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 「ただいま戻りました」

  玄関とそこに繋がるリビングの部屋には電気がついておらず、暗いままだった。

(御堂さんは寝室にいるのかしら?)

 であるのならば、彼と対面する前にシャワーでも浴びて、身体に纏わりついた煙草と酒の臭いを落としたい。
 そう思って、寝室とは逆の方向にある風呂場に曲がろうとしたその時。暗闇の中から腕が伸び、そして正面からきつく抱きしめられた。



「どこに行く?」
「み、御堂さん」


 心臓がバクバクと音を立てる。
 まだ彼と対面するまでの猶予があるのではないかと考えていたからこそ、突然の不意打ちに身体が強張った。

「そんなに怯えるな」
「怯えてはいません。ただビックリしてしまって」
「驚いたのは俺の方だ。何故、俺に黙って勝手にキャバクラで働こうとした?」
「それはその……」
 「……なぁ、今日俺がどれくらいお前に使ったと思う?」

 
 含みのある切り出し方はわたしを甚振るための残虐性に満ち溢れている。無駄にお金を使わせたであろう罪悪感から、何も答えられることが出来ない。自分の殻に籠るように、沈黙を貫く。
 それが彼の機嫌を損なうことになるのは理解しているはずなのに、どうしてわたしはこうなのだろう。
 長い沈黙の末、結局わたしは震えた声でなんの意味もない謝罪を口にする。彼はそれに呆れたようしてに重たい溜息を吐き出した。

 「三百万だ」

  告げられた金額の大きさに耳を塞ぎたくなった。たった数時間の間にそれだけの金額が使われたのかと思うと恐ろしさすら感じる。


 「そんなに……」
 「お前が黙ってキャバクラなんかに行くから、逃げ出したのかと勘違いした間抜けな男が使った人件費に、店で貢いでやった金額合わせて、ちょうどそれくらいだ――なぁ、どうしてキャバクラなんかで働いた? 金なら俺に抱かれていた方が早く返せるだろう?」
「わたしはただ早く御堂さんに借金を返したくて……」
「キャバクラで働きたくなる程に俺の傍に居るのは嫌だと言うのか」
 「ち、違います! ただわたしは」


 最後まで言い切る前に御堂さんがわたしの腕を掴んで、ベッドのある寝室まで引きずり込む。
   こちらのことを一切考えない力で、わたしの抵抗をねじ伏せ、スプリングの効いたベッドに押し倒し、あっという間に腕はネクタイで縛られ拘束された。


 「忘れるな。お前は俺が買った女だ。他の男に媚売るくらいなら、俺に媚でも売っておけ!」

  顎を掴み、強制的に視線を合わされると彼の怒りがより直接的に伝わる。迫力のある怒号に唇を戦慄かせると、彼は艶めいた仕草で、わたしの唇を指でなぞる。

 「……なぁ。そんなに金が欲しいなら、セックス以外で稼がせてやろうか?」

  掠れた声は肉食獣が餌を見つけた悦びゆえだろう。わたしはその餌のようになされるがまま、少しも動くことはできない。

 「俺は優しいから、簡単な方法を教えてやる――お前からキスするたびに一万というのはどうだ? あぁ、慣れていないなら特別に俺がやり方を教えてやってもいいぞ?」

  そのまま彼の端正な顔が近付く。わたしは咄嗟に拘束された腕で、それを阻む。
 だってキスなんかされたら、きっと彼への恋情が今以上に大きく膨れ上がる予感がしたから。だからこそ、止める必要があった。
 しかし彼は顔を顰め、忌々しげに舌打ちをした。

 
 「そんなに俺が嫌か?」
「ち、違います! ただわたしは……」
「そうだよな。お前はそう言うしか出来ない」

  ほんの一瞬。彼の顔が悲痛に歪んだ。その表情の意味を問う前に、彼は陰惨に嗤う。


 

 

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