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19 満たされる日々
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膝立ちの足に何とか力を入れ、これ以上腰が沈まないようにと肩を掴む手に力を入れる。それでも足が震えてしまい踏ん張る爪先がシーツに皺を作った。少しずつ体の奥に熱の塊が入っていく感覚に「んっ」と声を漏らすと、それを待っていたかのように下から突き上げられる。
「……!」
声にならない嬌声を上げながらシュエシが仰け反った。それを片手で支えながらヴァイルがさらにグイッと腰を突き上げる。気がつけば向かい合いながら交わることが定番になりつつあった。この体勢が交わりながら吸血するのによいのだとヴァイルは言うが、ベッドに横たわって交わるより深いところまで暴かれるのがシュエシにはつらい。
(奥、苦し……深すぎて、怖い……っ)
ヴァイルの楔を咥える後孔はギチギチに広がり、腹の中もこれでもかと押し拡げられている。それだけでも苦しいが、シュエシにとってもっともつらいのは一番奥まで埋められることだ。
初めて最奥を押し上げられたとき、何が起きたのかわからなかった。一瞬にして目の前が弾け呼吸ができなくなる。チカチカと眩しく感じるものの目を開いているのか閉じているのかさえわからなかった。太く熱い楔が奥を突くたびにシュエシの性器から薄い白濁が噴き出し、それが自分とヴァイルの腹を濡らしていることにも気づくことができなかった。
いまも快楽と恐怖に全身を支配されていた。一気に貫かれないように膝をついていたシュエシだが、下から突き上げられては避けようがない。衝撃に仰け反り体を震わせながら、最奥をグイグイ押し上げられる感覚に下腹部がブルブルと震え出す。
「だ、め……!」
過ぎた快感は恐怖でしかない。体の奥を内側から抉られるのは恐ろしいことのはずなのに、それに強烈な快感を得てしまう自分が怖かった。震えながら必死にヴァイルの肩を掴みなんとか腰を上げようとするが、当然ヴァイルがそれを許すことはない。
「逃げるな。わたしを奥まで迎え入れろ」
「ひ……っ!」
「それに……おまえのここは悦んで受け入れようとしている」
「ぁうっ!」
ズンと突かれシュエシの性器からプシュッと飛沫が飛んだ。仰け反った背中はそのままに、頭がカクンと後ろに倒れる。それでもベッドに崩れ落ちなかったのはヴァイルが支えているのと体の中心を串刺しにされているからだ。
「そうだ、そのまま素直に受け入れろ。そのほうがより快感を得やすい」
「や……ぁ……!」
「中が蠢いて……奥が開いていくな……そうだ、深いところでわたしを受け止めるんだ」
「ぁ……あ、あ、あぁ……ぁ……」
全身がブルブルと震え出す。薄く開いた黒目は潤み、目尻からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。その涙が汗で乱れた黒髪に落ちた途端に鮮やかな艶が現れる。漆黒の髪のところどころに紅色の粒が現れキラキラと艶やかに光り始めた。
「あぁ……すばらしい香りがする。これほどよい香りを放つ者はほかにない」
「ぁ……」
ヴァイルの顔が仰け反るシュエシの首筋に近づく。クンと鼻を鳴らし、「いい香りだ」とつぶやくと触れるだけの口づけを肌に落とした。
「んっ!」
甘い声が漏れるのと同時に熟れた肉壁が貫く楔を食い締めた。鼻先を首筋に埋めたまま、ヴァイルが「っ」とわずかに息を呑む。
「まったく、おまえは理想的な花嫁だな」
「あ……もぅ……だめ……もう……っ」
「そのまま絶頂を迎えるがいい。わたしの熱を感じながら熟した血を捧げよ」
「あ、あ、ぁっ、あぁ、あ……――!」
目の前が弾け飛んだ。体の芯が激しく揺れ、絶頂と呼ぶには激しすぎる快楽がシュエシの全身を貫く。そうして肌を真っ赤にし欲望を一気に解き放った首筋にヴァイルが噛みついた。
最初に感じたのは痛みだった。しかしすぐに痛みは消え燃え上がるような熱に変わる。それもあっという間に痺れとなり、あとに待っていたのは止めどない悦楽だった。
(き、もち、いい……)
