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 そんなある日の昼下がり、辺境の町では。

「トリシア様! お待ちかねの手紙が届きましたよっ。それにたくさんの贈り物も!!」
「あら、ありがとう。ハンナ。……まぁ、私の大好物のお菓子に果物に、ふふっ! お気に入りの本まで」

 自分宛てに届いた手紙と山のように積まれた荷を目にして、トリシアは思わず笑いをこぼした。

 屋敷を出て、すでに二週間が過ぎていた。
 けれど町の人たちの協力のおかげで、今も見つからずに済んでいる。

 生まれつき、目立つ特徴がないせいだろうか。地味な格好をするだけで、どこにだってすんなりと溶け込めるのだ。
 これでも化粧を施し着飾れば、それなりに見えなくもないのだが。

「さすがはヒューね。こんな短い時間で必要なものを全部そろえるなんて……。ふふっ。これでこんな不毛な結婚をとっとと終わらせられるわ」

 届いた荷物をあらため、トリシアは満足気な吐息をもらした。

 荷と一緒に届いた手紙は、三通あった。
 一通は、離縁するに当たっての協力者からの状況を知らせる内容。もう一通は、父親の正式な署名入りのとある契約書だった。
 残る一通は――。

 それが国が認めた正式な書類であることを確かめ、トリシアはほぅ、と安堵の息をついた。

 トリシアにとっても、この結婚は貴族としての義務でしかなかった。貴族である以上、王命に逆らうわけにはいかない。ただそれだけだったのだ。

 事情は色々と聞いていたし、幸せな結婚生活が送れるだろうなどとは夢にも思ってはいなかった。
 けれどまさか、あれほどまでにひどい扱いを受けるとは――。

(でもそのおかげで、あちらに恩を着せる形で離縁に持ち込めるわ。それに放っておかれるのは慣れっこだし、本当は大して堪えてはいなかったんだけど……)

 トリシアは、裕福な貴族家に生まれた二人姉妹の長子だった。けれど、両親から愛されたことなどない。

 どうも両親の気に入るような見た目でなかったのが原因らしい。
 可憐でかわいらしい外見を持った妹が生まれてからは、まるでいないにも等しい扱いで放っておかれた。

 その割に、頭の出来の良さだけは重宝された。
 妹をかわいがるのに忙しい両親は、家政と領地経営をまだ年若いトリシアに任せきりにしたのだ。

 おかげでさまざまな知識と経験を存分に身につけたトリシアは、身の回りの一切をこなすくらい朝飯前だった。
 よって、あの程度の嫌がらせはどうということもなかった。

 が、トリシアは考えた。これは、こんな望まない結婚からもあの家族からも、国や貴族からも逃げ出す好機なのでは、と――。

 そんなトリシアの様子に、ハンナが肩を落とした。 
 
「返事がきたってことは、もう間もなくここを離れちまうんだねぇ……。残念だよ。トリシア様のおかげで、ようやく商売もうまく回りそうだってのに……」

 女手一つで食堂を切り盛りしているハンナは、なかなか売り上げが思うように伸びずに悩んでいた。
 そこにトリシアがやってきたのだ。
 しばらく一部屋貸してはくれないか、その代わりに商売の手伝いをするから、と。

 事情を聞いたハンナは、半信半疑でトリシアをかくまってくれた。
 その結果は。

「トリシア様の助言のおかげで無駄な経費も抑えられたし、仕入れだって安く上がるようになったしさ。浮いた分を宣伝に回したら、客の入りだってぐんと増えたしさ……」
「ふふっ! ハンナがそれだけ頑張った結果よ? 私は少しアドバイスしただけだわ」

 これまで散々両親にこき使われてきた成果が出たらしい。
 ハンナはこの調子なら店の売り上げは大層上がりそうだ、とずいぶんと喜んでくれた。

「まったくこんな賢い奥方様を追い出すような真似をするなんて、ひどい話さ。ガイジア様だってトリシア様をちゃあんと大事に扱ってくださってたら、離縁なんてことになりゃしなかったのに。まったく残念だよ……」

 ハンナによれば、ガイジアは決して悪い領主ではないらしい。だが少々頭が固く融通が利かないせいか、あまり領地経営には向いていないとか。
 地の利が少ない辺境民にとって、それは死活問題だった。

 だからハンナは、トリシアの貴族令嬢らしからぬ商売向きの賢さがこの領地には必要だと思ったらしい。
 けれど、こればかりは致し方ない。

「仕方ないわ。ガイジア様も屋敷の皆さんも、私をお望みじゃないんだもの。でも助けてくれたお礼に、今後役に立ちそうな商売のコツを書き残しておくわね」
「おや、本当かい!? そりゃあ助かるよ」

 そして荷物の中からおいしそうなお菓子やら日用品をいくつか取り出し、ハンナに手渡した。
 
「よかったらこれは皆さんでどうぞ。……あぁ、それからあと数日したら、ヒューという人が私を訪ねてくるはずなの。その人に、この手紙を渡しておいてくれる?」
「はいはい! もちろんですよ。……もしかしてその人って、トリシア様の大事な方なのかい?」

 ハンナがにんまりと微笑んだ。
 その意味ありげな笑みに、トリシアの頬がほんのりと染まった。

「ど、どうしてそんなこと?」

 思わず顔を両手で覆ったトリシアは、ハンナを見やった。

「あっはっはっはっ! 図星みたいだねぇ。……いやね、なんだかトリシア様のお顔がいやに優しげだったから、ついそんな気がしてさ! そうかいそうかい。トリシア様には大切な人がおいでなんだね」
「まぁ、ハンナったら……。ふふっ。でも、そうね。ずっとずっと私の味方でいてくれた、とても大切な人なの。その人の助けがなければ、あのお屋敷を出ることなんてとても無理だったもの」 

 トリシアの脳裏に、少し斜に構えた眼差しに時折甘い色をにじませる青年の顔が浮かんだ。

「そうかいそうかい! そんないい人がそばについててくれるんなら、ひと安心さね。わかったよ! この手紙はちゃあんとその人に渡しておくからね!!」
「ええ、ありがとう。ハンナ! 皆にもよろしく伝えてちょうだいね!!」

 こうしてトリシアはハンナたちに別れを告げ、いよいよ最後の仕上げに取り掛かることにしたのだった。

 自分の人生を縛りつけてきた、窮屈なすべてのものから自由になるために――。


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