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11 新たな出会い
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(なんて立派な屋敷だろう)
小径で見たときよりもずっと豪華なたたずまいにリトスは腰が引けていた。こんなところに自分のような兎族が足を踏み入れていいのか不安になりながらも、アスピダの「こちらだ」という声には逆らえず立派な部屋におそるおそる入る。
「主を呼んでくるから、ここで少し待っていてほしい」
「えっ?」
突然の言葉に驚いた。やはり咎められるのだろうかと眉を下げると「主がきみに会いたがっていると話しただろう?」と言われて「そういえば」と思い出す。
しかしこんな屋敷に住む狼族に会うのは気が引ける。何よりアフィーテの自分が会ってよい相手ではないような気がしてならない。
「あの、じつは僕、そんなにゆっくりはしていられないんです」
帰る理由を探し、そう口にした。
「こんな朝早くから急ぎの用事が?」
「いえ、そういう訳じゃないですけど……」
「それならぜひ主に会ってほしい。もし行きたい場所があるなら、この後わたしが責任持って案内しよう」
「そ、それは大丈夫です」
慌てて断るリトスにアスピダが不思議そうな表情を浮かべた。
(さすがに華屋に送ってもらうわけにはいかない)
それに、華屋に行くということは華街に行くということだ。自分を認めてくれたアスピダに「やっぱりアフィーテだから」と思われたくはなかった。
「もう起きているから、それほど待たせはしない」
「……はい」
結局断ることができなかった。「どうしよう」と思いながら、通された部屋をキョロキョロと見回す。
(すごい部屋だな……)
座っているソファは驚くほどフカフカで、指で触れると滑らかな布地の感触にため息が漏れる。目の前のテーブルも美しい細工が施され、出されたお茶は香りがよすぎて飲めそうになかった。
こんな立派な屋敷に住む狼族が、どうしてただの兎族に会いたがるのだろうか。
(もしかして、僕がアフィーテだから……?)
きっとそうに違いない。それなら納得できるとリトスは俯いた。
地位の高い狼族は複数の兎族と番になると聞いたことがある。中には番にならずに大勢の兎族を囲う狼族もいるそうだ。そういう理由なら、番候補に選ばれることすらない自分に会いたがる理由もわかる。
(……そうか、そうやって地位の高い狼族に囲われる方法もあるのか)
華街で客たちに可愛がられるのも、一人の狼族に囲われるのも大した違いではないような気がした。それにアスピダは優しい狼族だ。その主ならアフィーテを手荒に扱わない狼族かもしれない。
そこまで考えたリトスは、それでも自分は華街を選ぶだろうと思った。
(こんなすごいお屋敷に住む狼族に囲われるなんて、それこそルヴィニの邪魔をすることになる)
ただ囲われるだけならいいかもしれないが、リトスはアフィーテだ。ここにはきっと大勢の狼族がいるだろうし、アフィーテだとわかれば何かされるかもしれない。何より高い地位の狼族を誑かしたろくでもないアフィーテだと言われ、その弟では花嫁にふわさしくないという話になっては大変だ。
「待たせたね」
つらつらと考えごとに耽っていたリトスの耳に、柔らかく美しい声が聞こえてきた。ハッとして顔を上げると、青みがかった美しい毛の狼族が部屋に入ってくるところだった。
(……え?)
