上 下
14 / 53
2章 四度あることは五度ある

6 

しおりを挟む
「本当に和真様にも椿様にも、なんとお詫びすればよいのか……! すべて私の独断なのです。両親は何も、何も知らないのです! なにとぞお許しくださいませ」

 美琴は泣き腫らした顔を両手で覆い、東屋のテーブルの上に突っ伏した。

「そうご自分をお責めにならないでください。それだけ当矢様を思うがゆえのことなのでしょうし。あまりそう思い詰めずに……」

 椿は懐からハンカチを取り出すと、美琴の頬をそっと拭った。けれど、拭うそばから次から次へと新しい涙がこぼれ落ちていく。

 それを見ていると、なんだか椿までやるせない気持ちになって心がきゅっと苦しくなる。どうにかして美琴の恋を成就させてあげられないかと、思わず願いたくなるくらいには。

 本当は、文句の一つくらい言ってやってもいいのかもしれなかった。かわいい弟をだまして、一目惚れしたなんて嘘までついて縁談話を持ち込んだのだ。けれどいざこうして美琴に会ってみると、決して誰かをだまそうとか利用しようとかそんな気持ちで今日を迎えたわけではないことは、すぐに分かった。

 そして美琴の口からすべての事情を打ち明けられた今となっては、美琴を責める気にはなれず、むしろ美琴のひたむきな真っ直ぐな思いに胸を打たれていた。

「椿様……。私……私」

 叶わないと知っていながらそれでも諦めきれない恋に身を焦がす美琴の姿は儚げで弱く、けれどとても美しかった。



 ふと東屋にやわらかな風が吹き込み、甘酸っぱい薔薇の香りが漂った。

 ここは、遠山家自慢の庭園の一角である。
 ちょうど薔薇が盛りの季節とあって、庭中に濃厚で甘い香りが周囲一体に漂う。

 その薔薇を楽しめる眺めの良い東屋に、和真と椿、そして美琴の三人が絶妙な距離感を置いて座っていた。

「でも……でもだからといって、自分かわいさに他の方を目くらましに利用するなんて。自分の浅はかさが恥ずかしくてなりません」

 そう言って美琴はまた涙をこぼす。

 美しくあでやかな着物に身を包み、よく手入れのされた髪をさらりと背中に下ろした美琴はまるで絵の中から飛び出してきたかのような美しさで、薔薇といい勝負であった。でも化粧を施したその顔も今は涙に濡れ、鼻の頭も赤く染まっていた。

 椿は雲一つなく晴れ渡った空を見上げ、美琴には聞こえないようそっとため息をついた。

 今日は、遠山家と雪園家の両家顔合わせの日だった。

 まさか自分の娘が使用人の息子と恋仲だなどとは思いもしない雪園家の両親と、和真から聞いて事情を知っているがすべて和真に一任するという約束で知らぬ存ぜぬを貫いている遠山家の父母とが、ここ遠山家の庭園で一同に介していた。
 
 しばらくは型通りの挨拶が続き、和真の一言で美琴をこうして庭園に連れ出すことに成功したのだったが。

 椿は、まさか隠れて美琴と使用人の息子との秘密の逢瀬を覗いていましたなどと相手方に言えるわけもなく、キリキリと痛む胃を押さえつつなんとか平静を装い、雪園家の両親と顔を合わせた。

 その居心地の悪さと言ったらなかった。騙しているも同義なのだから。かといって、このまま何事もなかったように縁談を進めるわけにもいかない。

 美琴を庭に連れ出した和真は、自分に嘘を見抜く才が備わっていることを打ち明け、そして隠している思いがおありでしょう? とさも恋心を見抜いたかのように、美琴自ら告白するよう仕向けたのだ。

