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第十六話 侍たる者
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使用人たちの住む一の郭の西門を出て橋を渡り、小川のせせらぎを聞きながら、赤紫の実をつけた蔓竜胆が散在する道をひたひたと下る。
手には弓を、背には矢の入った革の筒袋を、腰には手斧を手挟んだ。
三郎も箙を背に、二張りの弓を肩にひっかけている。
大人が使っている物よりは短いものの五尺はありそうだ。イダテンの物より二尺は長い。
ときおり風がそよぎ、イダテンの紅い髪をふわりと広げる。
その様子をミコが面白そうに見ている。
しばらく行くと童たちの歓声が聞こえてきた。
三郎の言っていた市が立つという広場だろう。
何箇所かに柱が建ち、屋根だけが葺かれていた。
人数は十二人。衣を見る限り、裕福そうな者はいなかった。
邸の使用人か、近所の百姓や職人の子だろう。
歳は十から五というところか。
赤子を背負った者と三歳ぐらいの女童を連れた者がいるが、あとは男ばかりだ。
近くに大人の姿はない。
十歳あたりを境に上の者が見当たらないのは、すでに大人について仕事を手伝っているからだろう。
イダテンは日ごろの習性で注意深く観察した。
頭数や特性、相手が人であれば得物を手にしているか否かを掴んでおかねば、いざという時、命にかかわる。
「おお、独楽で遊んでおる」
三郎が、よしよし、と満足そうに続ける。
「イダテン、おまえ、独楽は得意か?」
遠くから眺めたことがあるだけだ。
小さく首を振る。
三郎の声に数人が振り返った。
「赤鬼じゃ!」
と、いう声が上がり、五人が悲鳴を上げて逃げ出した。
ガキ大将らしい童が、自分と同じぐらいの年の者に指示して、泣くばかりで動けなくなった童を連れて行かせると、残ったのは二人だけになった。
背が高く体格の良い童と小さいがすばしこそうな童だ。
「おお、思った以上の反応じゃのう」
三郎は反応を楽しむように二人に近づいた。
三郎が話しをはじめると、誰かがイダテンの袖を引いた。
見ると、ミコが前に出てイダテンを見上げ、
「ねえ、イダテン、あとでミコと、ひなあそびしよう」
と、笑顔を見せた。
残った二人も三郎との話を切り上げ、去っていった。
袖を引くミコの速度に合わせ、広場の中ほどにぽつんと一人たたずむ三郎に近づく。
三郎が眉にしわを寄せ、吐き捨てるように口にした。
「侍たるもの、主人を守るために命を捨てる覚悟がなければ務まらぬというのに、どいつもこいつも臆病で使い物にならぬわ。加えて度量ひとつない。これでは、いざという時、役には立つまい。ただ飯を食っているようなものではないか」
三郎の怒りが伝わったのか、ミコは、
「おくびょーものー」
と、去っていく二人を追いかけようとして三郎に抱き上げられた。
それでも右足を突き出し、蹴りの姿勢を見せる。
「まあ良い。回し方の手順を教えるときに大勢おっても仕方がないからのう」
三郎はミコをなだめながら、逃げ出した童たちの独楽の一つを手にした。
「ちょうど良い。戦利品じゃ」
「人のものであろう」
三郎は、何を言われたのかわからぬ様子でぽかんとしていたが、突然、笑い出した。
「かたいのう。盗むわけではない。ちょっと借りるだけじゃ」
もっとも、独楽を賭けた試合をすることもある、とつけ加えた。
わしはちょっとした独楽長者なのじゃ、という自慢も忘れなかった。
三郎が巻き方と投げ方を二度やって見せた。
