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1章 破談の呪いと夢見の少女
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しおりを挟むこの世界には、ある種の特別な才を持って生まれる者が一定数いる。
その才を持つ人間が、この遠山家には二人いた。
一人は未来を夢に見ることのできる夢見の才を持つ椿、もう一人は人の嘘を見抜く才を持つ弟の和真である。
才を持って生まれることなど滅多にあることではないのに、なぜ中でも稀有な才の持ち主が同じ屋敷に二人もいるのかは甚だ謎である。
椿が夢見の才を初めて自覚したのは、和真が六才の誕生日を迎えた日の朝のこと。
和真が屋敷のそばにある楡の木から足を滑らせて大けがを負う夢を見た椿は胸騒ぎを感じ、和真を楡の木から遠ざけようとした。が、結局和真は庭に出てけがを負った。夢で見たよりははるかに軽く、かすり傷程度のものではあったけれど。
そしてそれ以降も同じような夢を幾度も見て、自分に未来に起きることを夢で予知できる夢見の才があることを知った。しかも、和真の未来限定の。
けれどその力は、未来をまったく別のものに書き換えるほどには強くはなく、例えば大けがをすり傷にするといった大難を小難にする程度のささやかな力だった。
それでも、わずかでも和真の役に立てるのなら、と椿はこの才に感謝していた。
そして和真が十四才になったある日、椿は夢を見た。
和真の将来に大きく影をさす重大な夢を。
それこそが、椿の苦悩の日々のはじまりだった。
椿はその日、自分の見た夢の意味に気が付き慌てて両親のいる居間に駆け込んだ。
『お父様、お母様っ! 大変ですっ。これは遠山家の一大事です! 和真が……和真がっ!』
大声で叫びながら突然飛び込んできた椿に、父は飲みかけの茶を吹き出し母はスプーンをガチャリと取り落とした。
『お父様、お母様。私、夢を見たのです。和真が今よりもずっと年を重ねて、お父様くらいのお年になった頃の夢を……!』
『まさかその夢で、和真に何か良くないことでも?』
父の問いかけに、椿はふるふると艷やかな黒髪を振った。
しかし椿のその固くこわばった表情に、父も母も、部屋で給仕していた使用人たちまでもがごくりと息をのんだ。
『和真は……和真は一生結婚できず、独り身のままかもしれません! 和真の縁談がなぜか次々と破談になる夢を見たのです! そしてついには伴侶を得ることなく、とうにこの屋敷を出ていっているはずの私と和真がこの屋敷で暮らしていて……。あまつさえ私が、和真に甲斐甲斐しくお茶を出したり上着を着せたりしていているのです!』
もっと最悪な事態、例えば重い病で臥せっているだとか出奔して行方がわからないだとかそういった事柄を想定していた一同の顔に、気が抜けたような安堵の表情が浮かんだ。
確かに姉弟が年を経てもともに暮らしているということは、独り身のままという可能性はある。そして身の回りの世話を焼くのは普通に考えれば妻であろうし、それを姉の椿がしているということは、二人ともが独身のままということもあるだろう。
が、別の見方もできなくはないのだが、と話を聞いていた一同は皆思っていた。
二人は血のつながらない姉と弟で、相思相愛なのは誰もが知っていたのだから。けれど、椿だけはその可能性に気づいていない。
『……うん、まあそうかもしれないけど。しかし、別に夢の中で不幸せそうな様子だったわけではないのだろう? なら姉と弟二人で仲良く暮らすのも悪くないんじゃ……』
両親にとってみれば、子どもたちが望むならどんな人生を選んでも構わないと考えていた。だからして、椿の懸念はそれほど憂慮すべき事態ではなかったのだが。
『そんな悠長な! それでは和真が寂しいではありませんか。ただでさえ、難しい才を持っているのですもの。長い人生をともに歩んでくれる伴侶がいた方が、きっと和真だって心安らかでしょう? それに、遠山家の未来だって絶たれてしまうわ……』
『ああ、まぁそれはそうなんだが…』
