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狼と猫8
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しばらく抱きしめ合った後、アスミはオリヴィの腕を優しくほどいた。そうして「少し話をしてもいいか?」と切り出す。若干名残惜しく感じていたものの「じゃあ、温かい飲み物でもいれようか」とオリヴィが答え、二人でいつもの食卓へと移動した。
毎日使っているコップに熱いコーヒーを注いたオリヴィは、アスミの分にはスプーン三杯分の蜂蜜とミルクを、自分の分にはミルクを少しだけ入れる。
(そういや、すっかりアスミ好みのコーヒーの味も覚えたな)
そんなことを思いながらコップの中身を混ぜた。
(肉やスープの味付けも、好みのパンの焼き加減も気がついたら覚えてた)
誰かの好みを覚えて料理をするのは父親が亡くなって以来だ。「そういえば親父もそんな感じだったっけ」と、母親好みの味付けだった父親の手料理をいくつか思い出す。
「で、話したいことって?」
コップを差し出しながら神妙な顔をして座るアスミに話しかけた。
「俺のことを、オリヴィにちゃんと話しておきたい」
「そっか」
アスミにつられるように真面目な顔になったオリヴィが正面に座る。
いままで何か事情があるに違いないと思いつつも、本人が話さないことを無理に聞き出すのは違う気がして尋ねることはしなかった。そのためオリヴィがアスミについて知っているのは、南の大きな街に住んでいたことと狼族が少ない北の地へ向かって旅をして来たことだけだ。
「俺の故郷は、ここからずっと南に行ったところにある。ここからだと、ちょうど街道沿いの大きな港街に入ってから東に抜けたところだ」
「大きな港街って、白亜の街並みって噂のあの街か?」
昔、店の常連だった狐族の商人に聞いた話を思い出した。そこには狼族が多く住んでいて、近くには狼族の長が住む大きな街もあると話していた気がする。
「あぁ。その港街から東に行ったところに狼族の長が住む街がある。そこが俺の故郷だ」
「随分と遠いところから来たんだな」
「そうだな。遠くに行きたいという気持ちだけでここまで来たようなものだ」
「……その、もしかして故郷で何かあったのか?」
やや小声で尋ねるオリヴィに、少し笑ったアスミが「別にやましいことはない」と答えた。
「俺の父親は、狼族の長の弟と番った婿の弟なんだ。そして伯父の子が次の長になることが決まっている」
「長の弟の……なんだって?」
「簡単に言えば、次の狼族の長と俺は従兄弟の関係ということだ」
「……思ってたよりいいとこの坊ちゃんだったんだな」
食事の仕方や普段の仕草から、オリヴィは“いいとこの坊ちゃん”だと想像していた。しかし次の長の従兄弟となると、ただの坊ちゃんの域を超えている。狼族の中では頂点に近い立場ということで、この街を仕切る獅子族の若君より力を持っているということだ。
「あー……ごめんな」
「え?」
「いや、まさかそんなに偉い立場だとは思わなくてさ。給仕なんかさせて悪かった」
「それは問題ない。それにこれまでも似たような仕事をしたことはあった」
それで手際がよかったのかとアスミの仕事ぶりを思い出す。
「それにしても、そんな立場のおまえが何で一人旅なんかしてるんだ?」
オリヴィの問いかけにアスミが渋い顔をした。
「アスミ?」
「……オリヴィは、狼族が兎族の雄を番にすることは知っているか?」
「あぁ。狼族には雌がいないから、狼族の子どもを生める兎族の雄を番にするんだろ? この街じゃ暑さに弱い兎族も少ないけど、その話は知ってる。あと何だったっけ……そうだ、たしか花嫁って呼ばれる特別な番もいるんだったっけ」
「花嫁は地位の高い狼族が確実に子を為すために作った番の仕組みだ」
「へぇ……」
そこまでして番を求めるのは狼族だけでは子が残せないからなのだろう。「そういえば狼族は絶対的な階級制度で生きてるんだったな」と聞きかじった内容を思い出した。
(なるほど、だからあいつら尻尾を巻いて逃げたのか)
