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第五章
75. 再会のクラスメイト | side:クラスメイトⅥ
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《side : クラスメイト》
「ヒナコ、チアキ!二人は飛べる魔物を優先的に倒してくれ!」
ここは破壊と混沌の行進最前線、魔王の岩肌頂上。
そこでAランク冒険者をも唸らせる凶悪な魔物たちが、ショウたち新星英雄六人とレイたち三人を合わせた九人によって破竹の勢いで駆逐されている。
ショウは王都への被害を最低限減らすため、遠距離魔法を使える二人に翼を持った魔物を優先的に倒すよう指示を出した。
指示を出し攻撃を繰り広げながらショウは思考する。
王都の侵攻具合とこの事件の元凶、ヨウトとリオーネの所在について。
二人、いや、ミラを含む三人は王都内部へと向かっていったように思えた。
何故、自分たちを置いて王都に向かったのか。
その三人の手で王都に直接壊滅的な被害を出すつもりか、それとも他の目的があるのか。
ショウにはわからなかったが、それを懸念し街まで駆け戻るほどの余裕がないのもまた事実だった。
九人でようやく対処できるレベルの魔物の波がこの場に押し寄せている。
Aランク相当の強力な魔物の数は少ないが、いかんせん数が多すぎる。
──もう既に一万以上の魔物を倒したのではないだろうか。
それを確信できるほどの死体の山がこの場に構築されている。
そんな死体の山を掻き分け貪りながらショウたちの命を刈り取ろうと突進を続ける魔物たちの姿は、まさしく狂気に染まっていた。
しかし特にこれといった致命傷を受けることなくそれだけの魔物を倒し続けられているということも、また事実。
このまま危なげもなく全ての魔物を倒しきれるかもしれない。
神経を向けざるを得ない竜の姿も何故だが消えた。
いける。すぐに王都まで戻って加勢できる。
そうショウが感じ始めた──その時だった。
一気に戦況が覆るような絶望の影がこの場に舞い降りる。
「もう終わりにしようじゃないか」
リオーネだった。
王都の方へと向かったと思われるリオーネが、目的を達成したのかこの場に戻ってきていた。
宙に浮かぶリオーネの周囲を転回し続ける、漆黒で幾重にも及ぶ重厚な魔法陣。
終わりにする。
その言葉はあまりに不穏だった。
明らかにリオーネの表情は冷徹に満ちていた。
まるで目当てのモノが得られなかった腹いせとでも言いたげに九人を睥睨していた。
ショウは身構える。
未だ襲い来る血走った魔物たちを対処しながらリオーネに横目を向ける。
眩く光る、リオーネの紋章。
展開されている魔法陣は九つ。
この場にいる九人と同じ数。
それらがドス黒い閃光を放ったことで、全員がリオーネが魔法を行使したことを理解する。
しかし炎弾が放たれたり、爆音が鳴り響くことはない。
何をした?
リオーネを除くこの場にいる誰もの脳裏に疑問符が浮かび上がる。
とその時。
──抗う術も無くショウたち九人全員に異常が襲い始めた。
それは、目に見える、体感できる異常だった。
──動けない。
ここにいる九人全員が即座にそう思った。
足の先から、徐々に徐々に侵食していく麻痺のような感覚。
見ると、その麻痺感覚がある場所はまるで石のように灰色になっている。
リオーネが使ったのは。
──石化する、魔法。
明確な恐怖が襲う。
僅かながらに動く手でかろうじて魔物を追い払う。
ショウの焦りはピークに達した。
こんな、今までの苦労が全て一瞬にして無に帰すような事があってたまるかと。
リオーネは相変わらずショウたちの頭上でその光景を、哄笑混じりに見下ろしている。
そして指をパチンと鳴らし、魔物たちに指示を出した。
「コイツらのことはもういい。お前らは王都へ向かえ」
それにより、ショウたちへと牙を向け続けていた魔物は一斉に王都目がけて駆け出した。
リオーネはショウたちがもう何もできないと確信していた。
事実、唯一の回復役であるユナがどれだけ焦った声で魔法を行使しても、石化という状況が覆る様子はない。
ショウの心は心臓が握り潰されるような焦燥と絶望に染め上げられていた。
「ねえ、これどうなってんの⁉︎」
ヒナコがいつも通りの耳障りな甲高い悲鳴を上げながら、未だ何があったかわからないという様子で叫んでいる。
徐々に徐々に蝕んでいく石化の侵食はそれに反してショウの思考をクリアにさせていき、絶望を加速させる。
「なあ、これどうすんだよ!!」
「誰かなんとかしてくれ!!」
そんなクラスメイトたちの意味もない悲鳴を聞きながら、ショウはリオーネを見上げた。
ショウの完全に麻痺した手から剣がこぼれ落ちる。
もはや首から下全てが動かなくなっている。
が、意識はまだ鮮明にある。
それもリオーネの悪趣味な思考によるものなのかもしれない。
意識がありながら肉体が石化していく絶望に呑まれていく様を楽しむための、そんな余興。
ショウはなんとか動く首を動かして周囲を見回した。
もはやそこには戦闘意欲などとうに消え失せたクラスメイトたちが完全なる石化を待つのみとなっていた。