ドクドクと脈打つ首筋と、それに呼応するかのように鳴る喉の音に肌が粟立つ。しばらく続く吸血行為の間中、シュエシは快楽と多幸感に意識を包まれた。最後に肌を舐められ、軽く口づけられる頃には頭がぼんやりし視界もはっきりしなくなる。
「おまえの血は口にすればするほど惹きつけられる。これほど一人の血に夢中になったことはない。おまえが夜叉の業を背負っているからか……いや、それだけではないな」
きっと大事なことを話している。そう思っているのに少しずつヴァイルの声が遠のいていく。それでも聞かなくてはと思っていたシュエシだが、次第に声が聞こえなくなりゆっくりと意識を手放した。
ヴァイルを受け入れながら血を吸われるようになってから、シュエシは世話をしてくれる影と会話ができるようになった。はじめは戸惑ったものの、より一層化け物に近づいている気がしてうれしくなる。なによりこの影は自分と同じ東の国の者なのだ。
『本をお持ちしました。こちらでよいですか?』
『ありがとうございます』
影の声に東の国の言葉で返事をする。シュエシが東の国の言葉を使うのは久しぶりだった。発音を忘れている部分があったものの会話に不自由することはない。それもインヤンと名乗った影が発音の間違いを教えてくれるからで、シュエシはインヤンと東の国の言葉で会話するのが楽しみで仕方がなかった。
最近では西の国の文字もインヤンに教えてもらっている。いま影が持って来たのも子どもが読むという絵本で、絵と文字を見比べながら文字を覚えているところだ。
(はじめは驚いたけど、こうして話してると普通の人みたいだな)
それでも人とは違う。はっきり見えたとしても全身真っ黒な人型という状態で、顔の造作や髪の長さなど細かなところは判別できない。土地の人たちの前では人と変わらない姿になれるということだが、それはあくまで作り物だからとシュエシの前ではっきりした人の姿になることはなかった。
インヤンの母親はヴァイルの父親の愛人で、東の国の者だった。ここでいう愛人とは糧として血を捧げる人のことで、インヤンの母親は随分前に亡くなったと聞いている。
インヤンは彼の母親が化け物の糧となる前に生んだ子どもだった。しかし幼くして病死し、それでも母親と離れがたくてそばに居続けた。肉体を持たない子どもが漂っていることに気づいたのはヴァイルで、その後屋敷に住まうことを許され影として仕えるようになったのだと教えてくれた。
(亡くなったのは小さい頃だと聞いたけど……)
インヤンの人型を見る。背丈は自分より大きく、影の輪郭からして大人のように見えた。
『どうかしましたか?』
シュエシの視線に気づいたのか、頭らしき部分が首を傾げるように動いた。
『僕より体が大きいなと思って』
『あれこれするのに、このくらいの大きさがちょうどよいのです』
『もしかして大きさを変えることができるんですか?』
『多少はできますが、一度大きくなると小さくなるのは少し難しいですね』
『それは、影も成長するということですか?』
『どうでしょう。すでに魂しかない存在ですし、体が成長したり年を取ったりするわけではありませんから』
『そ、そうですよね。余計なことを言いました』
すでに死んでいる人に対して言う言葉ではなかった。シュエシが反省していると『奥様は優しい人ですね』と言われ、頬がサッと赤くなる。
シュエシは褒められ慣れていない。両親が生きていたときはそれなりに褒めてくれたのかもしれないが、もうほとんど覚えていなかった。そのせいか褒め言葉を聞くと気恥ずかしくて、つい俯いてしまう。その様子に黒い輪郭が微笑むようにユラユラと揺れた。
『奥様は恥ずかしがり屋だと聞いていますが、本当のようですね』
『……奥様と呼ばれるのも、聞いていて恥ずかしいです』
『しかし奥様は旦那様の花嫁なのですから、奥様でしょう?』
『そうかもしれませんが、でも僕は男なので』
『旦那様は花嫁にふさわしいと思って奥様を選ばれたのです。性別は気にしなくてよいと思いますよ?』
『それでもやっぱり、女性のほうがいいんじゃないかと……』
俯くというより項垂れている様子のシュエシに、黒い体が寄り添うように近づいた。
『旦那様は女性が好きだと思っているんですね』
『男は誰でもそうです。それに、女性のほうが柔らかくて気持ちがいいと聞いたことがあります』
