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「なに言って……」
「本当は最初から連れて行こうって思ってたんだ」
捕まえたと言わんばかりにアージルの腕にますます力が入る。逃げ出すことができないほどの腕の力に、シィグは初めて恐怖を感じた。
「おい、アージル」
「ごめんね。シィグが兎族の王子だってわかったとき、これは絶好の機会だって思ったんだ。兎族なのに狼族の僕に優しくしてくれるし、きっとうまくいくとも思った」
「アージル……」
(もしかして俺は騙されてたのか?)
そう思った途端に胸がぎゅっと苦しくなった。これまで見てきたアージルの笑顔が嘘だったのかと思うとズキズキとした痛みまで感じる。
「……俺を騙してたのか」
シィグの言葉に抱きしめる力がさらに強くなった。
(あぁ、俺は狼族に狩られるんだ)
そう思った。同時に「騙そうと考えてたのは俺も同じか」と力が抜ける。そんなシィグの様子に気づいたアージルは、慌てたように「違うよ、そうじゃない」と口にした。
「ええと、出会ったときはそう思ったけど、無理やりになんて考えてないから」
「じゃあ、何でウォルファ王国に行こうなんて言うんだよ。それって、俺がラビッター王国の王子だから狩ってしまおうってことだろ?」
「それはまぁ、間違ってはないんだけど。でもちょっと違う」
アージルの額がシィグの後頭部にコツンとぶつかる。そうしてスンスンと鼻を鳴らし始めた。
「あぁ、やっぱりこの匂い、好きだなぁ」
「は……?」
「僕ね、シィグの匂いが好きなんだ。甘くて柔らかくて、すごくおいしそうなんだもん」
「それって……」
もしかして食べようって話じゃ……。シィグの体がブルッと震えた。
そういえば、狼族に狩られた兎族がその後どうなるのか聞いたことがない。シィグが知っているのは、狩られた兎族は誰一人として王国に戻って来ないという話だけだ。
それに、王家には“ひどいことをされたくないなら狼族には死んでも捕まってはならない”という言い伝えがあった。「どうせ黒兎の話と同じようなもんだろ」と軽く考えていたが、こっちは正真正銘役に立つ言い伝えだったに違いない。
「はぁ、匂いを嗅ぐだけでたまらなくなる。毎日食べたくて我慢するのが大変だったんだ。食べたくて食べたくて眠れない夜だってあった。でもシィグを怖がらせたくないし、できれば合意の上がいいなぁと思ってずっと我慢してたんだ」
「アージル、」
「そう思いながら毎日抱きしめてた。毎日僕の匂いを嗅いでいれば、そのうち慣れてくれるんじゃないかって期待もした。そしたらシィグ、すぐに慣れてくれて嬉しかったなぁ。最近じゃ抱きしめながら寝ても怒らないし、だから『これはもういけるんじゃないか』って思ったんだ」
耳の付け根にアージルの息がかかる。たったそれだけでシィグの体も耳も大袈裟なくらい震えた。そんな黒耳の縁にアージルがぱくりと噛みついた。
「ひっ」
「ん……柔らかくておいしい」
「ひ、ひっ」
「兎族の耳は後ろの穴と柔らかさが似てるって聞いたことがあるんだけど、実際はどうなんだろう。もし本当にこれだけ柔らかいなら、僕のだってすぐに入りそうだよね」
「ひ、ひ、」
「小柄だから本当に入るか心配だったんだ。全部入れたらお腹が破けちゃうんじゃないかと思って、いつも不安になる。でも、先っぽ入れたら止まらなくなるだろうし……。シィグの体、どこまで入るかなぁ」
「ひ……!」
大きな手で腹を撫でられて鳥肌が立った。もしかして内蔵から食べられるのかと思ったら腹の底がヒュッと冷たくなる。
全身が凍えるような恐怖がせり上がってきた。いますぐ逃げ出したいのに、腰が抜けてしまったのか足に力が入らない。そもそも小柄な兎族が体格や力で上回る狼族から逃れるはずがなかった。
「あぁ、どうしよう。いますぐ食べたい」
「ひ……っ」
恐ろしいことを口にしながら、背後からアージルが頬を寄せてきた。シィグの体は背中からすっぽり抱き込まれ、ますます逃げ道がなくなる。あまりの恐怖にブルブル震えていると、ぺろんと頬を舐められて「ひぃっ」と情けない声が漏れた。全身から一気に血の気が引いていく。
(狼族が、こんなに怖いものだったなんて知らなかった)
出し抜けると思ったアージル相手でさえこうなのだから、当初の予定どおりウォルファ王国に潜り込んでいたらどうなっていただろう。身分の高い狼族を捕まえる前にシィグのほうが捕まっていたに違いない。そうして毛をむしられ皮を剥がれて食べられていたかもしれない。
(嫌だ……食べられたくなんかない……まだやりたいことがたくさんあるのに……!)
