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本編

12 僕を受け取ってください

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 ヤナギさんの話はこうだった。
 アララギ中佐は何度目かの指名をしたあと、僕がほかのお客さんに指名されなくて済むように何日分もの支払いを始めたそうだ。それは中佐が来られなくなった間も続いていて、だから主人は指名されない僕に何も言わなかったらしい。

「まさか、そうまでして僕を身請けしようとしてくれてたなんて」

 でも、僕の身請けには結構な金額が必要だった。その金策の一つとして少将になることを了承したんじゃないか、というのがヤナギさんの見立てだった。
 少将のような特権階級ともなれば、お屋敷を何個も買えるくらいの給金がもらえる。それなら大抵の男娼や娼婦は身請けできるだろう。だから昇進することを決めたんだとしても、貴族じゃない中佐が少将になるのは大変なことだ。

「だからここに来る時間もなかったんだ」

 そうまでして僕を、と思ったらドキドキを超えて心配になってくる。

「だって、僕のせいで無理してるのかもしれないし」

 僕にそんな価値はない。もっと可愛くて綺麗な男娼なら納得できるけど、僕は平凡でひょろっとしただけの男だ。そんな僕に大金を払ってまで身請けしたいなんて、本当だろうか。

「それに、僕が中佐に恋をしてるなんてさ」

 身請け話の最後に「おまえのそれは恋煩いだ」と言った主人の言葉が蘇る。ヤナギさんも「ツバキもようやく初恋を迎えたな」と笑っていた。

「初恋なんて、僕は男娼なのに」

 初恋も恋煩いも貴族が大好きな話題だ。でも男娼である僕には関係ない。そりゃあ中佐のことは好きだし一緒にいたいとも思った。毎日のように思い出しては胸がズキズキもした。
 でも、本で読んだり人に聞いたりした恋はそんな感じじゃなかった。だけど主人もヤナギさんも口を揃えて言うってことは、やっぱりこれも恋なんだろうか。

「たしかに中佐を思い出すだけでドキドキするけど」

 最後に見た軍服姿なんてドキドキしすぎて脳裏に焼きついているくらいだ。

「そういえば、あの女性は誰だったんだろう」

 軍服姿の中佐の腕に絡んでいた華奢な腕を思い出す。それに比べて僕のはただの男の腕だ。髪の毛もあんなに綺麗に整えていないし、服装だって下働きとあまり変わらない。

「こんな僕を少将になる人が身請けしてもいいんだろうか」

 ちょっと混乱してるけど、ますはちゃんとお出迎えしないといけない。それが僕の仕事だ。まずは前回のことを謝ろう。僕が戸惑っていることなんて後回しでいい。恋をしているかどうかは、もっとどうでもいいことだ。
 そんなことを考えながら久しぶりにお客さんを迎える用意をした。すべての用意が終わった夕方、扉を叩く音が聞こえた。一瞬体がビクッと震えたけど、それだけ緊張しているということかもしれない。
 僕はふぅと小さく息を吐き、扉を開けて中佐を招き入れた。そうして勢いよく頭を下げて謝る。

「前回は本当に、本当に申し訳ありませんでした!」

 許してもらえるかわからない。でも僕には謝ることしかできない。もしかしたら今回のことで身請け話がなくなってしまうかもしれないけど自業自得だ。

(身請けがなくなるのは……本当は嫌だけど)

 せっかくそばにいられるかもしれなかったのにと思うと涙が出そうになる。でも、ここで泣くわけにはいかない。男娼としての自負が何とか涙を追いやる。

「……嫌われたのかと思っていた」
「え……?」

 そうっと頭を上げると、太い眉をへにょりと下げている中佐の顔があった。初めて見る表情は笑ったときと同じくらい可愛く見える。そう思っただけで口元が緩みそうになり、慌てて押し留めた。

「ずっと放っていた客のことを、いつまでも覚えているはずがないと思っていた」
「あの、どういうことですか?」
「放置していたのに身請けなんてふざけるなと、俺に愛想を尽かして逃げたのかと思ったんだ」

 まったく思ってもいない内容にギョッとした。

「そ、そんなこと思ってません! それに、あれは僕が悪いんです。男娼としてあるまじきことをしたのは僕のほうです」
「いや、男娼だからといって都合よく扱っていいわけがない。……それに、俺が来ない間に客を取ったとも聞いた」

 客って……そうだ、モモハ様に指名されたんだった。

「それはその、僕は男娼だからお客様に指名してもらわないと困ります。それにダラダラ過ごすのは僕の性に合わないっていうか」
「客を取らなくてもいいくらいの金は払っていたはずだ」
「そ、れは、知らなかったとはいえ、あの、すみません」
「いや、主人には正式に身請けが決まるまで本人には言わないでほしいと俺が言ったんだ」