『なるほど。わたしは女性に触れたことがないのでわかりませんが、気持ちがよいと感じるのは性別に関係ないのではないでしょうか』
黒い輪郭がゆらりと揺れ、腕らしき部分がすぅっと伸びた。それが俯くシュエシの肩に触れ、くるりと包み込むように形を変える。それに一瞬驚いたシュエシだが、すぐに抱きしめようとしてくれているのだとわかり顔がふわりとほころんだ。
『なんだか温かく感じます』
『わたしは影ですから感触も熱もありません。それでも奥様が温かいと感じるのなら、性別どころか存在さえ関係ないということでしょう』
『もしかして、慰めてくれたんですか?』
『慰めになったならよいのですが』
『ありがとうございます。元気が出てきました』
『どういたしまして』
肩を包み込んでいた黒いものがふわりと解け、再び見慣れた黒い影に戻った。影が絡みついた肩を撫でながら「僕もそういうことができれば」とつぶやく。
『旦那様を抱きしめたいのですか?』
インヤンの言葉にシュエシの顔が真っ赤になった。
『ふふっ、旦那様のお話どおり奥様はかわいらしい方ですね』
『か、かわいくはないと思います』
『そうでしょうか』
『かわいくも、それに美しくもありません。ただ、せっかく化け物になるのなら、せめて美しくなれればと……そうすれば美しいヴァイルさまの隣にいても……』
きっとふさわしく見えたはず。そこまでつぶやいたシュエシは、とんでもないことを口にしたと気づいた。慌てて『いまのは聞かなかったことにしてください』と揺れる黒い影に訴える。
『わかりました』
そう言った影が頭のあたりをユラユラと揺らした。
『インヤン?』
『奥様はもう少し旦那様と話をしたほうがよいのではありませんか?』
『話?』
『はい。こうしてわたしと話をするように』
『それは……こういうことは相手がインヤンだから話せるのです。それに、東の国の言葉のほうがスラスラ出てきますし』
両親とは東の国の言葉で話していた。だからか昔を思い出し気兼ねなく話すことができる。それにインヤンには同郷の友のような思いを抱いているからこそ、こうして胸の内を話すこともできた。
『大丈夫ですよ。奥様と話すのは旦那様もうれしいはずですから』
『……そうだと、いいんですけど』
『少なくとも、わたしたち影が話しかけるより喜ばれるのは間違いないです』
インヤンの言葉にシュエシは少しだけ勇気づけられた。お礼を言おうと顔を向けると、黒い霧がユラユラと揺れている。
『インヤン?』
落ち着かないように揺れる様子に、どうしたのだろうと顔らしき部分を見た。すると一瞬色を濃くした影が覗き込むようにシュエシに近づく。
『奥様は旦那様のことが好きですか?』
突然の問いかけにシュエシの顔が赤くなった。視線をさまよわせたのは一瞬で、すぐに『はい』と答える。それにインヤンが『よかった』とホッとしたような声を返した。
『そうでなければ旦那様と同じものにはならないですよね。わかってはいましたが、こうして言葉を聞けて安堵しています』
『僕は大好きなヴァイルさまのそばにずっといたいと思ってます。だから同じものになりたいと思いました』
『奥様はそれだけ深く旦那様を思っているということです。食事を与えられなかった間でさえ、奥様は旦那様を思っているのを感じていました』
あのとき水差しの水を替えていたのはインヤンだった。それを聞いたとき、シュエシは心から感謝した。あの水がなければシュエシはとっくに死んでいたはずで、こうしてヴァイルの花嫁になることもインヤンと話をすることもできなかっただろう。
『そういう奥様だから旦那様も眷属にされたのでしょう。たしかに奥様はほかの人とは違う部分を持っています。でも、それだけじゃありません。奥様だからこそ惹かれる何かがあったということです。そのことに旦那様が気づいているのかどうか』
インヤンの声がいつもと違って聞こえる。シュエシはただじっと黒い影を見つめた。
『旦那様は胸の奥に憎悪の炎を抱えたままでいます。どうかそれを癒やして差し上げてください。奥様なら、きっとそれができます』
インヤンの言葉に胸の奥がグッと重くなった。“憎悪”という言葉に冷たいヴァイルの眼差しを思い出す。人について話をするとき、ヴァイルの黄金色の瞳は氷のように冷たくなる。それでも炎と表現するほど感情をむき出しにしたことはない。
