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 私には相思相愛の婚約者がいた。小さな頃から家族ぐるみで仲良くしていた相手だ。天啓を受けて混乱した私は、とるものもとりあえず彼の元へと押しかけた。私を連れて逃げてくれ、神を相手に戦ってくれ。そんなことを頼むつもりはなかった。ただ、混乱する私を抱きしめ、愛していると口づけてくれたら私はそれだけで満足だったのに。

 彼が私にくれたのは、『君は強いひとだ。ひとりでも平気だろう。俺を巻き込まないでくれ』という冷たい一言だった。化け物でも見るような顔でそう吐き捨てると、彼は私に指一本触れることなく立ち去っていく。その後はどれだけ泣こうが騒ごうが、屋敷の扉が開かれることはなかった。

 うるさいと水をかけられたり、警邏けいらを呼ばれたりすることがなかったのは、ただ神の望む女に手を出したらどうなるかわからないという恐怖心ゆえだったに違いない。そうでなければ、彼はきっと躊躇なく、私の頬を打ち近づくなと突き飛ばしただろう。その後家に帰れば、彼から婚約を解消する旨の連絡が届いていた。

 部屋の中で嘆き悲しむ私に、両親は栄誉あることだと大騒ぎしていた。信心深い母は、神殿の神官たちを家に呼んで朝から晩までよくわからない聖歌を歌い続けていたし、出世欲の強い父は私が国家の役に立つことでどれだけの利益が出せるかを皮算用し、王家や派閥の人間に対してさまざまな駆け引きをしているようだった。

 兄弟姉妹それぞれの反応は興味深いものだった。最初は驚き、次に平凡な私が選ばれたことを妬み、けれど周囲に自慢できる良いものを見つけたと楽しんでいるようだった。そして私が神の花嫁になることを拒んでいるらしいことがわかると、家族はこぞって『説得』にやってくるようになった。

 私が神の花嫁になることを望んでいないということは、大変な不敬にあたるらしい。神官と共に母は泣き、他国からも娘の死を望まれていると知っている父は早くしろと怒り、妹である私がはっきりしないから結婚式の日取りが立てられない、このままでは婚約が解消されてしまうと兄姉が騒ぎ始めた。そして最後に、弟妹たちははっきりと口にした。自分たちは、まだ死にたくないのだ。もっと人生を楽しみたい、こんなお通夜のような毎日はまっぴらだと。

 彼が、『君が死ぬなんて嫌だ、許さない』と泣いてくれたなら。私は死んでもかまわなかった。

 両親が、『娘は死んでも渡さない』と怒り狂ってくれたなら。私は笑って身を投げただろう。

 兄弟姉妹が、友人が、知人が、神殿の神官さまたちが、私を知る誰かしらが、私のために涙を流してくれたなら。私は死ぬことなんて、ちっとも怖くはなかった。平凡な何のとりえもない私が、みんなの役に立てるなら、ただ真面目に生きることしかできなかった私が望まれるのなら、それでもいいと思えたのに。

 けれど、引き留めてくれる言葉は誰からも与えられなかった。みんなが笑って心待ちにしている。私が死ぬのを。私が死んで、幸福に満ちた世界で楽しく暮らすことを。

 だから私は呼び出した。神の花嫁になることを望まれた結果だろうか、私は神殿から我が家に持ち込まれたいくつかの聖なる書の中に、常人には読み取れない呪いが刻まれていることに気が付いてしまったのだ。それは、神と対を成す存在をこの世界の外側から呼び出す祈りの言葉。

『魔王さま、どうぞ私の話をお聞きください』

 同じ贄になるのならば、私の望みを叶えてくれる相手とともにありたかったから。
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