自分を襲おうとした二人組の狼族を思い出した。アスミが現れた途端に震えだしたのは、アスミが長に近い存在だったからに違いない。種族は違えどオリヴィにも自分より強い相手を恐れる本能は備わっている。それを考えればあの二人の反応も納得できた。
(そうか、アスミはそれだけすごい立場だってことか)
つまり「子を為すための仕組み」はアスミにも関係しているということだ。いずれは故郷に帰って兎族の雄を番にするのかと想像した途端にオリヴィの眉が寄る。
その表情に気づいたのか、アスミが慌てたように「俺に花嫁を迎える予定はない」と口にした。
「地位の高い狼族は発情を迎え一人前になると、月の宴と呼ばれる場で花嫁をあてがわれるのは事実だ。しかし俺はそれがどうしても納得できなかった」
「番を持つのが嫌なのか?」
「そうではないんだが……周りからとにかく子を作れと言われるのが耐えられなかったんだ」
眉を寄せるアスミの表情は固く、そういう世界を垣間見たことがないオリヴィには遠い世界の寝物語のように思えた。
「いいとこの坊ちゃんだと、跡取りだの何だの大変そうだな」
「いや、跡取りはいいんだ。そうではなくて、だな」
アスミが一旦口をつぐむ。それからあおるようにコーヒーを飲み「父は権力の中枢にいたい人なんだ」と口にした。
「そのために長の弟の婿に自分の兄をねじ込んだ。そのせいで……いや、もう随分前のことだからそれはいい。しかし、その兄の子が次の長になると囁かれ始めた途端に俺に矛先が向くようになった」
「ん? どういうことだ?」
「俺と次の長は年が近い。同じ時期に番を持てば子どもたちも年が近くなる。父はそれを狙っているんだ」
「ええと、子どもたちの年が近くなるように、おまえに番を持たせようとしたってことか?」
オリヴィの問いかけにアスミが眉を寄せながら頷く。
「年が近ければ兄弟のように過ごすことになる。実際、俺も従兄弟たちとそうして育った。そうやって長の身近に自分の血筋を置いて権力の中枢に居続けようというのが父の考えだ。いや、生きる目的と言ってもいい」
「それはまた、すごい父親だな」
アスミはますます眉を寄せながら「そのせいで毎日のように番を持てと言われ続けた」とため息をついた。
「父の野望のために、よく知りもしない兎族の番を持つ気にはなれなかった。とにかく子を作れと、子ができるまで何人でも花嫁を迎えるんだと、そう言われるたびに目眩がした」
毎日使っているコップに熱いコーヒーを注いたオリヴィは、アスミの分にはスプーン三杯分の蜂蜜とミルクを、自分の分にはミルクを少しだけ入れる。
(そういや、すっかりアスミ好みのコーヒーの味も覚えたな)
そんなことを思いながらコップの中身を混ぜた。
(肉やスープの味付けも、好みのパンの焼き加減も気がついたら覚えてた)
誰かの好みを覚えて料理をするのは父親が亡くなって以来だ。「そういえば親父もそんな感じだったっけ」と、母親好みの味付けだった父親の手料理をいくつか思い出す。
「で、話したいことって?」
コップを差し出しながら神妙な顔をして座るアスミに話しかけた。
「俺のことを、オリヴィにちゃんと話しておきたい」
「そっか」
アスミにつられるように真面目な顔になったオリヴィが正面に座る。
いままで何か事情があるに違いないと思いつつも、本人が話さないことを無理に聞き出すのは違う気がして尋ねることはしなかった。そのためオリヴィがアスミについて知っているのは、南の大きな街に住んでいたことと狼族が少ない北の地へ向かって旅をして来たことだけだ。
「俺の故郷は、ここからずっと南に行ったところにある。ここからだと、ちょうど街道沿いの大きな港街に入ってから東に抜けたところだ」
「大きな港街って、白亜の街並みって噂のあの街か?」
昔、店の常連だった狐族の商人に聞いた話を思い出した。そこには狼族が多く住んでいて、近くには狼族の長が住む大きな街もあると話していた気がする。
「あぁ。その港街から東に行ったところに狼族の長が住む街がある。そこが俺の故郷だ」
「随分と遠いところから来たんだな」
「そうだな。遠くに行きたいという気持ちだけでここまで来たようなものだ」
「……その、もしかして故郷で何かあったのか?」
やや小声で尋ねるオリヴィに、少し笑ったアスミが「別にやましいことはない」と答えた。