(でも、たまに恐ろしい何かを感じることがある)
それがインヤンの言う“憎悪の炎”なのだろうか。
『どうか旦那様を愛して差し上げてください』
インヤンの言葉にシュエシは頷き、美しい化け物の姿を思い浮かべた。
「……!」
声にならない嬌声を上げながらシュエシが仰け反った。それを片手で支えながらヴァイルがさらにグイッと腰を突き上げる。気がつけば向かい合いながら交わることが定番になりつつあった。この体勢が交わりながら吸血するのによいのだとヴァイルは言うが、ベッドに横たわって交わるより深いところまで暴かれるのがシュエシにはつらい。
(奥、苦し……深すぎて、怖い……っ)
ヴァイルの楔を咥える後孔はギチギチに広がり、腹の中もこれでもかと押し拡げられている。それだけでも苦しいが、シュエシにとってもっともつらいのは一番奥まで埋められることだ。
初めて最奥を押し上げられたとき、何が起きたのかわからなかった。一瞬にして目の前が弾け呼吸ができなくなる。チカチカと眩しく感じるものの目を開いているのか閉じているのかさえわからなかった。太く熱い楔が奥を突くたびにシュエシの性器から薄い白濁が噴き出し、それが自分とヴァイルの腹を濡らしていることにも気づくことができなかった。
いまも快楽と恐怖に全身を支配されていた。一気に貫かれないように膝をついていたシュエシだが、下から突き上げられては避けようがない。衝撃に仰け反り体を震わせながら、最奥をグイグイ押し上げられる感覚に下腹部がブルブルと震え出す。
「だ、め……!」
過ぎた快感は恐怖でしかない。体の奥を内側から抉られるのは恐ろしいことのはずなのに、それに強烈な快感を得てしまう自分が怖かった。震えながら必死にヴァイルの肩を掴みなんとか腰を上げようとするが、当然ヴァイルがそれを許すことはない。
「逃げるな。わたしを奥まで迎え入れろ」
「ひ……っ!」
「それに……おまえのここは悦んで受け入れようとしている」
「ぁうっ!」
ズンと突かれシュエシの性器からプシュッと飛沫が飛んだ。仰け反った背中はそのままに、頭がカクンと後ろに倒れる。それでもベッドに崩れ落ちなかったのはヴァイルが支えているのと体の中心を串刺しにされているからだ。
「そうだ、そのまま素直に受け入れろ。そのほうがより快感を得やすい」
「や……ぁ……!」
「中が蠢いて……奥が開いていくな……そうだ、深いところでわたしを受け止めるんだ」
「ぁ……あ、あ、あぁ……ぁ……」
全身がブルブルと震え出す。薄く開いた黒目は潤み、目尻からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。その涙が汗で乱れた黒髪に落ちた途端に鮮やかな艶が現れる。漆黒の髪のところどころに紅色の粒が現れキラキラと艶やかに光り始めた。
「あぁ……すばらしい香りがする。これほどよい香りを放つ者はほかにない」
「ぁ……」
ヴァイルの顔が仰け反るシュエシの首筋に近づく。クンと鼻を鳴らし、「いい香りだ」とつぶやくと触れるだけの口づけを肌に落とした。
「んっ!」
甘い声が漏れるのと同時に熟れた肉壁が貫く楔を食い締めた。鼻先を首筋に埋めたまま、ヴァイルが「っ」とわずかに息を呑む。
「まったく、おまえは理想的な花嫁だな」
「あ……もぅ……だめ……もう……っ」
「そのまま絶頂を迎えるがいい。わたしの熱を感じながら熟した血を捧げよ」
「あ、あ、ぁっ、あぁ、あ……――!」
目の前が弾け飛んだ。体の芯が激しく揺れ、絶頂と呼ぶには激しすぎる快楽がシュエシの全身を貫く。そうして肌を真っ赤にし欲望を一気に解き放った首筋にヴァイルが噛みついた。
最初に感じたのは痛みだった。しかしすぐに痛みは消え燃え上がるような熱に変わる。それもあっという間に痺れとなり、あとに待っていたのは止めどない悦楽だった。
(き、もち、いい……)
ドクドクと脈打つ首筋と、それに呼応するかのように鳴る喉の音に肌が粟立つ。しばらく続く吸血行為の間中、シュエシは快楽と多幸感に意識を包まれた。最後に肌を舐められ、軽く口づけられる頃には頭がぼんやりし視界もはっきりしなくなる。
「おまえの血は口にすればするほど惹きつけられる。これほど一人の血に夢中になったことはない。おまえが夜叉の業を背負っているからか……いや、それだけではないな」
