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はたと気が付いたときには、すっかり日が暮れていた。どうやら、母のお仕置きは結構な時間に渡って行われていたらしい。物理的にしつけ直された父は、私を見るなりうるうるとした目で見つめてきた。気持ち悪い。
「マリー、悪かった。どうか、儂を許しておくれ。これからは心を入れ替えて、マリーを大切にして暮らしていくから。娘の身体が依り代というのは微妙だが、マリーはこれからも儂のそばにいてくれるのだろう?」
「残念ですが、お母さまは既に私の身体から離れ、普通の方の目には見えない守護霊に戻られましたけれど。ああ、結局、あなたは何もわかっていない。あれだけ言葉と拳で語り合ったというのに、何一つ伝わっていなかったことで、逆に諦めがついたとおっしゃっていますね」
「どういう意味だ?」
「お母さまは、もうあなたの前に姿を現さないでしょう。だって、あなたには結局お母さまの気持ちは伝わらず、何も響かなかったのですもの。仕方がありませんよね?」
父は母に会えなくなったことがよほどこたえたのか、奇声をあげつつ髪をかきむしっている。結局、父の目には私は映らないらしい。ここまで徹底されると、なんだか諦めがついた。このひとにとっては、母がすべてだったのだ。
「さあ、前当主さま、今までの行いについて神殿と王家が話を聞きたいそうです。屋敷に迎えが……あら、こんな山奥にまで迎えに来てくださっていますわ。よっぽどお父さまって信頼がないのでしょうね」
「……何を証拠に」
「もう、お母さまのお話を忘れてしまいましたの? みなさん、我が家に滞在しているのですから、証拠など集めたい放題です。竜の宝を虐げたことをあなたが認めなくても、必要以上に宝石を掘り出し、正規の手続きなく他国に流し、税収を誤魔化して報告していたのは事実。ずさんなやり方で、相手を捕まえるのも簡単でしたわ。お父さまは今後は良くて幽閉。悪ければそれなりの処罰が下されるでしょうね」
「儂は、この家の当主だぞ!」
拳を振り上げた父から私をかばうように、ロデリックが割り込んだ。彼は、かなりお怒りのようだ。普段は涼やかな瞳の色が濃くきらめいている。それでもここ十数年の訓練の成果で、父を瞬殺しない程度には冷静らしい。私が父にぶたれるのを目の前で見たときには、車椅子のグリップ部分を握りつぶしていたみたいだけれど、それはまあ仕方のないことだろう。
「何を言っている。今の当主は、ジェニファーだろう? それはお前がわざわざ願い出たことだ。書類も既に受理されている。なかったことになどできはしない。それに他の誰が許そうとも、お前のことは俺が許さないよ。何度八つ裂きにしてもまだ足りない」
切れ味の鋭い獰猛な笑顔。こういうとき、彼は確かに竜神さまの化身なのだと実感する。
「大丈夫よ」
「だが」
「忘れ物を思い出したの」
「忘れ物? ああなるほど」
にやりと笑って、彼が一歩後ろに下がる。武闘派な私の考え方を理解し、尊重し、丸ごと愛してくれる彼が好きだ。
「お父さま、今までのお返しですわ」
「は?」
お母さまがたくさん仕返ししてくださっていたけれど、やっぱり私も自分の手で借りは返したい。渾身の力を込めて拳を繰り出す。気持ちよく父の顔面にめり込み、その身体が宙を舞った。
「竜の宝の右手のお味はいかがかしら?」
「実に美しい右ストレートだ」
「お母さまに教えていただいた、とっておきなのよ」
私の言葉にロデリックは目を細め、労うように頭を撫でてくれた。てのひらのぬくもりにうっとりしつつも、会話ができないのは困るので、父が死なない程度に素早く治癒魔法をかけておく。
「すかさず、治癒するのもお母上譲りだな」
「うふふ、似た者母娘なのね」