苦悶の表情を滲ませるユナ、顔がぐちゃぐちゃになるくらいの涙を流すヒナコ、何もかも諦めてその時を待つトモヒサ、まだ何か抵抗しようと睨みを効かせるサクラ、こんなところ来るんじゃなかったとでも言いたげに歯軋りするレイ、チアキ、リョウト。
唯一、石化していない者がいた。
マサキだった。
リオーネは転移魔法の使い手を探している。それゆえだろう。
心底、羨ましく思えた。
そんな中で、更なる自暴自棄への燃料が投下されるような存在がこの場に現れてしまう。
「ハッハハ!良いザマだねえ新星英雄!今までの戦いが全部無駄だったって分かったか?なあ、後悔した?後悔したか?僕を置いて行ったこと。今から土下座して命乞いでもすれば助けてあげなくもないよ??ま、その様子じゃ土下座も無理だと思うけどねえ?」
ヨウトが戻ってきた。
それも神聖な輝きを放つ、まるでこの世のものとは思えないほど美しい白龍の背に乗って。
「アンタ、こんなことしといてタダで済むと思ってるワケ⁉︎」
ヨウトに向かって無駄に声を荒げるヒナコ。無様で滑稽だった。
全て火に油を注ぐだけ。何もかも諦めてしまえばいいのに。
ショウはそんなことを考えながら、意識がこの体から抜け落ちるのを待っている。
もう完全に石になってしまえば、王都の住民からの非難を受けることもなくなるから。
「ヒナコ、お前本当に自分の立場を弁えないゴミカスだよなぁ?どうせいつもいつもその空気読まねえクソ態度で自己中を貫き通してきたんだろうが、もうそうはいかないぜ?」
煽るヨウト、青筋を立ててブチギレているヒナコ。
ショウはもうやめて欲しかった。静かにして欲しかった。
早く、早く完全に石となってしまいたい。もう何も考えなくていい、そんな存在になってしまいたい。
そんなショウの心を読み、嘲るような発言が、ヨウトの口から発せられる。
「言っとくけど、完全に石にはしないぜ?一生首から上しか動かせない状態で、ここで暮らすんだな」
その発言は、ヒナコを除いたクラスメイトたち全員の言葉を失わせるには十分な情報だった。
ヒナコはまるで子供のようにギャアギャアと泣き喚いている。
ヨウトは白龍から飛び降り、そんなヒナコの元まで歩み寄る。
「うるせえんだよ」
明らかな殺意を持って、ヨウトはヒナコの顔面を殴った。
もちろんヨウトは加減をしていた。殺すよりも遊び甚振ることを目的とした、そんな拳だった。
だがヒナコは殴られた事が理解できずに呆然としている様子。
そして、もう一発。
意識を刈り取らない、ギリギリの強さで繰り出されるヨウトの拳が、涙で濡れたヒナコの顔を更にグチャグチャにしていく。
何度も、何度も何度も何度も。
女を殴ることにまるで抵抗する様子もなく繰り出される殴打による鈍い音が、魔物が消え静まり返った空間に響く。
それを見ても、もはやショウやトモヒサの口からやめろなどという言葉は出なかった。
「ヒグっ…やめてぇ…」
まだ意識があるのが謎に思えるほどに腫れ上がったヒナコの口から、なんとかこぼれ落ちた命乞いの言葉。
喋れる程に意識を保てているのは、皮肉にもレベル十の肉体であるが故だろう。
ヨウトはそれで興が覚めたと言わんばかりに今度はチアキの元へと向かう。
「お前だよなあ?俺を殴って転移陣から追い出したのは」
ヨウトの問いにチアキは答えない。
それこそが肯定の合図だとでも言わんばかりに、またもやヨウトの拳による殴打が、石化していない顔面めがけて繰り出されていく。
チアキの鼻から鮮血が噴出し、顔の形が変わるレベルで変形したとしても、ヨウトは笑いと拳を絶やさない。
リオーネはそんな復讐劇を繰り広げるヨウトを傍観して楽しんでいた。
ヨウトだけでなくリオーネもこの瞬間を楽しみにしていたに違いない。
チアキを一通り殴った後、ヨウトはトモヒサの元へと足を運ぶ。
トモヒサはヨウトに対して何も悪い事はしてないはずだが──、
「お前はなあ、学校にいた時からどうにも気に食わねえんだよな。どこにいてもチヤホヤされやがって、内心で俺のことを見下してたのは分かってんだよ!俺が好きだった神谷さんを侍らせてた毎日は楽しかったか???」
神谷さんとはこの場にはいないがトモヒサと特段仲の良かった女子生徒である。
そしてトモヒサはもちろんヨウトを見下してなどいなかった。
ゆえに否定しようとトモヒサは口を開きかけたが──、
「お前は死ね」
ヨウトの並々ならぬ殺意が、トモヒサの口を封じ込めた。
明らかに先の二人とは違う、明確な死を想像させる殺意がヨウトから湧き上がっていた。
それほどヨウトの神谷に対する想いは強すぎたのだ。
ヨウトは懐から短剣を取り出し、トモヒサに向ける。
そしてその首筋めがけて渾身の一閃を放つ。
石化し動けない体を狙った不可避の一撃。
それはトモヒサの首を切り裂き、頭部と肉体を分離させ確実に絶命させる一撃のように思えた──
が、突如現れた突風によって、その攻撃は邪魔される。
「──トモヒサ、大丈夫か?」
風に揺らぐ純白の外套、神を閉じ込めた壮麗なる剣、怒りと余裕に満ちた表情。
この場にいる誰もが失念していた、もう一人のクラスメイトの存在──。
「相沢ワタル…!生きてたのかよ…!」
間一髪。
ヨウトの必殺の剣を受け止めトモヒサを守ったのは、今の今まで王都の前線で戦い続けていたワタルに他ならなかった。
