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9 青く美しい狼族との再会
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「本当に何もなかったのか?」
「はい、何もありません」
心配そうにリトスを見る目は、光の加減ではなく本物の金色をしている。青みがかった銀毛と相まってまたもや見つめそうになったリトスは、慌てて視線を外した。
美しい狼族はバシレウスと名乗り、リトスに会いに来たのだという。家に向かう途中で揉めるような声に気づき、あの場に現れたということだった。
リトスは今度こそお礼を言おうと家に入ってもらった。しかし襲われかけていたとは言えず、結局「何もなかった」としか答えられない。
「本当に?」
「はい」
もう何度目の問いかけだろうか。そのたびにリトスは大丈夫だと答えるが、金色の瞳は心配そうにリトスを見ている。
「……きみがそう言うのなら信じよう」
諦めたのか、困ったような顔で微笑むバシレウスにリトスの胸がツキンと痛んだ。それでも本当のことは言えない。何より「やっぱりアフィーテは淫乱なんだ」と思われたくなくて口にできなかった。
「あの、上着ありがとうございました。返すのが遅くなってすみません」
「あぁ、そういえばそのままだったな」
ようやく上着を返すことができた。それにお礼も言えた。「それだけで十分だ」と思っているのに胸の奥が妙に苦しい。
(……そうか、ルヴィニに会ったからだ)
花嫁候補になった蒼灰の君という狼族も、きっとバシレウスのように美しい狼族に違いない。そんな狼族の隣にルヴィニが立つのだと思うと、誇らしい気持ちになるのと同時に胸が痛んでどうしようもなかった。
「やっぱり何かあったんじゃないのか?」
まだ心配そうな視線を向ける美しい顔に、リトスは胸が高鳴るのを押さえきれなくなりそうだった。それでも何とか平静を装いつつ「何でもないですから」と口元を引き締める。
「さっきのことじゃなく、他にも何かあったんじゃないのか?」
「本当に何もありません」
「それじゃ、どうしてそんなつらそうな顔をしているんだ?」
「え?」
「この前よりも、いまのリトスのほうがずっとつらそうに見える」
艶やかな声で「リトス」と名を呼ばれて鼓動が跳ねた。かつてルヴィニが呼んでくれていた優しい声を思い出し胸が詰まる。
(きっといろんなことがあって感傷的になっているんだ)
そんな気持ちを振り切るようにリトスは立ち上がった。
「あの、お茶はないんですけど」
そう言いながらバシレウスに背を向ける。もしここで変な顔をしてしまえばさらに心配をかけてしまうだろう。優しいバシレウスにこれ以上迷惑はかけたくない。
「おいしい果実水があるんです」
ごまかすように果実水が入った瓶を手にした。手配屋にもらったもので柑橘のよい香りがする。それを胸いっぱいに吸い込み、「僕は大丈夫」と心の中で唱えながら振り返った。そうして努めて笑顔を浮かべながらバシレウスに差し出す。そんなリトスを金色の瞳がじっと見る。
「やっぱり何かあっただろう?」
優しく見つめてくる金色の目に、リトスは甘えたい気持ちがわき上がるのを感じた。駄目だとわかっているのに、久しぶりの優しさに触れたからか不安を吐き出したくてどうしようもない。
(少し愚痴をこぼすくらいなら、きっと許してくれる)
そんな言い訳を心の中でしながら「じつは仕事を探しているんです」と口にした。
「仕事?」
「働いていたんですけど、事情があって辞めることになって」
「それで、新しい働き口は見つかったのか?」
「いえ……。でも、明日また手配屋に行こうと思ってます」
「……手を貸したほうがいいか?」
優しい申し出に胸がぎゅっと詰まった。自分はアフィーテなのにバシレウスはこんなにも優しい。アスピダのときのように救われた気持ちがしてじわりと体が温かくなる。
(また、いいことがあった)
だから僕は大丈夫。こんな僕にも優しくしてくれる人がいるのだとわかっただけで十分だ。そう思いながら「大丈夫です」と答えた。