城下町や近くの森しか知らないまま死ぬなんて嫌だ。もっといろんなところに行ってみたいし見てみたい。
(王様になるなんて、本当はどうでもよかったんだ)
ただ自由がほしかった。王様になることしか、自由を得られる手段が思いつかなかっただけだ。そもそもあんな窮屈な王宮生活はこっちから願い下げだ。
(俺は、ただ自由になりたかっただけなのに)
いろんなところに行って、いろんな人に会って、それに恋だってしたかった。大好きな誰かと一緒にご飯を食べたり昼寝をしたり、たまには喧嘩をしたり抱き合ったり、そんなささやかな夢を何度も見てきた。
(それなのに、こんなところで狩られるなんて)
俺の人生、たった二十一年しかなかったなんて残酷すぎる。シィグはぽろぽろと涙をこぼした。恐怖と情けない自分に涙が止まらない。そんなシィグの濡れた頬をアージルが再びぺろりと舐める。
「シィグ、大好きだよ」
「…………は?」
「シィグ、僕の伴侶になって。そして一緒にウォルファ王国に行こう?」
驚きのあまりぴたりと涙が止まった。同じように思考もぴたりと止まり、震えていたシィグの体もがっちりと固まっていた。
「本当は最初から連れて行こうって思ってたんだ」
捕まえたと言わんばかりにアージルの腕にますます力が入る。逃げ出すことができないほどの腕の力に、シィグは初めて恐怖を感じた。
「おい、アージル」
「ごめんね。シィグが兎族の王子だってわかったとき、これは絶好の機会だって思ったんだ。兎族なのに狼族の僕に優しくしてくれるし、きっとうまくいくとも思った」
「アージル……」
(もしかして俺は騙されてたのか?)
そう思った途端に胸がぎゅっと苦しくなった。これまで見てきたアージルの笑顔が嘘だったのかと思うとズキズキとした痛みまで感じる。
「……俺を騙してたのか」
シィグの言葉に抱きしめる力がさらに強くなった。
(あぁ、俺は狼族に狩られるんだ)
そう思った。同時に「騙そうと考えてたのは俺も同じか」と力が抜ける。そんなシィグの様子に気づいたアージルは、慌てたように「違うよ、そうじゃない」と口にした。
「ええと、出会ったときはそう思ったけど、無理やりになんて考えてないから」
「じゃあ、何でウォルファ王国に行こうなんて言うんだよ。それって、俺がラビッター王国の王子だから狩ってしまおうってことだろ?」
「それはまぁ、間違ってはないんだけど。でもちょっと違う」
アージルの額がシィグの後頭部にコツンとぶつかる。そうしてスンスンと鼻を鳴らし始めた。
「あぁ、やっぱりこの匂い、好きだなぁ」
「は……?」
「僕ね、シィグの匂いが好きなんだ。甘くて柔らかくて、すごくおいしそうなんだもん」
「それって……」
もしかして食べようって話じゃ……。シィグの体がブルッと震えた。
そういえば、狼族に狩られた兎族がその後どうなるのか聞いたことがない。シィグが知っているのは、狩られた兎族は誰一人として王国に戻って来ないという話だけだ。
それに、王家には“ひどいことをされたくないなら狼族には死んでも捕まってはならない”という言い伝えがあった。「どうせ黒兎の話と同じようなもんだろ」と軽く考えていたが、こっちは正真正銘役に立つ言い伝えだったに違いない。
「はぁ、匂いを嗅ぐだけでたまらなくなる。毎日食べたくて我慢するのが大変だったんだ。食べたくて食べたくて眠れない夜だってあった。でもシィグを怖がらせたくないし、できれば合意の上がいいなぁと思ってずっと我慢してたんだ」
