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「あの、康孝さん、」
「大丈夫、きみが嫌がることはしない。それにうなじも噛まないから」
「……っ」
うなじと言われてドキッとした。シャツのボタンを外す康孝さんを止めようとしていた手が一瞬だけ止まる。そんな僕に康孝さんは「噛むのは結婚してからにしよう」と囁き、うなじを覆う首飾りをするりと撫でた。
「んっ」
漏れ出た声に驚いたのは僕のほうだった。慌てて唇を噛むと「腰に来る声だね」と言いながら康孝さんの手がベルトにかかる。
「だめ、」
「本当に? 本当に駄目ならやめるよ?」
手を止めた康孝さんが僕をじっと見る。あまりに熱っぽい視線に耐えられず、そっと顔を背けた。
「わたしがどれだけ珠希くんを想っているか教えてあげたいんだ。どれだけ我慢してきたかを含めてね。こんなわたしを浅ましいやつだと軽蔑するかい?」
初めて聞く自信なさげな声に慌てて首を横に振った。僕が康孝さんを軽蔑することなんて絶対にない。
「で、でも、」
「自信がない?」
言われてドキッとした。同時にストンと腑に落ちた。
許嫁になって一年、こういう関係になっていてもおかしくないのにそうならないことにどこかでホッとしていた。婚前交渉は駄目だというのは昔の話で、婚約した段階でうなじを噛まれるΩも多い。それなのに僕はどうしてもそういう行為への抵抗が拭えなかった。手を繋ぐのはよくても肌に触れられるのは怖い。それは康孝さんが相手でも同じだった。
どうしてそう思うのかわからなかった。でも、ようやく理由がわかった。
(自分に自信がないからだ)
経験したことがないから怖いということもある。でも、それよりも「全部知られて幻滅されたらどうしよう」というほうが怖かった。
家族の中で役立たずなのは僕だけで、Ωとしても凡庸な自分がずっと嫌だった。こんな僕を康孝さんが本当に選んでくれるとはどうしても思えない。このまま先に進んだら、きっと幻滅されてしまう。
(それに、僕の体はきっと具合がよくないだろうし)
以前パーティで耳にした言葉を思い出し、康孝さんの腕を掴む手に力が入った。
Ωは通常、三カ月から四カ月に一度発情する。そのときαを惹きつける魅力的な香りが出ると言われているけれど、僕の香りはとても弱い。初めての発情でそのことに気づいた母は眉をひそめ、父は落胆した。兄たちは「これが弟なんてみっともない」という目で僕を見た。
Ωは発情していなくても具合がいいと言われている。でも、香りすら満足にしない僕の体がいいはずがない。そのことに康孝さんが気づけば、きっと婚約を早まったと思うだろう。αとΩでもっとも大事なのは交わって子を作ることだ。そのためには交わりたいと思わせる体でなくては駄目で、華族のΩなら誰もがそうありたいと願っている。
(それなのに僕は……)
康孝さんに幻滅されるのが怖い。このまま行為を進めるのが怖い。
「珠希くん、わたしの香りを嗅いでみて」
「え……?」
「ゆっくりでいいから、嗅いでみて」
もしかして康孝さんのαの香りを、ということだろうか。
(αの香り……どうしよう)
両親や兄たちの香りを嗅いだことはあるけれど、いい香りだと思ったことは一度もない。パーティ会場で無理やり嗅がされたときも吐き気しかしなかった。それ以来、αの香りというだけで胸がつかえるようになってしまった。
康孝さんの香りを嗅いで同じようなことになったらどうしよう。αの香りを嫌うΩなんて笑い話にもならない。それが怖いのに、康孝さんの香りだというだけで胸が高鳴った。嗅いでみたいという欲に負けて、そっと息を吸う。
(……少し甘くて……でもすっきりしている)
おそるおそる嗅いだ香りは想像していたものと全然違っていた。もう一度吸うと、より甘さを感じるような気がする。花のような洋菓子のような何とも言えない甘い香りにうっとりと目を閉じた。
「この香りは好きかい?」
「はい」
「それじゃあ、もっと嗅いでみて」