◆◇◆◇◆◇
王都魔剣術学校の塀を囲むように厳重に配置された騎士第二師団、そして僅かながらの上級生と共に侵攻前線が学校に傾れ込まないように剣を振るい続ける。
第二師団は千人ほどの人数がいた。それらが複数人のチームを組んでそれぞれ対応している。
だが、それでも全く足りなかった。
学校の上級生は国の宝のようなもの。つまり完全な前線に出ることは許されておらずほとんど意味がないような遠距離攻撃しかしてない。
蔓延る叫び声や断末魔から少なからずこちらの勢力が弱まっているのが察せられるし、事実、前線が徐々に徐々に学校に向かって押し上げられている。
死者が出ているという事実はそれだけで経験豊富な騎士たちでさえも怖気させる要因となるのだ。
そんな中、俺はこの戦場で唯一といっていいほど物怖じする事なく戦っていると思う。
それを裏付けるように、
「貴方は本当にDランク冒険者なのですか⁉︎」
俺はこの驚きに満ちた騎士団員の声に答えを返すことは無い。
第二師団長、ナイルからお墨付きを得たことにより騎士団員から目をつけられていたせいで、俺が戦闘を繰り広けている様はまるでテレビ中継でもされているのかと思ってしまうほど注目の的だった。
確かに俺は最も人目が多く、最も魔物が狙ってくる正門前の空間で魔物を倒しまくっている。
この場所は学校の校舎からも目につくだろうし、俺のこの姿を知っているエレルトやデュランダルなんかは何かしらのアクションを起こしてくるかもしれない。
それにしても祝福の外套の魔法は慣れるまでが大変だったが、圧倒的に戦闘が有利になる規格外のものだった。
──数秒先の未来が見える。
それこそが祝福の外套の紋章魔法。
サイディスが俺の攻撃をことごとく先読みしたかのような動きをできた理由。
それはまさしく祝福の外套のおかげだったのだ。
これに慣れてしまうとこれに依存した戦いしかできなくなるような、そんな悪魔のような性質を孕んでいる。
それゆえ、サイディスは俺に負けたのだ。
未だに理由はわからないが一瞬神々封殺杖剣と祝福の外套の魔法が封じられた、あの瞬間のせいで。
だからこそそれを糧にして俺はこの魔法に依存しないような戦いをしなければならない。
とはいっても意図するまでもなく勝手に危険をあらかじめ感知してくれるこの魔法は、祝福の外套を脱がなければ解除されることはないのだが。
俺一人で対処できる魔物の数には限りがある。
できるだけ脅威性の高い魔物を選んで戦っているが、数の多い弱いゴブリンのような魔物を完全に駆逐するのは不可能。
学校を囲む塀は人を不用意に入れなくすることを目的としたもので、城壁のように頑丈なものではない。
すなわちその塀まで魔物が侵食してしまったのならば、ほぼ詰みに近い。
その状況が近づいていた。いや、もう抗えないほどに侵攻は進んでいた。
こちらの戦力は怪我人死人の続出によって削られている。対して魔物側の戦力はとどまることを知らない。
塀が破られてしまうのは時間の問題だった。
──緩み、綻んだ前線の隙間から、遂に魔物が王都の住民を避難させている学校内部への侵入を開始する。
整えられた庭園が、築き上げられた人の叡智の結晶が、知性も何もない虚な魔物たちの行進によって蹂躙されていく。
俺は一度戦いの場を下げ、学校の深部まで魔物が侵入しないよう塀の内部へと移動した。
ひとまずは弱い魔物でも一般人に近づけさせないための措置だ。
そんな光景を見て、耐えきれなかったのか立ち上がる者たちの姿が俺の目に映る。
王都魔剣術学校の生徒たちだった。
王都魔剣術学校には剣術選択と魔法選択がある。
今まで戦闘に参加していた殆どは制服からして魔法選択の生徒だった。
それは出来るだけ攻撃を受けない遠距離魔法を使えという上からの指示によるものだったと思うが、それを見るだけだった剣術選択の生徒は耐えられなくなったのだろう。
自らがこの学校で学んだ剣。
それを活用しないでただ傍観していることは歯痒くて仕方ないのだ。俺もその立場だったらそうしている。
こうして王都における絶対に死守しなければならないラインギリギリの防衛戦の火蓋が切って落とされた。
亜人族領最高の教育機関といえど、流石に騎士団より生徒たちの動きの方が鈍い。
それでもいないよりマシだが、実戦慣れしていないのか恐怖心を隠さないまま戦っている様はどうにも目についてしまう。
俺はそんな生徒たちの姿の中に、見知った顔を三つ見つけた。
その三人はなんとかコボルトの猛攻を手慣れたコンビネーションで耐え切っており、かなり仲が良いのが伺えた。
だが、コボルトに対して力不足なのか致命傷を与えるには至らず、ジリジリとその魔の手が三人へと届こうとしている。
その様子を見て俺はコボルトに向かって縮地し、首を両断した。
三人は一閃でコボルトを瞬殺した俺に対し、驚愕に満ちた表情を向けてくる。
──そして。
「ありがとうございます……って、ワタルじゃん!」
俺の顔を見てその正体に気がついたエレルトが、更に驚愕に満ち満ちた声を上げた。
しかしその両脇にいたダイアとラティは俺の顔を見てもなんらピンときていない。
当然だ。
俺の同期で俺のこの姿を知っているのはエレルトを除いていないのだから。