「良いか、こうやって、紐は握ったまま、最初は水平に投げてみろ。しゅっと投げて、すぐに紐を引くのじゃ。投げるというより引くのじゃ」
「しゅっ、しゅっ」
ミコが、まねてみせる。
「ミコにもやらせて、ミコにも」
と、三郎の独楽に手を掛ける。
まあ待て、となだめて腰に括りつけた袋から紐と独楽を引っ張り出した。
墨でもぬりつけたのか独楽は真っ黒に染まっていた。
「どうじゃ、おまえに似合う色にしてみた。きのうこしらえたのじゃ」
と、言いながらつけ加える。
「赤にしたかったが、赤はいささか高い。ほれ!」
イダテンは、手を出そうとして躊躇した。
「ほれ、手を出せ。出さねば渡せぬではないか」
三郎の督促に、ゆっくりと左手を差し出す。
急かした三郎だったが、今度は自分が躊躇した。
肘から先、甲までを覆う獣のような紅い毛に脅えたのだろう。
が、それを振りきるように両手で包むように手渡してきた。
そして、にっ、と笑顔を見せる。
おばば以外の人から物を手渡されるのは初めてだった。
あらためて自分が人ではないのだと感じた。
三郎の言うとおりに軽く投げると黒い独楽は音を立てて回った。
ミコが、じょうず、じょうずと、はしゃいで回り、
「ミコにも、ミコにも」
と、三郎の腕をとる。
「おおっ、筋が良いな。一度で回せるやつは、そうはおらんぞ」
相手にしてもらえないミコは、頬を膨らませる。
そして拾った独楽に自分で紐を巻こうと悪戦苦闘を始めた。
「次は相手の独楽にぶつけて弾き飛ばすのじゃ……」
木目の美しい独楽だ。
「それ、まずは、わしが投げる」
三郎が投げた独楽は地面に棒で書かれた輪の中ほどに止まって回転を続けた。
「さあ、おまえの番じゃ。ぶつけて輪から外に……」
三郎の言葉が終らぬうちに投げた。
ぱん! と、弾けるような音に驚いたミコが振り返った。
三郎の独楽は十間先の田んぼまで飛んで行った。
三郎が、ぽかんと口を開けている。
輪の中心では、イダテンの投げた黒い独楽が勢いよく回っていた。
*
手には弓を、背には矢の入った革の筒袋を、腰には手斧を手挟んだ。
三郎も箙を背に、二張りの弓を肩にひっかけている。
大人が使っている物よりは短いものの五尺はありそうだ。イダテンの物より二尺は長い。
ときおり風がそよぎ、イダテンの紅い髪をふわりと広げる。
その様子をミコが面白そうに見ている。
しばらく行くと童たちの歓声が聞こえてきた。
三郎の言っていた市が立つという広場だろう。
何箇所かに柱が建ち、屋根だけが葺かれていた。
人数は十二人。衣を見る限り、裕福そうな者はいなかった。
邸の使用人か、近所の百姓や職人の子だろう。
歳は十から五というところか。
赤子を背負った者と三歳ぐらいの女童を連れた者がいるが、あとは男ばかりだ。
近くに大人の姿はない。
十歳あたりを境に上の者が見当たらないのは、すでに大人について仕事を手伝っているからだろう。
イダテンは日ごろの習性で注意深く観察した。
頭数や特性、相手が人であれば得物を手にしているか否かを掴んでおかねば、いざという時、命にかかわる。
「おお、独楽で遊んでおる」
三郎が、よしよし、と満足そうに続ける。
「イダテン、おまえ、独楽は得意か?」
遠くから眺めたことがあるだけだ。
小さく首を振る。
三郎の声に数人が振り返った。
「赤鬼じゃ!」
と、いう声が上がり、五人が悲鳴を上げて逃げ出した。
ガキ大将らしい童が、自分と同じぐらいの年の者に指示して、泣くばかりで動けなくなった童を連れて行かせると、残ったのは二人だけになった。
背が高く体格の良い童と小さいがすばしこそうな童だ。
「おお、思った以上の反応じゃのう」
三郎は反応を楽しむように二人に近づいた。
