黒兎と白狼

朏猫(ミカヅキネコ)

文字の大きさ
上 下
5 / 7

しおりを挟む
「なに言って……」
「本当は最初から連れて行こうって思ってたんだ」

 捕まえたと言わんばかりにアージルの腕にますます力が入る。逃げ出すことができないほどの腕の力に、シィグは初めて恐怖を感じた。

「おい、アージル」
「ごめんね。シィグが兎族の王子だってわかったとき、これは絶好の機会だって思ったんだ。兎族なのに狼族の僕に優しくしてくれるし、きっとうまくいくとも思った」
「アージル……」

(もしかして俺は騙されてたのか?)

 そう思った途端に胸がぎゅっと苦しくなった。これまで見てきたアージルの笑顔が嘘だったのかと思うとズキズキとした痛みまで感じる。

「……俺を騙してたのか」

 シィグの言葉に抱きしめる力がさらに強くなった。

(あぁ、俺は狼族に狩られるんだ)

 そう思った。同時に「騙そうと考えてたのは俺も同じか」と力が抜ける。そんなシィグの様子に気づいたアージルは、慌てたように「違うよ、そうじゃない」と口にした。

「ええと、出会ったときはそう思ったけど、無理やりになんて考えてないから」
「じゃあ、何でウォルファ王国に行こうなんて言うんだよ。それって、俺がラビッター王国の王子だから狩ってしまおうってことだろ?」
「それはまぁ、間違ってはないんだけど。でもちょっと違う」

 アージルの額がシィグの後頭部にコツンとぶつかる。そうしてスンスンと鼻を鳴らし始めた。

「あぁ、やっぱりこの匂い、好きだなぁ」
「は……?」
「僕ね、シィグの匂いが好きなんだ。甘くて柔らかくて、すごくおいしそうなんだもん」
「それって……」

 もしかして食べようって話じゃ……。シィグの体がブルッと震えた。
 そういえば、狼族に狩られた兎族がその後どうなるのか聞いたことがない。シィグが知っているのは、狩られた兎族は誰一人として王国に戻って来ないという話だけだ。
 それに、王家には“ひどいことをされたくないなら狼族には死んでも捕まってはならない”という言い伝えがあった。「どうせ黒兎の話と同じようなもんだろ」と軽く考えていたが、こっちは正真正銘役に立つ言い伝えだったに違いない。

「はぁ、匂いを嗅ぐだけでたまらなくなる。毎日食べたくて我慢するのが大変だったんだ。食べたくて食べたくて眠れない夜だってあった。でもシィグを怖がらせたくないし、できれば合意の上がいいなぁと思ってずっと我慢してたんだ」
「アージル、」
「そう思いながら毎日抱きしめてた。毎日僕の匂いを嗅いでいれば、そのうち慣れてくれるんじゃないかって期待もした。そしたらシィグ、すぐに慣れてくれて嬉しかったなぁ。最近じゃ抱きしめながら寝ても怒らないし、だから『これはもういけるんじゃないか』って思ったんだ」

 耳の付け根にアージルの息がかかる。たったそれだけでシィグの体も耳も大袈裟なくらい震えた。そんな黒耳の縁にアージルがぱくりと噛みついた。

「ひっ」
「ん……柔らかくておいしい」
「ひ、ひっ」
「兎族の耳は後ろの穴と柔らかさが似てるって聞いたことがあるんだけど、実際はどうなんだろう。もし本当にこれだけ柔らかいなら、僕のだってすぐに入りそうだよね」
「ひ、ひ、」
「小柄だから本当に入るか心配だったんだ。全部入れたらお腹が破けちゃうんじゃないかと思って、いつも不安になる。でも、先っぽ入れたら止まらなくなるだろうし……。シィグの体、どこまで入るかなぁ」
「ひ……!」

 大きな手で腹を撫でられて鳥肌が立った。もしかして内蔵から食べられるのかと思ったら腹の底がヒュッと冷たくなる。
 全身が凍えるような恐怖がせり上がってきた。いますぐ逃げ出したいのに、腰が抜けてしまったのか足に力が入らない。そもそも小柄な兎族が体格や力で上回る狼族から逃れるはずがなかった。