「久しぶりだなエレルト。元気にしてたか?」
「久しぶりだじゃねーよ!もう会えないと思ってたぜ…」
感極まったのか、それとも恐怖が一気に解放されたことによる安堵からか。
エレルトは吹き出す鼻水も気にしない勢いで泣き出した。
エレルトはまだ十一歳。
こんな血の臭いに満ちた戦場などに居ていい存在ではないのだ。
「俺ももう会えないと思ってた」
エレルトと拳を交わし、仲直りを示す。
俺が王都魔剣術学校を去ったあの日、エレルトとは小さなわだかまりが残ったままだった。
それがこの交わした拳により一気に解消され、気分が晴れたようにエレルトも笑顔を取り戻す。
「待ってよ、この男の人がワタル??ワタルは急用でミルと共に故郷に帰ったって聞いたけど…?」
ここでダイアが困惑の表情をぶつけてきた。
ダイアやラティにとっては当然の疑問だろう。
しかし俺やミルは死んだことではなく故郷に帰ったということになっていたのか。
確かに死んだと言ってしまえば学校の信頼や安全性の失墜に繋がる。
にしてもエレルトはこの二人にも事情を説明しなかったらしい。一人で抱え込んだとは…随分悩んだだろうに。
俺はダイア説明してやる。
「俺は本当は十八歳なんだ。この姿を取り戻すために、一時的に学校に在籍していた」
「なるほど…確かにワタルは妙に大人びていたし納得できる点もある。だけど…だけど!なんでお別れも言わずに行っちゃたんだよ…!」
ダイアは怒りに震えていた。
きっと俺がいなくなってからも何度も俺のことを考えていてくれたのだろう。
本当に申し訳ない。
「ごめん。どうしてもすぐに学校を離れなければならない事情があったんだ」
「…わかったよ。それで、ミルは?」
ダイアは純粋な疑問を口にしてきた。
どう答えるべきか。迷っている時間は無い。
「ミルは──、」
なんとか言葉を紡ぎ出そうとしたその時。
言葉を遮って校舎の方から地鳴りのような不穏な響きと共に一匹の生物の姿が現れる。
龍だった。
白銀の龍。
まるで雪という概念そのものを形取ったかのような純白で美しい龍が、校舎から轟音をあげながら飛び立つ。
戦う騎士団や俺たちには目もくれず西方に向かって移動するその龍は、神秘的で畏怖の念すら感じられた。
だが。
俺にとってその姿は忌々しく映る。
存在を許してはならない、あってはならないものだった。
なぜ。
心の底からの疑問が湧き上がる。
だってあれは、あの龍は。
──ログリアがミルと合成させた白龍と相違ないではないか!
俺は幻影変化輪でミルの姿を取り戻したはずだ。
幻影変化輪に宿る最後の力を使い果たし、あの清廉で愛おしい少女の姿を取り戻したはずなのだ。
それなのに!
意味が分からなかった。
死者の冒涜と思えて仕方なかった。
沸々と舌を噛み切ってしまいそうな程の怒りが湧きあがる。
俺は自身の感情が逆毛立つのをありありと感じた。
「ワタル…どうした?」
そんな俺の感情を汲んで、ダイアが心配そうに俺の顔を覗き込む。
一方でエレルトも分かってしまったように戦慄いていた。
白龍の頭部についた、あの髪飾りを見てしまったのだろう。
「ごめん。すぐに行かなきゃならなくなった」
俺はダイアに告げる。ここにとどまっているわけにはいかなくなった。
すぐにあの龍の正体を確かめに行かなければならない。
あの龍の背に乗ったフードの男に問いたださなければ気が済まない。
「すぐにって、まさかあの龍を追うつもり??」
ダイアは豹変した俺を見て何をしようとしているのか察したようだ。
エレルトはむしろ俺に早く行くんだとでも言わんばかりに目配せしてきている。
ラティはあたふたと何が何だかわかっていない様子だ。
「ああ。お前らは危なくなったらすぐ逃げるんだぞ」
悠長に会話している内にも魔物の侵攻は止めどない。
ギリギリの防衛戦はエレルトたちのような下級生ですら駆り出されるような熾烈なものとなっている。
おそらくはあの龍がいる先…『魔王の岩肌』にこの事件の発端がいる。
そいつを倒してしまえば魔物の手が緩む可能性は十二分にある。
「ワタル君。ここはオイラに任せて先に行くっス」
突如、校舎の方から現れた細い男の影。
その影は俺たち四人に近づくなり旧知の仲と言わんばかりに気軽に声をかけてくる。
リレッジだった。
元Aランク冒険者であるリレッジが前線に出ずに今まで何をしていたのか。
そんな責めるような問いよりも先に俺の頭に浮かぶ疑問。
それは……
「なぜ俺がワタルだとわかったんだ?」
リレッジにはこの姿の俺を見せていないはず。それなのになぜ。
「雰囲気で分かるっスよ。それよりもやることがあるんスよね?ここはオイラに任せるっス」
剣を抜き取り、威圧感を放つリレッジ。
その姿は紛うことなくAランク冒険者の風格を纏っていた。
そんな様子のリレッジにならば安心してこの場を任せられる。
「わかった。それじゃまた!」
こうして俺は西門…魔王の岩肌目指して全速力で駆けた。
レジェードを呼んでそれに乗るのでもよかったが、いかんせんこの場にそんなもの呼んでしまえば混乱を招きかねないので自重する。
まだ俺の胸がはち切れるような動悸と警鐘は鳴り止まない。
ミルを弄ぶような奴らを一刻も早く駆逐しなければならない。