きっと大事なことを話している。そう思っているのに少しずつヴァイルの声が遠のいていく。それでも聞かなくてはと思っていたシュエシだが、次第に声が聞こえなくなりゆっくりと意識を手放した。
ヴァイルを受け入れながら血を吸われるようになってから、シュエシは世話をしてくれる影と会話ができるようになった。はじめは戸惑ったものの、より一層化け物に近づいている気がしてうれしくなる。なによりこの影は自分と同じ東の国の者なのだ。
『本をお持ちしました。こちらでよいですか?』
『ありがとうございます』
影の声に東の国の言葉で返事をする。シュエシが東の国の言葉を使うのは久しぶりだった。発音を忘れている部分があったものの会話に不自由することはない。それもインヤンと名乗った影が発音の間違いを教えてくれるからで、シュエシはインヤンと東の国の言葉で会話するのが楽しみで仕方がなかった。
最近では西の国の文字もインヤンに教えてもらっている。いま影が持って来たのも子どもが読むという絵本で、絵と文字を見比べながら文字を覚えているところだ。
(はじめは驚いたけど、こうして話してると普通の人みたいだな)
それでも人とは違う。はっきり見えたとしても全身真っ黒な人型という状態で、顔の造作や髪の長さなど細かなところは判別できない。土地の人たちの前では人と変わらない姿になれるということだが、それはあくまで作り物だからとシュエシの前ではっきりした人の姿になることはなかった。
インヤンの母親はヴァイルの父親の愛人で、東の国の者だった。ここでいう愛人とは糧として血を捧げる人のことで、インヤンの母親は随分前に亡くなったと聞いている。
インヤンは彼の母親が化け物の糧となる前に生んだ子どもだった。しかし幼くして病死し、それでも母親と離れがたくてそばに居続けた。肉体を持たない子どもが漂っていることに気づいたのはヴァイルで、その後屋敷に住まうことを許され影として仕えるようになったのだと教えてくれた。
(亡くなったのは小さい頃だと聞いたけど……)
インヤンの人型を見る。背丈は自分より大きく、影の輪郭からして大人のように見えた。
『どうかしましたか?』
シュエシの視線に気づいたのか、頭らしき部分が首を傾げるように動いた。
『僕より体が大きいなと思って』
『あれこれするのに、このくらいの大きさがちょうどよいのです』
『もしかして大きさを変えることができるんですか?』
『多少はできますが、一度大きくなると小さくなるのは少し難しいですね』
『それは、影も成長するということですか?』
『どうでしょう。すでに魂しかない存在ですし、体が成長したり年を取ったりするわけではありませんから』
『そ、そうですよね。余計なことを言いました』
すでに死んでいる人に対して言う言葉ではなかった。シュエシが反省していると『奥様は優しい人ですね』と言われ、頬がサッと赤くなる。
シュエシは褒められ慣れていない。両親が生きていたときはそれなりに褒めてくれたのかもしれないが、もうほとんど覚えていなかった。そのせいか褒め言葉を聞くと気恥ずかしくて、つい俯いてしまう。その様子に黒い輪郭が微笑むようにユラユラと揺れた。
『奥様は恥ずかしがり屋だと聞いていますが、本当のようですね』
『……奥様と呼ばれるのも、聞いていて恥ずかしいです』
『しかし奥様は旦那様の花嫁なのですから、奥様でしょう?』
『そうかもしれませんが、でも僕は男なので』
『旦那様は花嫁にふさわしいと思って奥様を選ばれたのです。性別は気にしなくてよいと思いますよ?』
『それでもやっぱり、女性のほうがいいんじゃないかと……』
俯くというより項垂れている様子のシュエシに、黒い体が寄り添うように近づいた。
『旦那様は女性が好きだと思っているんですね』
『男は誰でもそうです。それに、女性のほうが柔らかくて気持ちがいいと聞いたことがあります』
『なるほど。わたしは女性に触れたことがないのでわかりませんが、気持ちがよいと感じるのは性別に関係ないのではないでしょうか』
黒い輪郭がゆらりと揺れ、腕らしき部分がすぅっと伸びた。それが俯くシュエシの肩に触れ、くるりと包み込むように形を変える。それに一瞬驚いたシュエシだが、すぐに抱きしめようとしてくれているのだとわかり顔がふわりとほころんだ。
