21 / 53
3章 動きはじめた運命
2
しおりを挟む当矢が遠山家に居候をはじめて、しばらくたち――。
その日、椿は早朝の庭を歩いていた。
朝の空気は澄んで気持ちが良かったがまだ朝霧が立ち込める庭は肌寒く、ぶるりと肩を震わせた時。
「ずいぶん早いね。椿」
和真の声に、椿は目を輝かせて振り返った。
当矢が居候を始めてからというもの、そのあまりの多忙さに椿は数えるほどしか和真と顔を合わせていなかった。一日のほとんどを離れの部屋で過ごしている和真と当矢とは、まさに寝食を忘れて商談に向けて言語やら文化についての勉強に日夜励んでいたのだ。
そして椿もまた、当矢が懸命に頑張っている間ただ待っているわけにはいかないと、美琴も孤児院で子どもたちの教育に加わることになったのだ。行儀作法や習字など、椿ではいささか心もとない分野を担ってくれる仲間ができて、心強い限りだ。
けれどそのために、椿も和真も忙しく会えない日々を送っていた。
同じ屋敷にいるのになかなか会えないこの日々に、椿は感じたことのない寂しさを覚えていたのだったが――。
嬉しさでつい緩んだ頬をごまかそうと、椿は思わずうつむきがちに挨拶を返す。
「おはようっ。和真こそ早起きね。こんな早い時間にどうしたの?」
和真とまともに顔を合わせるのは久しぶりだった。
「風邪を引くよ。今日は一段と冷える」
和真はそう言うと、手に持っていた大判のストールを椿の体にふわりと巻き付けた。
庭に出ているのを知ってわざわざきてくれたのかもしれないと思うと、より椿の顔に嬉しさがにじんだ。
「少し庭を歩かない? ここのところ話をする暇もなかったし、少し話そう」
その誘いに椿はもうどうにも笑みを隠せそうもなく、にっこりと笑ってうなずいたのだった。
「そうか。じゃあ美琴さんが孤児院に。きっと子どもたちも喜ぶだろうし、少しは椿も負担が減って楽になるかもね。当矢にも様子を伝えてやるか」
「そうね。美琴様も頑張っているんだと知れば、もっとやる気になるかもしれないし」
和真は当矢の、椿は美琴の近況をそれぞれ伝えあった。
まるで遠く離れていた知り合いに久しぶりに会ったようなおかしな感覚に、椿はくすくすと笑う。
「どうしたの?」
「ふふっ。なんだかおかしくて。同じお屋敷にいるのに、ずいぶん遠くに離れていたみたいで。たくさん話したいことがある気がするの」
椿の笑い声に、和真の表情もやわらかくなる。
「だったら、毎週この時間に二人でこうして早朝散歩しないか? そうすれば、お互いの情報も共有できるし」
和真の提案に、椿は飛びついた。
「ええ! それはいい考えだと思うわ。そうしましょう!」
こみ上げる嬉しさに満面の笑みでうなずいた椿に和真が優しく微笑み、そして問いかけた。
「……寂しかった? 僕と話ができなくて」
その声にほんの少しにじんだ甘さに、椿ははっと和真の顔を見上げた。
互いの視線が絡み合い、胸がぎゅっとなる。なんだか胸が苦しくなって、椿はふっと視線を外した。
「……そりゃあ、かわいい弟だもの。もちろんよ。忙しくて無理はしていないかとか、ちゃんと食事はとれているかとか、心配だもの」
思わずうつむいた椿は、耳元にふっと近づくものを感じて顔を上げた。
その気配は、和真の指だった。
頬にはらりと落ちた椿の一筋の黒髪を、和真はまさにそっとすくい上げたところで。
指の熱が触れたわけでもないのにじわりと伝わるようで、椿は身じろぎした。
「……そう。椿も無理はしないようにね。椿は、すぐにひとりでなんでも背負い込もうとする悪い癖があるから」
顔に熱が集まっていくのを感じて、椿はこくこくとうなずき返した。
最近自分の感情が忙しない。
感じたことのない未知の感情に、なんだか振り回されているような気がする。そしてそれは、いつも和真と一緒にいる時に起きるのだ。
一体自分の中で何が起きようとしているのか分からず、少しの不安とどこかくすぐったいような気持ちでいっぱいになるのだった。
6
お気に入りに追加
67
あなたにおすすめの小説
【完結】私の婚約者は、親友の婚約者に恋してる。
山葵
恋愛
