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狼と猫1

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 その日、オリヴィは仕事を終えて自分の家に帰るところだった。

(今日もいい夕暮れだな)

 まだ明るい街は夕涼みをする人や酒を楽しむ人、寄り添って甘い時間を過ごす恋人たちなどで賑わっている。オリヴィはそんな喧騒のなかをぼんやり歩くのが好きで、こうしてたまに遠回りをして帰ることがあった。
 今日も少しだけ賑わいを眺めてから帰ろうと思い、大通りから一本裏手に入った。そこは出店が並ぶお洒落な通りで、とくに若者たちに人気がある。そんな通りに入ったところで少し先に人だかりができていることに気がついた。

(なんだ?)

 近づくと、ちょっとした人垣になっている。どうしたのだろうと様子を見ていると、輪の中央辺りから怒鳴り声のようなものが聞こえて来た。

(またケンカか)

 この街は南側の大きな街と最北端の街を繋ぐ街道沿いにあり、商人だけでなく多くの観光客も訪れる。そうした観光客目当てに商売をする人たちも多く集まるからか、街には様々な種族が住んでいた。そのせいで、ちょっとしたいざこざやケンカは日常茶飯事のように起こる。今回もそんなことだろうと思ったオリヴィは、そのまま人混みを離れようとした。

「狼族が偉そうにしやがって!」

 人垣から聞こえて来た怒鳴り声にオリヴィの足が止まった。「へぇ」と、もう一度人垣を見る。
 この街は随分と北のほうにあって年中暑い。暑さが苦手な狼族はあまり北の地にやって来ることがなく、この街でも年に数回しか見かけることがなかった。たまに見かける狼族も金持ちばかりだからか大勢の使用人を連れていることが多く、こうしてケンカに巻き込まれることはまずない。
「狼族がケンカなんて珍しいな」と思ったオリヴィは、好奇心から人を掻き分け問題の人物を覗き見た。

「おまえからぶつかってきたんだろうが! 謝れよ!」

 最初に目に入ったのは馴染みの顔だった。やたらといきり立った雰囲気で叫んでいるのは猫族の雄で、オリヴィもよく知るズィーナだ。

(またあいつか)

「おい、謝れって言ってんだろ!」
「すまない」

 まくし立てられている狼族は随分大きな体だが、言われるがままおとなしく謝っている。おそらく穏便に済ませたいと考えているのだろう。

「それが謝る態度かって言ってんだ! 狼族が偉そうにしやがって、北の地じゃ誰も狼族なんて怖がらねぇぞ!」
「では、どうすればいい?」
「はん! 本当に謝る気があるんなら土下座くらいしろってんだ。あぁん? お偉い狼族にはできねぇだろうがなぁ?」

 相変わらずの物言いにオリヴィは「はぁ」とため息をついた。

(観光客相手に難癖つけるのはやめろってあれだけ言ってるのに)

 腕力なんてないくせに、相手が反撃しないとわかるとこの態度だ。

「ありゃ、面倒くさいことになるぞ」

 人混みの中からそんな声がちらほら聞こえてきた。
 小悪党のズィーナはこの辺りでちょっとした有名人だった。とくに粘着質な性格は誰もが知るところで、住人は口出しをして絡まれるのを嫌って誰も仲裁に入ろうとしない。オリヴィも普段なら横目で見ながら通り過ぎるところだが、おとなしくしている狼族が不憫に思えて助け舟を出すことにした。

(それにズィーナに調子に乗られても困るからな)

 誇り高くどの種族よりも強い狼族を跪かせたなんてことになれば、ズィーナはますます調子に乗るだろう。そうしてより一層観光客にたかるようになるに違いない。そんなことになってはたまったものじゃなかった。この街で商いをしているオリヴィにとっては客が寄りつかなくなるのは大問題で、自衛のためにもと人の輪に入る。

「ズィーナ、もういいじゃねぇか。相手は観光客だろ、勘弁してやれよ」

 振り返ったズィーナが、オリヴィの顔を見た途端に馬鹿にしたような表情を浮かべた。

「あん? なんだオリヴィ、おまえ狼族の味方をするってのか?」
「そうじゃねぇけど、もういいだろ。それにこんな往来で騒いでちゃ人様の迷惑になる」
「うっせぇ! おまえみたいな混合種ミックスのハンパもんが偉そうに説教するんじゃねぇ!」
「……なんだと?」
「ハンパもんだろうがよぉ。猫族にも獅子族にもなれねぇハンパもんのくせに出しゃばるんじゃねぇよ!」

 ズィーナの言葉にオルヴィのグリーンの目がつり上がった。茶毛で猫族そっくりな尻尾がぶわっと膨らむ。
 オリヴィにとって混合種ミックスは自分のルーツを示す大事な言葉で、ズィーナのような言い方は最大の侮辱だ。さらに「ハンパ者」とまで言われては我慢できるはずがない。
 オリヴィが睨みながら一歩足を踏み出したところで、それまで静かに様子を見ていた狼族がずいっと体を乗り出した。オリヴィの隣に立った狼族は、やや長身のオリヴィより頭一つ分大きく体つきもがっしりしている。それに比べて正面に立つズィーナはあまりに貧相で、狼族が拳をひと振りすれば吹っ飛んでしまうのではないかという様子だった。
 それはズィーナも感じたらしく、やや腰が引けながら顔も引きつらせている。

「な、なんだよ!? やろうってのか!?」
「いや、ぶつかったのは本当だから俺が悪い。それに関係のない者を巻き込むわけにもいかない」
「だ、だからどうだってんだ!」
「俺の態度が気に入らないというなら、殴ってくれて構わない」

 そう言った狼族がオリヴィを背中に隠すように立ちはだかった。まるで壁のような逞しい体に猫族の貧相な拳や蹴りが役に立つはずもなく、ズィーナは「チッ」と舌打ちながらも足早に去って行く。
 騒ぎが終わったとわかったのか、集まっていた人たちもあっという間に散り散りになった。残されたのはオリヴィと狼族の二人だ。

「ええと、ありがとうってことでいいのかな」
「いや、俺のほうこそ巻き込んでしまって申し訳なかった」
「いや、俺が勝手にしゃしゃり出ただけだし」
「それでも暴力沙汰にならずに済んだのはきみのおかげだ。礼を言わせてほしい。ありがとう」
「いやまぁ、何事もなくてよかったな」

 そう言ったオリヴィに狼族が腰をしっかり曲げ頭を下げる。

(狼族でもこういう奴がいるんだな)

 オリヴィが内心そう思うのも仕方がなかった。この街に来る狼族は金持ちだからかやたらと偉ぶっているものが多い。先ほどのズィーナのように狼族を快く思っていない住人も少なからずいた。
 それに比べれば目の前の狼族はやたらと礼儀正しかった。それに暴力に訴えず解決しようとしていた態度も好ましい。

(こういうやつとなら呑んでも楽しそうだ)

 年も近そうだし酒癖も悪くないだろう。好感度の高い態度と自分を守ってくれるような仕草に絆されたオルヴィは、思わず「あんた、今夜の宿は決まってるのか?」と声をかけていた。

「いや、これから探すところだ」
「それなら俺のところに来るか? 部屋は余ってるし、俺は料理人だから飯も出せる。これも何かの縁だ、泊まっていけよ」
「いいのか?」
「かまわないさ。あんた、名前は?」
「アスミだ」
「俺はオリヴィ、よろしくな」
「助かった。よろしく頼む」

 こうしてオリヴィは、偶然助けることになった狼族のアスミに宿を提供することになった。
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