リトスには、一瞬その狼族が雌に見えた。すらりとした体つきに柔らかな表情、それに何ともいえない独特の雰囲気は雄のようには見えない。
(でも、狼族には雌はいないはず)
それに、いまの声は間違いなく雄の声だ。
「おっと、予想以上に可愛らしい兎族だ」
やっぱり雄の声で間違いない。それなのに、なぜ雌のように感じてしまったのだろう。リトスは不思議に思いながら麗しいとしか言いようがない狼族をじっと見つめた。
「あれ? もしかして僕に見惚れている?」
「え……あ、あのっ、すみません!」
指摘されて、ようやく自分が失礼なくらい見つめていたことに気がついた。慌てて頭を下げ「リ、リトスです」と挨拶をする。
「アスピダに聞いていたよりずっと可愛いじゃないか。やっぱり実際に会うに限るね」
「……あの、僕に会いたいというのは、どういうことなんでしょうか」
「ん? あぁ、アスピダが狩猟祭でとても可愛い兎族に会ったなんて言うからね。それで僕も会いたくなったんだ」
「可愛い兎族、ですか?」
意味がよくわからず目を瞬かせていると「うん、可愛い」と微笑まれた。そうしてポンと手を叩き「よし、決めた!」と口にする。
「リトスにはいまから僕の側で働いてもらうことにしよう!」
「え……?」
「僕の身の回りのことをやってほしい。もちろん住み込みだから食事や寝床の心配をする必要はない。給金もちゃんと出す。僕専属だから他の狼族と顔を合わせることはないし、何か困ったことがあればアスピダに言えば何とかしてくれる」
突然の話にリトスは困惑した。まさかこんな立派な屋敷に住む狼族が自分のような兎族に身の回りの世話を頼むはずがない。そこまで考え「もしかして」と思った。
「あの……夜のお勤めをしろと、そういうことでしょうか」
リトスの質問に美しい顔がきょとんとした。パチパチと瞬きをし、すぐに「あはは!」と口を大きく開けて笑い出した。
「あはは、はははっ。そうか、兎族だからそういったことで呼ばれたと思ったのか」
目尻に浮かんだ涙を指で擦りながら、麗しい狼族が「違う違う」と否定する。
「本当に僕の身の回りのことをしてもらうだけだよ。そうだね、僕のお世話係ってところかな」
「お世話係、ですか?」
世の中には狼族のお世話係をする兎族がいるかもしれない。それでもアフィーテの自分が雇われることはないはずだ。自分がアフィーテであることはアスピダが伝えているはずで、それなのに側に置こうと考えるのはやっぱりおかしい。
リトスは困惑していた。どういうことだろうと考えながらも、バシレウスのときのように断るべきだと思い麗しい狼族の顔を見る。そうして「僕にはできません」と断ろうとしたが、その前に「いいよね?」と念を押されてしまった。
「というより、これは決定事項だ」
「え?」
「きみが職を失ったことは知っている。だから断る理由はないはずだよね?」
それもアスピダが調べたのだろうか。なぜそこまでするのかと疑問より不安が強くなる。
「……あの、どうして僕を雇おうと思ったんでしょうか?」
「どうしてって?」
不思議そうに首を傾げる狼族を見ながら、頭に巻いている布を外した。ふわっと淡い茶毛が揺れ、同じ毛色の垂れ耳がするすると滑り落ちる。
「僕は、ただの兎族じゃありません。きっとご迷惑になると思います」
「きみがアフィーテだということは知っているよ」
優しい声にそっと視線を上げた。そこには蔑むことも厭らしい目で見ることもない美しい顔があった。
「でもね、そんなことは僕にとって何の問題でもないんだ。だから心配しなくていい」
まさかの言葉にリトスは驚いた。垂れ耳を見ても考えが変わらないということは、本気で雇おうとしているということだ。
(ありがたい話だとは思う。だけど……)
ルヴィニのことを考えると、やはり断るべきだ。何か起きてからじゃ取り返しがつかない。そう思い救いを求めるようにアスピダを見たが、「大丈夫だ」と微笑み返されてしまった。
「主はきみに無体を働いたりはしない。それに、昔から一度手に入れたいと思ったら何としても手に入れる性格でもある。ここで逃げてもすぐに捕まってしまうだろう。どうか諦めてほしい」
アスピダの言葉に「ちょっと待った」と咎める声が重なった。
「その言い方だと僕がとんでもない奴に聞こえるじゃないか。それで彼が怯えたらどうしてくれるんだ」
「おおよそ間違ってはいないと思いますが。それに、これから仕える主のことを伝えるのもわたしの役目です」
