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 幼い頃、わたしは両親に「人に優しくしなさい。きっとそれが巡り巡ってお前を助けてくれるよ」と言われて育てられてきた。
 だから人が困っていると助けるようにしていたのだけれど、本当に困っている時程、誰も助けてはくれないのだ。


「おらっ! さっさと出てこいよ」
「山本ほのかさーん。今日こそは借金返してくださいよ!」
「こっちは金さえ返してくれるなら、お前の職場に取り立てに行っても良いんだぞ」

 アパートの扉が蹴られる音が聞こえて、小さく悲鳴が洩れる。
 薄っぺらい座布団の上で毛布を頭から被り、ひたすらに嵐が過ぎ去るのを震えながら待つ自分はなんてちっぽけな存在なのだろう。

(ああ、なんでこんなことに……)

 きっかけは父が借金の保証人になったことだ。
 借金を返せなくなった父の友人はあっさりと逃げ、その代わりとして父が返済を迫られるようになった。
 わたしは高校を出てから一人暮らしをしており、父はわたしに心配を掛けまいと思ったのか、たまに連絡をしていた時も借金のことを伏せていた。結果、わたしがそれを知ったのは父が過労で倒れ、そのまま亡くなった後のことだ。

 借りた先が悪かったのかいかにもチンピラ崩れな男達が日夜、わたしの前に現れては早く金を返せと罵る。
 母はわたしが小学校を卒業する前に病死している。両親は駆け落ちをしており、親族とは昔から疎遠だったため、その借金は丸ごとわたしにのし掛かった。だから遺産相続を破棄して、なんとか逃れようとした。しかし真っ当な筋の者ではない彼らにはその理屈が通るはずもない。

 いつまで経っても鳴り止まないチャイムと怒声。暴力的なまでに大きな音に身体は反応し、ビクリと跳ね上がるーーしかし不意にドアを蹴る音が止んだ。恐る恐る顔を上げれば、不意に低い声が聞こえた。


「おい。出てこないのならば、この貧弱なドアを蹴破って引き摺り出すぞ」

 凄みのある声に男達の本気が垣間見えた気がして、ボタボタと涙が頬に流れ出る。けれど、このまま泣いていたところで、状況は悪くなるだけなのだろうことは明白だ。
 それが分かっているからこそ、唇をきつく噛んで
覚悟を決める。

 ヨロヨロと立ち上がって、覚束ない足取りで玄関に向かう。ワンルームの短い距離だというのに、今日はなんだか長く感じるから不思議だ。
 わたしが動く物音が聞こえたのか男達も静かに待っているようで、荒々しい怒声はもう聞こえてこない。

 震える指先でドアチェーンと鍵を解錠し、力の入らない手でドアのノブを握り締めれば、掌に冷や汗がびっしょりと溜まっており、手が滑る。
 それでもなんとか開けようとすれば、隙間が出来た途端に、太くて大きな手が割り込み、そのまま勢い良く扉をこじ開けられる。


「やっと開けたな……」
「ひっ」

 ギラギラとわたしを睨みつける鋭い粗野な視線。その迫力にたじろげば、軽薄そうな金髪の男に腕を掴まれた。

「あれぇ。どこに行くつもり?」

 遠慮なく掴まれた腕の骨はミシリと悲鳴をあげている。痛みに顔を顰めていると、スキンヘッドの男が太い指でわたしの顎を持ち上げた。


「今更逃げてんじゃねぇぞ」

 凄む男の迫力にわたしはただ謝ることしかできなかった。何度も何度も謝り、借金の返済を待って欲しいと懇願すると男達は鼻で笑った。

「お前が抱えることになった借金は五千万だぞ。そんな金額……どれだけ待ったところで、払える訳がないだろう?」

 出来が悪い生徒に教え込むように、スキンヘッドの男がやけにゆっくりと話し掛ける。

「そうっすよ。けれど、俺達は優しいっすからね。アンタに良い店を紹介してあげますよ」
「ああ。顔はちと地味だが、まだ二十歳はたちになったばかりだ。若いってだけで食い付く客はごまんといるさ。たっぷり男共を咥え込んで、身体で金を返してくれれば良い」
「い、いや……」


 下卑た笑いに、ますます身体が萎縮する。か細い悲鳴を上げれば、男達の眦はきつくなる。

「借りた金も返さねぇで我儘言ってんじゃねぇぞ。なんなら今ここでお前を裸にひん剥いて、俺らが味見してやろうか?」

 剣呑な眼差しを向けられて、身体が恐怖で強張る。
 しかし、その時。背後から足音が聞こえた。
 二人の男は胡乱げにやってきた人物に視線をやったかと思うと、目を見開いて固まっている。


「兄貴。あれって……」
「なんで『御堂組』の若頭がこんなところに」

 私から少し距離を取って、二人が小声で話す。その内容にわたしは驚いた。

(御堂組って関東を取り仕切る極道の名前じゃない……)

 たびたび報道番組で耳にする御堂組のーーそれも若頭がどうしてこんなところに現れたのか。
 柄の悪い二人があからさまに顔色を悪くしている。その様子からどれほど恐ろしい人物なのだろうかと血の気が引いていく。
 ここのところ、食べる余裕もなかったこともあり、足がフラついた。それを支えたのは突然現れた男である。


「危ないな。大丈夫か?」
「は、はい」
 
 うっかり振り向いた先に見えた男の年齢は三十前くらいだろうか。わたしよりも頭一つ分よりも高い身長に、高級そうなスーツの上からでも分かるしなやかに付いた筋肉。整髪料でラフに整えた髪は艶やかで、そこから形の良い鼻梁と鋭い眼光を覗かせており、男としての魅力が満ち溢れている。
 このような状況でなければ、見惚れてしまいそうになる程の美丈夫。けれど、何故だかその眼差しは昔どこかで見たことがあるような気がした。


「山本ほのか」

 自分の名前を呼ばれて、ビクリと身体が跳ね上がる。もしかしてまだわたしが知らない借金があるのかと不安が胸に広がる。

 しかし、男が口にしたのは意外な言葉だった。


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