ちはやぶる

八神真哉

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第七十六話  雄叫び

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一刻も早く砦の兵どもの目をそらさねばならない。
柵が開いたとはいえ、このままでは姫と義久が無事に突破できないだろう。

今はまだ距離も離れている。
運も味方した。
暗いなかで、動く標的を上から狙うのも難しい。

だが、目の前に迫れば話は別だ。
まっすぐに駆けてくる相手に十人、二十人が射掛けて当たらぬはずがない。
上り坂ゆえ、馬の脚も重い。 
  
転がっていた松明を掴み、二層目にあがると前後を塞がれた。
後方の兵が太刀を手に踏み込んでくる。
突き出される太刀をかわすと、その切っ先が前方から踏み込んできた兵の腹に突き刺さった。

だが、刺した兵が、それを後悔することはなかった。
刺された兵が振り下ろした太刀が自分の額に落ちてきたのだ。

イダテンは腹を刺された兵の太刀を奪い、駆けつけて来た別の兵の肩に投げつけた。
近くにあった炭桶と油壷を蹴倒した。
砦に攻め寄せる敵に煮立った油をかけるための物だ。

そこに松明を投げ捨てると炎は勢いを増し、壁を伝い、あっという間に天井まで届いた。
だが、燃えるのはこれだけではない。
先日、油を入れた壷を十ほど用意し、洞窟に置いてきた。

壷には、多祁理宮の符だを貼った。
ありがたい戦勝祈願の符だである。

ついでに、酒も失敬してきて壷に降りかけた。
封印したので中を見た者はおるまい。
お神酒と勘違いしている者もいるだろう。

燃え上がった火の先に、その壷が見えた。
中は二重にして油紙の中に藁や縄、端布、木っ端などを入れ、中身がこぼれ出た時に燃えやすくした。

転がっていた太刀を投げつけ破壊すると、中身が飛び散り火の勢いが増した。
さらに手前にあった壺も破壊し、痛みを覚悟で二層目の狭間から下流側の道に飛び降りた。

そこへ矢が飛んできた。
すんでのところで身をかわし、近くに転がっていた矛を、五間先で弓を手にしていた兵の太もも目がけて投げつけた。

兵が倒れ、視界が開けると蹄の音を鳴り響かせながら砦に向かってくる馬たちの姿が見えた。
最後尾の馬上には義久と姫の姿があった。
下流側の兵の注意は、そちらに向いていた。

砦の屋上に目をやると、階下の火に気づいた兵が避難のための縄梯子を板壁に沿って投げ落とした。
それでもすぐに退避しようとはせずに五人の兵が弓を手にした。

痛む足を引きずり、先ほど、背負子とともに落とした革の筒袋と弓を拾いあげ、こぼれ落ちていた自分の矢と敵の矢、四本のうち二本を筒袋に放り込む。

下流側に歩を進めながら連射した。
屋上の兵四人を倒した。

だが、ここで矢がなくなった。

火だるまになった兵が二層目から飛び降りてきた。
着地もできずに叩きつけられ、嫌な匂いをまき散らした。
三郎の最後の匂いだった。

三層目からも火の手は上がったものの、仕掛けが遅れたために火の回りが遅い。
このままでは姫と義久は格好の的になるだろう。
かといって、再び火をかけて回っている時はない。

――姫の胸に足に、義久の目に腹に、次々と矢が降り注ぐ――その光景が目に浮かんだ。

気がつくと雄叫びを上げていた。
呼応するように谷底から吹き上がった風が真っ紅な髪を舞い上げた。

風は、炎をも舞い上げた。
炎が縄梯子に燃え移ると状況は一変した。

縄が火を噴き、まるで踊ってでもいるかのように尻を振り、矢のような速さで砦をなめまわした。

    *

屋上の中ほどにいた兵が、あわてて戦勝祈願の符だを貼った油壺に足を突っ込み、割って転がした。

さらに倒れ際に、もう一つの壺を割った。

こぼれ出た油が滑るように広がり、板壁を伝い、柱を伝い、谷底に流れ落ちて行った。

そこに縄の火と二層目と三層目の狭間から吹き上がる火が燃え移った。

地獄に滝があるのなら、かようであろうと思うほどの流れと勢いに、その場にいた者たちは一人残らず息を飲んだ。

     *
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