三郎が話しをはじめると、誰かがイダテンの袖を引いた。
見ると、ミコが前に出てイダテンを見上げ、
「ねえ、イダテン、あとでミコと、ひなあそびしよう」
と、笑顔を見せた。
残った二人も三郎との話を切り上げ、去っていった。
袖を引くミコの速度に合わせ、広場の中ほどにぽつんと一人たたずむ三郎に近づく。
三郎が眉にしわを寄せ、吐き捨てるように口にした。
「侍たるもの、主人を守るために命を捨てる覚悟がなければ務まらぬというのに、どいつもこいつも臆病で使い物にならぬわ。加えて度量ひとつない。これでは、いざという時、役には立つまい。ただ飯を食っているようなものではないか」
三郎の怒りが伝わったのか、ミコは、
「おくびょーものー」
と、去っていく二人を追いかけようとして三郎に抱き上げられた。
それでも右足を突き出し、蹴りの姿勢を見せる。
「まあ良い。回し方の手順を教えるときに大勢おっても仕方がないからのう」
三郎はミコをなだめながら、逃げ出した童たちの独楽の一つを手にした。
「ちょうど良い。戦利品じゃ」
「人のものであろう」
三郎は、何を言われたのかわからぬ様子でぽかんとしていたが、突然、笑い出した。
「かたいのう。盗むわけではない。ちょっと借りるだけじゃ」
もっとも、独楽を賭けた試合をすることもある、とつけ加えた。
わしはちょっとした独楽長者なのじゃ、という自慢も忘れなかった。
三郎が巻き方と投げ方を二度やって見せた。
「良いか、こうやって、紐は握ったまま、最初は水平に投げてみろ。しゅっと投げて、すぐに紐を引くのじゃ。投げるというより引くのじゃ」
「しゅっ、しゅっ」
ミコが、まねてみせる。
「ミコにもやらせて、ミコにも」
と、三郎の独楽に手を掛ける。
まあ待て、となだめて腰に括りつけた袋から紐と独楽を引っ張り出した。
墨でもぬりつけたのか独楽は真っ黒に染まっていた。
「どうじゃ、おまえに似合う色にしてみた。きのうこしらえたのじゃ」
と、言いながらつけ加える。
「赤にしたかったが、赤はいささか高い。ほれ!」
イダテンは、手を出そうとして躊躇した。
「ほれ、手を出せ。出さねば渡せぬではないか」
三郎の督促に、ゆっくりと左手を差し出す。
急かした三郎だったが、今度は自分が躊躇した。
肘から先、甲までを覆う獣のような紅い毛に脅えたのだろう。
が、それを振りきるように両手で包むように手渡してきた。
そして、にっ、と笑顔を見せる。
おばば以外の人から物を手渡されるのは初めてだった。
あらためて自分が人ではないのだと感じた。
三郎の言うとおりに軽く投げると黒い独楽は音を立てて回った。
ミコが、じょうず、じょうずと、はしゃいで回り、
「ミコにも、ミコにも」
と、三郎の腕をとる。
「おおっ、筋が良いな。一度で回せるやつは、そうはおらんぞ」
相手にしてもらえないミコは、頬を膨らませる。
そして拾った独楽に自分で紐を巻こうと悪戦苦闘を始めた。
「次は相手の独楽にぶつけて弾き飛ばすのじゃ……」
木目の美しい独楽だ。
「それ、まずは、わしが投げる」
三郎が投げた独楽は地面に棒で書かれた輪の中ほどに止まって回転を続けた。
「さあ、おまえの番じゃ。ぶつけて輪から外に……」
三郎の言葉が終らぬうちに投げた。
ぱん! と、弾けるような音に驚いたミコが振り返った。
三郎の独楽は十間先の田んぼまで飛んで行った。
三郎が、ぽかんと口を開けている。
輪の中心では、イダテンの投げた黒い独楽が勢いよく回っていた。
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