「あぁ、どうしよう。いますぐ食べたい」
「ひ……っ」

 恐ろしいことを口にしながら、背後からアージルが頬を寄せてきた。シィグの体は背中からすっぽり抱き込まれ、ますます逃げ道がなくなる。あまりの恐怖にブルブル震えていると、ぺろんと頬を舐められて「ひぃっ」と情けない声が漏れた。全身から一気に血の気が引いていく。

(狼族が、こんなに怖いものだったなんて知らなかった)

 出し抜けると思ったアージル相手でさえこうなのだから、当初の予定どおりウォルファ王国に潜り込んでいたらどうなっていただろう。身分の高い狼族を捕まえる前にシィグのほうが捕まっていたに違いない。そうして毛をむしられ皮を剥がれて食べられていたかもしれない。

(嫌だ……食べられたくなんかない……まだやりたいことがたくさんあるのに……!)

 城下町や近くの森しか知らないまま死ぬなんて嫌だ。もっといろんなところに行ってみたいし見てみたい。

(王様になるなんて、本当はどうでもよかったんだ)

 ただ自由がほしかった。王様になることしか、自由を得られる手段が思いつかなかっただけだ。そもそもあんな窮屈な王宮生活はこっちから願い下げだ。

(俺は、ただ自由になりたかっただけなのに)

 いろんなところに行って、いろんな人に会って、それに恋だってしたかった。大好きな誰かと一緒にご飯を食べたり昼寝をしたり、たまには喧嘩をしたり抱き合ったり、そんなささやかな夢を何度も見てきた。

(それなのに、こんなところで狩られるなんて)

 俺の人生、たった二十一年しかなかったなんて残酷すぎる。シィグはぽろぽろと涙をこぼした。恐怖と情けない自分に涙が止まらない。そんなシィグの濡れた頬をアージルが再びぺろりと舐める。

「シィグ、大好きだよ」
「…………は?」
「シィグ、僕の伴侶になって。そして一緒にウォルファ王国に行こう?」

 驚きのあまりぴたりと涙が止まった。同じように思考もぴたりと止まり、震えていたシィグの体もがっちりと固まっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

もう一度、貴方に出会えたなら。今度こそ、共に生きてもらえませんか。

天海みつき
BL
 何気なく母が買ってきた、安物のペットボトルの紅茶。何故か湧き上がる嫌悪感に疑問を持ちつつもグラスに注がれる琥珀色の液体を眺め、安っぽい香りに違和感を覚えて、それでも抑えきれない好奇心に負けて口に含んで人工的な甘みを感じた瞬間。大量に流れ込んできた、人ひとり分の短くも壮絶な人生の記憶に押しつぶされて意識を失うなんて、思いもしなかった――。  自作「貴方の事を心から愛していました。ありがとう。」のIFストーリー、もしも二人が生まれ変わったらという設定。平和になった世界で、戸惑う僕と、それでも僕を求める彼の出会いから手を取り合うまでの穏やかなお話。

実家に帰らせていただきます!

syouki
BL
何百年ぶりかに現れた、魔王ルキアルド。それに伴い覚醒した平民、勇者ジル。 「魔王ルキアルド!覚悟し…」 「待ちかねたぞ!勇者ジル…」 顔を合わせた瞬間お互いが一目惚れ!そのままベッドイン&結婚までしてしまった。そんな二人に不穏な気配が…? ※設定はゆるゆるです。 ※作者独自の世界観の為ご都合主義です。 ※男性も妊娠します。 ※相変わらず書きながら進行しますので更新はゆっくりです。でも、必ず完結はさせます!!