龍を操っていたフードの人物。
そいつが下手な返答をしようものなら、俺は躊躇なくその首を掻き切るだろう──。
「ヒナコ、チアキ!二人は飛べる魔物を優先的に倒してくれ!」
ここは破壊と混沌の行進最前線、魔王の岩肌頂上。
そこでAランク冒険者をも唸らせる凶悪な魔物たちが、ショウたち新星英雄六人とレイたち三人を合わせた九人によって破竹の勢いで駆逐されている。
ショウは王都への被害を最低限減らすため、遠距離魔法を使える二人に翼を持った魔物を優先的に倒すよう指示を出した。
指示を出し攻撃を繰り広げながらショウは思考する。
王都の侵攻具合とこの事件の元凶、ヨウトとリオーネの所在について。
二人、いや、ミラを含む三人は王都内部へと向かっていったように思えた。
何故、自分たちを置いて王都に向かったのか。
その三人の手で王都に直接壊滅的な被害を出すつもりか、それとも他の目的があるのか。
ショウにはわからなかったが、それを懸念し街まで駆け戻るほどの余裕がないのもまた事実だった。
九人でようやく対処できるレベルの魔物の波がこの場に押し寄せている。
Aランク相当の強力な魔物の数は少ないが、いかんせん数が多すぎる。
──もう既に一万以上の魔物を倒したのではないだろうか。
それを確信できるほどの死体の山がこの場に構築されている。
そんな死体の山を掻き分け貪りながらショウたちの命を刈り取ろうと突進を続ける魔物たちの姿は、まさしく狂気に染まっていた。
しかし特にこれといった致命傷を受けることなくそれだけの魔物を倒し続けられているということも、また事実。
このまま危なげもなく全ての魔物を倒しきれるかもしれない。
神経を向けざるを得ない竜の姿も何故だが消えた。
いける。すぐに王都まで戻って加勢できる。
そうショウが感じ始めた──その時だった。
一気に戦況が覆るような絶望の影がこの場に舞い降りる。
「もう終わりにしようじゃないか」
リオーネだった。
王都の方へと向かったと思われるリオーネが、目的を達成したのかこの場に戻ってきていた。
宙に浮かぶリオーネの周囲を転回し続ける、漆黒で幾重にも及ぶ重厚な魔法陣。
終わりにする。
その言葉はあまりに不穏だった。
明らかにリオーネの表情は冷徹に満ちていた。
まるで目当てのモノが得られなかった腹いせとでも言いたげに九人を睥睨していた。
ショウは身構える。
未だ襲い来る血走った魔物たちを対処しながらリオーネに横目を向ける。
眩く光る、リオーネの紋章。
展開されている魔法陣は九つ。
この場にいる九人と同じ数。
それらがドス黒い閃光を放ったことで、全員がリオーネが魔法を行使したことを理解する。
しかし炎弾が放たれたり、爆音が鳴り響くことはない。
何をした?
リオーネを除くこの場にいる誰もの脳裏に疑問符が浮かび上がる。
とその時。
──抗う術も無くショウたち九人全員に異常が襲い始めた。
それは、目に見える、体感できる異常だった。
──動けない。
ここにいる九人全員が即座にそう思った。
足の先から、徐々に徐々に侵食していく麻痺のような感覚。
見ると、その麻痺感覚がある場所はまるで石のように灰色になっている。
リオーネが使ったのは。
──石化する、魔法。
明確な恐怖が襲う。
僅かながらに動く手でかろうじて魔物を追い払う。
ショウの焦りはピークに達した。
こんな、今までの苦労が全て一瞬にして無に帰すような事があってたまるかと。
リオーネは相変わらずショウたちの頭上でその光景を、哄笑混じりに見下ろしている。
そして指をパチンと鳴らし、魔物たちに指示を出した。
「コイツらのことはもういい。お前らは王都へ向かえ」
それにより、ショウたちへと牙を向け続けていた魔物は一斉に王都目がけて駆け出した。
リオーネはショウたちがもう何もできないと確信していた。
事実、唯一の回復役であるユナがどれだけ焦った声で魔法を行使しても、石化という状況が覆る様子はない。
ショウの心は心臓が握り潰されるような焦燥と絶望に染め上げられていた。
「ねえ、これどうなってんの⁉︎」
ヒナコがいつも通りの耳障りな甲高い悲鳴を上げながら、未だ何があったかわからないという様子で叫んでいる。
徐々に徐々に蝕んでいく石化の侵食はそれに反してショウの思考をクリアにさせていき、絶望を加速させる。
「なあ、これどうすんだよ!!」
「誰かなんとかしてくれ!!」
そんなクラスメイトたちの意味もない悲鳴を聞きながら、ショウはリオーネを見上げた。
ショウの完全に麻痺した手から剣がこぼれ落ちる。
もはや首から下全てが動かなくなっている。
が、意識はまだ鮮明にある。
それもリオーネの悪趣味な思考によるものなのかもしれない。
意識がありながら肉体が石化していく絶望に呑まれていく様を楽しむための、そんな余興。
ショウはなんとか動く首を動かして周囲を見回した。
もはやそこには戦闘意欲などとうに消え失せたクラスメイトたちが完全なる石化を待つのみとなっていた。
苦悶の表情を滲ませるユナ、顔がぐちゃぐちゃになるくらいの涙を流すヒナコ、何もかも諦めてその時を待つトモヒサ、まだ何か抵抗しようと睨みを効かせるサクラ、こんなところ来るんじゃなかったとでも言いたげに歯軋りするレイ、チアキ、リョウト。