「もし本当に困っているのなら、遠慮せずに言ってほしい」
「ありがとうございます」
感謝しながらも、これ以上狼族に関わるわけにはいかないと思った。もしまた何か騒動を起こせば、ルヴィニが言っていたように家族みんなに迷惑をかけることになる。
(そうだ、月の宴が済むまでは騒動を起こさないようにしないと)
リトスは決意するように唇をきゅっと引き締めた。
「あの、本当に大丈夫ですから。ちょっと愚痴を言ってしまっただけなんです。すみません」
「いや、愚痴くらい言いたいだけ言えばいい。俺でいいなら聞こう」
「いえ、もう大丈夫ですから」
なんて優しい狼族だろう。リトスはふと、この人も月の宴に参加するのだろうかと思った。そこでルヴィニのような綺麗な兎族の番を見つけるのかもしれない。
「あの、月の宴がやって来ますね」
気がつけばそんなことを口にしていた。やっぱり今日はどうかしていると思いながら視線を落とす。
「まさか、リトスは月の宴に参加するのか?」
まさかの反応に「え!?」と慌てて顔を上げた。
「ぼ、僕なんかが候補に選ばれることなんてありません! あの、弟が候補に選ばれて、それでもうすぐなんだなと思っただけで」
「弟?」
「はい。とても綺麗な赤毛の兎族で、僕の自慢の弟なんです」
リトスは心からそう思っていた。あのとき羨ましく感じたのは仕事を失って気持ちが落ち込んでいたからだ。その証拠にいまは笑顔でルヴィニのことを話すことができる。
「とても綺麗な弟なんです。だから今回、蒼灰の君の花嫁候補に選ばれたんだと思います」
「……蒼灰の君の?」
問われてリトスはこくりと頷いた。それを見る金色の目がわずかに細くなる。
「そうか、きみの弟はそれほど綺麗なのか」
「はい。弟は誰よりも綺麗な花嫁になると思ってます」
「そうか」
ルヴィニの花嫁姿を想像するだけで幸せな気持ちになった。「やっぱり妬ましく思ったのは気のせいだったんだ」とホッとしたからか、知らず知らずのうちに口元が緩む。するとバシレウスの視線がスッと逸らされるのが見えた。
「あの……?」
もしかして気に障ることを言ってしまったのだろうか。不安な表情に変わるリトスを再び金色の目が見る。
「俺はリトスも十分綺麗だと思う」
「……え?」
言われた意味がわからなくて戸惑った。「あの、」と困惑していると「嫌じゃなければの話だが」とバシレウスが言葉を続ける。
「働き口がないのなら俺のところに来ないか?」
「え……?」
「俺のところなら兎族の仕事もそこそこある。リトスがよければ屋敷に来てほしい」
「ええと、」
「それを伝えたくて今日は来たんだ」
突然の申し出にリトスは紺碧の目をパチパチと瞬かせた。何を言われたのかわからず、「駄目か?」と問われてようやく意味を理解する。
「あの、それは……」
「いますぐ返事がほしいわけじゃない。しばらく考えてからでかまわないんだ」
なんて魅力的な話だろう、そう思った。アフィーテである自分が狼族の、しかも地位の高い狼族の屋敷で働くなんてまずあり得ない。おそらく昨日までの自分なら喜んで飛びついただろう。
(でも、受けるわけにはいかない)
バシレウスはきっと名家の狼族だ。そんな名家の屋敷で働けばルヴィニに迷惑をかけることになる。蒼灰の君の花嫁になったとき、その兄がアフィーテのくせに名家で働いているなんて知られれば体裁もよくない。名家の狼族を兄が誑かして花嫁候補になったのではとルヴィニが疑われる可能性もある。
(僕はアフィーテだ。だから狼族に近づくわけにはいかない)
そう考えると、こうした普通の町で働くことすらよくないことのように思えてきた。
「申し訳ありませんが、お受けすることはできません。……すみません」
断りながらも胸がズキズキと痛んだ。困っている自分を心配して声をかけてくれたのに、それさえ受け取ることができない自分が嫌になる。それでもリトスは「僕はアフィーテだから」とグッとこらえた。
「そうか……。いや、リトスの意に沿わないのであれば仕方ない。だが、もし本当にどうにもならなくなったら遠慮なく俺を頼ってほしい。そうだ、この上着はそのときのために持っていてくれ」