 その和真の問いかけに、美琴は驚きに目を見開き、みるみる目に大粒の涙を浮かべ泣き崩れたのだった。




 椿は、謝罪の言葉を繰り返しながらひたすらに泣き続ける美琴の背を優しくなでてやるくらいしかできずにいた。

 確かに美琴のしたことは、遠山家と何より和真を騙し傷つける行為に他ならない。いくら格上の名家の令嬢だからといって、人の心をもてあそぶようなことが許されるはずもないのだ。けれど。

「そんなに泣かれてはお体に触りますわ。どうかもう顔をお上げくださいな。……私、何か飲み物と濡らしたタオルを持ってきますね」

 そう言ってこの場を和真に任せ、急ぎ気持ちを落ち着かせる効果のある香りの良いお茶と目を冷やすための濡らしたタオルとを用意して戻ってきたのだった。

 あたたかなお茶で少しは落ち着いた様子ではあったが、美琴の表情は冴えない。

 美琴はまさか両親に苦し紛れについた嘘が縁談話に発展するとは、思ってもいなかったのだ。
 そもそも和真の名前も知らず、ただ買い物の途中で見かけたどこかの商家の子息に一目惚れをした、と話しただけだったのだから。

 それを両親が娘のためにと、娘の立ち寄った先が遠山家の手がける店でその長男がちょうど店にいる時に美琴が買い物をしていたと、その日行動をともにしていた使用人から聞き出したらしい。そんなこととは露知らず、美琴は和真との縁談がととのったと両親に告げられ、今さら本当のことを打ち明けるわけにもいかずに今日この日を迎えたのだった。

「よもやこんな事になるなんて、思いもしなかったのです……。和真様のことも失礼ながら存じ上げなかったもので、どうしたらよいのか途方に暮れるばかりで」

 美琴は、消え入りそうな声で事情をすべて打ち明けてくれた。

「そういうご事情なら、仕方ありません。美琴様の知らないところでお話が進んでしまっていたのですもの。でも、当矢様はこの縁談に反対されなかったのですか? それほどに美琴様を思っていらっしゃるのなら、引き止めたりは……?」

 美琴ははっと苦し気な表情を浮かべ、うなだれた。

「それが一番の問題なのです……。当矢は、きっとそれほどには私のことを思っていなんていないのかもしれません」

 そう言って、美琴ははらり、とまた涙をこぼした。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【完結】私、四女なんですけど…?〜四女ってもう少しお気楽だと思ったのに〜

まりぃべる
恋愛
ルジェナ=カフリークは、上に三人の姉と、弟がいる十六歳の女の子。 ルジェナが小さな頃は、三人の姉に囲まれて好きな事を好きな時に好きなだけ学んでいた。 父ヘルベルト伯爵も母アレンカ伯爵夫人も、そんな好奇心旺盛なルジェナに甘く好きな事を好きなようにさせ、良く言えば自主性を尊重させていた。 それが、成長し、上の姉達が思わぬ結婚などで家から出て行くと、ルジェナはだんだんとこの家の行く末が心配となってくる。 両親は、貴族ではあるが貴族らしくなく領地で育てているブドウの事しか考えていないように見える為、ルジェナはこのカフリーク家の未来をどうにかしなければ、と思い立ち年頃の男女の交流会に出席する事を決める。 そして、そこで皆のルジェナを想う気持ちも相まって、無事に幸せを見つける。 そんなお話。 ☆まりぃべるの世界観です。現実とは似ていても違う世界です。 ☆現実世界と似たような名前、土地などありますが現実世界とは関係ありません。 ☆現実世界でも使うような単語や言葉を使っていますが、現実世界とは違う場合もあります。 楽しんでいただけると幸いです。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

立派な王太子妃~妃の幸せは誰が考えるのか~

矢野りと
恋愛
ある日王太子妃は夫である王太子の不貞の現場を目撃してしまう。愛している夫の裏切りに傷つきながらも、やり直したいと周りに助言を求めるが‥‥。 隠れて不貞を続ける夫を見続けていくうちに壊れていく妻。 周りが気づいた時は何もかも手遅れだった…。 ※設定はゆるいです。

処理中です...