ちはやぶる

八神真哉

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第六十四話  大伯父の館

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風に煽られて火の粉が舞い上がった。
敷地内で篝火が焚かれているのだ。

切り立った峡谷にも、何箇所かは開けた場所がある。
大伯父の館が建っているのは、その数少ない場所のひとつだ。
十年ほど前までは関所の役割をも兼ねていた。

背負子から降りた姫が声をかけてきた。
「信継様の館ですね?」
大伯父、鷲尾信継は、義久の祖父、忠信の兄にあたる。

姫はここに来たがっていた。
義久がまだ、小太郎と名乗っていた頃のことだ。

なんと答えようかと迷っているとイダテンが、
「まかせたぞ」と、声をかけてきた。

いやなやつだ。
なにが、もう一仕事だ。

確かに姫やイダテンに様子見はできまいが、結果は見えている。
崖崩れを見に来た騎馬武者も上流からやってきた。
あの館からでなければ、どこから来たというのだ。

しかも館は阿岐権守の弟君である隆家様の住む馬木に向かう途中に位置している。
連携を絶つために真っ先に叩くのが戦の定石である。
すでに、館は兼親らの兵で埋まっていよう。

なんとしても仇は討つ――一族で『義』を使った名を使っているのは義久しかいない。
領地を失って後、偉大なるご先祖、ヨシノモリ様に申し訳ないと『義』の文字を封印してきたからだ。

その名を使うことを許してくれたのが、一族の長である信継様だったのだ。

     *

門の上で、鷲尾の紋である『丸に違い鷲の羽』の入った旗が風に泳いでいる。
あえて、そのままにしておいたに違いない。

落ち延びようとする者が駆け込めば、簡単に捕らえることができる。
門を開け放っているのも、駆け込みやすくするためだろう。

篝火が焚かれながら、門の上の櫓に物見がいないのも、万一、姫とともに落ち延びる者がこの館のことに詳しければ一度も見たことのない顔だと知れるからに違いない。

二人の男が、門の横の壁に矛を立てかけ、風を避けるように篝火で暖をとっていた。
一人は鎧に身を包んだ狐目の男。
もう一人は腹巻姿の丸顔の男だった。

一度も見たことがない顔だ。
二年半もすれば新しい郎従を雇うこともあるだろう。

だが、その様子を見てすべてを悟った。
自分達が少数派であれば、このようにのんびりしているはずがない。
先ほどの騎馬武者もここからやってきたのだ。
胃の腑から苦いものがこみ上げる。

門番は、返り血を浴びた義久にようやく気づいて、あわてて矛を取る。
「なにやつじゃ!」

取って置きの笑顔を見せてやる。
ただし、反撃に必要なだけの距離をとって。
「つい先ほどまで戦に加わっておった」

どちら側とも取れる言い回しで様子を見る。

二人は矛を下げた。
「おおっ、それは苦労であったな」
「しかし、なんという、なりじゃ……とはいえ、その様子では、かなりの手柄を上げたのであろう」

興味ありげに食いついてきた。
「それが、雑兵ばかりでのう。名のある者には会わずじまいよ」
「何を言う。うらやましい限りじゃ」
「そのとおりよ。われらは、その機会さえ与えられなかったのじゃ」

やはり、宗我部側の者たちだった。
「……で、なに用じゃ? 伝令であろう」

さすがに仕事を思い出したようだ。
「兼親様より、このあたりの様子を見てこいと言われたのだ」
口にしてから、しまった、と後悔した。

勝手気ままに伏兵の頭になってしまった兼親であったが、こたびの殲滅戦への関与は国親から固く禁止されていた。
許されていたのは、結果の報告を聞くために道隆寺に陣を敷くことだけだった。

のちに都から派遣されるであろう役人どもの追求から逃れるためだ、と聞いている。
万一そのことが、こやつらの耳に入っていたらつじつまが合わなくなる。

だが、余計な心配だった。
「おお、兼親様か。ならばその姿も頷ける。たいそうなご活躍であったのであろうな」

話しをそらす切っ掛けはないか、と周りに目をやるが、誰も出てくる様子がない。
というより人の気配がない。
落ち延びようとする者を捕らえるにも、隆家様の軍勢に備えるにも人手が必要なはずだ。

「それよりも、知っているなら教えてもらえぬか」
声を潜め、餌をまく。
「落ち延びた者を捕えれば、報奨がでると聞いたが」

狐目の男は、目の色を変えた。
「それは初耳じゃ。半刻ほど前にここに入った者から、国司の姫君が鬼の子とともに落ち延びようとしておる、とは聞いたが、そのような話は出なかったぞ」

義久も話を合わせる。
まずは口を軽くさせることだ。
「だまされたのであろうか? ……目を皿のようにしてここまで来たのにのう」

狐目の男は笑い出した。
「その話がまことだとしても、馬もなしに逃げたということじゃ。鬼の子がついていたところで、ここまではたどり着けまいよ」

自分の答えに引っ掛かりを覚えたように、狐目の男は、義久の後方に目をやった。
「馬はどうした?」

信用させるどころか、いぶかられたようだ。
歩いてくる伝令もあるまい。

かといって徒歩の身なりではない。
兼親の命令で鎧は道隆寺に置いてきたが、なりを気にする義久は装束も沓も奢っている。
義久は笑顔を作った。

「この先で崖が崩れておってな。落石が道を塞ぎ、馬では進めなんだのじゃ……ほとほと、ついておらんわ」

二人は、顔を見合わせた。
「報告せねばなりませんな」
人気は感じられなかったが、やはり人はいるようだ。

「やはり、あの音は崖崩れであったか。そのようなことではないかと、二人が先ほど物見に出かけたのだ……会うたであろう?」

義久が葬った男達のことだろう。
「……ああ、道をつけられぬかと算段しておった」
「あやつらの熱心な仕事ぶりなど想像もつかぬが」
「櫓の上で一晩中寒さに震えておるよりは良いのでしょう」
丸顔の男が追従し、顔を見合わせ哄笑する。