「え? あの、」
「俺に会いたくなったら、その上着を持って狼族の長がいる街に来てくれ。街の屯所で俺の名前とその上着を見せれば俺の元まで案内してくれる」
「でも、」
「それに、俺はまだ……いや、いまはおとなしく帰ることにしよう。リトスを困らせたいわけじゃないからな」
そう言ったバシレウスはリトスの手を掴み、「持っていてくれ」と言って上着を握らせた。そうして「また会おう」と行って家を後にした。
(また会おうなんて、絶対にないのに)
残されたリトスは、大きく温かい手の感触にドキドキしながら上着をそっと抱きしめた。
(やっぱりこの町を離れよう)
再び持つことになった上着を抱きしめながら、ようやく決心がついた。手配屋に通い続けたところでどうにもならないとわかっていたのに、未練がましく夢を見るのはもう終わりにしなければ。
(アフィーテの僕には、最初から普通の生活なんて無理だったんだ)
リトスはベッドの下に押し込んでいた鞄を取り出した。そうして棚に仕舞ってあった数少ない日用品と服を鞄に詰め込み、兎族と狼族の絵本をその上に載せる。ルヴィニと仲が良かったときに何度も一緒に読んだ絵本はリトスの一番の宝物だった。
その宝物の上にたたんだ上着を入れた。優しさが詰まった上着はリトスにとって新しい宝物になった。それらがあれば大丈夫。「よし」と声に出したリトスは、夜が更けるのもかまわず掃除を始めた。
(食器は残していっても平気かな)
数個しかない食器だから迷惑にはならないだろう。もし邪魔なら次に住む人が処分するに違いない。ベッドや寝具は元々貸家に置いてあったものだから、そのままでも問題ない。床をさっと掃除し、最後にテーブルを拭いたところで部屋を見回した。
「この先ずっとここで過ごすんだと思ってたけど、違ったな」
沸かした湯で体を拭い、顔を洗ってからベッドに横になる。
(明日、朝一でこの部屋を引き払おう)
そして華街に行こう。改めてそう決意したリトスは、この部屋での最後の眠りに就いた。
「はい、何もありません」
心配そうにリトスを見る目は、光の加減ではなく本物の金色をしている。青みがかった銀毛と相まってまたもや見つめそうになったリトスは、慌てて視線を外した。
美しい狼族はバシレウスと名乗り、リトスに会いに来たのだという。家に向かう途中で揉めるような声に気づき、あの場に現れたということだった。
リトスは今度こそお礼を言おうと家に入ってもらった。しかし襲われかけていたとは言えず、結局「何もなかった」としか答えられない。
「本当に?」
「はい」
もう何度目の問いかけだろうか。そのたびにリトスは大丈夫だと答えるが、金色の瞳は心配そうにリトスを見ている。
「……きみがそう言うのなら信じよう」
諦めたのか、困ったような顔で微笑むバシレウスにリトスの胸がツキンと痛んだ。それでも本当のことは言えない。何より「やっぱりアフィーテは淫乱なんだ」と思われたくなくて口にできなかった。
「あの、上着ありがとうございました。返すのが遅くなってすみません」
「あぁ、そういえばそのままだったな」
ようやく上着を返すことができた。それにお礼も言えた。「それだけで十分だ」と思っているのに胸の奥が妙に苦しい。
(……そうか、ルヴィニに会ったからだ)
花嫁候補になった蒼灰の君という狼族も、きっとバシレウスのように美しい狼族に違いない。そんな狼族の隣にルヴィニが立つのだと思うと、誇らしい気持ちになるのと同時に胸が痛んでどうしようもなかった。
「やっぱり何かあったんじゃないのか?」
まだ心配そうな視線を向ける美しい顔に、リトスは胸が高鳴るのを押さえきれなくなりそうだった。それでも何とか平静を装いつつ「何でもないですから」と口元を引き締める。
「さっきのことじゃなく、他にも何かあったんじゃないのか?」
「本当に何もありません」
「それじゃ、どうしてそんなつらそうな顔をしているんだ?」
「え?」
「この前よりも、いまのリトスのほうがずっとつらそうに見える」
艶やかな声で「リトス」と名を呼ばれて鼓動が跳ねた。かつてルヴィニが呼んでくれていた優しい声を思い出し胸が詰まる。
