上 下
11 / 35

11 新たな出会い

しおりを挟む
(なんて立派な屋敷だろう)

 小径で見たときよりもずっと豪華なたたずまいにリトスは腰が引けていた。こんなところに自分のような兎族が足を踏み入れていいのか不安になりながらも、アスピダの「こちらだ」という声には逆らえず立派な部屋におそるおそる入る。

「主を呼んでくるから、ここで少し待っていてほしい」
「えっ?」

 突然の言葉に驚いた。やはり咎められるのだろうかと眉を下げると「主がきみに会いたがっていると話しただろう?」と言われて「そういえば」と思い出す。
 しかしこんな屋敷に住む狼族に会うのは気が引ける。何よりアフィーテの自分が会ってよい相手ではないような気がしてならない。

「あの、じつは僕、そんなにゆっくりはしていられないんです」

 帰る理由を探し、そう口にした。

「こんな朝早くから急ぎの用事が?」
「いえ、そういう訳じゃないですけど……」
「それならぜひ主に会ってほしい。もし行きたい場所があるなら、この後わたしが責任持って案内しよう」
「そ、それは大丈夫です」

 慌てて断るリトスにアスピダが不思議そうな表情を浮かべた。

(さすがに華屋はなやに送ってもらうわけにはいかない)

 それに、華屋はなやに行くということは華街かがいに行くということだ。自分を認めてくれたアスピダに「やっぱりアフィーテだから」と思われたくはなかった。

「もう起きているから、それほど待たせはしない」
「……はい」

 結局断ることができなかった。「どうしよう」と思いながら、通された部屋をキョロキョロと見回す。

(すごい部屋だな……)

 座っているソファは驚くほどフカフカで、指で触れると滑らかな布地の感触にため息が漏れる。目の前のテーブルも美しい細工が施され、出されたお茶は香りがよすぎて飲めそうになかった。
 こんな立派な屋敷に住む狼族が、どうしてただの兎族に会いたがるのだろうか。

(もしかして、僕がアフィーテだから……?)

 きっとそうに違いない。それなら納得できるとリトスは俯いた。
 地位の高い狼族は複数の兎族と番になると聞いたことがある。中には番にならずに大勢の兎族を囲う狼族もいるそうだ。そういう理由なら、番候補に選ばれることすらない自分に会いたがる理由もわかる。

(……そうか、そうやって地位の高い狼族に囲われる方法もあるのか)

 華街かがいで客たちに可愛がられるのも、一人の狼族に囲われるのも大した違いではないような気がした。それにアスピダは優しい狼族だ。その主ならアフィーテを手荒に扱わない狼族かもしれない。
 そこまで考えたリトスは、それでも自分は華街かがいを選ぶだろうと思った。

(こんなすごいお屋敷に住む狼族に囲われるなんて、それこそルヴィニの邪魔をすることになる)

 ただ囲われるだけならいいかもしれないが、リトスはアフィーテだ。ここにはきっと大勢の狼族がいるだろうし、アフィーテだとわかれば何かされるかもしれない。何より高い地位の狼族を誑かしたろくでもないアフィーテだと言われ、その弟では花嫁にふわさしくないという話になっては大変だ。

「待たせたね」

 つらつらと考えごとに耽っていたリトスの耳に、柔らかく美しい声が聞こえてきた。ハッとして顔を上げると、青みがかった美しい毛の狼族が部屋に入ってくるところだった。

(……え?)

 リトスには、一瞬その狼族が雌に見えた。すらりとした体つきに柔らかな表情、それに何ともいえない独特の雰囲気は雄のようには見えない。

(でも、狼族には雌はいないはず)

 それに、いまの声は間違いなく雄の声だ。

「おっと、予想以上に可愛らしい兎族だ」

 やっぱり雄の声で間違いない。それなのに、なぜ雌のように感じてしまったのだろう。リトスは不思議に思いながら麗しいとしか言いようがない狼族をじっと見つめた。

「あれ? もしかして僕に見惚れている?」
「え……あ、あのっ、すみません!」

 指摘されて、ようやく自分が失礼なくらい見つめていたことに気がついた。慌てて頭を下げ「リ、リトスです」と挨拶をする。

「アスピダに聞いていたよりずっと可愛いじゃないか。やっぱり実際に会うに限るね」
「……あの、僕に会いたいというのは、どういうことなんでしょうか」
「ん? あぁ、アスピダが狩猟祭でとても可愛い兎族に会ったなんて言うからね。それで僕も会いたくなったんだ」
「可愛い兎族、ですか?」