言われるままに深く息を吸った。鼻から入ってくる香りが胸を満たし、なぜか頭まで満たされるような気がする。そのせいか全身がふわふわしてきた。元日に唇を濡らすだけの御神酒の香りに酔ってしまったときに似ている。
「この香り、好きです」
「よかった。それに……うん、珠希くんの香りも少し強くなっている。わたしたちは香りの相性がいいんだろうね」
「香りの相性……?」
目を開けると康孝さんの微笑む顔がすぐ近くにあって顔が熱くなった。
「αとΩにとっては大事なことだよ。それに香りの相性がいいと体の相性もいいと言うからね」
「からだのあいしょう、」
駄目だ、ぼんやりして康孝さんの言葉がうまく理解できない。それでも僕は康孝さんの香りを嗅がずにはいられなかった。
すぅっと吸い込むと体がポカポカしてくる。体の奥がじんわり温かくなり、それが手足の先まで広がるようだった。
「あ、」
急に首のあたりが熱くなった気がした。戸惑っていると、康孝さんの手が首飾りの上からうなじを撫でる。
「んっ」
くすぐったいような、それでいてむず痒いような奇妙な感覚に体がふるっと震えた。僕はうなじを撫でる康孝さんの右手を止めようと左手を伸ばした。片手ではうまく止められなくて右手も伸ばし、指を絡める。
それでも康孝さんの手は止まらなかった。指を絡めたまま首飾りを撫でられ「ぁっ」と声が漏れる。
「やっぱり珠希くんの声は腰に来るね」
「んっ」
「指を絡めたままうなじを撫でることになるとは思わなかったけど、これはこれでなかなか」
「んふ、」
「このままほかも撫でてみようか」
指を絡めた手が首筋を撫でながら別の場所に移るのがわかった。
「ぁ、」
シャツが肩からすべり落ちるのがわかった。そうしてさらけ出された肩を撫でられて腕が震える。
「ん!」
胸を撫でられて絡めた指が震えた。
「あぅ」
自分の手が乳首に触れて体がビクッと跳ねる。
「珠希くん、ベッドに行こう」
「でも、」
「大丈夫、運んであげるよ」
指を絡めていた手が離れていく。それが寂しくて手を伸ばすと「おいで」と言って康孝さんが僕を抱え上げてくれた。
「大丈夫、きみが嫌がることはしない。それにうなじも噛まないから」
「……っ」
うなじと言われてドキッとした。シャツのボタンを外す康孝さんを止めようとしていた手が一瞬だけ止まる。そんな僕に康孝さんは「噛むのは結婚してからにしよう」と囁き、うなじを覆う首飾りをするりと撫でた。
「んっ」
漏れ出た声に驚いたのは僕のほうだった。慌てて唇を噛むと「腰に来る声だね」と言いながら康孝さんの手がベルトにかかる。
「だめ、」
「本当に? 本当に駄目ならやめるよ?」
手を止めた康孝さんが僕をじっと見る。あまりに熱っぽい視線に耐えられず、そっと顔を背けた。
「わたしがどれだけ珠希くんを想っているか教えてあげたいんだ。どれだけ我慢してきたかを含めてね。こんなわたしを浅ましいやつだと軽蔑するかい?」
初めて聞く自信なさげな声に慌てて首を横に振った。僕が康孝さんを軽蔑することなんて絶対にない。
「で、でも、」
「自信がない?」
言われてドキッとした。同時にストンと腑に落ちた。
許嫁になって一年、こういう関係になっていてもおかしくないのにそうならないことにどこかでホッとしていた。婚前交渉は駄目だというのは昔の話で、婚約した段階でうなじを噛まれるΩも多い。それなのに僕はどうしてもそういう行為への抵抗が拭えなかった。手を繋ぐのはよくても肌に触れられるのは怖い。それは康孝さんが相手でも同じだった。
どうしてそう思うのかわからなかった。でも、ようやく理由がわかった。
(自分に自信がないからだ)
経験したことがないから怖いということもある。でも、それよりも「全部知られて幻滅されたらどうしよう」というほうが怖かった。
家族の中で役立たずなのは僕だけで、Ωとしても凡庸な自分がずっと嫌だった。こんな僕を康孝さんが本当に選んでくれるとはどうしても思えない。このまま先に進んだら、きっと幻滅されてしまう。
(それに、僕の体はきっと具合がよくないだろうし)
以前パーティで耳にした言葉を思い出し、康孝さんの腕を掴む手に力が入った。