唯一、石化していない者がいた。
マサキだった。
リオーネは転移魔法の使い手を探している。それゆえだろう。
心底、羨ましく思えた。
そんな中で、更なる自暴自棄への燃料が投下されるような存在がこの場に現れてしまう。
「ハッハハ!良いザマだねえ新星英雄!今までの戦いが全部無駄だったって分かったか?なあ、後悔した?後悔したか?僕を置いて行ったこと。今から土下座して命乞いでもすれば助けてあげなくもないよ??ま、その様子じゃ土下座も無理だと思うけどねえ?」
ヨウトが戻ってきた。
それも神聖な輝きを放つ、まるでこの世のものとは思えないほど美しい白龍の背に乗って。
「アンタ、こんなことしといてタダで済むと思ってるワケ⁉︎」
ヨウトに向かって無駄に声を荒げるヒナコ。無様で滑稽だった。
全て火に油を注ぐだけ。何もかも諦めてしまえばいいのに。
ショウはそんなことを考えながら、意識がこの体から抜け落ちるのを待っている。
もう完全に石になってしまえば、王都の住民からの非難を受けることもなくなるから。
「ヒナコ、お前本当に自分の立場を弁えないゴミカスだよなぁ?どうせいつもいつもその空気読まねえクソ態度で自己中を貫き通してきたんだろうが、もうそうはいかないぜ?」
煽るヨウト、青筋を立ててブチギレているヒナコ。
ショウはもうやめて欲しかった。静かにして欲しかった。
早く、早く完全に石となってしまいたい。もう何も考えなくていい、そんな存在になってしまいたい。
そんなショウの心を読み、嘲るような発言が、ヨウトの口から発せられる。
「言っとくけど、完全に石にはしないぜ?一生首から上しか動かせない状態で、ここで暮らすんだな」
その発言は、ヒナコを除いたクラスメイトたち全員の言葉を失わせるには十分な情報だった。
ヒナコはまるで子供のようにギャアギャアと泣き喚いている。
ヨウトは白龍から飛び降り、そんなヒナコの元まで歩み寄る。
「うるせえんだよ」
明らかな殺意を持って、ヨウトはヒナコの顔面を殴った。
もちろんヨウトは加減をしていた。殺すよりも遊び甚振ることを目的とした、そんな拳だった。
だがヒナコは殴られた事が理解できずに呆然としている様子。
そして、もう一発。
意識を刈り取らない、ギリギリの強さで繰り出されるヨウトの拳が、涙で濡れたヒナコの顔を更にグチャグチャにしていく。
何度も、何度も何度も何度も。
女を殴ることにまるで抵抗する様子もなく繰り出される殴打による鈍い音が、魔物が消え静まり返った空間に響く。
それを見ても、もはやショウやトモヒサの口からやめろなどという言葉は出なかった。
「ヒグっ…やめてぇ…」
まだ意識があるのが謎に思えるほどに腫れ上がったヒナコの口から、なんとかこぼれ落ちた命乞いの言葉。
喋れる程に意識を保てているのは、皮肉にもレベル十の肉体であるが故だろう。
ヨウトはそれで興が覚めたと言わんばかりに今度はチアキの元へと向かう。
「お前だよなあ?俺を殴って転移陣から追い出したのは」
ヨウトの問いにチアキは答えない。
それこそが肯定の合図だとでも言わんばかりに、またもやヨウトの拳による殴打が、石化していない顔面めがけて繰り出されていく。
チアキの鼻から鮮血が噴出し、顔の形が変わるレベルで変形したとしても、ヨウトは笑いと拳を絶やさない。
リオーネはそんな復讐劇を繰り広げるヨウトを傍観して楽しんでいた。
ヨウトだけでなくリオーネもこの瞬間を楽しみにしていたに違いない。
チアキを一通り殴った後、ヨウトはトモヒサの元へと足を運ぶ。
トモヒサはヨウトに対して何も悪い事はしてないはずだが──、
「お前はなあ、学校にいた時からどうにも気に食わねえんだよな。どこにいてもチヤホヤされやがって、内心で俺のことを見下してたのは分かってんだよ!俺が好きだった神谷さんを侍らせてた毎日は楽しかったか???」
神谷さんとはこの場にはいないがトモヒサと特段仲の良かった女子生徒である。
そしてトモヒサはもちろんヨウトを見下してなどいなかった。
ゆえに否定しようとトモヒサは口を開きかけたが──、
「お前は死ね」
ヨウトの並々ならぬ殺意が、トモヒサの口を封じ込めた。
明らかに先の二人とは違う、明確な死を想像させる殺意がヨウトから湧き上がっていた。
それほどヨウトの神谷に対する想いは強すぎたのだ。
ヨウトは懐から短剣を取り出し、トモヒサに向ける。
そしてその首筋めがけて渾身の一閃を放つ。
石化し動けない体を狙った不可避の一撃。
それはトモヒサの首を切り裂き、頭部と肉体を分離させ確実に絶命させる一撃のように思えた──
が、突如現れた突風によって、その攻撃は邪魔される。
「──トモヒサ、大丈夫か?」
風に揺らぐ純白の外套、神を閉じ込めた壮麗なる剣、怒りと余裕に満ちた表情。
この場にいる誰もが失念していた、もう一人のクラスメイトの存在──。
「相沢ワタル…!生きてたのかよ…!」
間一髪。
ヨウトの必殺の剣を受け止めトモヒサを守ったのは、今の今まで王都の前線で戦い続けていたワタルに他ならなかった。
◆◇◆◇◆◇
王都魔剣術学校の塀を囲むように厳重に配置された騎士第二師団、そして僅かながらの上級生と共に侵攻前線が学校に傾れ込まないように剣を振るい続ける。