 意味がよくわからず目を瞬かせていると「うん、可愛い」と微笑まれた。そうしてポンと手を叩き「よし、決めた!」と口にする。

「リトスにはいまから僕の側で働いてもらうことにしよう!」
「え……?」
「僕の身の回りのことをやってほしい。もちろん住み込みだから食事や寝床の心配をする必要はない。給金もちゃんと出す。僕専属だから他の狼族と顔を合わせることはないし、何か困ったことがあればアスピダに言えば何とかしてくれる」

 突然の話にリトスは困惑した。まさかこんな立派な屋敷に住む狼族が自分のような兎族に身の回りの世話を頼むはずがない。そこまで考え「もしかして」と思った。

「あの……夜のお勤めをしろと、そういうことでしょうか」

 リトスの質問に美しい顔がきょとんとした。パチパチと瞬きをし、すぐに「あはは!」と口を大きく開けて笑い出した。

「あはは、はははっ。そうか、兎族だからそういったことで呼ばれたと思ったのか」

 目尻に浮かんだ涙を指で擦りながら、麗しい狼族が「違う違う」と否定する。

「本当に僕の身の回りのことをしてもらうだけだよ。そうだね、僕のお世話係ってところかな」
「お世話係、ですか?」

 世の中には狼族のお世話係をする兎族がいるかもしれない。それでもアフィーテの自分が雇われることはないはずだ。自分がアフィーテであることはアスピダが伝えているはずで、それなのに側に置こうと考えるのはやっぱりおかしい。
 リトスは困惑していた。どういうことだろうと考えながらも、バシレウスのときのように断るべきだと思い麗しい狼族の顔を見る。そうして「僕にはできません」と断ろうとしたが、その前に「いいよね?」と念を押されてしまった。

「というより、これは決定事項だ」
「え?」
「きみが職を失ったことは知っている。だから断る理由はないはずだよね?」

 それもアスピダが調べたのだろうか。なぜそこまでするのかと疑問より不安が強くなる。

「……あの、どうして僕を雇おうと思ったんでしょうか?」
「どうしてって?」

 不思議そうに首を傾げる狼族を見ながら、頭に巻いている布を外した。ふわっと淡い茶毛が揺れ、同じ毛色の垂れ耳がするすると滑り落ちる。

「僕は、ただの兎族じゃありません。きっとご迷惑になると思います」
「きみがアフィーテだということは知っているよ」

 優しい声にそっと視線を上げた。そこには蔑むことも厭らしい目で見ることもない美しい顔があった。

「でもね、そんなことは僕にとって何の問題でもないんだ。だから心配しなくていい」

 まさかの言葉にリトスは驚いた。垂れ耳を見ても考えが変わらないということは、本気で雇おうとしているということだ。

(ありがたい話だとは思う。だけど……)

 ルヴィニのことを考えると、やはり断るべきだ。何か起きてからじゃ取り返しがつかない。そう思い救いを求めるようにアスピダを見たが、「大丈夫だ」と微笑み返されてしまった。

「主はきみに無体を働いたりはしない。それに、昔から一度手に入れたいと思ったら何としても手に入れる性格でもある。ここで逃げてもすぐに捕まってしまうだろう。どうか諦めてほしい」

 アスピダの言葉に「ちょっと待った」と咎める声が重なった。

「その言い方だと僕がとんでもない奴に聞こえるじゃないか。それで彼が怯えたらどうしてくれるんだ」
「おおよそ間違ってはいないと思いますが。それに、これから仕える主のことを伝えるのもわたしの役目です」
「ひどいなぁ。もしリトスが怖がるようなことがあったら、アスピダのせいだからね?」

 二人の会話から、リトスは逃げられないのだと悟った。

(もしかして、会いに来たと言っていたあのときから雇うつもりだったんだろうか)

 でも、どうして僕なんだろう。それに、兎族を側に置くのに夜の勤めがないなんてあり得ない。世間知らずのリトスでもそのくらいは想像できた。それなのにアスピダの麗しい主は必要ないと笑う。

(ここにいたら駄目だ。……でも、ここで働けばしばらく考える時間が手に入る)

 リトスの気持ちがぐらりと揺らいだ。ルヴィニのことを考えれば名家に違いない狼族の側にいるのはよくない。いくら「大丈夫」と言われても、住み込みとなれば何か問題が起きる可能性もある。

