6 / 53
1章 破談の呪いと夢見の少女
6
しおりを挟む「椿、そろそろ終わりにしてはどう? お茶の時間にしましょう」
瞬間、子どもたちから大きな歓声が上がった。
子どもたちにとっては、勉強の後のお菓子の時間が何より楽しみなのだ。
「はい、院長先生。……じゃあ皆! ちゃんとお片付けして、手を洗ってきてね。小さな子はお兄ちゃんお姉ちゃんに手伝ってもらうのよ?」
一斉に走り出した子どもたちのにぎやかな様子に椿は目を細め、そして隣に立つ院長に視線を移す。
雪の降る寒い朝に捨てられていた自分を拾い上げ、椿という名をつけてくれたのがこの院長だった。そして三才になるまで、椿はこの孤児院で育った。
椿にとってもこの孤児院にいる子どもたちにとっても、大切な母のような存在だ。
あの頃よりも目尻に皴が増え、けれど昔と変わらずいつも穏やかで優しげな恩人の顔を見る度、椿は心があたたかくなる。
まるで真っ暗な部屋の中でやわらかくゆらめくろうそくの火のように、穏やかで心落ち着かせてくれるその眼差しに、いつも守られてきたから。
この院長先生のような存在に、なりたいと椿は願っていた。
かわいい子どもたちの未来が少しでも明るいものになるように、その子どもたちをあたたかく見守り助けられるようなそんな存在にいつかなれたらいいと。
「大丈夫?少し疲れたかしら」
気遣うような院長の声に、椿は首を振った。
「……いいえ、全然。ここへくると元気が出ます。子どもたちの笑顔って本当に宝物みたいだわ。キラキラしていて元気いっぱいで」
「そうね。大変なこともあるけれど、子どもたちは宝だわ。どの子もね。それはもちろん椿、あなたも。大きくなったあなたが今もこうしてきてくれて、どんなに嬉しいか……」
院長の少し骨ばった優しい手が、優しく椿の背をなでた。
「ええ……本当に、あなたが今日きてくれて良かったわ。……実は昨日色々あって。明之がちょっと落ち込んでいて……。あとであなたから、話を聞いてみてくれないかしら?」
「明之が……。では、もしかしてまた縁組が……?」
養子を迎えたいと望む者は多い。
子ができない夫婦や、家業の働き手を欲してなど理由はさまざまだが、子どもたちは希望を胸に養子縁組先へともらわれていく。
どうせ働ける年頃になればこの孤児院を出て行かなくてはならないのだし、その日食べるものにも事欠くこの孤児院にずっと居続けることなどできないのだから。
であるならば、どこかに養子としてもらわれた方が働き口も見つけやすいし、貧しくてもなんとか生きていける可能性が高いのだ。
けれどそれが直前になってやぱりいらないと拒否され、縁組自体が流れることもままあった。一度捨てられた経験を持つここの子どもたちにとっては、再び捨てられるようなものだ。
それがどんなに心痛むことなのかを、椿も良く知っていた。
明之の心中を思い、椿は重苦しい気持ちでこくりとうなずいたのだった。
明之は、カステラに群がる子どもたちの輪から一人外れて庭先で佇んでいた。
その背中にそっと聞こえないようにため息をつき、近づいていく。
「はい。あなたの分」
椿の手からカステラの入った小さな包みを受け取ると、明之は力なく笑った。
「今日は特にうまく焼けたの。明後日くらいまでならおいしく食べられるわよ。……うまく隠さないと、皆に見つかってしまうかもしれないけど」
ここでは食べ物、特に甘いお菓子はごちそうだ。もし隠し持っているのが見つかれば、あっという間に小さい子たちにねだられて取られてしまうに決まっている。
「……話、聞いたんだろ? 椿姉。俺の養子の話がなくなったこと」
少し黙り込んだあとで、明之がぽつりとたずねた。
「平気だよ、俺。こんなの珍しくもないだろ。俺は頭だって悪くないし力もあるから、どこでだって働けるよ。だから心配すんなよな。……どうせ椿姉のことだから、俺が落ち込んでるんじゃないかとか心配してんだろ?」
いつものように飄々とした表情を顔に浮かべてはいるけれど、その口の端は今にも泣き出しそうに歪んでいた。
「でもさ……。店を継いでくれる男手が欲しいって、この間会った時には頭もいいし力もあるし丈夫そうだし、ぴったりだって嬉しそうにしてたくせにさ。いざとなったら遠縁の子を引き取るからなかったことにしてくれって」
吐き出すように言うと、明之はそばにあった小石を遠くに勢いよく投げつけた。
「そんなの、どんなに頑張ったって埋めようがねえじゃん。代わりに迎えられたそいつには片親だろうが親も親戚もいてさ、家だってあって……。でもここにいる俺たちは何にも持たずに捨てられてさ、幸せな居場所なんてどこにも……」
その絞り出すような声には、悔しさがにじんでいた。
明之はこの孤児院にいる子どもたちの中で一番年長で、賢い子だった。
その賢さゆえに、世間から自分たちがどのような目で見られているかもよく知っていたし、これから孤児院を出た後どれほど大変な苦労をして身を立てていかねばならないのかもよく知っていた。