彼の言葉が痛かったのか、それとも私の拳が痛かったのか。父が地面でぴくぴくしている。でも仕方のないことだ。こうなったのは、全部父が選んだ結果。立ち止まるきっかけは、いくらだってあったはずなのだ。何度間違ったとしても、まだ引き返せる場所にいたのに、最後まで自分の都合のいいように解釈して、見たいものだけを見たのは父の責任。
母ならきっと、「てめえのケツはてめえで拭きやがれ」と顎を殴り上げていたことだろう。いかに武闘派の家系とはいえ、肖像画に残っているお人形のような美少女がそんな言葉を発するなんていまだに脳が混乱してしまうが。
「だが、子どもには父親が必要だ。まだ幼いあの子たちから父親を奪うつもりか!」
爽やかに地雷を踏み抜いてくる父に、私はため息を吐きながら真実を教えてやる。
「ああ、あの子たちのことですか。彼らは便宜上、私の弟妹という形になっていますが、あなたの息子や娘ではありませんよ」
「は?」
「無理矢理連れてこられた私とほとんど年の変わらないお嬢さんですよ。あなたの相手なんて、させられるはずがないでしょう。あなたは目くらましの魔法によって、毎夜、枕に向かって腰を振っていたんです。変態も良いところですわね」
「じゃあ、でも、子どもは実際に生まれて……」
「ああ、あの子たちは王家の影のみなさんです。見た目と年齢は一致しておりませんから、お気をつけて」
ことあるごとに見せてもらう「変装」は、世の中の物理法則を頭から破壊していくような完成度を誇っている。王家の影になればたたきこまれる秘術だそうだ。こんな癖の強すぎる人たちを御している王家の皆さん、すごい。さすが、かつての竜神さまの子孫たち。ちなみに王家の皆さんは人間の血が濃いとはいえ、ロデリックとは遠い親戚扱いになるのだとか。
なおアグレッシブなふたりは、父の横暴な振る舞いに我慢の限界だったらしい。父にぶたれたときもあの現場を見られたら、父をその場で半殺しにしかねなかったのでひやひやした。復讐は私と母の手でくださなくてはいけないのだから。ちなみにロデリックは、私からの頼みで物理攻撃ができないぶん、父が安眠できないように夜毎夢に侵入していたようだ。まともに寝かせてもらえない……端的に言って拷問だ。
「ようやっと、ゴミが片付きましたわ!」
人生最大の断捨離を終えて、私は達成感に満ち溢れていた。
「マリー、悪かった。どうか、儂を許しておくれ。これからは心を入れ替えて、マリーを大切にして暮らしていくから。娘の身体が依り代というのは微妙だが、マリーはこれからも儂のそばにいてくれるのだろう?」
「残念ですが、お母さまは既に私の身体から離れ、普通の方の目には見えない守護霊に戻られましたけれど。ああ、結局、あなたは何もわかっていない。あれだけ言葉と拳で語り合ったというのに、何一つ伝わっていなかったことで、逆に諦めがついたとおっしゃっていますね」
「どういう意味だ?」
「お母さまは、もうあなたの前に姿を現さないでしょう。だって、あなたには結局お母さまの気持ちは伝わらず、何も響かなかったのですもの。仕方がありませんよね?」
父は母に会えなくなったことがよほどこたえたのか、奇声をあげつつ髪をかきむしっている。結局、父の目には私は映らないらしい。ここまで徹底されると、なんだか諦めがついた。このひとにとっては、母がすべてだったのだ。
「さあ、前当主さま、今までの行いについて神殿と王家が話を聞きたいそうです。屋敷に迎えが……あら、こんな山奥にまで迎えに来てくださっていますわ。よっぽどお父さまって信頼がないのでしょうね」
「……何を証拠に」
「もう、お母さまのお話を忘れてしまいましたの? みなさん、我が家に滞在しているのですから、証拠など集めたい放題です。竜の宝を虐げたことをあなたが認めなくても、必要以上に宝石を掘り出し、正規の手続きなく他国に流し、税収を誤魔化して報告していたのは事実。ずさんなやり方で、相手を捕まえるのも簡単でしたわ。お父さまは今後は良くて幽閉。悪ければそれなりの処罰が下されるでしょうね」
「儂は、この家の当主だぞ!」