私の婚約者のグリード様には好きな人がいる。
その方は、グリード様の親友、ギルス様の婚約者のナリーシャ様。
2人を見詰め辛そうな顔をするグリード様を私は見ていた。
因果応報以上の罰を
下菊みこと
ファンタジー
ざまぁというか行き過ぎた報復があります、ご注意下さい。
どこを取っても救いのない話。
ご都合主義の…バッドエンド?ビターエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
その令嬢、商会長につき
かぼす
恋愛
※※※ 更新を休止中です(更新予定あり) ※※※
若干ブラックなOL生活を続けていた水無月六花(33)
何とかノルマを達成して晩酌をしていたら気を失い、目が覚めたら貧乏男爵家の末娘として生を受けていた。
前世の知識で知識チートをしたり、この世界に眠る不思議を体験しながら成長していくゆるふわ?ストーリー。
※1:ご都合主義を多分に含んでおります。
※2:タグは進行に合わせて調整します
※3:布石はミスリードかも? そのあたりはふんわりしてます
☆幼女編は一気に終わり、淑女編に移るための準備中です
いまのとこ恋愛対象二人しかいないですね
なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
あなたのことが大好きなので、今すぐ婚約を解消いたしましょう!
あゆみノワ★9/3『完全別居〜』発売
恋愛
「ランドルフ様、私との婚約を解消しませんかっ!?」
子爵令嬢のミリィは、一度も対面することなく初恋の武人ランドルフの婚約者になった。けれどある日ミリィのもとにランドルフの恋人だという踊り子が押しかけ、婚約が不本意なものだったと知る。そこでミリィは決意した。大好きなランドルフのため、なんとかしてランドルフが真に愛する踊り子との仲を取り持ち、自分は身を引こうと――。
けれどなぜか戦地にいるランドルフからは、婚約に前向きとしか思えない手紙が届きはじめる。一体ミリィはつかの間の婚約者なのか。それとも――?
戸惑いながらもぎこちなく心を通わせはじめたふたりだが、幸せを邪魔するかのように次々と問題が起こりはじめる。
勘違いからすれ違う離れ離れのふたりが、少しずつ距離を縮めながらゆっくりじりじりと愛を育て成長していく物語。
◇小説家になろう、他サイトでも(掲載予定)です。
◇すでに書き上げ済みなので、完結保証です。
大好きな婚約者に近づけない呪いをかけられたので、マッドサイエンティストの兄を使ってざまぁすることにした!
あゆみノワ★9/3『完全別居〜』発売
恋愛
周囲から呆れられるほど相思相愛の、リリとその婚約者ライル。
ある日リリは、ライルとの仲を妨害する呪いを何者かにかけられてしまう。そのせいで、ライルの顔を見るだけで吐き気や発疹に襲われるようになり、会うことも手紙を書くことさえできなくなってしまった……!
そこでリリは立ち上がった。なんとしてもこの呪いを解き、ライルとの恋路を邪魔する憎き術者に復讐するために。
バカップルの恋路を邪魔する恋敵にざまぁを、といいつつ、実際にざまぁするのは実はマッドサイエンティストの兄で、というコメディタッチの短いお話です。
頭を空っぽにしてさくっと楽しんでいただけたら幸いです。登場キャラが皆ちょっとクセ強めです。
※小説家になろう、アルファポリス、カクヨムでも掲載予定です。
※2/21タイトルとあらすじを改変しました。
お前なんかに会いにくることは二度とない。そう言って去った元婚約者が、1年後に泣き付いてきました
柚木ゆず
恋愛
侯爵令嬢のファスティーヌ様が自分に好意を抱いていたと知り、即座に私との婚約を解消した伯爵令息のガエル様。
そんなガエル様は「お前なんかに会いに来ることは2度とない」と仰り去っていったのですが、それから1年後。ある日突然、私を訪ねてきました。
しかも、なにやら必死ですね。ファスティーヌ様と、何かあったのでしょうか……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる