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10 後宮バトルロワイヤル1

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 ちょうど使い切った絵の具がアールエッティ王国から届いたと聞いて、侍女が届けてくれるのを待つより取りに行くほうが早いと思った僕が浅はかだった。そう反省したのは、前方から五人の姫君たちが歩いて来るのが見えたからだ。

(……面倒だな)

 そう思いはしたものの、姫君たちも僕の姿に気づいたようだから踵を返すのもよくない。「仕方ない」と小さくため息をつき、廊下の端に寄って通り過ぎようと軽く会釈したときだった。

(お……っと、危ない)

 爪先が何かにぶつかって躓きかけた。スッと消えた棒のようなものは……なるほど、姫君の一人が手にしている日傘か。
 おそらく、日傘に足を引っかけて転べばいいとでも思ったのだろう。もし僕が姫君たちのような靴を履いていたら目論見どおり転んでいたかもしれない。

「そういえば、あの方の荷物は絵の道具ばかりだったそうよ」
「まぁ。一体何をしにここにいらっしゃったのかしら」
「お妃候補ではなくて、絵を描きにいらっしゃったのね」

 扇子で口元を隠してはいるが、明らかに僕に聞こえるように話している。こうした言葉は、姫君たちとすれ違うたびに頻繁に耳にするようになった。これが王太子の後宮での日常なのだろう。

(まぁ、三十人近くもいればそうなるか)

 互いに牽制し合い、誰よりも早く殿下の子を生みたいと誰もが思っている。そのためには弱者を妃候補という舞台から早く退場させたいに違いない。

(これまで、何人の妃候補が退場したのだろうな……)

 現在は三十人近くいる妃候補だが、一時期はそれより多かったという話を耳にした。ということは脱落者が何人もいたということだ。おそらくいまの僕のように弱者として目をつけられ、こうして集団でいびられでもしたのだろう。

(もしかして、こういうことを想定しての「身一つで来るように」ということだったのか)

 そうしなければ、姫君たちは大勢の侍女を連れて後宮にやって来たはずだ。そうなればこの程度の小競り合いで済むはずがなく、それこそ後宮内で家や国同士の争いになっていたかもしれない。

(……で、侍女たちの代わりに姫君同士で集団を作っているというわけだな)

 昨日は七人の集団とすれ違った。すれ違いざまに嘲笑され、同じような言葉を投げかけられた。その前は三人、その前は六人だったか。複数の集団に属している姫君もいるようだが、大方は一つの集団に入っていることも何となくわかった。
 一人ではできないことも、複数なら声を上げられる。別に悪いことだとは思わないが、ときに恐ろしい結果を生むこともある。姫君たちは、そのことに気づいているのだろうか。

(そもそも、最後は個人戦になるんじゃないか?)

 最初の妃の座を狙っての争いなら、勝者は最初に子を孕んだ者になる。つまり、最終的には誰か一人が生き残るということで、いま手を取り合っている集団内で互いに蹴落とす争いが起きるということでもあった。

(なんとも恐ろしい話だな……)

 いっそ憐れに思えてくる。しかし、僕もそんな妃候補の一人なのだ。悠長に「後宮とは恐ろしいものだな」なんて感心している場合ではない。
 ……わかってはいるものの、こうした足の引っ張り合いのなかったアールエッティ王国で育った僕は、誰かの足を引っ張ることには気が引けてしまう。

(ということは、僕が誰よりも早く子を孕んでしまえばいいということなんだろうが……)

 それが何よりも難しい。三十人近くの妃候補の誰よりも殿下の目にとまることなど、はたして僕にできるのだろうか。

「いくらΩだったとしても、男性ですものね。早々に諦めたほうが身のためというものだわ」
「そもそも男性のΩが本当に子を生めるのかわからないじゃないの」
「そうよね。男性のΩなんて長い間生まれていないのだし、子を授かることができるのか怪しいものだわ」

 その意見には僕も大いに頷きたい。元侍医の話では男のΩも確実に妊娠するということだったが、そもそもαのアレを入れる場所がないじゃないか。いくら探しても見つからないし、新しく穴が空く様子もない。それでどうやって子を孕めるというのだろうか。

(……いやいや、それではアールエッティ王国の未来が危うくなってしまう)

 それ以前に、発情していないことも問題だ。あぁ、いまの僕には問題が山積しまくっている。一人でどうにかできることなら努力もするが、殿下に接触することくらいしかできないのが現状だった。

「もっと焦るべきか。いや、焦りすぎては引かれてしまう可能性がある。ということは、ここはやはりじっくり距離を縮めて……いや、それでは時間が……となれば、多少は強引にいくことも考えるべきか」

 口元に手を当てながら、ついそんなことを口走ってしまった。「しまった」と気づいて慌てて口をつぐんだ。勝手にしゃべり出すなんて、姫君たちの機嫌をさらに損ねてしまったに違いない……そう思い、さらなる嘲笑を覚悟しながら視線を上げる。しかし目の前に姫君たちの姿はなく、奥へと歩いて行く背中が見えただけだった。
 そういえば、「嫌だわ、独り言かしら」「気味が悪い」「白っぽい見た目も怖いわね」という言葉が聞こえたような気もする。

「たしかに、東のほうには僕のような色合いの人間は少ないな」

 アールエッティ王国がある北西の地域には色の薄い人間が多く住んでいる。一方、ビジュオール王国がある東や南側は黒髪や黒目が多く、肌の色も僕たちより少し濃い気がした。
 そんな中では、僕のように銀色の髪や淡い碧眼は気味が悪く見えるのだろう。しかも僕の髪は短いながらもフワッフワだ。小さい頃、陽気でキザな従兄殿に「空に浮かぶ雲のようだな」と言われたことがあるが、それも気味が悪く見える一因かもしれない。

「ということは、やはり姫君たちに遭遇しないのが一番か」

 僕には姫君たちのように集団で立ち向かおうなんて気持ちはない。元々蹴落とそうという気すらない。であれば、極力接触しないのが後宮で生き残る最善策のような気がする。

「やれやれ、考えなければいけないことが本当に多いな」

 しかし、これも国のためだ。なんとしても後宮で生き残り、最初に殿下の子を生まなければならない。そうして妃になり、アールエッティ王国の借金と未来を何とかするのだ。

「それに、男の僕には期限があるようだしな……」

 それが最大の問題だった。いつまで後宮に滞在できるのか確認してはいないが、最初の殿下の言葉から察するに、そう長くはないだろう。

「締め切りがわからないということは、これほど不安なものなのか」

 絵を描くときには必ず締め切りというものを設定し、それに向かってひたすら突き進んでいく。しかし、今回はその締め切りがまったくわからないのだ。
 だからと言って、下手に尋ねて「そんなに国へ帰りたいのか?」と勘違いされても困る。やれやれ、妃になることがこれほど大変だとは思わなかった。

「こんな状況で過ごしていらっしゃる叔母上はすごいな」

 アールエッティ王国の隣国コントリノール王国の後宮には五人の妃がいる。叔母上は、その中でも第二妃として揺るぎない立場を築かれていた。だから財政難に陥っている我が国を、芸術品を買うという方法で何度も助けることができたのだ。
 そのためには相当な努力と辛抱をされてきたに違いない。そう思うと、これまで以上に尊敬の念を抱かざるを得ない。

「そんな王家で逞しく育った従兄殿も、ある意味すごいのかもしれないのか」

 残念ながら、恋の駆け引きは下手なようだが……。僕は両方の頬をぶたれて呆然と立ち尽くしていた従兄殿と、鼻息も荒く睨みつけた妹を思い出し、懐かしいアールエッティ王国に思いを馳せた。
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