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13 新しい受付
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ニゲルが二つ目の太古の富を見つけてからというもの、古代遺跡を目指す冒険者の数がさらに増えた。リィナは「ね、言ったとおりでしょ!」と満面の笑みを浮かべながら受付業務をこなしている。隣で笑いながら「静かだった昔が嘘みたいね」と話しているサザリーも、街が賑やかになることを喜んでいるようだった。
古代遺跡向けの依頼書も増え、夜間の受付業務も随分と忙しくなってきた。ギルドマスターの話ではそろそろ新しい受付がやって来るはずだ。三人で話し合った結果、まずはサザリーと新人で日中を担当し、夜間は俺とリィナが受け持つことになった。なんでも新人はサウザンドルインズが初の仕事場らしく、ベテランのサザリーが見守るのがいいだろうと考えた結果だ。
(新人、いつ来るかな)
そんなことを思いながら、忙しなく仕事をしているサザリーたちを見る。すると、ちょうど酒場に入ってきたヒューゲルさんと視線が合った。
「やぁハイネ。今日も早めの夕飯か?」
「はい。ヒューゲルさんは依頼ですか?」
「いや、フリーでパーティに誘われてね。ニゲルはいないようだが、……あぁ、待ち合わせか」
「別に、待ち合わせてるわけじゃないですけど」
「しかし、わざわざ酒場で早めの夕飯なんて、以前はなかったことだろう?」
にこりと笑うヒューゲルさんの顔を見ていられなくて、そっと皿に視線を落とす。しかしそこに載っていたはずのサンドイッチはすでになく、随分前からここにいることを示している証拠のように見えた。
「別に照れなくていいさ。冒険者の恋人を待つなら酒場、というのは定番だ」
「だから、俺は別に……。ヒューゲルさんは、たまに意地悪ですよね」
「そうか? ようやく恋人ができた弟を応援している気分なんだがな」
「それは、……ありがとう、ございます」
こういうことはまったく慣れなくて、どうにも居心地が悪くなる。
俺とニゲルが恋人になったことは、あっという間に広まった。まさかそんなことまで大勢に知られてしまうと思っていなかった俺は、いまだに戸惑いを隠せないでいる。
それに、多くの冒険者とベッドを共にしてきた自分に恋人なんて、何か言われるに違いないと思っていた。なにより相手がニゲルだと知れ渡ったことで、ニゲルまでも何か言われるんじゃないかと心配もしていた。
しかし、ギルドにやって来る人も酒場で飲み食いする人も、誰にも悪く言われることはなかった。なかには下世話な話題を振ってくる人もいるが、元からそういう話や単語には慣れているからどうということはない。
それでも「恋人」という言葉が聞こえるとどうしようもなく顔が熱くなってしまい、最近では「恋する黄金の受付嬢を拝めばいいことがある」なんて、ろくでもない噂を流されてしまうくらいだ。
「ニゲルは依頼中か?」
「いえ、頼んでいた物を取りに行くからって、朝から隣街に行っていて」
品物が完成したと連絡が来たのは昨日の午後だった。別に急ぎでもないのに、「明日の朝一で取りに行きますから」と言ったニゲルを思い出す。
(早く俺に渡したいからって……)
何をしているんだと思いながらも、胸がくすぐったくて仕方がない。思わず口元が緩んでしまったからか、ヒューゲルさんにとんでもないことを言われてしまった。
「なるほど。朝見送った恋人を部屋で待っているのが落ち着かなくて、といったところか」
「ヒューゲルさんっ」
強めに名前を呼べば、「ははは、もう言わないよ」とにこやかに謝られた。
こうして屈託なく穏やかに笑う姿を、以前はあまり見なかったような気がする。それはベッドを共にする仲だったからか、……それとも、俺への気持ちを抱えていたからかはわからない。以前見ていた笑顔がただの笑顔じゃなかったことにも、最近気づいたくらいだ。
(きっと俺の気づかないところで、いろいろ考えていたんだろうな)