拳を振り上げた父から私をかばうように、ロデリックが割り込んだ。彼は、かなりお怒りのようだ。普段は涼やかな瞳の色が濃くきらめいている。それでもここ十数年の訓練の成果で、父を瞬殺しない程度には冷静らしい。私が父にぶたれるのを目の前で見たときには、車椅子のグリップ部分を握りつぶしていたみたいだけれど、それはまあ仕方のないことだろう。
「何を言っている。今の当主は、ジェニファーだろう? それはお前がわざわざ願い出たことだ。書類も既に受理されている。なかったことになどできはしない。それに他の誰が許そうとも、お前のことは俺が許さないよ。何度八つ裂きにしてもまだ足りない」
切れ味の鋭い獰猛な笑顔。こういうとき、彼は確かに竜神さまの化身なのだと実感する。
「大丈夫よ」
「だが」
「忘れ物を思い出したの」
「忘れ物? ああなるほど」
にやりと笑って、彼が一歩後ろに下がる。武闘派な私の考え方を理解し、尊重し、丸ごと愛してくれる彼が好きだ。
「お父さま、今までのお返しですわ」
「は?」
お母さまがたくさん仕返ししてくださっていたけれど、やっぱり私も自分の手で借りは返したい。渾身の力を込めて拳を繰り出す。気持ちよく父の顔面にめり込み、その身体が宙を舞った。
「竜の宝の右手のお味はいかがかしら?」
「実に美しい右ストレートだ」
「お母さまに教えていただいた、とっておきなのよ」
私の言葉にロデリックは目を細め、労うように頭を撫でてくれた。てのひらのぬくもりにうっとりしつつも、会話ができないのは困るので、父が死なない程度に素早く治癒魔法をかけておく。
「すかさず、治癒するのもお母上譲りだな」
「うふふ、似た者母娘なのね」
彼の言葉が痛かったのか、それとも私の拳が痛かったのか。父が地面でぴくぴくしている。でも仕方のないことだ。こうなったのは、全部父が選んだ結果。立ち止まるきっかけは、いくらだってあったはずなのだ。何度間違ったとしても、まだ引き返せる場所にいたのに、最後まで自分の都合のいいように解釈して、見たいものだけを見たのは父の責任。
母ならきっと、「てめえのケツはてめえで拭きやがれ」と顎を殴り上げていたことだろう。いかに武闘派の家系とはいえ、肖像画に残っているお人形のような美少女がそんな言葉を発するなんていまだに脳が混乱してしまうが。
「だが、子どもには父親が必要だ。まだ幼いあの子たちから父親を奪うつもりか!」
爽やかに地雷を踏み抜いてくる父に、私はため息を吐きながら真実を教えてやる。
「ああ、あの子たちのことですか。彼らは便宜上、私の弟妹という形になっていますが、あなたの息子や娘ではありませんよ」
「は?」
「無理矢理連れてこられた私とほとんど年の変わらないお嬢さんですよ。あなたの相手なんて、させられるはずがないでしょう。あなたは目くらましの魔法によって、毎夜、枕に向かって腰を振っていたんです。変態も良いところですわね」
「じゃあ、でも、子どもは実際に生まれて……」
「ああ、あの子たちは王家の影のみなさんです。見た目と年齢は一致しておりませんから、お気をつけて」
ことあるごとに見せてもらう「変装」は、世の中の物理法則を頭から破壊していくような完成度を誇っている。王家の影になればたたきこまれる秘術だそうだ。こんな癖の強すぎる人たちを御している王家の皆さん、すごい。さすが、かつての竜神さまの子孫たち。ちなみに王家の皆さんは人間の血が濃いとはいえ、ロデリックとは遠い親戚扱いになるのだとか。
なおアグレッシブなふたりは、父の横暴な振る舞いに我慢の限界だったらしい。父にぶたれたときもあの現場を見られたら、父をその場で半殺しにしかねなかったのでひやひやした。復讐は私と母の手でくださなくてはいけないのだから。ちなみにロデリックは、私からの頼みで物理攻撃ができないぶん、父が安眠できないように夜毎夢に侵入していたようだ。まともに寝かせてもらえない……端的に言って拷問だ。
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