 それじゃあ気づきようがない。

(いや、あのとき主人たちは変な顔をしていたっけ)

 僕がもっと察しのいい人間なら気づけたかもしれないけど、元々噂話すら聞き逃すような僕には無理な話だ。

「本当はもっと早くに言うつもりだった。だが、期待させておいて身請けできなかったら失望させてしまうだろう? それはツバキにとってはよくないと聞いて、正式に決まるまでは黙っていてもらうことにしたんだ。少し時間がかかってしまったが、ようやく身請けできる算段がついた。それをこの前伝えようと思っていたんだ」

 それって、僕のことを考えて内緒にしたまま話を進めていたということだ。そうまでして身請けを考えてくれたなんて、どうしよう、どんどんドキドキしてくる。

(でも、少将になるのに男娼の身請けなんていいのかな)

 それに中佐には恋人もいる。もしかしたら奥様になる人かもしれない。結婚前に男娼を身請けしたなんて知られたら結婚話のほうがなくなったりしないんだろうか。
 そう思ったら、急にあの女性のことが気になってきた。僕なんかが尋ねていいことじゃないとわかっているけど、どうしても気になる。お客さんの私的なことを聞くのは初めてで、口を二回開き直してからやっと声を出すことができた。

「……あの……僕、聞きたいことがあるんですけど」
「なんだろうか?」
「僕、ちょっと前に大きな噴水のところで中佐を見かけたんですけど」

 そこまで言って、あのときの様子を思い出して胸がキュウッと苦しくなった。やっぱり聞かないほうがいいかもしれない。でも、続きを待っている中佐の顔を見たらやめることもできない。

「噴水のところで、女の人と一緒にいたのを見かけて」

 駄目だ、息が少し苦しくなってきた。

「ピンク色のドレスを着た、中佐より随分と小柄な方だったんですけれど、あの……もしかして恋人ですか?」

「恋人」と口にしたところで胸がズキッとした。ギュッと喉が詰まって苦しくなる。こんなことなら口にしなければよかった。それに中佐だって男娼の僕なんかにいろいろ聞かれたくはないはずだ。居たたまれなくなった僕は中佐からそっと視線を外した。

「噴水……ピンク色のドレス……? ……あぁ、彼女のことか」

「彼女」という単語に肩が震える。やっぱり答えを知るのが怖い。知らないのも気になるけど、知ることのほうが怖いと思った。

「あのっ、変なこと聞いてごめんなさ……」
「彼女は大将閣下の、上官のお嬢さんだ」

 僕が「ごめんなさい」と言い切る前に中佐が答えた。

「大将、閣下」

 大将というのは上級士官の頂点に立つ人のことだ。軍人さんであるアララギ中佐の上司で、ヤナギさんの話だと少将に抜擢した人ということになる。そんな偉い人のお嬢さんということは、やっぱり恋人、いや、許嫁なのかもしれない。

(出世するときに偉い人のお嬢さんを奥様にすることは、貴族ではよくあることだって聞くし)

 それが立身出世の早道だと、中級階級のお客さんに聞いたことがある。中佐は本当ならなるのが難しい少将になる。そのために大将のお嬢さんを奥様にするんだ。そうしないと少将になれなかったのかもしれない。

(そっか、そうだよな)

 私的なことは僕が気にすることじゃない。身請けしてもらえるだけでありがたいんだ。それに偉い人のお嬢さんを奥様にできれば中佐はもっと偉くなれるかもしれない。そのほうが中佐にとってはいいことのはず。

(そもそも身請けされるってことは愛人になるってことだし)

 だから中佐に奥様がいてもおかしいことではないし、それを僕がどうこう思う必要もない。それなのに、やっぱり胸が苦しくて息ができなくなる。

「偉い方のお嬢様だったんですね。……あの、とてもお似合いでした」

 変な声にならないように気をつけていたのに、俯いたからか少しだけ声が震えてしまった。

「もしかして、勘違いしていないだろうか」
「……」
「お嬢さんはただの友人だ。というより妹のようなものだ。彼女には買い物につき合ってもらっただけで……もしかして、妬いてくれているのか?」
「へ……?」

 聞き慣れない言葉に、思わず顔を上げてしまった。

(妬くって……妬く?)