申し訳なく思うものの、それを態度に出してしまうほど俺も愚かじゃない。それに無理をしているような雰囲気ではないのだから、ヒューゲルさん同様に俺もいまの関係を素直に受け入れるほうがいいだろう。
「そういえば、新しい受付が来ると聞いたが?」
「そうなんです。ギルドマスターの話だと、数日以内には来るみたいですけど」
「これでハイネも少しは楽ができるな」
そう言いながら俺の肩に伸びてきたヒューゲルさんの手が、ぴたりと止まった。どうしたんだろうとそばに立つ大きな体を見上げると、器用にも片眉だけをひょいと跳ね上げている。
「ヒューゲルさん?」
「……はぁ。きみの恋人は本当に心が狭いな」
「え?」
どういうことだろうと首を傾げたとき、ヒューゲルさんの後ろにニゲルの顔が見えた。
「心が狭いと言われたことはありませんけど」
「では、嫉妬心の塊だと言い直そう」
「まぁ、それなら間違いじゃないですね。とくにあなたは要警戒ですから」
「だからといって酒場で本気の殺気を出すものじゃない。感知能力の高い魔術士がいたら卒倒するぞ」
「大丈夫です。そのあたりはちゃんと確認していますから」
ヒューゲルさんの横を通り抜けたニゲルが、座っている俺の肩に手を乗せる。気のせいでなければ、その手にはいつも以上に力がこもっているように感じた。
「ニゲル、何度も言ってるけど、ヒューゲルさんとはもうなんでもないんだから。それに友人関係は続いているんだ」
「わかってます。俺の我が儘なんで気にしないでください」
「いや、気にするなと言われても……」
俺が関係を持った過去の人たちのことは気にしないとニゲルは言った。実際、気にする素振りを見たことはない。……ただ一人、ヒューゲルさんを除いては。
ヒューゲルさんは俺がニゲルに気持ちを告げるきっかけを作ってくれた人だし、受付になったときからの友人だと何度も説明した。ニゲルもわかってくれてはいるみたいだが、どうしても気になるらしい。
ただ話しているだけならまだいいが、さっきみたいに俺に触れようとするとなぜか殺気立つ。俺に関知できない殺気は、それなにり相当なものだと聞いた。それこそ、ゴールドランクの剣士であるヒューゲルさんが窘めるくらいにはひどいものだそうだ。
そんなニゲルを見るたびに胸がくすぐったくなるような気がして、我ながら不謹慎だなと思わなくもない。性欲以外の気持ちは面倒だと思っていたのが嘘のようだと苦笑してしまいそうになる。
(こういう感情も、悪くはないかな)
そう思えるようになったのも、相手がニゲルだからだ。
もしニゲルに出会っていなかったら、俺はいまでも体だけの関係で満足していただろう。恋のことなんて考えもしなかったはずで、サザリーから「よかったわね」と微笑まれることに面映く感じることもなかった。
そう、全部ニゲルが俺を好きになってくれたからだ。だから、もし……。
(もし、ニゲルが心変わりをしたら……)
……俺は、どうなってしまうんだろう。ふと、そんなことを思ってしまった。あまりにも馬鹿げた内容に、ふるふると頭を振って嫌な考えを振り払った。
++++
新しくやって来た新人は、アイクという金髪碧眼の小柄でかわいらしい青年だった。聞けば元白手袋の魔術士だそうで、瞬く間にその話は広がり「黄金の受付嬢が二人になった」と言われるようになった。
さすがに“受付嬢”というのは嫌じゃないかと思ったが、「男の僕が受付嬢なんて、サウザンドルインズの人たちはおもしろいですね」と言ってニコニコ笑っている。それどころか「“黄金”にちなんで皆さんががっぽり稼げるように、僕も祈ってますね!」と笑いながら仕事をするほどで、あっという間に人気者になった。
アイクはサザリーの話も熱心に聞き、日中の業務も随分うまくこなせるようになってきたらしい。たまに熱烈な視線で冒険者を見つめることがあるらしいが、「剣士に憧れていたからか、つい目で追ってしまうんです」と照れながら告白したそうだ。
冒険者に憧れて受付になる人は少なくない。かく言う俺もはじめの頃は似たような気持ちを抱いていたし、一度は白手袋として冒険者になったアイクなら特にそうなのだろう。
