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1章 破談の呪いと夢見の少女
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しおりを挟む「なあ、和真。一応確かめておきたいんだが……」
気がつけば後ろに立って娘の出発を見送っていた父が、和真に問いかけた。
「もしあの子がこのまま自分の気持ちに気づかないままだったら。お前はどうするね?」
父の声には、息子と娘とを心配する親心と同時に、息子の決意のほどを確かめるようなそんな感情がにじみ出ていた。
「ご心配には及びません。椿以外の女性と添い遂げる気はありませんし、椿にその意志がないのならば独り身を通します。とりあえずは、他に話に上がりそうな縁談の口はすでに潰しておきましたから、もう持ち込まれることはないでしょう」
迷いない物言いに、父は安堵するように小さく息をついた。
「そうか……。まぁ私としては、無理に椿の意思を無視するような形を取らないのであれば、もちろん賛成だ。一応これで一区切りがついたことだし、確認しておこうと思ってね」
父親としては心配なのだろう。
椿を思うあまり、息子が策に溺れすぎて椿の気持ちを無視して暴走しはしないかと。
「もちろん椿が気持ちを自覚してくれるのが一番ですが、もしこのまま姉としての人生を望んだとしても、この屋敷で姉と弟として暮らしていくことに変わりはありませんしね」
自分の幸せなどこれっぽっちも考えていない椿が、自らどこかに嫁ぎたいと言い出す可能性はゼロに近い。ならば、この屋敷で今のまま姉弟として暮らすのも、そう悪くはない。
もちろんそれは和真の本意ではないが、椿と離れて生きることに比べればはるかにましだ。
息子の言葉に母がうなずき、そして表情を曇らせた。
「本当にあの子ったら気にするのは周りのことばかりで、自分のことなんてちっとも気にもかけないんだもの。いつになったら自分の気持ちに気がつくのやら。あの子だって、もう結婚していい年頃なのに」
「まったくだ。皆があの子の幸せを願っているってことに、もう少し気がついてくれるといいんだが」
父と母が憂いのある表情でため息をつく。
両親にとっては二人ともがかけがえのない子どもであり、実子である和真も、血のつながりのない椿のことも心から愛していた。
けれど年頃を迎え、娘の将来が心配にもなる。あまりに自分の幸せを考えなさすぎるのだ。
『幸せをくれた皆に恩を返したい』というのが、椿の幼い頃からの口癖だった。
その口癖通り、いつも自分以外の人のことばかり気にかけ、返しきれない恩があるからと常に動きっぱなしだ。養女として迎えた自分たちにも、自分が世話になった孤児院にも、愛する和真にも、屋敷の使用人たちにも――。
けれどあのままではいつかきっと、力尽きてしまう。
自分の人生や望みを犠牲にして誰かのためだけに生きるのは、自分をすり減らしいつか壊してしまうものだから。
だから、和真が椿を望んでいると和真本人から知らされた時、両親は胸をなで下ろしたのだ。
ああ、和真のそばでなら椿はきっと幸せに生きていける、と。
誰かの役に立つことや恩を返すことが存在意義なのではなくて、ただ幸せになりたいと願いながら懸命に生きるだけでいいのだと。自分も幸せになるために生きていいのだと――。
けれど、このまま気づかないまま人生を送ってしまうのではないか。
そしていつか糸がぷつんと切れたように壊れてしまわないかと、心配でならない。
「跡継ぎだとか結婚だとか、そんなことはどうだっていいの。……あなたと椿が、幸せに懸命に生きてくれたらそれでいい。でも、くれぐれも椿の気持ちを大事にしてあげてちょうだいね。あの子が自分の望みだとちゃんと自覚して人生を歩んでいけるように」
子を思う情を滲ませ、母が和真に念押しする。
「もちろんです、母上。それは僕の願いでもありますから」
その言葉に、両親は納得したように深く頷く。
「……そうか。分かった。ではもう将来については、すべてお前に任せよう」
「和真、私たちはあなたの幸せも心から望んでいますからね。くれぐれも無理だけはしないこと。必要な時にはちゃんと頼るのよ。あなたはいつだって一人でこなしてしまうのだから、これでもいつもハラハラしてるのよ?」
母の心配と深い愛情のにじんだ言葉に、和真はどこかくすぐったい気持ちを感じながらしっかりとうなずくのだった。
◇◇◇◇
「椿姉ちゃん! ここは? どうやるの?」
「あっ、私が先に椿姉様を呼んだのよ。横入りはずるいわ!」
「うわぁーんっ! 椿お姉ぢゃぁーんっ、紙破れたぁーっ」
孤児院は、相変わらず今日もにぎやかだった。
暇さえあればあっちこっちに呼ばれて、体がいくつあっても足りない。
けれど元気いっぱいの子どもたちと関わるうちに、気つけば落ち込んでいた気持ちなどどこかへ吹き飛んでしまっていた。
「皆、ちゃんと順番に教えるからお行儀よく待っていてね。それから破れた紙は、美津お姉ちゃんにお願いして直してもらうといいわ。美津、お願いできる?」
「はい。ほら、こっちに持っておいで」
椿は騒ぎ立てる子どもたちをなんとかなだめすかし、年長の子どもたちに協力してもらいながら一人一人に懇切丁寧に勉強を教えていく。
教える内容はさまざまだ。
筆を手に真剣な顔で習字をしている子もいれば、うんうんうなりながら算術に取り組んでいる子もいる。その隣では、まだ小さな子どもたちが歌を歌いながらお絵描きしているといったふうに。
けれど、どの子も真剣な顔で目をキラキラと輝かせていた。
「ねえねえ、椿姉ちゃん。和真様は次はいつくる? 私、和真様にも会いたいなぁ。最近ちっともきてくれないんだもの」
今年十二才になったばかりの吉乃が、算術の練習問題を解きながら椿にたずねた。
吉乃は年の割にませたところがある子で、時折椿とともにここにくる和真のことをとても気に入っていた。
「そうねぇ……。しばらくはお仕事が立て込んでるみたいだから、難しいかもしれないわ。でも、吉乃が会いたがっていたことはちゃんと伝えておくわね」
「うん! よろしくね。うんと会いたがってたって、ちゃんと伝えておいてね」
吉乃の顔に、嬉しそうなはにかんだ笑みが浮かんだ。
その顔があまりにもかわいくて思わず頭をなでると、他の子どもたちからやきもちの声が一斉に上がった。
その声に、椿は朗らかに笑った。
子どもたちは皆明るい。決して恵まれた暮らしとは言えないが、それでも皆明るさを忘れず日々を生きている。その明るさとたくましさに元気をもらっているのは、いつもこちらの方だ。
けれど、椿は知っていた。この子たちが夜になると、こっそり布団の中ですすり泣くことがあるのを。
皆知っているのだ。どんな事情があるにせよ、自分たちは親から捨てられた存在なのだと。
そして、ここにいる誰もが椿のように養子として迎えてもらえるわけではなく、仮に迎えられたとしても幸せになれる保証などどこにもないことを。
だからこそ椿は、子どもたちを幸せにしたかった。ほんのわずかな助力でも、この子たちを支えいつの日にか外の世界で幸せになれるように力を尽くしたい。そう思っていた。
それが椿の恩返しであり、生まれてきた役割なのだと、そう信じていた。
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