 それって“嫉妬”ということだろうか。意味がわかった途端に、なぜか顔がボッと熱くなった。嫉妬なんて、よく聞く痴話喧嘩の原因じゃないか。

(……そっか、僕は中佐に恋をしているんだったっけ)

 それなら嫉妬しても変じゃない。それでも戸惑っていると、中佐が「はは」と小さく笑った。

「そうか、ツバキが焼きもちか。聞いた話では、まだずっと先のことだと思っていたんだが……そうか。少なくとも嫌われているわけじゃないのか」
「嫌うなんて、そんなことあるわけないじゃないですか!」

 中佐の言葉に驚いた僕は、大慌てで否定した。

「会えない間も毎日思い出していたんですから! そのたびに体が疼いて、それで一人でしちゃったりもして。でもいいところには全然届かないし、余計に切なくなるし、何とかしたくて中佐の声を思い出しながら後ろも自分でいじって……あ、」

 しまった、また余計なことまで言ってしまった。男娼なのにお客さんも取らずに自慰に耽っていたなんて恥ずかしすぎる。その場にしゃがみ込んだ僕は、顔を隠すように膝に顔を埋めた。

「相変わらずだな」

 気のせいでなければ中佐の声が笑っているように聞こえる。ますます情けなくなった僕は、膝に額をぎゅうぎゅうと押しつけた。

「そんなツバキだから、俺は好きになったんだろうな」
「……へ?」

 いま「好きになった」と聞こえた気がする。中佐が僕のことを好きになった、ということだろうか。僕は真っ赤になったまま、ゆっくりと顔を上げた。

「あの……もしかしていま、好きって、言いました?」
「あぁ、言った。俺はツバキが好きだ」
「……中佐が、僕を好きって、」
「好きになった。だから身請けしようと思った」
「……あの、ほんとに……?」
「そうでなければ、揉め事に巻き込まれるのを覚悟してまで面倒くさい少将になろうとは思わない。それをおしてでも身請けしたいと思った。そのくらいツバキのことが好きなんだ」

 ようやく「好き」という言葉が理解できた。

(どうしよう、心臓がバクバクして苦しいんだけど)

 まさか身請けの理由が「好きだから」だなんて思わなかった。てっきり性欲のはけ口のためだとばかり思っていた。体の相性がいいってことは中佐も口にしていたし、全部挿れることができる相手は僕しかいないみたいだから、てっきりそういうことだと思っていた。

(それなのに、好きだから身請けしたいなんて……)

 信じられなくて中佐をじっと見上げる。中佐は視線を逸らすことなく、真剣な目で僕を見つめ返してくれた。
 中佐の真剣な碧眼を見ているうちに、もっとこの目で見つめられたいと思った。そばにいて、いつだってこうして見てほしい。もしかして、これが恋ってことなんだろうか。そう思ったら急に自分の気持ちも伝えなければと思った。いま言わないと言えなくなりそうな気もした。

「僕も、アララギ中佐のことが好きです……!」

 立ち上がった僕はぶつかるように中佐に抱きついた。大きくて逞しい中佐はガッチリと受け止めてくれて、そのままギュウギュウと抱きしめ返してくれる。

(胸が苦しいくらい痛いのに、同じくらい嬉しい)

 ちょっと前までは胸が痛くなると苦しいだけだったのに、いまは苦しくない。こういうのも恋なんだろうかと思いながら、大きな体にぎゅうっと抱きつく。頭や背中を撫でてくれる手が気持ちよくて頬がもにょりと緩んできた。

(中佐って、やっぱり大きいなぁ)

 大きくて優しくて、それにかっこいいのに可愛い。そんな人に身請けしてもらえるなんて、僕はなんて運がいいんだろう。
 人買いがそれなりの金額を父さんに払ってくれたのも、高級娼館に買われたのも運がよかった。そうして今度は中佐に身請けされる。ただの農民の子どもだった僕は、こんなにも運がいい人生を歩んでいる。

「あの、身請けの話、ありがとうございます。僕、本当に嬉しいです」
「まだ手続きが残っているから、実際に俺のところに来てもらうのはもう少し後になる」
「大丈夫です。僕、ちゃんと待ってますから」

 心配かけないようにニコッと笑いながら顔を上げたら、なぜか眉を寄せて俺を見下ろしている。

「俺が我慢できそうにないんだ。だからできるだけ早く手続きを済ませる」
「え、えと、ありがとう、ございます」

 どうしよう、今度は痛くないのに胸が苦しい。これも恋ってやつなんだろうか。

「それにしても、ツバキに好かれていたなんて気づかなかった」
「僕も今日まで知らなかったんです」
「……どういうことだ?」
「ええと、僕もよくわかっていないんですけど。主人が言うには、僕は中佐に恋をしているんだそうです」

