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七
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彼が去った後から胸の鼓動が激しくて、苦しい。ずっと使用人が行為の後わたしを清めていると聞いていたのに、どうして今日は彼がやっていたのか。
(……気まぐれ? それとも以前から彼が拭いてくれていたの)
そう思うとなぜか分からないが堪らなく恥ずかしい。今まで散々身体を開いてきたけれど、ここまで羞恥心にのた打ち回ることになったのはこれが初めてだ。布団の上で小さく丸まって思考の海に漂うが中々答えが出てこない。否、答えなんかわたしが出せるものではないのだろう。けれど、考えられずにはいられないのだ。そうして脳内を彼一色にして、混乱したまま眠り付く。
――夢の中では、何故か彼が笑っていた、気がした……
「最近溜息が多くなっていますね」
わたしの世話を焼いてくれている楓が洩らした言葉にわたしはドキリとした。
「そ、うかしら?」
一瞬詰まってしまったが、髪を梳かれている今なら顔が見られていない分、動揺を見られることはない。けれど、彼女はわたしの動揺を見逃すことはなく、櫛を少し強めに置いてわたしの正面に向き直る。
「今日なんか特にクマもひどくなっていますが、眠れていないのですか?」
真っ直ぐな目で見つめられるとわたしにも心配してくれる存在がいるのだと思えて、不謹慎ながら嬉しい。
(わたしも楓みたいだったら良かった)
自分よりも二つ年下の彼女は素直で明るくて、自分にはない部分があるからこそ羨ましいのだ。
「いつもより、少しだけね」
嘘だ。本当は彼の行動を観察したくて何日も眠る時間を抑えている。本当はその日の内に彼に心意を聞くはずだったのに、彼の手が心地良くて眠った振りを続けている自分はひどくずるい存在だ。けれど、聞く勇気が湧かないのだ。わたし自身がきちんと彼に対してどう思っているのか分からない状態でいるからこそ、彼に答えを求めるということは出来ない。胸の内を押し隠して、不満げに口を尖らせる楓に話の流れを変えようとわたしは口を開いた。
「……楓はお慕いしている方はいる?」
唐突な質問に彼女は驚いたようで、大きく叫ばれた。
「どうしたんですか? いきなり……」
顔を赤くして大きな瞳を潤ませる彼女を見ると、特別な方が居るのだとすぐに分かった。
「その、普段こういった話をすることがなかったから気になったの。もしも嫌なら話さなくても大丈夫よ」
「…………絶対に他の人には内緒にしてくれますか」
上目遣いで頼まれると女のわたしですら保護欲が湧いてくる。もちろんだと首を縦に振ると彼女は華やいだように笑んだ。
「わたしがお慕いしている方は――佐田様です」
「佐田?」
身近な答えが意外に思える。なにか接点はあっただろうか。今までわたしが見る限りでは、あまり話している所を見ていない気がする。
「はい。実はわたし五年ほど前にあった不作のせいで親に捨てられて、そのまま野垂れ死にそうな所に佐田様に拾われたのです」
何気ないように言い放った楓にわたしは内心息を呑んだ。今まで生活のために親が子を捨てるということがあるということは知っていたけれど、どこか遠い世界のように感じ取っていたのだ。のうのうと暮らしている自分を見て楓はどう思っているのか考えると少し怖い気がしてわたしは沈黙を守った。
「佐田様の小間使いという名目で傍に置いてくださって、今思えばあの時が一番幸せだったのかもしれません」
「……どうして過去形なの?」
「半年前、わたしは佐田様に夜這いを仕掛けたのです」
「ええっ!!」
驚きで咳き込んでしまう。背中をゆっくりと優しく撫でる楓がそんな大胆なことをしたなんて意外でしかない。そもそも女性から男性にせまるということを聞いたことがなかった。
「大丈夫ですか?」
「っ。大丈夫よ……それよりどうしていきなりそんな展開になってしまったの?」
本当はまだ心臓が音を立てて鼓動を速めているが、楓の話の方が気になって仕方ない。わたしの続きの催促に彼女は後ろで笑った気がした。
「結婚の話が佐田様に出ていると噂に聞いて――それで、そんなことさせたくなくて。既成事実を作ってしまったら佐田様に断られないと思い込んでしまったのです」
馬鹿な思い込みですよね、と自嘲する彼女はどれほどの勇気で佐田を迎えようとしたのか。
「結果、布団に潜り込めはしたんですけど、すぐに佐田様に見つかってしまってすぐに追い出されてしまいました。後日結婚の噂が嘘だって知ったんですけど、その頃にはもう小間使いも解かれて侍女としてここで働くように言われました――そこからはひたすら避けられちゃって、今はもう挨拶すらもする機会がないんです」
「楓は今も……?」
「――ええ、お慕いしております。だから、内緒なのです。また佐田様の耳に入りでもしたら、もっと避けられるかもしれませんね」
けろりとなんでもないように言う彼女は本当に強い女性だと思う。一度断られているのに、それでも尚、楓は彼が他の女性と結ばれるまでは諦めないというのだから。
(わたしから佐田に何か言おうか)
一瞬馬鹿なことを考えたけれど、そんなことしたら余計二人の関係が崩れてしまうのだろう。だから、一言だけ楓に返す。
「楓は強いのね」
「違います。諦めが悪いだけなのです――それより奥様」
ふいに語気が強くなったことに、どうしたのか首を傾げると、彼女はやれやれと溜息を吐いた。
「旦那様の誕生日まであと七日を切っていますけれど、なにか贈り物の用意しなくても良いんですか?」
どうしよう。そんなことも知らなかったから、なにも用意していない――だけど、これは改善を修復出来る良い機会なのかもしれない。
「――それが、何が喜ばれるか悩んじゃって、楓は何を贈ったら喜ぶと思うかしら?」
小さな虚栄心を満たすために嘘をついてしまった。どきどきと情けない胸の鼓動と共に、楓の答えを待つが、彼女も答えを窮したように眉を寄せている。
「うーん。わたしもあまり旦那様と関わらないので、こればかりは分からないですね……良かったら、佐田様に聞いてみたらいかがです? 確か旦那様と幼馴染だと言っていましたよ」
「そうなの?」
今まで知らなかった情報に眼を瞬かせて聞き入ると、楓はゆっくりと首を縦に振って肯定の返事をする。ならば彼に頼ろうかと思ったが、そうすると旦那様の耳に入るかもしれない。
(どうせなら当日まで内緒にしていたいわ)
あと、七日もあるのだからゆっくりと考えてもいいだろう――けれど、その贈り物のせいでまた誤解が生まれてしまうことをわたしはまだ知らない。
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