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第16話 大泥棒みたび
しおりを挟む鬼山邸の照明は、いつの間にか、すべて消えていた。
近くにある街灯だけでは、その広い庭を照らし出すことはできなかった。
3階の屋根の樋の外側に取りつけた、穴をあけたゴムホースから、さらには庭の散水機から、蛍光塗料をふくんだ水が飛び散る。
これは、翔太のアイデアだ。
外からも操作できるように提案した。
五十メートルほど先に停めてあった車のドアがいっせいに開き、棒のようなものを持った男たちが飛び出してきた。
いくつもの懐中電灯の光が交差し、どなり声が飛びかう。
警察犬二匹が塀を乗りこえる。
近所の家やアパートの一室から大きなカメラをかついだ人間も飛び出してきた。
屋根上に照射機をつけたワゴン車が鬼山邸前にすべりこむ。
照射機が、その広い庭を照らしだすと、黒いコートと帽子をかぶった犯人の姿がうかびあがった。
同時に、警察犬がとびかかる。
しかし、犯人――空飛ぶ大泥棒は、警察犬のツメがかかるより早く、地面をけって空に舞いあがった。
警察やテレビ局のカメラマンたちは、一瞬その姿を見失った。
本当に空を飛ぶとは思っていないからだ。
それでも、警察が見失わなかったのは、空飛ぶ大泥棒が全身にあびた蛍光塗料のおかげだった。
翔太たちがいる場所から、警察官の表情をうかがい知ることはできない。
それでも、そのおどろきが相当なものだろうことは予想できた。
――だが、本当におどろいたのは、翔太と美月だった。
空飛ぶ大泥棒は、翔太たちのいる丘に向かって飛んできたのだ。
うかつだった。
この丘をこえてしまえば、犯行現場から見えなくなる。
あらかじめ、この上空を逃走ルートとして決めていたのだろう。
大泥棒は、前傾姿勢で頭を上にして飛んできた。
翔太のように、くるくると回ったりしていない。
重い靴をはけば、うまく飛べるのかもしれない。
翔太は、左手で頭の上の細い枝をつかみ、慎重に立ちあがる。
右手でカメラのファインダーをのぞく。
20メートルほど近づいてきたところで、シャッターを切る。
発光したストロボが、夜空を飛ぶ大泥棒をうかびあがらせる。
大泥棒も、あわてて右手で顔を隠したが、もうおそい。
が、おどろいたのは翔太たちの方だ。
その、とっぴな姿は、二人の目に焼きついた。
怪盗アルセーヌ・ルパンを意識したに違いない。
黒マントにシルクハット。
片メガネでこそないが、丸い黒メガネに、ひげまでたくわえるという徹底ぶりだ。
もう一度、シャッターを切ろうとした時には、目の前にせまっていた。
美月が小さく悲鳴をあげる。
翔太は、思わず手にしていたカメラを大泥棒めがけて投げつけた。
スポーツ万能の翔太が、はずす距離ではなかった。
だが、足場が悪かった。
カメラは、大泥棒には当たらず、丘の下の道に向かって飛んで行った。
しかも、飛んだのはカメラだけではなかった。
重し代わりのカメラを失った翔太の体も、宙に舞いあがったのだ。
地上から100メートル。
高い丘の木の枝から飛び出したことで、おどろくほどの高さに達していた。
いくつもの照射機が夜空に向けられた。
そのうちの1台が、翔太の姿をとらえた。
「翔太くん!」
美月のさけび声と、ペケがほえたてる声が耳に飛びこんでくる。
翔太の体は、勢いよく回転していた。
はじめて空を飛んだ時とは比較にならない。
パン、という音が聞こえてきた。
続いて、もう1発。
警察が銃を撃ってきたのだ。
肌が総毛立つ。頭の中が真っ白になった。
あとになって、いかく射撃ではなく、注意をひくためかおどすための音だったのだろうと思いあたったが、この時は、そんなことに気が回らない。
怖ろしくて目を閉じたそのとき、とつぜん、だれかが、ぶつかるように翔太の体をだきしめてきた。