まだ正式な受付ではないアイクだが、サウザンドルインズのような小さなギルドではほとんど実地訓練みたいなものだ。おそらく大変な日々だと思うが、憧れの気持ちを糧に一生懸命がんばっている姿は微笑ましく思う。やって来てまだ二週間と少しだが、アイクはギルドの一員としてすっかり馴染んでいた。
「ねぇアイク、花屋の隣のカフェに新しいメニューが増えたの、知ってる?」
「え? ほんと?」
「超おしゃれなパンケーキなんだって。今度食べに行こうよ」
「行く行く!」
ちょうど夜間の受付と入れ替わるタイミングで、顔を合わせたリィナとアイクがそんな話をしている。二人とも同い年の二十四歳だからか、それとも食べることが大好きという共通点があるからか、カフェやスイーツのことを楽しそうに話しているのをよく見かけた。
(そういえば、ニゲルも二十四歳だったな)
シルバーランクのせいか、目の前の二人を見ているとニゲルのほうが大人びて見えることが多い。それでも笑った顔はやっぱり童顔で、はにかむ表情は俺のお気に入りでもあった。
「ハイネさん」
振り返ると、いま想像していたとおりの笑顔を浮かべたニゲルが立っていた。軽装備を身につけているということは、今夜は朝話していたとおり依頼を受けるつもりなのだろう。
「まだ受付には早かったですか?」
「いや、すぐに始めるから大丈夫だよ」
「よかった」
ニゲルは、ほぼ夜の依頼しか受けない。理由は「ハイネさんの名前をたくさん登録したいから」だそうだが、ヒューゲルさんがランクチェッカーに誰よりも多く俺の名前を登録していると知ったからに違いない。
そんなことで競ってもと苦笑したくなるが、些細なことでも真剣になるニゲルにくすぐったくもなった。
「……やっぱり、“黒手の剣士”……」
その小さなつぶやきは、近くにいたリィナと俺、それに俺のそばにいたニゲルにしか聞こえなかっただろう。リィナは名前に聞き覚えがなかったのか、「どうしたの?」とアイクに訊ねながらも仕事を始める準備をしている。
むしろドキッとして準備の手を止めてしまったのは俺のほうだった。
「あの、もしかしなくても、“黒手の剣士”ですか?」
ニゲルに近づいたアイクは、小声ながらもはっきりとそう口にした。俺でも覚えていなかったその呼び名を、どうしてアイクは知っているんだろうか。
(もしかして、昔の知り合い……?)
いや、“黒手の剣士”の噂が流れていたのは五年以上前だ。いくら元冒険者とはいえ、成り立てくらいだったはずのアイクが知り合いだとは思えない。それに実際にそう呼ばれていたのはもっと前のことで、アイクはまだ修行中の身だったはず。
それでも気になってチラッとニゲルの顔を見たが、アイクを見る灰青色の目は「誰だ?」と訝しんでいる様子だった。
「人違いじゃないか?」
「え、でも、」
「ハイネさん、これ、受付お願いします」
「あ、ええと、ちょっと待ってて」
差し出された依頼書には、闇魔蝶の討伐と書かれていた。Aランクの闇魔蝶はシルバーランクのニゲルにとっては格下の魔蟲だが、名前を見て、つい口元がほころびそうになった。
闇魔蝶が持つ鱗粉は、解毒魔術の威力を増幅させる効果を持つ。そのままでは効果を得られないが、専用の道具と組み合わせることで触媒としての効果を発揮することがわかっていた。
おそらくニゲルは、いま俺の首から下がっている道具の触媒にするために採りに行こうとしているのだろう。
にやけそうになる口元をキュッと引き締めてから受付処理をし、ニゲルのランクチェッカーに自分の名前を登録する。これでもう三十個目だ。俺が夜間の受付になってからは、最速のスピードで俺の名前が増え続けている。
そんなに急がなくてもと思いながらも、やっぱり笑みを浮かべそうになって慌てて気を引き締めた。
「はい、登録終わったよ。……気をつけて」
「受付が終わるまでには帰って来ます」
ランクチェッカーを受け取り、いつもどおりの言葉を口にしたニゲルは、くるりと背を向けてギルドを出て行った。
ふと、受付台の近くにいたアイクに視線が向いた。いつもなら夜の受付が始まる前には帰っているのに、いまは肩からカバンを下げたままジッとドアを見ている。ただそれだけなのに、どうしてか心臓が妙な音を立てた。
