平凡な男娼は厳つい軍人に恋をする

本編

10 どうしよう

　街の中でアララギ中佐を見かけてから、さらに四日が経った。
　あの日から僕はますます変になっていた。相変わらずお客さんの指名はなくて、ぼんやりしている時間の半分くらいは中佐のことを考えている。そのたびに考えないようにと思うのに、気がつけば中佐のことばかり思い出していた。おかげで、ずっと胸が痛くて苦しかった。

「思い出さないようにすればいいだけなのに、何でできないのかなぁ」

　お茶を飲もうとすれば「中佐と初めて飲んだのはこのお茶だったっけ」なんて思い出してしまう。伸びた髪を結ぶための紐を買うときでさえ「この色、中佐の目に似てる」なんて思って、淡い水色のものを何本も買ってしまった。
　極めつけは寝るときだ。もう中佐の匂いなんて残っているはずがないのに、敷布に頬を押しつけると中佐の匂いがするような気がして体が熱くなった。そうなると、何もしていないのに僕の性器は勝手に勃起して腰が動いてしまう。後ろもみっともないくらいキュンキュンして息が荒くなった。
　そうなるともう駄目だった。左手で尖り始めている乳首をキュッと摘み、右手は限界まで膨らんだ性器をユルユル擦ってしまう。すぐに右手がベチョベチョになるけど、それだけじゃ絶頂には至れない。

「こんなんじゃ、イケない……」

　僕の体は、いつの間にか前への刺激だけじゃ満足できなくなっていた。だからといって後ろに何を突っ込んでもいいわけじゃない。硬くて太くて、竿が長くてエラが張っていて、とんでもなく立派な中佐の逸物じゃないと満たされないのだ。
　理想的なカリ高の先端がググッとナカを広げるだけで気持ちがいい。それが前立腺を押し潰すと腰が震えるほど感じてしまった。そのままグッグッと奥に挿入はいり込み、深いところの何かをツプンと突き抜けた瞬間、とんでもない快感が体中を駆け巡るのがたまらなかった。もっと深いところに熱い先端がぶつかると、頭も体もトロトロになって僕は僕でなくなる。

「あんなところ、中佐のじゃなきゃ届くはずがない」

　中佐の逸物は何度も奥深くにある壁をトントンと叩いてきた。そのままグニュウと壁を押し上げるときもあれば、腰を回して擦ってくることもある。
　僕は何度も経験した中佐との行為を思い出しながら、下着を足首まで下ろした。そうして尻を高く上げて、背中側から自分の指を忙しなくひくつく孔に突っ込む。

「んぁ、ぁ……、ちが、う……んっ！　もっと、奥が、いいの、……いいの、にぃ……っ」

　こんなんじゃ全然足りない。いいところに全然届かない。ちゅぷ、と指を抜いた僕は、今度はお腹側から中指と薬指を同時に突っ込んだ。自分の指じゃ全然足りないけど、さっきよりは少しだけ奥を刺激できる。
　中佐の指や逸物のことを思い出しながら、僕は今夜も自分の指で体を慰めた。必死に指を伸ばしてかき混ぜながら中佐の指を思い出す。

「ぜんぜん……ちが、う……っ」

　わかっているのに指が止められない。中佐の指とは違うのに、それでも中佐の残像を求めて指を動かし続ける。
　僕は高く上げたお尻をカクカク上下に揺らしながら、なんとか快感を追った。肩と頬で体を支えながら、ぐっしょり濡れた性器を握りしめる。そうして前も後ろもどうにかなるくらいいじり続けた。

「足りない……こんなんじゃ、全然、足りない……」

　イケそうでイケないのがつらい。燻るような熱をどうにかしたくて、ただひたすら前も後ろもいじり続ける。グチュグチュ、ヌチュ、プチュ、そんないやらしい音が静かな部屋に響く。お尻に突っ込んだ指をさらに奥にグッと挿れて、クイッとお腹側に曲げた。

「ひぃ……！」

　そこは中佐に散々擦られてきた前立腺の少し脇だった。ずれているのに中佐の逞しい切っ先を思い出した体は、そこが気持ちいいのだとビクビク震える。
　僕はそこを必死に指で押し潰した。そのうち快感でぼんやりした頭の中に、中佐の声が聞こえた気がした。

『ツバキのここは、本当に気持ちがよくて……エロいな』

　ビクン！

『気持ちがよくて、すぐに出てしまう……。ツバキのここに、たっぷりかけてやろう』

　ビクッ、ビクビクッ！

　腰が大きく震えて、トプ、トプと精液を吐き出した。後ろでも少しイケたけど、中佐とするときほどはっきりとした絶頂はやって来ない。その証拠に体の奥の熱は燻ったままで、少しだけ涙が出てしまった。



　アララギ中佐が高級娼館に来なくなって、ひと月と少しが経った。叩き上げの中佐が准将も大佐も飛び越えて少将になるという噂は、普段なら聞き逃している僕の耳にもちゃんと入ってきた。

（そっかぁ。本当にアララギ少将になるんだ）

　少将になると直接王様に会うことができるらしい。男娼の僕には想像できない世界だけど、そのくらいすごい人になるんだってことだけはわかった。

（それじゃあ、やっぱりもう来ないよな）

　少将みたいな偉い軍人さんが娼館に来ることはまずない。呼ばれる娼婦や男娼も最上級の選ばれた人だけだから、僕が中佐に会うことはもうないはずだ。あの強面な顔も大きな体も可愛いなぁと思った笑顔も、もう二度と見ることがないんだと思うと感慨深くなる。