Ωは通常、三カ月から四カ月に一度発情する。そのときαを惹きつける魅力的な香りが出ると言われているけれど、僕の香りはとても弱い。初めての発情でそのことに気づいた母は眉をひそめ、父は落胆した。兄たちは「これが弟なんてみっともない」という目で僕を見た。
Ωは発情していなくても具合がいいと言われている。でも、香りすら満足にしない僕の体がいいはずがない。そのことに康孝さんが気づけば、きっと婚約を早まったと思うだろう。αとΩでもっとも大事なのは交わって子を作ることだ。そのためには交わりたいと思わせる体でなくては駄目で、華族のΩなら誰もがそうありたいと願っている。
(それなのに僕は……)
康孝さんに幻滅されるのが怖い。このまま行為を進めるのが怖い。
「珠希くん、わたしの香りを嗅いでみて」
「え……?」
「ゆっくりでいいから、嗅いでみて」
もしかして康孝さんのαの香りを、ということだろうか。
(αの香り……どうしよう)
両親や兄たちの香りを嗅いだことはあるけれど、いい香りだと思ったことは一度もない。パーティ会場で無理やり嗅がされたときも吐き気しかしなかった。それ以来、αの香りというだけで胸がつかえるようになってしまった。
康孝さんの香りを嗅いで同じようなことになったらどうしよう。αの香りを嫌うΩなんて笑い話にもならない。それが怖いのに、康孝さんの香りだというだけで胸が高鳴った。嗅いでみたいという欲に負けて、そっと息を吸う。
(……少し甘くて……でもすっきりしている)
おそるおそる嗅いだ香りは想像していたものと全然違っていた。もう一度吸うと、より甘さを感じるような気がする。花のような洋菓子のような何とも言えない甘い香りにうっとりと目を閉じた。
「この香りは好きかい?」
「はい」
「それじゃあ、もっと嗅いでみて」
言われるままに深く息を吸った。鼻から入ってくる香りが胸を満たし、なぜか頭まで満たされるような気がする。そのせいか全身がふわふわしてきた。元日に唇を濡らすだけの御神酒の香りに酔ってしまったときに似ている。
「この香り、好きです」
「よかった。それに……うん、珠希くんの香りも少し強くなっている。わたしたちは香りの相性がいいんだろうね」
「香りの相性……?」
目を開けると康孝さんの微笑む顔がすぐ近くにあって顔が熱くなった。
「αとΩにとっては大事なことだよ。それに香りの相性がいいと体の相性もいいと言うからね」
「からだのあいしょう、」
駄目だ、ぼんやりして康孝さんの言葉がうまく理解できない。それでも僕は康孝さんの香りを嗅がずにはいられなかった。
すぅっと吸い込むと体がポカポカしてくる。体の奥がじんわり温かくなり、それが手足の先まで広がるようだった。
「あ、」
急に首のあたりが熱くなった気がした。戸惑っていると、康孝さんの手が首飾りの上からうなじを撫でる。
「んっ」
くすぐったいような、それでいてむず痒いような奇妙な感覚に体がふるっと震えた。僕はうなじを撫でる康孝さんの右手を止めようと左手を伸ばした。片手ではうまく止められなくて右手も伸ばし、指を絡める。
それでも康孝さんの手は止まらなかった。指を絡めたまま首飾りを撫でられ「ぁっ」と声が漏れる。
「やっぱり珠希くんの声は腰に来るね」
「んっ」
「指を絡めたままうなじを撫でることになるとは思わなかったけど、これはこれでなかなか」
「んふ、」
「このままほかも撫でてみようか」
指を絡めた手が首筋を撫でながら別の場所に移るのがわかった。
「ぁ、」
シャツが肩からすべり落ちるのがわかった。そうしてさらけ出された肩を撫でられて腕が震える。
「ん!」
胸を撫でられて絡めた指が震えた。
「あぅ」
自分の手が乳首に触れて体がビクッと跳ねる。
「珠希くん、ベッドに行こう」
「でも、」
「大丈夫、運んであげるよ」
指を絡めていた手が離れていく。それが寂しくて手を伸ばすと「おいで」と言って康孝さんが僕を抱え上げてくれた。
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