目を開くと、息かかかるほどの距離に、美月の顔があった。
左手にペケをかかえている。
翔太を助けようと、美月も空を飛んだのだ。
美月が、ぶつかってきた衝撃でスピードがあがったからだろう。
照射機からのがれることができた。
夕方のように、美月が空中でとどまることはなかった。
釣り糸のリール巻きを枝に引っかける間もなかったのだ。
回転もおだやかになり、やがて、二人の体は、少しずつ下降をはじめた。
だが、目の前に七階建てのマンションがせまっていた。
このままいくと、最上階のコンクリートの壁に頭から激突してしまう。
翔太は、思い切って、美月の体を上に向かってつき放した。
美月は「あっ」という声を残して、ペケをかかえたまま上空に舞いあがった。
翔太の体は、美月をつき放した反動で左下にそれ、マンション横の道路に背中からたたきつけられた――ように見えた。
だが、翔太の体は、思った以上に軽かった。
3回ほどバウンドし、十メートルほど転がって止まった。
腰や、ひざなどに多少の痛みはあった。
だが、問題なく動けそうだった。
ゼロに近い体重は、自分の身体を傷つけることはなかったのだ。
距離にして200メートルほどは飛んだだろうか。
鬼山の豪邸からも200メートルは離れているだろう。
息を整え、あたりを見まわす。
アスファルトの道路には重石がわりになる物がない。
風に飛ばされないように四つんばいになって進もうとした時、あたりが暗くなった。
見あげると、月に黒い雲がかかっている。雨雲だろう。
パトカーがサイレンを鳴らして近くの道路を次々と駆けぬける音が聞こえてくる。
その数は増える一方だ。
近くで待機していた覆面パトカーが動き出したのだろう。
騒ぎにおどろいた住人たちが、夜中にもかかわらず顔をのぞかせはじめた。
ちょっと前に聞こえたかわいた音が、銃声かもしれないことに思いあたった人もいるだろう。
暗い空を何台もの照射機が照らし、なにかを探しているようすも見て取れた。
そこが、今回の事件の現場だと見たやじ馬たちが、そろって移動をはじめる。
翔太はあわてて、マンションの前の植えこみに使われていた色つきの小石をたっぷりとポケットにつっこんだ――その時、かすかに犬がほえる声が耳にとどいた。
ペケだ!
間違いない!
美月に何かがあったのだ。
やじ馬たちとは逆方向に向かって走った。
最初はおそるおそる。すぐに、全力で。
右に曲がると、広いだけで殺風景な公園がある。そのとなりはテニスコート。
どちらにも人気はない。
ペケのほえる声は公園からだ。
公園にふみこもうとした翔太の顔から血の気が引いた。
正面から、タイヤ音をきしませた黒っぽい車が、ヘッドライトを上に向けつっこんできたのだ。
左右はフェンスだ。
逃げ場を失った翔太は、とっさに地面をけって車の上を飛びこえる。
身体は、一回転。
体勢を立て直す余裕もなく、腰から道路に落ちる。
小石を大量にポケットに入れていなかったら、また、空に舞いあがっていただろう。
街灯がひとつしかない、うす暗い公園に目をやると、2メートルほど宙にういたペケがヒステリックにほえたてている。
あたりに目をやるが、美月の姿はない。
ペケを捕まえ、だきしめてやる。それでも、ペケの興奮はおさまらなかった。
車の走り去った方向に飛び出そうと、腕の中でもがく。
そのわけは、すぐにわかった。
公園の入り口に、靴が1足転がっていたのだ。
美月のはいていた赤い靴だ。
しかも、その靴と、ペケの口のまわりには血のようなものがついていた。
墨を流したような空から、水滴がぽつりぽつりと落ちてきた。
やがて、それは大つぶの雨となり、車を追うことも忘れ、ぼうぜんと立ちすくむ翔太をたたいた。
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