第二師団は千人ほどの人数がいた。それらが複数人のチームを組んでそれぞれ対応している。
だが、それでも全く足りなかった。
学校の上級生は国の宝のようなもの。つまり完全な前線に出ることは許されておらずほとんど意味がないような遠距離攻撃しかしてない。
蔓延る叫び声や断末魔から少なからずこちらの勢力が弱まっているのが察せられるし、事実、前線が徐々に徐々に学校に向かって押し上げられている。
死者が出ているという事実はそれだけで経験豊富な騎士たちでさえも怖気させる要因となるのだ。
そんな中、俺はこの戦場で唯一といっていいほど物怖じする事なく戦っていると思う。
それを裏付けるように、
「貴方は本当にDランク冒険者なのですか⁉︎」
俺はこの驚きに満ちた騎士団員の声に答えを返すことは無い。
第二師団長、ナイルからお墨付きを得たことにより騎士団員から目をつけられていたせいで、俺が戦闘を繰り広けている様はまるでテレビ中継でもされているのかと思ってしまうほど注目の的だった。
確かに俺は最も人目が多く、最も魔物が狙ってくる正門前の空間で魔物を倒しまくっている。
この場所は学校の校舎からも目につくだろうし、俺のこの姿を知っているエレルトやデュランダルなんかは何かしらのアクションを起こしてくるかもしれない。
それにしても祝福の外套の魔法は慣れるまでが大変だったが、圧倒的に戦闘が有利になる規格外のものだった。
──数秒先の未来が見える。
それこそが祝福の外套の紋章魔法。
サイディスが俺の攻撃をことごとく先読みしたかのような動きをできた理由。
それはまさしく祝福の外套のおかげだったのだ。
これに慣れてしまうとこれに依存した戦いしかできなくなるような、そんな悪魔のような性質を孕んでいる。
それゆえ、サイディスは俺に負けたのだ。
未だに理由はわからないが一瞬神々封殺杖剣と祝福の外套の魔法が封じられた、あの瞬間のせいで。
だからこそそれを糧にして俺はこの魔法に依存しないような戦いをしなければならない。
とはいっても意図するまでもなく勝手に危険をあらかじめ感知してくれるこの魔法は、祝福の外套を脱がなければ解除されることはないのだが。
俺一人で対処できる魔物の数には限りがある。
できるだけ脅威性の高い魔物を選んで戦っているが、数の多い弱いゴブリンのような魔物を完全に駆逐するのは不可能。
学校を囲む塀は人を不用意に入れなくすることを目的としたもので、城壁のように頑丈なものではない。
すなわちその塀まで魔物が侵食してしまったのならば、ほぼ詰みに近い。
その状況が近づいていた。いや、もう抗えないほどに侵攻は進んでいた。
こちらの戦力は怪我人死人の続出によって削られている。対して魔物側の戦力はとどまることを知らない。
塀が破られてしまうのは時間の問題だった。
──緩み、綻んだ前線の隙間から、遂に魔物が王都の住民を避難させている学校内部への侵入を開始する。
整えられた庭園が、築き上げられた人の叡智の結晶が、知性も何もない虚な魔物たちの行進によって蹂躙されていく。
俺は一度戦いの場を下げ、学校の深部まで魔物が侵入しないよう塀の内部へと移動した。
ひとまずは弱い魔物でも一般人に近づけさせないための措置だ。
そんな光景を見て、耐えきれなかったのか立ち上がる者たちの姿が俺の目に映る。
王都魔剣術学校の生徒たちだった。
王都魔剣術学校には剣術選択と魔法選択がある。
今まで戦闘に参加していた殆どは制服からして魔法選択の生徒だった。
それは出来るだけ攻撃を受けない遠距離魔法を使えという上からの指示によるものだったと思うが、それを見るだけだった剣術選択の生徒は耐えられなくなったのだろう。
自らがこの学校で学んだ剣。
それを活用しないでただ傍観していることは歯痒くて仕方ないのだ。俺もその立場だったらそうしている。
こうして王都における絶対に死守しなければならないラインギリギリの防衛戦の火蓋が切って落とされた。
亜人族領最高の教育機関といえど、流石に騎士団より生徒たちの動きの方が鈍い。
それでもいないよりマシだが、実戦慣れしていないのか恐怖心を隠さないまま戦っている様はどうにも目についてしまう。
俺はそんな生徒たちの姿の中に、見知った顔を三つ見つけた。
その三人はなんとかコボルトの猛攻を手慣れたコンビネーションで耐え切っており、かなり仲が良いのが伺えた。
だが、コボルトに対して力不足なのか致命傷を与えるには至らず、ジリジリとその魔の手が三人へと届こうとしている。
その様子を見て俺はコボルトに向かって縮地し、首を両断した。
三人は一閃でコボルトを瞬殺した俺に対し、驚愕に満ちた表情を向けてくる。
──そして。
「ありがとうございます……って、ワタルじゃん!」
俺の顔を見てその正体に気がついたエレルトが、更に驚愕に満ち満ちた声を上げた。
しかしその両脇にいたダイアとラティは俺の顔を見てもなんらピンときていない。
当然だ。
俺の同期で俺のこの姿を知っているのはエレルトを除いていないのだから。
「久しぶりだなエレルト。元気にしてたか?」
「久しぶりだじゃねーよ!もう会えないと思ってたぜ…」
感極まったのか、それとも恐怖が一気に解放されたことによる安堵からか。