(きっといろんなことがあって感傷的になっているんだ)
そんな気持ちを振り切るようにリトスは立ち上がった。
「あの、お茶はないんですけど」
そう言いながらバシレウスに背を向ける。もしここで変な顔をしてしまえばさらに心配をかけてしまうだろう。優しいバシレウスにこれ以上迷惑はかけたくない。
「おいしい果実水があるんです」
ごまかすように果実水が入った瓶を手にした。手配屋にもらったもので柑橘のよい香りがする。それを胸いっぱいに吸い込み、「僕は大丈夫」と心の中で唱えながら振り返った。そうして努めて笑顔を浮かべながらバシレウスに差し出す。そんなリトスを金色の瞳がじっと見る。
「やっぱり何かあっただろう?」
優しく見つめてくる金色の目に、リトスは甘えたい気持ちがわき上がるのを感じた。駄目だとわかっているのに、久しぶりの優しさに触れたからか不安を吐き出したくてどうしようもない。
(少し愚痴をこぼすくらいなら、きっと許してくれる)
そんな言い訳を心の中でしながら「じつは仕事を探しているんです」と口にした。
「仕事?」
「働いていたんですけど、事情があって辞めることになって」
「それで、新しい働き口は見つかったのか?」
「いえ……。でも、明日また手配屋に行こうと思ってます」
「……手を貸したほうがいいか?」
優しい申し出に胸がぎゅっと詰まった。自分はアフィーテなのにバシレウスはこんなにも優しい。アスピダのときのように救われた気持ちがしてじわりと体が温かくなる。
(また、いいことがあった)
だから僕は大丈夫。こんな僕にも優しくしてくれる人がいるのだとわかっただけで十分だ。そう思いながら「大丈夫です」と答えた。
「もし本当に困っているのなら、遠慮せずに言ってほしい」
「ありがとうございます」
感謝しながらも、これ以上狼族に関わるわけにはいかないと思った。もしまた何か騒動を起こせば、ルヴィニが言っていたように家族みんなに迷惑をかけることになる。
(そうだ、月の宴が済むまでは騒動を起こさないようにしないと)
リトスは決意するように唇をきゅっと引き締めた。
「あの、本当に大丈夫ですから。ちょっと愚痴を言ってしまっただけなんです。すみません」
「いや、愚痴くらい言いたいだけ言えばいい。俺でいいなら聞こう」
「いえ、もう大丈夫ですから」
なんて優しい狼族だろう。リトスはふと、この人も月の宴に参加するのだろうかと思った。そこでルヴィニのような綺麗な兎族の番を見つけるのかもしれない。
「あの、月の宴がやって来ますね」
気がつけばそんなことを口にしていた。やっぱり今日はどうかしていると思いながら視線を落とす。
「まさか、リトスは月の宴に参加するのか?」
まさかの反応に「え!?」と慌てて顔を上げた。
「ぼ、僕なんかが候補に選ばれることなんてありません! あの、弟が候補に選ばれて、それでもうすぐなんだなと思っただけで」
「弟?」
「はい。とても綺麗な赤毛の兎族で、僕の自慢の弟なんです」
リトスは心からそう思っていた。あのとき羨ましく感じたのは仕事を失って気持ちが落ち込んでいたからだ。その証拠にいまは笑顔でルヴィニのことを話すことができる。
「とても綺麗な弟なんです。だから今回、蒼灰の君の花嫁候補に選ばれたんだと思います」
「……蒼灰の君の?」
問われてリトスはこくりと頷いた。それを見る金色の目がわずかに細くなる。
「そうか、きみの弟はそれほど綺麗なのか」
「はい。弟は誰よりも綺麗な花嫁になると思ってます」
「そうか」
ルヴィニの花嫁姿を想像するだけで幸せな気持ちになった。「やっぱり妬ましく思ったのは気のせいだったんだ」とホッとしたからか、知らず知らずのうちに口元が緩む。するとバシレウスの視線がスッと逸らされるのが見えた。
「あの……?」
もしかして気に障ることを言ってしまったのだろうか。不安な表情に変わるリトスを再び金色の目が見る。
「俺はリトスも十分綺麗だと思う」
「……え?」
言われた意味がわからなくて戸惑った。「あの、」と困惑していると「嫌じゃなければの話だが」とバシレウスが言葉を続ける。