もごもごと何やら口ごもる父と、曖昧な表情を浮かべてこちらを見つめる母を不思議に思いながらも、椿は力強く宣言したのだった。
『私、なんとかして和真を幸せにしてみせるわ。破談の運命なんて、私が変えてみせますっ!』と。
なのに、未だその運命は変わらないままだ。
和真は今年で十八才になる、遠山家の嫡男である。
名家と呼べるほどの家柄ではないにせよ、商売が大いに成功し、和真自身の容姿や能力を鑑みても結婚相手としては優良の部類に入るだろう。
椿には、一体この弟の何がいけないのかが分からない。命にかえても惜しくないくらい愛おしい家族思いの弟がこうして破談の憂き目にあうのを見るのは、姉として辛い。
「ええと、それで手紙にはなんて?」
母親が落ち込む椿になんともいえない視線を向け、吐息交じりに隣に座る父に問いかけた。
「仏道に目覚めたとかで、尼僧になると」
「まあ、尼僧に……。まだお若いのに……?」
両親はしばし無言で顔を見合わせ、何か言いたげな視線を和真へと向けた。
「随分信心深い方のようでしたから、俗世で生きるよりきっと心安らかに過ごせるでしょう」
「またそんな他人事みたいに! 自分の縁談が破談になったというのに、なぜ和真はいつもそんなに落ち着いていられるの? もっと怒ったり悲しんだりしてもいいのに!」
椿は、涼し気な顔の和真をにらみつけた。
「椿。僕は好きでもない相手と生涯をともにするつもりはないよ。それに、椿と二人でこの屋敷で仲良く年を重ねていくことの何がいけないの? 椿は、それは不幸だというの?」
和真のわざとらしい寂しさを滲ませた言葉に、椿は慌てて首を振った。
「もちろんそんなわけはないわ。でも……」
悲壮な顔で拳を握りしめた椿に、和真が小さく呟いた。
「……まあ夢見の通り椿がそばにいてくれる未来が本当なら、血が絶えるとは限らないんだけどね」
けれどその声は、小さすぎて椿の耳には届いてはいなかった。
椿は少し寂しそうな表情を浮かべて、弟を見やった。
和真は、数年頃から姉である椿を名前で呼ぶようになっていた。以前は椿姉さん、とかわいらしい声で呼んでくれたのにと当初は困惑したが、これも年頃の少年らしさゆえかと一抹の寂しさを感じつつ諦めたのではあったが。
なんだか最近、名前で呼ばれる度にどこか胸の中がきゅう、と締め付けられる気持ちになるのは一体なぜだろうか。
椿は和真に聞こえないよう、こっそりと嘆息した。
和真が生まれたその日のことを、今もありありと思い出せる。
小さなしわくちゃな赤い手をぎゅっと握りしめ、全身の力を振り絞って大きな声で泣く和真を見た時、椿はこぼれ落ちる涙を止めることができなかった。
えくえくとしゃくり上げながら涙をこぼし続ける椿に、父も母も目を真ん丸にして驚いていた。そんなふうに声を上げて泣くことも、感情をむき出しにしたのもそれが初めてだったから。
『私……弟を、和真を守るから。絶対に、どんなことからも守ってみせるから……!』
そう言ってわんわん泣いたのを覚えている。どうしてあんなに泣いたのか、なぜあんなに強い感情が自分の中から湧き上がったのかは分からない。
けれど心で理解したのだ。
自分はこの弟を守るために、遠山家に遣わされたのだと。このかわいらしい小さな命を守り抜くことが、自分に定められた運命に違いないと。
そして誓った。なんとしても和真の幸せを姉である自分が守り抜こうと。
なのに縁談の一つもまとめられないなんて、あまりに姉として不甲斐なく、せっかく夢見の才もこれではちっとも役に立たないではないか。
落ち込む椿に、和真が声をかける。
「僕は椿がそばにいてくれれば、それでいい。椿がそばにいてくれるのが、一番の幸せなんだから」
ふわり、とやわらかく笑った和真のその顔に、ふと幼い頃の和真の顔が重なる。
それは、幼い頃からの和真の口癖だった。
その記憶に、弟の成長を喜ぶと同時にどこか寂しさと苦しさが入り混じるのを感じ、ふと戸惑うのだった。
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