「アージル、」
「そう思いながら毎日抱きしめてた。毎日僕の匂いを嗅いでいれば、そのうち慣れてくれるんじゃないかって期待もした。そしたらシィグ、すぐに慣れてくれて嬉しかったなぁ。最近じゃ抱きしめながら寝ても怒らないし、だから『これはもういけるんじゃないか』って思ったんだ」
耳の付け根にアージルの息がかかる。たったそれだけでシィグの体も耳も大袈裟なくらい震えた。そんな黒耳の縁にアージルがぱくりと噛みついた。
「ひっ」
「ん……柔らかくておいしい」
「ひ、ひっ」
「兎族の耳は後ろの穴と柔らかさが似てるって聞いたことがあるんだけど、実際はどうなんだろう。もし本当にこれだけ柔らかいなら、僕のだってすぐに入りそうだよね」
「ひ、ひ、」
「小柄だから本当に入るか心配だったんだ。全部入れたらお腹が破けちゃうんじゃないかと思って、いつも不安になる。でも、先っぽ入れたら止まらなくなるだろうし……。シィグの体、どこまで入るかなぁ」
「ひ……!」
大きな手で腹を撫でられて鳥肌が立った。もしかして内蔵から食べられるのかと思ったら腹の底がヒュッと冷たくなる。
全身が凍えるような恐怖がせり上がってきた。いますぐ逃げ出したいのに、腰が抜けてしまったのか足に力が入らない。そもそも小柄な兎族が体格や力で上回る狼族から逃れるはずがなかった。
「あぁ、どうしよう。いますぐ食べたい」
「ひ……っ」
恐ろしいことを口にしながら、背後からアージルが頬を寄せてきた。シィグの体は背中からすっぽり抱き込まれ、ますます逃げ道がなくなる。あまりの恐怖にブルブル震えていると、ぺろんと頬を舐められて「ひぃっ」と情けない声が漏れた。全身から一気に血の気が引いていく。
(狼族が、こんなに怖いものだったなんて知らなかった)
出し抜けると思ったアージル相手でさえこうなのだから、当初の予定どおりウォルファ王国に潜り込んでいたらどうなっていただろう。身分の高い狼族を捕まえる前にシィグのほうが捕まっていたに違いない。そうして毛をむしられ皮を剥がれて食べられていたかもしれない。
(嫌だ……食べられたくなんかない……まだやりたいことがたくさんあるのに……!)
城下町や近くの森しか知らないまま死ぬなんて嫌だ。もっといろんなところに行ってみたいし見てみたい。
(王様になるなんて、本当はどうでもよかったんだ)
ただ自由がほしかった。王様になることしか、自由を得られる手段が思いつかなかっただけだ。そもそもあんな窮屈な王宮生活はこっちから願い下げだ。
(俺は、ただ自由になりたかっただけなのに)
いろんなところに行って、いろんな人に会って、それに恋だってしたかった。大好きな誰かと一緒にご飯を食べたり昼寝をしたり、たまには喧嘩をしたり抱き合ったり、そんなささやかな夢を何度も見てきた。
(それなのに、こんなところで狩られるなんて)
俺の人生、たった二十一年しかなかったなんて残酷すぎる。シィグはぽろぽろと涙をこぼした。恐怖と情けない自分に涙が止まらない。そんなシィグの濡れた頬をアージルが再びぺろりと舐める。
「シィグ、大好きだよ」
「…………は?」
「シィグ、僕の伴侶になって。そして一緒にウォルファ王国に行こう?」
驚きのあまりぴたりと涙が止まった。同じように思考もぴたりと止まり、震えていたシィグの体もがっちりと固まっていた。
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