぬ他人よりも、なおたちが悪い。そんな相手が家の中をうろつき、訳知り顔で指示を出す。確かにそれはどんなに不愉快で、腹立たしいことだろう。義母のような人間にはなるまいと努力していたが、私もまた失敗していたようだ。
自分でも思った以上に胸が痛むのを感じながら、マリアベルを見つめた。言われなれている「嫌い」という言葉が、信じられないくらいに苦しい。
「あなたのお母さまは、もちろんおひとりだけ。わかっております。けれど、周りを傷つける言い方は、お母さまも望まれないはずですよ。来週は母の日ですから、お母さまへのお手紙を書きましょうか。お花と一緒にお墓にお供えすれば、きっと天国のお母さまもお喜びになります」
「もう、なによ! グレースのばかばかばか」
何が気に食わないのか、マリアベルはピアノの椅子から飛び降りた。地団駄を踏み、さらにひどく泣きじゃくる。
その時だ。
「まあ、かわいそうなマリアベル」
女性の声が部屋に響いた。柔らかいはずなのに、不思議なほど耳に障る細く高い声。今日、この家に来客などないはずなのに。
女性の顔を確かめ、私は思わず息をのんだ。女性は、マリアベルによく似た顔立ちをしている。彼女の血縁者だと考えるのが自然だ。それに使用人たちの様子を見れば、戸惑ってはいるものの、初対面という雰囲気はない。ちらほらと、「奥さま」という単語が耳に入ってくる。
だが、マリアベルの実母は亡くなったのではなかったのか。
そこまで考えて気がついた。マリアベルの顔に浮かんでいるのは、笑顔ではない。戸惑い……あるいは恐れ?
これは一体どういうことなのだろう。
「いやよ、つまんない」
つんとマリアベルがそっぽを向いた。屋敷の中に戻っても、マリアベルはすぐに逃げ出そうとする。椅子に座ることがそもそも苦手な彼女だが、それでも歴史や語学と言った座学に比べれば、ピアノのレッスンは頑張ってくれている。それに、本来の彼女はとても素直な女の子なのだ。
「あら、私はあなたのピアノが聞きたいですね」
「うそばっかり」
「本当ですよ。それに私はまだ全然指が動きませんからね。ピアノを弾いて、教えてくれませんか」
「大人なのに、ひけないの?」
「ええそうなのです。今まで困ることばかりですから、この機会に勉強したいと思いまして」
私はピアノに触れる機会がなかったため、ピアノが弾けない。一方の義妹は練習を真面目にやらなかったため、やはりピアノが弾けない。
教養の無さは恥だ。裏を返せば、芸もとい教養は身を助ける。マリアベルには、私たちのように困ってほしくなかった。彼女の人生がより良いものであるように、たくさんのことを身につけてほしい。
機嫌良くピアノの練習を始めたマリアベルだが、その集中力はすぐに途切れてしまった。こちらを振り返り、嬉々としておしゃべりをしてくる。
「グレースは、何色がすき?」
「緑色でしょうか。さあ、先生もいらっしゃっているのです。おしゃべりはまたあとで。今はレッスンの続きをやりましょう」
むすっとした顔で、マリアベルが鍵盤に指を叩きつけた。悲鳴のような不協和音が響く。
「そんな風に乱暴に扱っては、ピアノが泣きますよ」
「明日の買い物には、ついてこないでよね! さがしたいものが、あるんだから!」
「大丈夫ですよ。久しぶりのお父さまとの親子水入らずです。どうぞ楽しんできて……」
その途端、わっとマリアベルが泣き出した。隣にいるピアノの先生はと言えば、おろおろするばかりだ。
「なによ。わたしのことが、かわいくないのね。だから、そんなことを言うんだわ! お父さまに、言いつけてやるんだから!」
「マリアベルったら、ご機嫌ななめですね。お昼寝が足りませんでしたか」
「グレースは、なにもわかってない! あれしろ、これしろって、大っきらい。本当のお母さまでもないくせに!」
マリアベルの言葉が、私の心をえぐる。私はマリアベルと自分を重ねるあまり、いつの間にか思い上がっていたのかもしれない。
私とマリアベルの関係は、継母と継子だ。見知らぬ他人よりも、なおたちが悪い。そんな相手が家の中をうろつき、訳知り顔で指示を出す。確かにそれはどんなに不愉快で、腹立たしいことだろう。義母のような人間にはなるまいと努力していたが、私もまた失敗していたようだ。
自分でも思った以上に胸が痛むのを感じながら、マリアベルを見つめた。言われなれている「嫌い」という言葉が、信じられないくらいに苦しい。
「あなたのお母さまは、もちろんおひとりだけ。わかっております。けれど、周りを傷つける言い方は、お母さまも望まれないはずですよ。来週は母の日ですから、お母さまへのお手紙を書きましょうか。お花と一緒にお墓にお供えすれば、きっと天国のお母さまもお喜びになります」
「もう、なによ! グレースのばかばかばか」
何が気に食わないのか、マリアベルはピアノの椅子から飛び降りた。地団駄を踏み、さらにひどく泣きじゃくる。
その時だ。
「まあ、かわいそうなマリアベル」
女性の声が部屋に響いた。柔らかいはずなのに、不思議なほど耳に障る細く高い声。今日、この家に来客などないはずなのに。
女性の顔を確かめ、私は思わず息をのんだ。女性は、マリアベルによく似た顔立ちをしている。彼女の血縁者だと考えるのが自然だ。それに使用人たちの様子を見れば、戸惑ってはいるものの、初対面という雰囲気はない。ちらほらと、「奥さま」という単語が耳に入ってくる。
だが、マリアベルの実母は亡くなったのではなかったのか。
そこまで考えて気がついた。マリアベルの顔に浮かんでいるのは、笑顔ではない。戸惑い……あるいは恐れ?
これは一体どういうことなのだろう。
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