「ひどいなぁ。もしリトスが怖がるようなことがあったら、アスピダのせいだからね?」
二人の会話から、リトスは逃げられないのだと悟った。
(もしかして、会いに来たと言っていたあのときから雇うつもりだったんだろうか)
でも、どうして僕なんだろう。それに、兎族を側に置くのに夜の勤めがないなんてあり得ない。世間知らずのリトスでもそのくらいは想像できた。それなのにアスピダの麗しい主は必要ないと笑う。
(ここにいたら駄目だ。……でも、ここで働けばしばらく考える時間が手に入る)
リトスの気持ちがぐらりと揺らいだ。ルヴィニのことを考えれば名家に違いない狼族の側にいるのはよくない。いくら「大丈夫」と言われても、住み込みとなれば何か問題が起きる可能性もある。
(わかってるけど、もう少しだけ覚悟を決める時間がほしい)
自分には華街しかないとわかっているが、本心は不安で仕方がなかった。華街が最善だとわかっていても勇気が萎えそうになる。だから、あと少し決意を固める時間がほしかった。
(ルヴィニが正式に花嫁に選ばれるのは月の宴の日だ。その日が来る前に解雇してもらえばいい)
我ながらなんて浅ましいんだろう。未練がましい自分に笑いたくなる。
俯き加減であれこれ考えるリトスの頬を、麗しい狼族の手がするりと撫でた。驚いて顔を上げると淡いオレンジ色の目が優しくリトスを見ている。
「それに、きみからはいい匂いがする。間違いない。この匂いは僕がずっと探していた匂いだ」
「匂い……?」
「そう。だからきみには僕の側にいてほしい。ずっとだなんて考えていないから安心して。それでも駄目かな?」
優しい声にフルフルと首を横に振った。垂れ耳を見ても必要としてくれる人は、きっとそう多くはない。そう思うと、麗しい狼族にも自分の存在を認められたような気がして体がほわりと温かくなる。
「あの、本当に僕でいいんですか?」
「もちろん」
リトスは決心した。ここにいる時間で華街に行く覚悟をしっかり固めよう。それまで自分を認めてくれた狼族のために精一杯働くことにしよう。
「しばらくの間ですが、よろしくお願いします」
「よかった。僕はクシフォス、今日からよろしく頼むね」
「はい、よろしくお願いします」
そう言って改めて見たクシフォスは、やはり雄か雌かわからない雰囲気をしていた。
(あれ……?)
ふと、朝陽を浴びる青みがかった毛並みが銀色に光った気がした。瞳もオレンジ色というより金色に近いように見える。
(なんだかあの人みたいだ)
リトスはなぜか、青みがかった銀毛と金色の目をしたバシレウスを思い出していた。
小径で見たときよりもずっと豪華なたたずまいにリトスは腰が引けていた。こんなところに自分のような兎族が足を踏み入れていいのか不安になりながらも、アスピダの「こちらだ」という声には逆らえず立派な部屋におそるおそる入る。
「主を呼んでくるから、ここで少し待っていてほしい」
「えっ?」
突然の言葉に驚いた。やはり咎められるのだろうかと眉を下げると「主がきみに会いたがっていると話しただろう?」と言われて「そういえば」と思い出す。
しかしこんな屋敷に住む狼族に会うのは気が引ける。何よりアフィーテの自分が会ってよい相手ではないような気がしてならない。
「あの、じつは僕、そんなにゆっくりはしていられないんです」
帰る理由を探し、そう口にした。
「こんな朝早くから急ぎの用事が?」
「いえ、そういう訳じゃないですけど……」
「それならぜひ主に会ってほしい。もし行きたい場所があるなら、この後わたしが責任持って案内しよう」
「そ、それは大丈夫です」
慌てて断るリトスにアスピダが不思議そうな表情を浮かべた。
(さすがに華屋に送ってもらうわけにはいかない)
それに、華屋に行くということは華街に行くということだ。自分を認めてくれたアスピダに「やっぱりアフィーテだから」と思われたくはなかった。
「もう起きているから、それほど待たせはしない」
「……はい」
結局断ることができなかった。「どうしよう」と思いながら、通された部屋をキョロキョロと見回す。
(すごい部屋だな……)
座っているソファは驚くほどフカフカで、指で触れると滑らかな布地の感触にため息が漏れる。目の前のテーブルも美しい細工が施され、出されたお茶は香りがよすぎて飲めそうになかった。
こんな立派な屋敷に住む狼族が、どうしてただの兎族に会いたがるのだろうか。
(もしかして、僕がアフィーテだから……?)