気がつけば、胸元に掛かる楕円形の石に指先で触れていた。まるで澄んだ湖のように淡い碧色をしたこの石を、ニゲルは「ハイネさんの目と同じで綺麗でしょう」と言った。そのひと言で、この石は俺にとってかけがえのないものになった。
大切なその石を何度も指で撫でながら、俺は無意識に「大丈夫」とつぶやいていた。
古代遺跡向けの依頼書も増え、夜間の受付業務も随分と忙しくなってきた。ギルドマスターの話ではそろそろ新しい受付がやって来るはずだ。三人で話し合った結果、まずはサザリーと新人で日中を担当し、夜間は俺とリィナが受け持つことになった。なんでも新人はサウザンドルインズが初の仕事場らしく、ベテランのサザリーが見守るのがいいだろうと考えた結果だ。
(新人、いつ来るかな)
そんなことを思いながら、忙しなく仕事をしているサザリーたちを見る。すると、ちょうど酒場に入ってきたヒューゲルさんと視線が合った。
「やぁハイネ。今日も早めの夕飯か?」
「はい。ヒューゲルさんは依頼ですか?」
「いや、フリーでパーティに誘われてね。ニゲルはいないようだが、……あぁ、待ち合わせか」
「別に、待ち合わせてるわけじゃないですけど」
「しかし、わざわざ酒場で早めの夕飯なんて、以前はなかったことだろう?」
にこりと笑うヒューゲルさんの顔を見ていられなくて、そっと皿に視線を落とす。しかしそこに載っていたはずのサンドイッチはすでになく、随分前からここにいることを示している証拠のように見えた。
「別に照れなくていいさ。冒険者の恋人を待つなら酒場、というのは定番だ」
「だから、俺は別に……。ヒューゲルさんは、たまに意地悪ですよね」
「そうか? ようやく恋人ができた弟を応援している気分なんだがな」
「それは、……ありがとう、ございます」
こういうことはまったく慣れなくて、どうにも居心地が悪くなる。
俺とニゲルが恋人になったことは、あっという間に広まった。まさかそんなことまで大勢に知られてしまうと思っていなかった俺は、いまだに戸惑いを隠せないでいる。
それに、多くの冒険者とベッドを共にしてきた自分に恋人なんて、何か言われるに違いないと思っていた。なにより相手がニゲルだと知れ渡ったことで、ニゲルまでも何か言われるんじゃないかと心配もしていた。
しかし、ギルドにやって来る人も酒場で飲み食いする人も、誰にも悪く言われることはなかった。なかには下世話な話題を振ってくる人もいるが、元からそういう話や単語には慣れているからどうということはない。
それでも「恋人」という言葉が聞こえるとどうしようもなく顔が熱くなってしまい、最近では「恋する黄金の受付嬢を拝めばいいことがある」なんて、ろくでもない噂を流されてしまうくらいだ。
「ニゲルは依頼中か?」
「いえ、頼んでいた物を取りに行くからって、朝から隣街に行っていて」
品物が完成したと連絡が来たのは昨日の午後だった。別に急ぎでもないのに、「明日の朝一で取りに行きますから」と言ったニゲルを思い出す。
(早く俺に渡したいからって……)
何をしているんだと思いながらも、胸がくすぐったくて仕方がない。思わず口元が緩んでしまったからか、ヒューゲルさんにとんでもないことを言われてしまった。
「なるほど。朝見送った恋人を部屋で待っているのが落ち着かなくて、といったところか」
「ヒューゲルさんっ」
強めに名前を呼べば、「ははは、もう言わないよ」とにこやかに謝られた。
こうして屈託なく穏やかに笑う姿を、以前はあまり見なかったような気がする。それはベッドを共にする仲だったからか、……それとも、俺への気持ちを抱えていたからかはわからない。以前見ていた笑顔がただの笑顔じゃなかったことにも、最近気づいたくらいだ。
(きっと俺の気づかないところで、いろいろ考えていたんだろうな)
申し訳なく思うものの、それを態度に出してしまうほど俺も愚かじゃない。それに無理をしているような雰囲気ではないのだから、ヒューゲルさん同様に俺もいまの関係を素直に受け入れるほうがいいだろう。
「そういえば、新しい受付が来ると聞いたが?」
「そうなんです。ギルドマスターの話だと、数日以内には来るみたいですけど」
「これでハイネも少しは楽ができるな」