「すごい人がお客さんだったなんて、いまでも信じられない」

　逸物も絶倫具合も最高で、僕の変な性癖にも引いたりしないお客さんだった。本人にはさすがに言えなかったけど、フサフサした下生えの感触も性器の色も好みだった。なにより雄臭くて濃い精液には酔っ払いそうなくらい興奮した。喉の奥に直接流し込まれるのも、口の中で出されて舌で受け止めるのも好きだった。中佐はちょっと困った顔をしていたけど、何度も口淫をねだるくらい好きだった。

「せっかくなら顔にかけてもらえばよかった」

　いや、これを言ったらさすがに引いただろうから言わなくて正解だ。でも、ほんの少し残念な気持ちになる。外側も内側も中佐の匂いをつけられてみたかった、なんて未練がましく思ってしまった。

「いやいや、これ以上変態になってどうするんだ」

　中佐が相手だと自分を隠さなくなりそうで怖くなる。僕は男娼だけど、度が過ぎるとますますお客さんが減ってしまいそうだ。

「中佐なら何でも許してくれただろうなぁ」

　そう思うとやっぱり残念だった。そもそも中佐になら何をされてもかまわない。むしろ何でもしてほしい。僕の体を使ってとことん気持ちよくなってほしい。

「って、何考えてんだか」

　誰か一人のお客さんに入れ込むのは男娼としてあるまじきことだ。以前そんなふうになった娼婦の姐さんがいたけど、そのあと少し心を患って娼婦をやめることになった。

「そっか、僕もそうなっていたかもしれなかったのか」

　それなら中佐がお客さんでなくなるのはいいことだ。僕はまだ男娼をやめるわけにはいかない。ここにしか居場所がない僕に次の居場所が見つかるかはわからないけど、見つけるまでは何としてもここに居続けたい。

「だから、これでよかったんだ」

　頭ではわかっているのに、それからも何度も中佐のことを思い出した。思い出すたびに胸が苦しくて息も苦しくなる。本格的に病気じゃないかと不安になり始めたとき、久しぶりに主人に呼び出された。

「アララギ中佐に指名されたぞ」
「へ？」
「なに間抜け面さらしてるんだ。仕事だ」
「……ええと、お客様は、中佐？」
「そうだ。急だが、今夜いらっしゃるそうだ。早く準備しろ」
「……念のためもう一度聞きますけど、アララギ中佐で間違いないんですか？」
「何か問題でもあるのか？」

　主人にジロリと睨まれて、僕は慌てて首を横に振った。それからフラフラと部屋に帰り、ぼんやりしたまま中佐を迎える準備をした。
　準備中も、準備が終わってからもソワソワして落ち着かなかない。「どうして？」「なんで？」、そんな疑問ばかりが頭に浮かぶ。

「……そっか。最後に約束したからだ」

　だから指名してくれたんだ。中佐は優しい人だから、まだ待っていると思ってくれたんだろう。実際、僕は情けないくらい中佐を待っていた。

「約束、守ってくれたんだ」

　中佐が約束を守ってくれたことが嬉しくて口がもにょりと緩む。

「でも、ちゃんと中佐の顔見られるかな」

　顔を思い出すだけで胸が痛くて苦しいのに、本人を見ることなんてできるだろうか。だからといって顔を見ないのはお客さんに対して失礼だ。顔を見て、それから挨拶をして、笑って中佐を迎えたい。楽しく過ごしてもらって、それから僕も最後の行為を存分に味わいたい。

「そっか、これが最後になるのか」

　そう思った途端、頬が引きつった。もし中佐から直接「今日が最後だ」と言われたら、何かとんでもないことを口走りそうな気がする。

「……駄目だ。中佐に会うのが怖い」

　唐突にそう思った。こんな状態で中佐に会うわけにはいかない。なにより直接会うのが怖くてたまらなかった。
　このまま部屋にいたら確実に中佐と顔を合わせることになる。そうならないためには、僕が部屋から出ていくしかない。お客さんをほっぽり出すなんて男娼として最悪なことなのに、僕は恐怖から逃れたい一心で部屋を出ることしか考えられなくなっていた。

　カチャリ。

　僕が開ける前に目の前の扉が開いた。扉の向こうには、相変わらず強面にしか見えない大きな体のアララギ中佐が立っている。まさか僕が扉の前に立っているとは思っていなかったようで、中佐はとても驚いた顔をしていた。それは僕も同じで、思わず顔を見上げて呆けてしまった。

「ツバキ？」

　低い声に体がビクッとした。同時に頭に一気に血が上って、どうしてか「逃げなくちゃ」と思った。
　思った瞬間、僕の体は大きな中佐と扉の隙間をすり抜けるように動いていた。そのままパタパタと階段を駆け下りて一目散に中庭へと向かう。昔、メソメソするときに隠れていた藤の下に駆け込んですぐさましゃがみ込んだ。ここはヤナギさんしか知らないから、誰にも見咎められずに隠れることができる。
　ヤナギさんが見つけるまで、僕はただじっと藤の下でうずくまるように隠れ続けた。