「働き口がないのなら俺のところに来ないか?」
「え……?」
「俺のところなら兎族の仕事もそこそこある。リトスがよければ屋敷に来てほしい」
「ええと、」
「それを伝えたくて今日は来たんだ」
突然の申し出にリトスは紺碧の目をパチパチと瞬かせた。何を言われたのかわからず、「駄目か?」と問われてようやく意味を理解する。
「あの、それは……」
「いますぐ返事がほしいわけじゃない。しばらく考えてからでかまわないんだ」
なんて魅力的な話だろう、そう思った。アフィーテである自分が狼族の、しかも地位の高い狼族の屋敷で働くなんてまずあり得ない。おそらく昨日までの自分なら喜んで飛びついただろう。
(でも、受けるわけにはいかない)
バシレウスはきっと名家の狼族だ。そんな名家の屋敷で働けばルヴィニに迷惑をかけることになる。蒼灰の君の花嫁になったとき、その兄がアフィーテのくせに名家で働いているなんて知られれば体裁もよくない。名家の狼族を兄が誑かして花嫁候補になったのではとルヴィニが疑われる可能性もある。
(僕はアフィーテだ。だから狼族に近づくわけにはいかない)
そう考えると、こうした普通の町で働くことすらよくないことのように思えてきた。
「申し訳ありませんが、お受けすることはできません。……すみません」
断りながらも胸がズキズキと痛んだ。困っている自分を心配して声をかけてくれたのに、それさえ受け取ることができない自分が嫌になる。それでもリトスは「僕はアフィーテだから」とグッとこらえた。
「そうか……。いや、リトスの意に沿わないのであれば仕方ない。だが、もし本当にどうにもならなくなったら遠慮なく俺を頼ってほしい。そうだ、この上着はそのときのために持っていてくれ」
「え? あの、」
「俺に会いたくなったら、その上着を持って狼族の長がいる街に来てくれ。街の屯所で俺の名前とその上着を見せれば俺の元まで案内してくれる」
「でも、」
「それに、俺はまだ……いや、いまはおとなしく帰ることにしよう。リトスを困らせたいわけじゃないからな」
そう言ったバシレウスはリトスの手を掴み、「持っていてくれ」と言って上着を握らせた。そうして「また会おう」と行って家を後にした。
(また会おうなんて、絶対にないのに)
残されたリトスは、大きく温かい手の感触にドキドキしながら上着をそっと抱きしめた。
(やっぱりこの町を離れよう)
再び持つことになった上着を抱きしめながら、ようやく決心がついた。手配屋に通い続けたところでどうにもならないとわかっていたのに、未練がましく夢を見るのはもう終わりにしなければ。
(アフィーテの僕には、最初から普通の生活なんて無理だったんだ)
リトスはベッドの下に押し込んでいた鞄を取り出した。そうして棚に仕舞ってあった数少ない日用品と服を鞄に詰め込み、兎族と狼族の絵本をその上に載せる。ルヴィニと仲が良かったときに何度も一緒に読んだ絵本はリトスの一番の宝物だった。
その宝物の上にたたんだ上着を入れた。優しさが詰まった上着はリトスにとって新しい宝物になった。それらがあれば大丈夫。「よし」と声に出したリトスは、夜が更けるのもかまわず掃除を始めた。
(食器は残していっても平気かな)
数個しかない食器だから迷惑にはならないだろう。もし邪魔なら次に住む人が処分するに違いない。ベッドや寝具は元々貸家に置いてあったものだから、そのままでも問題ない。床をさっと掃除し、最後にテーブルを拭いたところで部屋を見回した。
「この先ずっとここで過ごすんだと思ってたけど、違ったな」
沸かした湯で体を拭い、顔を洗ってからベッドに横になる。
(明日、朝一でこの部屋を引き払おう)
そして華街に行こう。改めてそう決意したリトスは、この部屋での最後の眠りに就いた。
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▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
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