『なんだか温かく感じます』
『わたしは影ですから感触も熱もありません。それでも奥様が温かいと感じるのなら、性別どころか存在さえ関係ないということでしょう』
『もしかして、慰めてくれたんですか?』
『慰めになったならよいのですが』
『ありがとうございます。元気が出てきました』
『どういたしまして』
肩を包み込んでいた黒いものがふわりと解け、再び見慣れた黒い影に戻った。影が絡みついた肩を撫でながら「僕もそういうことができれば」とつぶやく。
『旦那様を抱きしめたいのですか?』
インヤンの言葉にシュエシの顔が真っ赤になった。
『ふふっ、旦那様のお話どおり奥様はかわいらしい方ですね』
『か、かわいくはないと思います』
『そうでしょうか』
『かわいくも、それに美しくもありません。ただ、せっかく化け物になるのなら、せめて美しくなれればと……そうすれば美しいヴァイルさまの隣にいても……』
きっとふさわしく見えたはず。そこまでつぶやいたシュエシは、とんでもないことを口にしたと気づいた。慌てて『いまのは聞かなかったことにしてください』と揺れる黒い影に訴える。
『わかりました』
そう言った影が頭のあたりをユラユラと揺らした。
『インヤン?』
『奥様はもう少し旦那様と話をしたほうがよいのではありませんか?』
『話?』
『はい。こうしてわたしと話をするように』
『それは……こういうことは相手がインヤンだから話せるのです。それに、東の国の言葉のほうがスラスラ出てきますし』
両親とは東の国の言葉で話していた。だからか昔を思い出し気兼ねなく話すことができる。それにインヤンには同郷の友のような思いを抱いているからこそ、こうして胸の内を話すこともできた。
『大丈夫ですよ。奥様と話すのは旦那様もうれしいはずですから』
『……そうだと、いいんですけど』
『少なくとも、わたしたち影が話しかけるより喜ばれるのは間違いないです』
インヤンの言葉にシュエシは少しだけ勇気づけられた。お礼を言おうと顔を向けると、黒い霧がユラユラと揺れている。
『インヤン?』
落ち着かないように揺れる様子に、どうしたのだろうと顔らしき部分を見た。すると一瞬色を濃くした影が覗き込むようにシュエシに近づく。
『奥様は旦那様のことが好きですか?』
突然の問いかけにシュエシの顔が赤くなった。視線をさまよわせたのは一瞬で、すぐに『はい』と答える。それにインヤンが『よかった』とホッとしたような声を返した。
『そうでなければ旦那様と同じものにはならないですよね。わかってはいましたが、こうして言葉を聞けて安堵しています』
『僕は大好きなヴァイルさまのそばにずっといたいと思ってます。だから同じものになりたいと思いました』
『奥様はそれだけ深く旦那様を思っているということです。食事を与えられなかった間でさえ、奥様は旦那様を思っているのを感じていました』
あのとき水差しの水を替えていたのはインヤンだった。それを聞いたとき、シュエシは心から感謝した。あの水がなければシュエシはとっくに死んでいたはずで、こうしてヴァイルの花嫁になることもインヤンと話をすることもできなかっただろう。
『そういう奥様だから旦那様も眷属にされたのでしょう。たしかに奥様はほかの人とは違う部分を持っています。でも、それだけじゃありません。奥様だからこそ惹かれる何かがあったということです。そのことに旦那様が気づいているのかどうか』
インヤンの声がいつもと違って聞こえる。シュエシはただじっと黒い影を見つめた。
『旦那様は胸の奥に憎悪の炎を抱えたままでいます。どうかそれを癒やして差し上げてください。奥様なら、きっとそれができます』
インヤンの言葉に胸の奥がグッと重くなった。“憎悪”という言葉に冷たいヴァイルの眼差しを思い出す。人について話をするとき、ヴァイルの黄金色の瞳は氷のように冷たくなる。それでも炎と表現するほど感情をむき出しにしたことはない。
(でも、たまに恐ろしい何かを感じることがある)
それがインヤンの言う“憎悪の炎”なのだろうか。
『どうか旦那様を愛して差し上げてください』
インヤンの言葉にシュエシは頷き、美しい化け物の姿を思い浮かべた。
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