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しおりを挟む母の刺繍によってシンプルながらも可愛らしくデザインされたハンカチをことさら気に入り、数年程の間、好んで使っていた。しかし、そんなある日。学校からの帰り道に河原沿いを歩いていると男の人が倒れていたのだ。
男性は殴られたのか顔が腫れ、風貌が分からない。
唇から滴り落ちる血が痛々しく、駆け寄って「大丈夫ですか」と声を掛けても、返答がない。
ならば、近くを通り掛かる大人を呼ぼうかと辺りを見渡すと、その男性は「止めろ」と睨み付けた。
「誰も呼ばない方が良いんですか?」
「ああ」
「救急車も?」
「……誰も呼ぶな。お前もあっちに行け」
倒れて歩けない様子であるのに、誰も呼ぶなとは何か事情があるのだろうか。
あっちに行けと言われたが、グッタリとした状態の男性を放っておくのは気が引ける。
(だけど、今は手当出来る物が何もないし……)
財布には千円と少しばかりの小銭。最近、母が入院したことにより、今日のお弁当代にと父に渡されたお金は所持している。
それを使えばコンビニで消毒液くらいなら買えるのではないかと思った。本当は近くに薬局があれば一番良いのだけれど、ここからは遠い。
だからこそ、コンビニで消毒液と包帯を買い、ついで手洗い場でハンカチを濡らしておく。
そしてわたしが男性の元に戻ると、彼は驚いた様子で息を浅く吐いた。
「なんで戻った?」
「え。だってこんなにひどい怪我をしている人を放っておけません」
「……お人好しなこった」
「あの。血を濡れたハンカチで拭っても良いですか?」
男性は迷いながらも「好きにしろ」と言った。
おずおずと彼の額に付いた血を拭き取ろうとすれば、男性は小さく呻いた。
「すみません。痛かったですか?」
なるだけ力を込めずに拭おうとしたのだけれど、それでも相当な痛みが走ったらしい。
しかし、男性は首を横に振り大丈夫だと言った。
それなりに時間が経過しているらしく、血の色は赤黒い。
瘡蓋になっているところはとりあえず避けて、化膿しないようにハンカチで拭いていく。そしてあらかた吹き終わった後に、消毒液をガーゼに付けて、ゆっくりと手当していく。
「ごめんなさい。痛いですか?」
「……っ、大丈夫だ」
顔を顰めつつも男性は痛みに耐えている。だからこそ、なるべく痛くならないようにと丁寧さを心掛ける。
とりあえず、顔は全て手当した。
けれど、彼の身体も相当痛めつけられたようで、服の隙間からですら痣が見え隠れしている。
どうしたものかと思って狼狽えたその時。遠くから誰かが人を呼ぶ声が聞こえた。
その声に反応したのか彼の指先が僅かに動いた。
「……来たか」
「あの、大丈夫ですか?」
もしかしたら、彼を痛めつけた人物ではないのかという警戒心から身体を硬くする。
だが彼はそれを不敵に笑った。
「ああ。大丈夫だ。あれは俺の知っている奴の声だから」
ゆっくりと立ち上がる。
そしてわたしの頭をくしゃりと撫で「ハンカチを汚してしまって悪かったな」と謝った。
わたしはそれに緩くかぶりを振って答えると、彼は少しだけ口角を上げた。
「いつか。これは必ず返す。それまで借りていても良いか?」
「わかりました。必ず返してくださいね。約束ですよ」
そう口にしたのは、夕日と共に彼の姿が消え入りそうで恐かったから。だから、黄昏時にそんな約束をしたのだ。
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