きっとそうに違いない。それなら納得できるとリトスは俯いた。
地位の高い狼族は複数の兎族と番になると聞いたことがある。中には番にならずに大勢の兎族を囲う狼族もいるそうだ。そういう理由なら、番候補に選ばれることすらない自分に会いたがる理由もわかる。
(……そうか、そうやって地位の高い狼族に囲われる方法もあるのか)
華街で客たちに可愛がられるのも、一人の狼族に囲われるのも大した違いではないような気がした。それにアスピダは優しい狼族だ。その主ならアフィーテを手荒に扱わない狼族かもしれない。
そこまで考えたリトスは、それでも自分は華街を選ぶだろうと思った。
(こんなすごいお屋敷に住む狼族に囲われるなんて、それこそルヴィニの邪魔をすることになる)
ただ囲われるだけならいいかもしれないが、リトスはアフィーテだ。ここにはきっと大勢の狼族がいるだろうし、アフィーテだとわかれば何かされるかもしれない。何より高い地位の狼族を誑かしたろくでもないアフィーテだと言われ、その弟では花嫁にふわさしくないという話になっては大変だ。
「待たせたね」
つらつらと考えごとに耽っていたリトスの耳に、柔らかく美しい声が聞こえてきた。ハッとして顔を上げると、青みがかった美しい毛の狼族が部屋に入ってくるところだった。
(……え?)
リトスには、一瞬その狼族が雌に見えた。すらりとした体つきに柔らかな表情、それに何ともいえない独特の雰囲気は雄のようには見えない。
(でも、狼族には雌はいないはず)
それに、いまの声は間違いなく雄の声だ。
「おっと、予想以上に可愛らしい兎族だ」
やっぱり雄の声で間違いない。それなのに、なぜ雌のように感じてしまったのだろう。リトスは不思議に思いながら麗しいとしか言いようがない狼族をじっと見つめた。
「あれ? もしかして僕に見惚れている?」
「え……あ、あのっ、すみません!」
指摘されて、ようやく自分が失礼なくらい見つめていたことに気がついた。慌てて頭を下げ「リ、リトスです」と挨拶をする。
「アスピダに聞いていたよりずっと可愛いじゃないか。やっぱり実際に会うに限るね」
「……あの、僕に会いたいというのは、どういうことなんでしょうか」
「ん? あぁ、アスピダが狩猟祭でとても可愛い兎族に会ったなんて言うからね。それで僕も会いたくなったんだ」
「可愛い兎族、ですか?」
意味がよくわからず目を瞬かせていると「うん、可愛い」と微笑まれた。そうしてポンと手を叩き「よし、決めた!」と口にする。
「リトスにはいまから僕の側で働いてもらうことにしよう!」
「え……?」
「僕の身の回りのことをやってほしい。もちろん住み込みだから食事や寝床の心配をする必要はない。給金もちゃんと出す。僕専属だから他の狼族と顔を合わせることはないし、何か困ったことがあればアスピダに言えば何とかしてくれる」
突然の話にリトスは困惑した。まさかこんな立派な屋敷に住む狼族が自分のような兎族に身の回りの世話を頼むはずがない。そこまで考え「もしかして」と思った。
「あの……夜のお勤めをしろと、そういうことでしょうか」
リトスの質問に美しい顔がきょとんとした。パチパチと瞬きをし、すぐに「あはは!」と口を大きく開けて笑い出した。
「あはは、はははっ。そうか、兎族だからそういったことで呼ばれたと思ったのか」
目尻に浮かんだ涙を指で擦りながら、麗しい狼族が「違う違う」と否定する。
「本当に僕の身の回りのことをしてもらうだけだよ。そうだね、僕のお世話係ってところかな」
「お世話係、ですか?」
世の中には狼族のお世話係をする兎族がいるかもしれない。それでもアフィーテの自分が雇われることはないはずだ。自分がアフィーテであることはアスピダが伝えているはずで、それなのに側に置こうと考えるのはやっぱりおかしい。
リトスは困惑していた。どういうことだろうと考えながらも、バシレウスのときのように断るべきだと思い麗しい狼族の顔を見る。そうして「僕にはできません」と断ろうとしたが、その前に「いいよね?」と念を押されてしまった。
「というより、これは決定事項だ」
「え?」
「きみが職を失ったことは知っている。だから断る理由はないはずだよね?」
それもアスピダが調べたのだろうか。なぜそこまでするのかと疑問より不安が強くなる。
