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4章 嫉妬と独占欲

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 椿が倒れたと聞いて、和真はすぐに椿の部屋へと様子を見に行った。
 母の話では、疲れがたまっていたようだが少し休めば良くなるとのことだったが――。

 和真は、ベッドに横たわる椿の寝顔を見つめていた。顔色も思ったよりは悪くないし、安らかに寝息を立てている様子からしても特に病気というわけではなさそうだと安堵する。

 確かにここのところ、生活にも大きな変化が多かった。美琴との縁談話が持ち上がってからというもの、当矢が居候をはじめ、美琴もせっせと遠山家に通いつめては椿とともに過ごしているらしい。孤児院での教育に美琴も協力したいとの申し出であれこれをしているらしいが、初めてできた友人との毎日に少し張り切りすぎたのかもしれなかった。

 それに――、エレーヌの件もある。


 ゴダルドとの晩餐のあと、椿は明らかに様子がおかしかった。食事の途中で椿がテーブルを離れ、それを追いかけるようにエレーヌも席を立ったのは見ていた。けれどその後しばらく二人は戻ってこなかった。
 一体その間に何があったのか。

 和真の表情に陰りが浮かんだ。

 椿にそれとなく聞いては見たものの、頑なに何も話そうとはしなかった。けれどエレーヌとの間に何かがあったのは確かだろう。その後の暗く打ち沈んだ表情と、エレーヌとの明るく強気な表情とは対照的だった。

 もちろん才を使えば、ある程度は椿から何があったのかを引き出すことはできるかもしれない。けれど、それをしたくなかった。
 椿には才をコントロールできるようになったと言ってあるが、本当は違う。確かにある程度はコントロールできるものの、触れれば簡単に嘘をついているのかどうかはわかる。両親の嘘も、椿の嘘も。けれどそんなことを話せば、きっといくら家族といえどもいい気はしないだろう。
 もっともあの両親と椿のことだから、悪意のない、むしろ愛情に満ちた嘘がせいぜいだろうとは思うが。

 そう思えばこそ、この才を家族に特に椿に向けて使いたくはない。
 それに――。

 それに、もし椿の心を暗くしているものがエレーヌから言われた何らかの言葉だとしても、それはきっと自分に関わることに違いなかった。
 椿がずっと心に深く隠し続けて見ないようにしている、自分に向けた愛情。椿自身はそれを頑なに認めようとしないし、隠しきれていると思っている。けれどその感情は周囲にも伝わるほどで、それが日に日に増していっていることに本人だけが気づいていない。

 勘のいいエレーヌのことだ。おそらく魅力にあふれた自分がいくら言い寄ってもなびかないのは他に思う相手がおり、その相手が椿であることに気がついたはずだ。

「椿……。エレーヌに何を言われた。なぜそんなに気持ちを隠そうとする? 何にそんなに苦しんでいるんだ。幸せになってはいけないと思うのはなぜ?」

 和真の小さな声が、静かな部屋の中に落ちた。

 椿は穏やかな寝息を立てたまま、静かに眠っている。長いまつ毛が目の下に影を落とし、胸は規則正しく上下していた。
 それを見つめ、和真はささやいた。
 夢の中でいいから、どうかこの声が届きますようにと祈りながら。
 
「椿。愛しているよ。もうずっと長いこと……。だからどうか、椿も自分の心に気がついて。もうずっと、ずっと長くその時を待っているんだ……」

 切なさがにじんだその声に、椿が目を開けることはなかった――。



 ◇◇◇◇


「商談の日が五日後に決まった。まずは第一歩だな。商談の席に立てただけでもすごいことだ。よくやったな」

 久しぶりに家族全員と当矢、さらに美琴を招いた夕食の席で、父が告げた。

「ええ。ようやくチャンスが巡ってきましたね。これを無駄にする気はありません。きっと商談を成功させ、この国で初めてセルゲンの作品を輸入した栄誉を手に入れてみせます」

 和真が力強く答え、その隣で当矢が口の端に小さく笑みを浮かべた。どうやら準備は着々と順調に進んでいるらしい。

 椿は二人の自信に輝いた表情に、安堵する。とともに、脳裏にエレーヌのあの自信に満ちた顔が浮かんだ。
 いよいよ商談だ。ということは五日後、和真は当矢とともにゴダルドの船へと乗り込みそこで三日三晩ともに過ごすことになる。あのエレーヌとともに。

『そうやってあなたが指をくわえて見ているだけなら、私は本気で和真をもらうわ。私はあきらめない。絶対に和真を手に入れて見せるから、覚えておいて』

 エレーヌの言葉がよみがえり、胸に痛みが走る。
 気づけば、食事の手を止めてしまっていた。

「……椿? 大丈夫かい」

 和真の心配げな声に、椿ははっとして顔を上げた。

「え。ええ! もちろんよ。頑張ってね、二人とも。無事に商談が成立するよう、心から祈っているわね」

 なんとか明るく聞こえるよう声を振り絞り、平静を装う。
 和真は何か言いたげにしていたけれど、あえてそれを見ないようにして一心不乱に目の前の食事を口に運んだ。

 美琴は、恋をしているのだと言っていた。私が和真に恋をしているから、エレーヌに嫉妬し独占欲にかられたのだと――。
 けれどそんなことがあっていいはずはないのだ。私は和真の姉で、そしてこれ以上幸せを望んでいい人間ではないのだから。




 その日、椿は和真に告げた。
 商談まで日がないし、朝の散歩はしばらくお休みにして準備に専念してね、と。

 けれど、それはただの言い訳だった。
 和真と顔を合わせるのが辛く、平静を装って和真と対するのが苦しかったから。

 口を開いたら、エレーヌと会わないでなどとおかしなことをつい口走ってしまいそうで怖かったから――。


 気がつけばあっという間に、商談は明日に迫っていた。



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