エレルトは吹き出す鼻水も気にしない勢いで泣き出した。
エレルトはまだ十一歳。
こんな血の臭いに満ちた戦場などに居ていい存在ではないのだ。
「俺ももう会えないと思ってた」
エレルトと拳を交わし、仲直りを示す。
俺が王都魔剣術学校を去ったあの日、エレルトとは小さなわだかまりが残ったままだった。
それがこの交わした拳により一気に解消され、気分が晴れたようにエレルトも笑顔を取り戻す。
「待ってよ、この男の人がワタル??ワタルは急用でミルと共に故郷に帰ったって聞いたけど…?」
ここでダイアが困惑の表情をぶつけてきた。
ダイアやラティにとっては当然の疑問だろう。
しかし俺やミルは死んだことではなく故郷に帰ったということになっていたのか。
確かに死んだと言ってしまえば学校の信頼や安全性の失墜に繋がる。
にしてもエレルトはこの二人にも事情を説明しなかったらしい。一人で抱え込んだとは…随分悩んだだろうに。
俺はダイア説明してやる。
「俺は本当は十八歳なんだ。この姿を取り戻すために、一時的に学校に在籍していた」
「なるほど…確かにワタルは妙に大人びていたし納得できる点もある。だけど…だけど!なんでお別れも言わずに行っちゃたんだよ…!」
ダイアは怒りに震えていた。
きっと俺がいなくなってからも何度も俺のことを考えていてくれたのだろう。
本当に申し訳ない。
「ごめん。どうしてもすぐに学校を離れなければならない事情があったんだ」
「…わかったよ。それで、ミルは?」
ダイアは純粋な疑問を口にしてきた。
どう答えるべきか。迷っている時間は無い。
「ミルは──、」
なんとか言葉を紡ぎ出そうとしたその時。
言葉を遮って校舎の方から地鳴りのような不穏な響きと共に一匹の生物の姿が現れる。
龍だった。
白銀の龍。
まるで雪という概念そのものを形取ったかのような純白で美しい龍が、校舎から轟音をあげながら飛び立つ。
戦う騎士団や俺たちには目もくれず西方に向かって移動するその龍は、神秘的で畏怖の念すら感じられた。
だが。
俺にとってその姿は忌々しく映る。
存在を許してはならない、あってはならないものだった。
なぜ。
心の底からの疑問が湧き上がる。
だってあれは、あの龍は。
──ログリアがミルと合成させた白龍と相違ないではないか!
俺は幻影変化輪でミルの姿を取り戻したはずだ。
幻影変化輪に宿る最後の力を使い果たし、あの清廉で愛おしい少女の姿を取り戻したはずなのだ。
それなのに!
意味が分からなかった。
死者の冒涜と思えて仕方なかった。
沸々と舌を噛み切ってしまいそうな程の怒りが湧きあがる。
俺は自身の感情が逆毛立つのをありありと感じた。
「ワタル…どうした?」
そんな俺の感情を汲んで、ダイアが心配そうに俺の顔を覗き込む。
一方でエレルトも分かってしまったように戦慄いていた。
白龍の頭部についた、あの髪飾りを見てしまったのだろう。
「ごめん。すぐに行かなきゃならなくなった」
俺はダイアに告げる。ここにとどまっているわけにはいかなくなった。
すぐにあの龍の正体を確かめに行かなければならない。
あの龍の背に乗ったフードの男に問いたださなければ気が済まない。
「すぐにって、まさかあの龍を追うつもり??」
ダイアは豹変した俺を見て何をしようとしているのか察したようだ。
エレルトはむしろ俺に早く行くんだとでも言わんばかりに目配せしてきている。
ラティはあたふたと何が何だかわかっていない様子だ。
「ああ。お前らは危なくなったらすぐ逃げるんだぞ」
悠長に会話している内にも魔物の侵攻は止めどない。
ギリギリの防衛戦はエレルトたちのような下級生ですら駆り出されるような熾烈なものとなっている。
おそらくはあの龍がいる先…『魔王の岩肌』にこの事件の発端がいる。
そいつを倒してしまえば魔物の手が緩む可能性は十二分にある。
「ワタル君。ここはオイラに任せて先に行くっス」
突如、校舎の方から現れた細い男の影。
その影は俺たち四人に近づくなり旧知の仲と言わんばかりに気軽に声をかけてくる。
リレッジだった。
元Aランク冒険者であるリレッジが前線に出ずに今まで何をしていたのか。
そんな責めるような問いよりも先に俺の頭に浮かぶ疑問。
それは……
「なぜ俺がワタルだとわかったんだ?」
リレッジにはこの姿の俺を見せていないはず。それなのになぜ。
「雰囲気で分かるっスよ。それよりもやることがあるんスよね?ここはオイラに任せるっス」
剣を抜き取り、威圧感を放つリレッジ。
その姿は紛うことなくAランク冒険者の風格を纏っていた。
そんな様子のリレッジにならば安心してこの場を任せられる。
「わかった。それじゃまた!」
こうして俺は西門…魔王の岩肌目指して全速力で駆けた。
レジェードを呼んでそれに乗るのでもよかったが、いかんせんこの場にそんなもの呼んでしまえば混乱を招きかねないので自重する。
まだ俺の胸がはち切れるような動悸と警鐘は鳴り止まない。
ミルを弄ぶような奴らを一刻も早く駆逐しなければならない。
龍を操っていたフードの人物。
そいつが下手な返答をしようものなら、俺は躊躇なくその首を掻き切るだろう──。
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