そう言いながら俺の肩に伸びてきたヒューゲルさんの手が、ぴたりと止まった。どうしたんだろうとそばに立つ大きな体を見上げると、器用にも片眉だけをひょいと跳ね上げている。
「ヒューゲルさん?」
「……はぁ。きみの恋人は本当に心が狭いな」
「え?」
どういうことだろうと首を傾げたとき、ヒューゲルさんの後ろにニゲルの顔が見えた。
「心が狭いと言われたことはありませんけど」
「では、嫉妬心の塊だと言い直そう」
「まぁ、それなら間違いじゃないですね。とくにあなたは要警戒ですから」
「だからといって酒場で本気の殺気を出すものじゃない。感知能力の高い魔術士がいたら卒倒するぞ」
「大丈夫です。そのあたりはちゃんと確認していますから」
ヒューゲルさんの横を通り抜けたニゲルが、座っている俺の肩に手を乗せる。気のせいでなければ、その手にはいつも以上に力がこもっているように感じた。
「ニゲル、何度も言ってるけど、ヒューゲルさんとはもうなんでもないんだから。それに友人関係は続いているんだ」
「わかってます。俺の我が儘なんで気にしないでください」
「いや、気にするなと言われても……」
俺が関係を持った過去の人たちのことは気にしないとニゲルは言った。実際、気にする素振りを見たことはない。……ただ一人、ヒューゲルさんを除いては。
ヒューゲルさんは俺がニゲルに気持ちを告げるきっかけを作ってくれた人だし、受付になったときからの友人だと何度も説明した。ニゲルもわかってくれてはいるみたいだが、どうしても気になるらしい。
ただ話しているだけならまだいいが、さっきみたいに俺に触れようとするとなぜか殺気立つ。俺に関知できない殺気は、それなにり相当なものだと聞いた。それこそ、ゴールドランクの剣士であるヒューゲルさんが窘めるくらいにはひどいものだそうだ。
そんなニゲルを見るたびに胸がくすぐったくなるような気がして、我ながら不謹慎だなと思わなくもない。性欲以外の気持ちは面倒だと思っていたのが嘘のようだと苦笑してしまいそうになる。
(こういう感情も、悪くはないかな)
そう思えるようになったのも、相手がニゲルだからだ。
もしニゲルに出会っていなかったら、俺はいまでも体だけの関係で満足していただろう。恋のことなんて考えもしなかったはずで、サザリーから「よかったわね」と微笑まれることに面映く感じることもなかった。
そう、全部ニゲルが俺を好きになってくれたからだ。だから、もし……。
(もし、ニゲルが心変わりをしたら……)
……俺は、どうなってしまうんだろう。ふと、そんなことを思ってしまった。あまりにも馬鹿げた内容に、ふるふると頭を振って嫌な考えを振り払った。
++++
新しくやって来た新人は、アイクという金髪碧眼の小柄でかわいらしい青年だった。聞けば元白手袋の魔術士だそうで、瞬く間にその話は広がり「黄金の受付嬢が二人になった」と言われるようになった。
さすがに“受付嬢”というのは嫌じゃないかと思ったが、「男の僕が受付嬢なんて、サウザンドルインズの人たちはおもしろいですね」と言ってニコニコ笑っている。それどころか「“黄金”にちなんで皆さんががっぽり稼げるように、僕も祈ってますね!」と笑いながら仕事をするほどで、あっという間に人気者になった。
アイクはサザリーの話も熱心に聞き、日中の業務も随分うまくこなせるようになってきたらしい。たまに熱烈な視線で冒険者を見つめることがあるらしいが、「剣士に憧れていたからか、つい目で追ってしまうんです」と照れながら告白したそうだ。
冒険者に憧れて受付になる人は少なくない。かく言う俺もはじめの頃は似たような気持ちを抱いていたし、一度は白手袋として冒険者になったアイクなら特にそうなのだろう。
まだ正式な受付ではないアイクだが、サウザンドルインズのような小さなギルドではほとんど実地訓練みたいなものだ。おそらく大変な日々だと思うが、憧れの気持ちを糧に一生懸命がんばっている姿は微笑ましく思う。やって来てまだ二週間と少しだが、アイクはギルドの一員としてすっかり馴染んでいた。
「ねぇアイク、花屋の隣のカフェに新しいメニューが増えたの、知ってる?」
「え? ほんと?」
「超おしゃれなパンケーキなんだって。今度食べに行こうよ」
「行く行く!」