 僕の言葉はきっと変だ。だけど優しい中佐は「聞いていたとおりだな」とだけ言って、またギュッと抱きしめてくれた。

「俺も、まさか本気になるとは思っていなかった」

 そういえば最初の頃はムッとしてばかりだったことを思い出す。

「最初は無表情で話も一切しませんでしたよね。てっきり僕みたいな男娼は好きじゃないんだと思っていました」
「あぁ、あのときは男同士というのに飽き飽きしていたんだ」
「へ?」
「勘違いしないでほしい。あまりにも頻繁に目に入るせいで、そう感じていただけだ。そんなことを思い出して、ついあんな態度を取ってしまった」
「頻繁にって」
「軍というのは男社会だ。その中にいれば性欲のはけ口が男に向く奴も出てくる。しかも完全な縦社会だから、上官に命じられればどんな男も股を開かざるを得ない。ま、ほとんどは好きで突っ込んだり突っ込まれたりしているんだろうがな」
「へ、へぇ」
「そのうち高級娼館に行って男娼を抱くようになる奴もいる。似たような体格の男より、華奢で可愛い男のほうが気分も乗るんだろう」

 なるほど、だから軍人さんはやたらと小柄な男娼を指名するのか。

「じゃあ、中佐はどうして僕みたいに大きな男娼を指名したんですか?」
「……前に、言ったとおりなんだが」

 前に? 何か言ってたっけ?

「俺のは、その、凶悪だろう?」

 ……そういえば、そうだった。

「じゃあ最初は嫌々っていうか、仕方なくって感じだったんですね」

 そりゃそうか。いくら中佐の逸物が立派すぎて僕みたいな体格の男娼じゃないと受け入れられなかったとしても、それと実際に行為に至れるかは別だ。僕を見て反応が薄かったのも頷ける。

(そもそも僕を見てすぐに勃起するお客さんなんて、そうそういないだろうし)

 見た目と快感は直結しやすいと言ったのは主人だ。ということは、可愛くも綺麗でもない僕に興奮する人は少ないだろう。それに、僕は背丈だけでいえば軍人さんに近い。そんな僕を見て、中佐が思い出したくないことを思い出してしまったのも納得できる。

「でも、それなら余計に僕を……その、好きになってくれたのが信じられないっていうか」

 やっぱり運がよかったんだなと思っていると、中佐が少し慌てたように「気にはなっていたんだ」と口にした。

「いや、初めて見たときは大柄な姿に少し驚いた。これでは軍人相手と大して変わらないじゃないかと思ったりもした。だが、湯を使う前に咥えたことに驚かされた。咥えられている俺より気持ちよさそうにしている顔から目が離せなくなった。軍人にも娼婦にも、あんな顔をして咥える人はいない」
「そうですか?」

 僕は男娼だから、ほかの男娼や娼婦と致したことはない。だから最中の様子は知らないけど、みんな似たり寄ったりじゃないんだろうか。

「ツバキは客に媚びないし、高級娼館ならではの高すぎる自尊心もない。しかし男娼としての誇りは持っている。それに淡々としているようでとんでもなくエロい。エロいことが好きなのに、自分が気持ちよくされるのを妙に嫌がる。体は大人なのに泣き顔は子どものようだ。ちぐはぐなのに、それがぴたりと合っているのがツバキだ」
「ええと、」
「ツバキにしかない魅力にやられたということだ」

 聞いていて耳がくすぐったくなってきた。そもそも僕に男娼としての魅力なんてものはない。エロいことが好きなだけで、それだって男娼になったから役に立っているようなものだ。

「ツバキは魅力的だ」

 どうしよう、初めて言われるからか体がうずうずしてきた。男娼なら駆け引きの言葉として聞き流すべきなんだろうけど、相手は身請けしてくれる中佐だ。そう思ったら、ほんの少し欲が出てきた。

(キスとか、しちゃっても平気かな)

 娼館にキスをしてはいけないという決まりはない。でも、僕のお客さんは誰一人としてキスはしなかった。もしかして僕がすぐに口淫するからかもしれないけど、いつかキスしてみたいとずっと思っていたんだ。
 僕は背伸びをして中佐の頬を両手で包み込んだ。そのままチュッと音を立ててキスをする。こんなの子どもみたいだと情けなくなったけど、興奮しすぎて唇をくっつけることしかできない。

「キスは初めてだな」
「……はい」
「娼館では滅多なことでは口づけたりしないものだと思っていたから、いままで遠慮してきた。しかし、もう我慢する必要はないということか」

(我慢してたんだ)

 そう思ったら後ろがキュンキュンしてきた。

「もう我慢なんてしないでください」
「そんなことを言うと、俺のタガが外れるぞ?」
「大丈夫です。僕、体は頑丈だし体力もありますから」
「そうだったな」

 ほんの少し笑った中佐の顔はやっぱり可愛くて、体も気持ちもすぐにトロトロに蕩けてしまう。

「中佐、僕の全部を受け取ってください」

 そう言ったら、中佐の顔が蕩けるように笑った。
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