君が好き過ぎてレイプした

眠りん
BL
 ぼくは大柄で力は強いけれど、かなりの小心者です。好きな人に告白なんて絶対出来ません。  放課後の教室で……ぼくの好きな湊也君が一人、席に座って眠っていました。  これはチャンスです。  目隠しをして、体を押え付ければ小柄な湊也君は抵抗出来ません。  どうせ恋人同士になんてなれません。  この先の長い人生、君の隣にいられないのなら、たった一度少しの時間でいい。君とセックスがしたいのです。  それで君への恋心は忘れます。  でも、翌日湊也君がぼくを呼び出しました。犯人がぼくだとバレてしまったのでしょうか?  不安に思いましたが、そんな事はありませんでした。 「犯人が誰か分からないんだ。ねぇ、柚月。しばらく俺と一緒にいて。俺の事守ってよ」  ぼくはガタイが良いだけで弱い人間です。小心者だし、人を守るなんて出来ません。  その時、湊也君が衝撃発言をしました。 「柚月の事……本当はずっと好きだったから」  なんと告白されたのです。  ぼくと湊也君は両思いだったのです。  このままレイプ事件の事はなかった事にしたいと思います。 ※誤字脱字があったらすみません

王子様のご帰還です

小都
BL
目が覚めたらそこは、知らない国だった。 平凡に日々を過ごし無事高校3年間を終えた翌日、何もかもが違う場所で目が覚めた。 そして言われる。「おかえりなさい、王子」と・・・。 何も知らない僕に皆が強引に王子と言い、迎えに来た強引な婚約者は・・・男!? 異世界転移 王子×王子・・・? こちらは個人サイトからの再録になります。 十年以上前の作品をそのまま移してますので変だったらすみません。

涙の悪役令息〜君の涙の理由が知りたい〜

ミクリ21
BL
悪役令息のルミナス・アルベラ。 彼は酷い言葉と行動で、皆を困らせていた。 誰もが嫌う悪役令息………しかし、主人公タナトス・リエリルは思う。 君は、どうしていつも泣いているのと………。 ルミナスは、悪行をする時に笑顔なのに涙を流す。 表情は楽しそうなのに、流れ続ける涙。 タナトスは、ルミナスのことが気になって仕方なかった。 そして………タナトスはみてしまった。 自殺をしようとするルミナスの姿を………。

好きな人の婚約者を探しています

迷路を跳ぶ狐
BL
一族から捨てられた、常にネガティブな俺は、狼の王子に拾われた時から、王子に恋をしていた。絶対に叶うはずないし、手を出すつもりもない。完全に諦めていたのに……。口下手乱暴王子×超マイナス思考吸血鬼 *全12話+後日談1話

【完結】召喚された勇者は贄として、魔王に美味しく頂かれました

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
BL
美しき異形の魔王×勇者の名目で召喚された生贄、執着激しいヤンデレの愛の行方は? 最初から贄として召喚するなんて、ひどいんじゃないか? 人生に何の不満もなく生きてきた俺は、突然異世界に召喚された。 よくある話なのか? 正直帰りたい。勇者として呼ばれたのに、碌な装備もないまま魔王を鎮める贄として差し出され、美味しく頂かれてしまった。美しい異形の魔王はなぜか俺に執着し、閉じ込めて溺愛し始める。ひたすら優しい魔王に、徐々に俺も絆されていく。もういっか、帰れなくても……。 ハッピーエンド確定 ※は性的描写あり 【完結】2021/10/31 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、エブリスタ 2021/10/03  エブリスタ、BLカテゴリー 1位

(完結)麗しの魔王様は美貌の恋人3人に溺愛される?(旧題 イケメン社長と僕)

青空一夏
BL
Hotランキング40位までいった作品です。(10/22 21:07時点 9,210pt) 「求む!!バイト!昼間の3時間だけのペットのお世話」の募集要項に惹かれ、面接に行った大樹はなぜか社長直々に面接されて即採用された。でも、ペットがいないのはなんで?と思っていたら、ペットって社長のことらしい? 背が高く筋肉質なイケメンの社長と大樹が織りなすコメディーと思わせ、実はこの大樹の正体は堕天使ルシファーだった。天使達との7回目の戦いで毒矢を放たれて記憶喪失になって人間界に降りていたらしい。ちなもに、社長と専務と常務はルシファーの恋人のベリアル、ベルセブブ、ヴェルフェゴールだった。記憶を取り戻すために学校にいくことになった大樹が繰り広げるハチャメチャ、イケメンだらけの世界。眼福です。ご都合主義、ゆるい設定、お許しくださいませ。

処理中です...