ちょうど夜間の受付と入れ替わるタイミングで、顔を合わせたリィナとアイクがそんな話をしている。二人とも同い年の二十四歳だからか、それとも食べることが大好きという共通点があるからか、カフェやスイーツのことを楽しそうに話しているのをよく見かけた。
(そういえば、ニゲルも二十四歳だったな)
シルバーランクのせいか、目の前の二人を見ているとニゲルのほうが大人びて見えることが多い。それでも笑った顔はやっぱり童顔で、はにかむ表情は俺のお気に入りでもあった。
「ハイネさん」
振り返ると、いま想像していたとおりの笑顔を浮かべたニゲルが立っていた。軽装備を身につけているということは、今夜は朝話していたとおり依頼を受けるつもりなのだろう。
「まだ受付には早かったですか?」
「いや、すぐに始めるから大丈夫だよ」
「よかった」
ニゲルは、ほぼ夜の依頼しか受けない。理由は「ハイネさんの名前をたくさん登録したいから」だそうだが、ヒューゲルさんがランクチェッカーに誰よりも多く俺の名前を登録していると知ったからに違いない。
そんなことで競ってもと苦笑したくなるが、些細なことでも真剣になるニゲルにくすぐったくもなった。
「……やっぱり、“黒手の剣士”……」
その小さなつぶやきは、近くにいたリィナと俺、それに俺のそばにいたニゲルにしか聞こえなかっただろう。リィナは名前に聞き覚えがなかったのか、「どうしたの?」とアイクに訊ねながらも仕事を始める準備をしている。
むしろドキッとして準備の手を止めてしまったのは俺のほうだった。
「あの、もしかしなくても、“黒手の剣士”ですか?」
ニゲルに近づいたアイクは、小声ながらもはっきりとそう口にした。俺でも覚えていなかったその呼び名を、どうしてアイクは知っているんだろうか。
(もしかして、昔の知り合い……?)
いや、“黒手の剣士”の噂が流れていたのは五年以上前だ。いくら元冒険者とはいえ、成り立てくらいだったはずのアイクが知り合いだとは思えない。それに実際にそう呼ばれていたのはもっと前のことで、アイクはまだ修行中の身だったはず。
それでも気になってチラッとニゲルの顔を見たが、アイクを見る灰青色の目は「誰だ?」と訝しんでいる様子だった。
「人違いじゃないか?」
「え、でも、」
「ハイネさん、これ、受付お願いします」
「あ、ええと、ちょっと待ってて」
差し出された依頼書には、闇魔蝶の討伐と書かれていた。Aランクの闇魔蝶はシルバーランクのニゲルにとっては格下の魔蟲だが、名前を見て、つい口元がほころびそうになった。
闇魔蝶が持つ鱗粉は、解毒魔術の威力を増幅させる効果を持つ。そのままでは効果を得られないが、専用の道具と組み合わせることで触媒としての効果を発揮することがわかっていた。
おそらくニゲルは、いま俺の首から下がっている道具の触媒にするために採りに行こうとしているのだろう。
にやけそうになる口元をキュッと引き締めてから受付処理をし、ニゲルのランクチェッカーに自分の名前を登録する。これでもう三十個目だ。俺が夜間の受付になってからは、最速のスピードで俺の名前が増え続けている。
そんなに急がなくてもと思いながらも、やっぱり笑みを浮かべそうになって慌てて気を引き締めた。
「はい、登録終わったよ。……気をつけて」
「受付が終わるまでには帰って来ます」
ランクチェッカーを受け取り、いつもどおりの言葉を口にしたニゲルは、くるりと背を向けてギルドを出て行った。
ふと、受付台の近くにいたアイクに視線が向いた。いつもなら夜の受付が始まる前には帰っているのに、いまは肩からカバンを下げたままジッとドアを見ている。ただそれだけなのに、どうしてか心臓が妙な音を立てた。
気がつけば、胸元に掛かる楕円形の石に指先で触れていた。まるで澄んだ湖のように淡い碧色をしたこの石を、ニゲルは「ハイネさんの目と同じで綺麗でしょう」と言った。そのひと言で、この石は俺にとってかけがえのないものになった。
大切なその石を何度も指で撫でながら、俺は無意識に「大丈夫」とつぶやいていた。
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