「……あの、どうして僕を雇おうと思ったんでしょうか?」
「どうしてって?」
不思議そうに首を傾げる狼族を見ながら、頭に巻いている布を外した。ふわっと淡い茶毛が揺れ、同じ毛色の垂れ耳がするすると滑り落ちる。
「僕は、ただの兎族じゃありません。きっとご迷惑になると思います」
「きみがアフィーテだということは知っているよ」
優しい声にそっと視線を上げた。そこには蔑むことも厭らしい目で見ることもない美しい顔があった。
「でもね、そんなことは僕にとって何の問題でもないんだ。だから心配しなくていい」
まさかの言葉にリトスは驚いた。垂れ耳を見ても考えが変わらないということは、本気で雇おうとしているということだ。
(ありがたい話だとは思う。だけど……)
ルヴィニのことを考えると、やはり断るべきだ。何か起きてからじゃ取り返しがつかない。そう思い救いを求めるようにアスピダを見たが、「大丈夫だ」と微笑み返されてしまった。
「主はきみに無体を働いたりはしない。それに、昔から一度手に入れたいと思ったら何としても手に入れる性格でもある。ここで逃げてもすぐに捕まってしまうだろう。どうか諦めてほしい」
アスピダの言葉に「ちょっと待った」と咎める声が重なった。
「その言い方だと僕がとんでもない奴に聞こえるじゃないか。それで彼が怯えたらどうしてくれるんだ」
「おおよそ間違ってはいないと思いますが。それに、これから仕える主のことを伝えるのもわたしの役目です」
「ひどいなぁ。もしリトスが怖がるようなことがあったら、アスピダのせいだからね?」
二人の会話から、リトスは逃げられないのだと悟った。
(もしかして、会いに来たと言っていたあのときから雇うつもりだったんだろうか)
でも、どうして僕なんだろう。それに、兎族を側に置くのに夜の勤めがないなんてあり得ない。世間知らずのリトスでもそのくらいは想像できた。それなのにアスピダの麗しい主は必要ないと笑う。
(ここにいたら駄目だ。……でも、ここで働けばしばらく考える時間が手に入る)
リトスの気持ちがぐらりと揺らいだ。ルヴィニのことを考えれば名家に違いない狼族の側にいるのはよくない。いくら「大丈夫」と言われても、住み込みとなれば何か問題が起きる可能性もある。
(わかってるけど、もう少しだけ覚悟を決める時間がほしい)
自分には華街しかないとわかっているが、本心は不安で仕方がなかった。華街が最善だとわかっていても勇気が萎えそうになる。だから、あと少し決意を固める時間がほしかった。
(ルヴィニが正式に花嫁に選ばれるのは月の宴の日だ。その日が来る前に解雇してもらえばいい)
我ながらなんて浅ましいんだろう。未練がましい自分に笑いたくなる。
俯き加減であれこれ考えるリトスの頬を、麗しい狼族の手がするりと撫でた。驚いて顔を上げると淡いオレンジ色の目が優しくリトスを見ている。
「それに、きみからはいい匂いがする。間違いない。この匂いは僕がずっと探していた匂いだ」
「匂い……?」
「そう。だからきみには僕の側にいてほしい。ずっとだなんて考えていないから安心して。それでも駄目かな?」
優しい声にフルフルと首を横に振った。垂れ耳を見ても必要としてくれる人は、きっとそう多くはない。そう思うと、麗しい狼族にも自分の存在を認められたような気がして体がほわりと温かくなる。
「あの、本当に僕でいいんですか?」
「もちろん」
リトスは決心した。ここにいる時間で華街に行く覚悟をしっかり固めよう。それまで自分を認めてくれた狼族のために精一杯働くことにしよう。
「しばらくの間ですが、よろしくお願いします」
「よかった。僕はクシフォス、今日からよろしく頼むね」
「はい、よろしくお願いします」
そう言って改めて見たクシフォスは、やはり雄か雌かわからない雰囲気をしていた。
(あれ……?)
ふと、朝陽を浴びる青みがかった毛並みが銀色に光った気がした。瞳もオレンジ色というより金色に近いように見える。
(なんだかあの人みたいだ)
リトスはなぜか、青みがかった銀毛と金色の目をしたバシレウスを思い出していた。
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