(わかってるけど、もう少しだけ覚悟を決める時間がほしい)

 自分には華街かがいしかないとわかっているが、本心は不安で仕方がなかった。華街かがいが最善だとわかっていても勇気が萎えそうになる。だから、あと少し決意を固める時間がほしかった。

(ルヴィニが正式に花嫁に選ばれるのは月の宴の日だ。その日が来る前に解雇してもらえばいい)

 我ながらなんて浅ましいんだろう。未練がましい自分に笑いたくなる。
 俯き加減であれこれ考えるリトスの頬を、麗しい狼族の手がするりと撫でた。驚いて顔を上げると淡いオレンジ色の目が優しくリトスを見ている。

「それに、きみからはいい匂いがする。間違いない。この匂いは僕がずっと探していた匂いだ」
「匂い……?」
「そう。だからきみには僕の側にいてほしい。ずっとだなんて考えていないから安心して。それでも駄目かな?」

 優しい声にフルフルと首を横に振った。垂れ耳を見ても必要としてくれる人は、きっとそう多くはない。そう思うと、麗しい狼族にも自分の存在を認められたような気がして体がほわりと温かくなる。

「あの、本当に僕でいいんですか?」
「もちろん」

 リトスは決心した。ここにいる時間で華街かがいに行く覚悟をしっかり固めよう。それまで自分を認めてくれた狼族のために精一杯働くことにしよう。

「しばらくの間ですが、よろしくお願いします」
「よかった。僕はクシフォス、今日からよろしく頼むね」
「はい、よろしくお願いします」

 そう言って改めて見たクシフォスは、やはり雄か雌かわからない雰囲気をしていた。

(あれ……?)

 ふと、朝陽を浴びる青みがかった毛並みが銀色に光った気がした。瞳もオレンジ色というより金色に近いように見える。

(なんだかあの人みたいだ)

 リトスはなぜか、青みがかった銀毛と金色の目をしたバシレウスを思い出していた。
しおりを挟む
感想 26

あなたにおすすめの小説

騎士が花嫁

Kyrie
BL
めでたい結婚式。 花婿は俺。 花嫁は敵国の騎士様。 どうなる、俺? * 他サイトにも掲載。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

乙女ゲームが俺のせいでバグだらけになった件について

はかまる
BL
異世界転生配属係の神様に間違えて何の関係もない乙女ゲームの悪役令状ポジションに転生させられた元男子高校生が、世界がバグだらけになった世界で頑張る話。

[完結]堕とされた亡国の皇子は剣を抱く

小葉石
BL
 今は亡きガザインバーグの名を継ぐ最後の亡国の皇子スロウルは実の父に幼き頃より冷遇されて育つ。  10歳を過ぎた辺りからは荒くれた男達が集まる討伐部隊に強引に入れられてしまう。  妖精姫との名高い母親の美貌を受け継ぎ、幼い頃は美少女と言われても遜色ないスロウルに容赦ない手が伸びて行く…  アクサードと出会い、思いが通じるまでを書いていきます。  ※亡国の皇子は華と剣を愛でる、 のサイドストーリーになりますが、この話だけでも楽しめるようにしますので良かったらお読みください。  際どいシーンは*をつけてます。

悪役令息の七日間

リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。 気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

愛していた王に捨てられて愛人になった少年は騎士に娶られる

彩月野生
BL
湖に落ちた十六歳の少年文斗は異世界にやって来てしまった。 国王と愛し合うようになった筈なのに、王は突然妃を迎え、文斗は愛人として扱われるようになり、さらには騎士と結婚して子供を産めと強要されてしまう。 王を愛する気持ちを捨てられないまま、文斗は騎士との結婚生活を送るのだが、騎士への感情の変化に戸惑うようになる。 (誤字脱字報告は不要)

侯爵様の愛人ですが、その息子にも愛されてます

muku
BL
魔術師フィアリスは、地底の迷宮から湧き続ける魔物を倒す使命を担っているリトスロード侯爵家に雇われている。 仕事は魔物の駆除と、侯爵家三男エヴァンの家庭教師。 成人したエヴァンから突然恋心を告げられたフィアリスは、大いに戸惑うことになる。 何故ならフィアリスは、エヴァンの父とただならぬ関係にあったのだった。 汚れた自分には愛される価値がないと思いこむ美しい魔術師の青年と、そんな師を一心に愛し続ける弟子の物語。

処理中です...