「俺の父親は、狼族の長の弟と番った婿の弟なんだ。そして伯父の子が次の長になることが決まっている」
「長の弟の……なんだって?」
「簡単に言えば、次の狼族の長と俺は従兄弟の関係ということだ」
「……思ってたよりいいとこの坊ちゃんだったんだな」
食事の仕方や普段の仕草から、オリヴィは“いいとこの坊ちゃん”だと想像していた。しかし次の長の従兄弟となると、ただの坊ちゃんの域を超えている。狼族の中では頂点に近い立場ということで、この街を仕切る獅子族の若君より力を持っているということだ。
「あー……ごめんな」
「え?」
「いや、まさかそんなに偉い立場だとは思わなくてさ。給仕なんかさせて悪かった」
「それは問題ない。それにこれまでも似たような仕事をしたことはあった」
それで手際がよかったのかとアスミの仕事ぶりを思い出す。
「それにしても、そんな立場のおまえが何で一人旅なんかしてるんだ?」
オリヴィの問いかけにアスミが渋い顔をした。
「アスミ?」
「……オリヴィは、狼族が兎族の雄を番にすることは知っているか?」
「あぁ。狼族には雌がいないから、狼族の子どもを生める兎族の雄を番にするんだろ? この街じゃ暑さに弱い兎族も少ないけど、その話は知ってる。あと何だったっけ……そうだ、たしか花嫁って呼ばれる特別な番もいるんだったっけ」
「花嫁は地位の高い狼族が確実に子を為すために作った番の仕組みだ」
「へぇ……」
そこまでして番を求めるのは狼族だけでは子が残せないからなのだろう。「そういえば狼族は絶対的な階級制度で生きてるんだったな」と聞きかじった内容を思い出した。
(なるほど、だからあいつら尻尾を巻いて逃げたのか)
自分を襲おうとした二人組の狼族を思い出した。アスミが現れた途端に震えだしたのは、アスミが長に近い存在だったからに違いない。種族は違えどオリヴィにも自分より強い相手を恐れる本能は備わっている。それを考えればあの二人の反応も納得できた。
(そうか、アスミはそれだけすごい立場だってことか)
つまり「子を為すための仕組み」はアスミにも関係しているということだ。いずれは故郷に帰って兎族の雄を番にするのかと想像した途端にオリヴィの眉が寄る。
その表情に気づいたのか、アスミが慌てたように「俺に花嫁を迎える予定はない」と口にした。
「地位の高い狼族は発情を迎え一人前になると、月の宴と呼ばれる場で花嫁をあてがわれるのは事実だ。しかし俺はそれがどうしても納得できなかった」
「番を持つのが嫌なのか?」
「そうではないんだが……周りからとにかく子を作れと言われるのが耐えられなかったんだ」
眉を寄せるアスミの表情は固く、そういう世界を垣間見たことがないオリヴィには遠い世界の寝物語のように思えた。
「いいとこの坊ちゃんだと、跡取りだの何だの大変そうだな」
「いや、跡取りはいいんだ。そうではなくて、だな」
アスミが一旦口をつぐむ。それからあおるようにコーヒーを飲み「父は権力の中枢にいたい人なんだ」と口にした。
「そのために長の弟の婿に自分の兄をねじ込んだ。そのせいで……いや、もう随分前のことだからそれはいい。しかし、その兄の子が次の長になると囁かれ始めた途端に俺に矛先が向くようになった」
「ん? どういうことだ?」
「俺と次の長は年が近い。同じ時期に番を持てば子どもたちも年が近くなる。父はそれを狙っているんだ」
「ええと、子どもたちの年が近くなるように、おまえに番を持たせようとしたってことか?」
オリヴィの問いかけにアスミが眉を寄せながら頷く。
「年が近ければ兄弟のように過ごすことになる。実際、俺も従兄弟たちとそうして育った。そうやって長の身近に自分の血筋を置いて権力の中枢に居続けようというのが父の考えだ。いや、生きる目的と言ってもいい」
「それはまた、すごい父親だな」
アスミはますます眉を寄せながら「そのせいで毎日のように番を持てと言われ続けた」とため息をついた。
「父の野望のために、よく知りもしない兎族の番を持つ気にはなれなかった。とにかく子を作れと、子ができるまで何人でも花嫁を迎えるんだと、そう言われるたびに目眩がした」
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