やつらは賭けに負け、寒風吹きすさぶ櫓上の物見の当番となったのだろう。
崖崩れの音を聞いてこれ幸いと出かけたのだ。
男の足元の袋と、こぼれ落ちた賽子さいころで見当がついた。
双六盤すごろくばんは紙か布で代用できるからだ。

「加勢が来なければ、つまらぬ雑用までこなさなければならぬ。道をつけたい気持ちはわかぬでもないが、算段は上の者に任せればよいものを」

狐目の男の言葉で、この館に詰めている兵が少ないことだけはわかったが、この先のどこにどれだけ人を配置しているかを聞きださねばならなかった。

どう言えば引き出せるかと考え込んだ義久の様子を見て、先ほどの男たちに告げ口をされるのではないかと心配になったのか取り繕うように言葉をつないだ。

「冗談じゃ。万一に備えておくは大事と悟ったのであろう」
隆家様への備えだろう。が、念のために問うた。
「万一とは?」

「この先に砦がある」
上流側に、あごを突き出し、自信ありげににやりと笑う。
「昨日までは、なかったがな」

妙なことを言う。
このあたりに砦を構えるだけの場所はない。
だが、へたに断言すれば、ぼろが出る。

「もったいぶるではないか。そのような場所があるとは思えぬが」
義久の問いかけに、狐目の男が満足そうに乗り出してくる。
「兼親様の郎党でも知らぬとは……」

狸面の従者が、
「やはり、秘中の秘だったようですな」
というと、狐目の男が自分の手柄のように続けた。

「おお、誰にも知られぬように、なんと一日で組み上げたのよ。さすが、知恵者と呼ばれる国親様じゃ。ずいぶんと工夫なされたらしいぞ」

小物ほど大げさなことを言いたがる。
「いかに国親様と言えど、わずか一日で砦と名のつくようなものは造れまい。柵の間違いではないか?」

義久の反応が満足のいくものだったらしい。
二人は鼻をひくつかせた。
「自分の目で確かめるが良い。そこに櫓やぐらがある」
門の上にある櫓とは別に、少し離れた場所に黒い影がそそり立っていた。

高さが十間もある異様に高い櫓だ。
言われるまでもない。お前達を葬ってから、じっくりと様子をうかがうつもりだ。

「とは、いうても、砦を造っている最中には人も通ろう」
「まさに、崖が崩れたと言って引き返させておったのよ」

いずれにしても、もっと情報が欲しい。
それが生死を分けるだろう。
その砦と、この館にどれほどの兵が詰めているかで算段も変わってこよう。

「それにしても、ここの守りは、いささか手薄ではないか。まさかこれだけと言うことはあるまい?」
「ここは砦の備えにすぎぬでな。とは言え、じきに、むさくるしい男どもで溢れかえろうが」

なるほど、こやつらは出迎え要員というわけだ。
二人なら、不意をつけば、たやすく倒せるだろう。
そのあとで砦とやらを突破するための段取りを考えればよい。

思わず笑みがこぼれる。
「おお、そうか。たった二人か。それは大変であったのう。兼親様も、じきに駆けつけられよう。今しばらくの辛抱じゃ」

その言葉に、二人の目が、義久の背に注がれた。
うっかりしていた。
そこには兼親から奪った銀装の大太刀があった。

篝火に近づきすぎたと、ほぞをかむ。
兼親を倒して気が緩んでいたのだろう。

イダテンへの八つ当たりと、気が利かぬ自分へのいら立ちで奪うように取り返し、背負ったまま忘れていたのだ。

上等な拵えであることは一目でわかる。
長さも図抜けている。

義久が口にした言葉で疑いに変わったようだ。
この地で、これほどの大太刀をあつかえるものは兼親だけだ。
しかも錦でくるまれた鞘が血に濡れている。

「その太刀は、どうした?」
「何用で参った」
二人の男が矛を手にした。

だが、義久とて行方をくらませてからの二年半を無駄に過ごしていたわけではない。
満面の笑みを浮かべ、背負っている大太刀の下緒をほどき、手前に回しながら目立たぬように鯉口を切る。

「おお、これか。これはのう。こたびの戦で兼親様が、わしに……」

素早く踏み込み、渾身の力を込めて大太刀を一閃する。
返す刀で右手の丸顔の男の首筋を打つ。
弾けるような衝撃が腕を襲った。

正面に立っていた狐目の男は、声ならぬ声を上げ、自分の首から吹き出る血を押さえこもうと矛を捨て、手を添えた。

右手の丸顔の兵は、声も上げることができなかった。
首が、柿の実のように地べたに落ちたのだ。

わずかに遅れて血が勢いよく噴きあがった。

     *

鞘が見当たらなかった。
振り回したときに抜けて飛んで行ったのだ。

長すぎて一人で抜けるような太刀ではない。
もし、抜けなければ、今頃は自分の首が転がっていただろう。

返り血を浴びた腕が小刻みに震えはじめた。
くぐもった笑いがこみ上げる。
その声も震えをおびている。

「いつまでたっても慣れぬのう……こたびは仇でも山賊でもなし」

      *
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