だからこそ、そんなどうにもならない理由で縁組を断られたことが悔しかったのだろう。
その気持ちを思い、椿は唇を噛んだ。
胸が痛くて痛くてたまらなかった。
「でもさ、しょうがないよな。俺たちが孤児だってのは変えようがないんだし。でも俺、平気だよ。こんなことで腐ったりしない。いつかきっと自分の力でいい仕事について立派な家だって建ててさ。絶対に見返してやるんだ。で、うんと幸せに生きてやるからさ」
そんな悔しい気持ちを無理に振り払うように、明之はいつもの快活な笑顔を浮かべてへへっと笑った。
不器用過ぎる椿には、こんな時どんな声をかけてあげたらいいのか、どんな顔で抱きしめてあげたらいいのか分からない。
椿は、無力な自分が悔しく悲しかった。
「……明之は立派な子よ。頭もいいし力もあるし、責任感も強くて面倒見も良くて。だから、どこでもきっとうまくやっていけるって信じてる。……でも、助けが必要な時はいつでも言って。いつだって飛んでいくから。私は皆の姉みたいなものだもの。いつだって、どんな遠くからだってきっと助けにいくから」
椿の言葉に、明之はほんの少し顔を歪め黙り込んだ。
そしてしばらくそっぽを向いていたけれど、乱暴に顔をごしごしと擦り勢いよく立ち上がった。
「俺は大丈夫だよ、椿。こんなこと全然平気だし、簡単にへこたれるような男じゃねえから、心配すんな! ……でも、ありがとな。椿。俺、負けねぇから」
お尻の辺りについた葉っぱを手でばしばしと勢いよく払い落し、明之は顔を上げにかっと笑った。
そして、皆の元へと元気よく走り去っていったのだった。
3
お気に入りに追加
69
あなたにおすすめの小説
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。
木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。
そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。
ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。
そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。
こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
【完結】私、四女なんですけど…?〜四女ってもう少しお気楽だと思ったのに〜
まりぃべる
恋愛
ルジェナ=カフリークは、上に三人の姉と、弟がいる十六歳の女の子。
ルジェナが小さな頃は、三人の姉に囲まれて好きな事を好きな時に好きなだけ学んでいた。
父ヘルベルト伯爵も母アレンカ伯爵夫人も、そんな好奇心旺盛なルジェナに甘く好きな事を好きなようにさせ、良く言えば自主性を尊重させていた。
それが、成長し、上の姉達が思わぬ結婚などで家から出て行くと、ルジェナはだんだんとこの家の行く末が心配となってくる。
両親は、貴族ではあるが貴族らしくなく領地で育てているブドウの事しか考えていないように見える為、ルジェナはこのカフリーク家の未来をどうにかしなければ、と思い立ち年頃の男女の交流会に出席する事を決める。
そして、そこで皆のルジェナを想う気持ちも相まって、無事に幸せを見つける。
そんなお話。
☆まりぃべるの世界観です。現実とは似ていても違う世界です。
☆現実世界と似たような名前、土地などありますが現実世界とは関係ありません。
☆現実世界でも使うような単語や言葉を使っていますが、現実世界とは違う場合もあります。
楽しんでいただけると幸いです。
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました
柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」
結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。
「……ああ、お前の好きにしろ」
婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。
ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。
いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。
そのはず、だったのだが……?
離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。
※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる